日本習合論

第9回

内田樹×三砂ちづる対談「少数派として生きていく」(2)

2020.12.04更新

 2020年10月14日MSLive!にて内田樹先生と三砂ちづる先生による「『日本習合論』発刊記念対談第2弾 少数派として生きていく」がおこなわれました。
 『日本習合論』が書かれた背景には、「このままだと少数派が自信をなくすばかりで、少数派のない社会になってしまう。それが一番危険なことであり、共同体が修復力をなくす最大の要因となる」という内田先生の危機感がありました。
 「少数派」をそれぞれ自認するお二人が語らった、人はどんなふうに少数派になるのか、「働く」定義を変えて考えること、好きなことをする、場をつくること、等々。分断と対立が続く世の中で、自分たちの足元からできることは何か、ヒントに満ちた時間となりました。
 本日は、後編の模様をお届けします。

(構成:染谷はるひ)

(前編はこちら

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左:三砂ちづる先生、右:内田樹先生

オンライン授業で、学校に怯えていた学生の存在が明らかになった

三砂 新型コロナウィルスの影響で、オンライン授業が多くなりました。対面授業とオンライン授業で何が違うかと言うと、今までの学校だったら絶対に行けなかった人が授業に出て来られるようになっているんです。それから、周りを気にしなくていいから質問が増えました。あとは参加者をグループに分けると、顔が見えないから結構話し合ってくれることがあるみたいです。双方向という意味ではすごく良い授業ができています。うちの大学ではオンライン移行と共に学生全員に教員のメールアドレスを公開しましたから、学生との距離は決して遠くはなっていない。それはいいところだなと思います。

内田 そうだと思います。コロナで気がついたことの一つは、これまでの大学は、自分で面白そうなものに進んで首を突っ込んでいく積極的な学生を「あるべき学生像」と無自覚に設定していたということですね。あれこれの授業を履修して、いろいろな先生や先輩に話を聞いて、図書館を活用して、クラブ活動に参加して・・・というふうに大学の提供する知的リソースを最大限に活用できる学生、つまり「学習強者」がより豊かなものを引き出せるように大学は制度設計されていた。
 でも、コロナでわかったのは、実際には大半の学生はそうじゃなかったということでした。学校を活用するどころか、学校に来ることに不安や恐怖を感じている学生がこれだけたくさんいたということがわかった。なにしろ、「オンラインでなら授業を受けても平気」という学生がこれほどたくさんいたんですから。
 日本の中等教育では「目立たないこと、積極的に行動しないこと、多数派に紛れ込むこと」が生存戦略的に有利だと叩き込まれますよね。だから、自分から進んで大学が提供する知的なリソースを活用するノウハウなんか子どもたちがあらかじめ知っているはずがないんです。オンライン授業で、そういう学生たちーー「学習弱者」ーーが大学のプログラムから制度的に疎外されていたという事実が明らかになった。
 キャンパスを最大限利用して、豊かなものを引き出せる学生というのは、実際はごく少数なんです。ほとんどの学生は、大学の提供する知的リソースにアクセスする仕方そのものを知らない。僕らは今までその子たちを切り捨てていた。彼らの前に学問的美食を用意して、並べるだけ並べて、「食べたければあとは自分でどうぞ」と言って、学生の自主性に委ねることが「正しい」と思っていた。でも、怖がっていて、その「手を伸ばす」ことができないという学生がたくさんいたわけです。そういう「学習弱者」たちと教師をつなぐチャンネルがこれまでは存在しなかった。でも、この「学習弱者」たちだって、潜在的には豊かな個性や才能を蔵しているわけですよね。その個性や才能を引き出す回路がこれまでの大学にはなかった。彼らをちゃんと大学の仕組みにビルトインして、彼らなりの作品を生み出してくれたら、それはすごくこの社会を豊かなものにしてくれるんじゃないかと思うんです。これまで無視されていた、「存在しない」と思われていたリソースが形をとって出てくるということはすごくいいことだと思うんです。

三砂 私はオンラインでも勉強はできると思うんです。図書館も郵送で貸出をしてくれたりいろんな先生の話が聞けたり、大学に行かなくても勉強する環境は整っている。
 このことは新しい可能性を開いていると思いますけども、もう元には戻れないなとも思っていて。この後どうなるんだろうなと考えています。

好きなこと、こだわらずにはいられないもの

三砂 少数派として生きていくとき、やっぱり自分の好きなことをやればいいと思うんです。だから私のゼミでは好きなテーマで卒論を書いてもらう。自分の好きな方向に出ていくことがその人のありかたを決めていくし、言葉にできなかったものが言葉になっていくきっかけになるから。
 私は学生に、大学は批判をすることを学ぶ場所ではなく、自分が全部同意するような人を探す場所だと言っています。ある人の本が面白いと思ったら、その人の著書を全部読みなさいと。読んでいたら自分が好きな言葉の使い方がわかってきて、それがわかるからこそ違う意見にコメントできるようになる。そうやって自分の言葉を持つ人になると周囲からの同調圧力を気にせず、自分の世界を軸に、自分を探してくれている誰かと出会うよう歩んでいけるんじゃないかと思うわけです。

内田 僕も学生には「自分の好きなことをやりなさい」と言うんだけど、それって本当に難しいことなんですよね。自分の中の漠然とした思いを適切な言葉に変換することはそう簡単じゃないから。どうして自分がそのことが気になるのかよくわからない。簡単に「好き」というのでは言い尽くせないし。
 僕は卒業論文ではメルロー=ポンティを、修士論文ではモーリス・ブランショを、博士課程ではエマニュエル・レヴィナスを研究したんです。三人続けてフランスの哲学者を研究した。でも、自分がいったいどういう基準でこの人たちを研究対象にしたのかよくわからなかった。訊かれても答えられなかった。
 ずいぶん経ってからですね、選択の根拠がわかったのは。僕は彼らの哲学の中身に惹かれたわけじゃなかった。そうじゃなくて、「フランスの知的ヒエラルヒーの頂点にいる」という人を研究したかったんです。一番頂点にいる人のところににじり寄って行って、その人の足の間からフランス文化や歴史全体を「睥睨」したかった。あれこれ勉強するのが面倒だったから「頂点」の人ひとりだけやっておけば、後は勉強せずに済むと思っていた。別に難しい哲学に惹かれたわけじゃなくて、ただ横着なだけだったんです(笑)。
 でも、その横着さの由来そのものは生々しいんです。文化的後進国の人間としての屈託なんですから。僕の知的な努力をドライブしていたものは後進国民の気後れなんです。敗戦国に生まれて、国際共通性のない日本語で読んだり書いたりしているだけでは、決して世界標準を創り出すことはできないという無力感と焦り。だから、戦勝国民を見返してやろうと思って、それでフランス哲学を研究していたわけです。だから、「内田さんはフランス哲学が好きなんですか?」と訊かれても、「はい」とは答えられない。専門的に研究した対象だけれど、「好き」なわけじゃない。

三砂 そうですね、たしかに「好き」という言葉だと少し軽くて、自分のあこがれ、渇望するもの、こだわらずにいられないもの、そういうその人の原型のようなものは、二十歳前後にはできあがっていると思うので、それを磨いていくきっかけを、大学で見つけてもらえたらなと思っています。

私人が献身的に立ち上げる場は、手触りが優しい

内田 僕は合気道をやっていますけど、武道のたいせつなところは「非人情」というところなんだと思います。「非人情」というのは現実から離れていて、現実には囚われていないけれど、今目の前で何が起きているかははっきりわかっているというありようのことです。冷静に観察しているけれども、そこで起きていることに囚われていない。自分の悩みとか、こだわりとか、欲望とか、そういうことから切り離されていて、静かに今起きていることを見て、何をなすべきかを決める。それが「非人情」ということなんです。できればその境地に達したい。
 僕が主宰している凱風館では、「非人情」を技術的な一つの課題としています。だから、当然そこの人間関係も「非人情」なものになります。温度が低いというか、粘り気がないというか。だいたい僕は門人の名前を知らないし(笑)。入門して1年2年くらいの人だとまず名前を覚えられない。合宿のときとか、宴会のときとか、長い時間話したりはしますけれど、話題はほぼ100%合気道のことですから、門人たちの個人的なことが話題になることはまずない。だから、何年も通っている門人でも、どういう職業の人なのか、僕はよく知らない。
 でも、それが割と大切なことじゃないかと思うんです。そうすると、その人も、道場に来た瞬間に、その人たちのリアルから切り離されるから。道場に一歩入って、私服から道着に着替えると、ひとりの合気道家になる。その人がどういう合気道をするかということについては稽古する全員が観察しているし、そのレベルでは親密なコミュニケーションが成立しているんですけれど、その人が外ではどういう人であるかということには誰も特段の関心がない。だから、本人も道場にいる間だけは精神的に自由になるということはあるんだと思います。道場に入る時に現実を去って、出る時にはまた現実に戻る。一時的ですけれど、そういうふうにして現実と離れて、心身のこわばりを解いたり、詰まりを通してゆくことは生きてゆくためには必要なんじゃないかな。そういう場を作りたいんです。

三砂 場はなんとなくできるんじゃなくて、誰か一人が先導して作らなければいけないんですよね。そして、その一人はある意味徹底的に献身的じゃないといけない。自分がこれだけやったのだから、どれだけ返してくれとは一切考えない。それも決して無理しているのではなくて好きでやっている。それが大事だと思うんです。そうでないと人が集まってこないし、集まった人が安らげないから受容的な場はできません。そういう意味で凱風館は内田先生が作っている場ですよね。
 気前よく自分の時間を差し出せる献身的な人が増えていくといいなと思います。そうすると、いろんなところに場ができるから、いろんな人の居場所ができる。そういう場で育った人はそこを出てまた違う場を作るかもしれない。

内田 「献身」と言われたように、公共は公共としてそこに自然物のようにあるわけではなくて、私人が「持ち出し」で身銭を切って、創り出すものだと思います。凱風館は僕が建てたものですけれど、「みんなの家」で、公共の場です。
 道場の公共性というのは、ただみんなが使えるというだけではなく、この現実社会の価値観や規範とは別の価値観や規範が優位な場であるということでもあると思います。この社会の中の特異点として道場とか学校とか宗教施設とかはある。そういう特異点から、社会の中に「外部」の空気が吹き込んでくる。そういう「窓」のようなものが必要だということはみんなわかっていると思います。

ミシマガ編集部
(みしまがへんしゅうぶ)

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『日本習合論』新聞各紙に書評が掲載されました!

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内田樹先生の『日本習合論』、全国で話題になり、毎日新聞では橋爪大三郎先生の、北海道新聞では大澤真幸さんの書評が掲載されました。現在も各新聞社のウェブページでご覧いただくことができます。

『日本習合論』詳細はこちら

橋爪大三郎先生による書評(毎日新聞のニュース・情報サイト)

大澤真幸さんによる書評(北海道新聞電子版)

三砂ちづる先生著『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』熱いご感想を続々いただいています!

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 豊かな経験を持つ三砂先生は、まさに、「人生の先生」。決して他人を否定することなく、自分の考えを押しつけることもなく、柔らかな語り口で読者を包んでくれます。人生の岐路に立ったときに、きっと自分を助けてくれる、そんな1冊です。
 こちらの記事でまえがきを公開中です。このまえがきで心をつかまれた、というご感想も多くいただいております。ぜひお読みください。

書籍の詳細はこちら

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