感じる坊さん。感じる坊さん。

第9回

正直に自分を開いてみる

2018.08.06更新

お父さんはお坊さん

 娘が小学1年生なので、時々、親である僕も行事などで学校に行くことがある。そんな時、少し年上の友達たちと遊んでいる娘の姿がちょっと新鮮で、ブランコに腰掛けて、しばらく眺めていた。

 するとその友達ふたりと一緒に娘が、父親である僕のもとに駆け寄ってくる。そして丸刈り、ショートパンツにTシャツという、やや異形の姿をとった僕を友人たちに紹介する。

「私のお父さん、はげつるぴっちょのお坊さんなの」

 友人の女の子達は、顔をしかめ、娘にやや同情的な表情を浮かべ、そしてたしなめるように言う。

「・・・そんなこと、言うもんじゃないわよ」

 自分なりに今まで、「仏教もお坊さんも、じつは相当格好いい」ということを伝えたくて活動してきた。そして、それなりの手応えを感じることも少なくなかったが、道はまだまだ途中らしい。正直な女の子達は、その冷徹な事実を僕に告げる。

 娘にとってはじめての夏休みがはじまった。夕食の後、三歳の次女も連れて時々、お寺の周りを散歩する。栄福寺は農村にあるので、お寺の周りは水田が広がり、熱風のような昼の風も、少し温度を下げている。そして田の上にひろがった青や朱の夕日の空は、僕たちが住んでいる場所が、美しい場所であることを無言で告げる。

 ちょうど畑に出ている栄福寺の総代さんが、

「キュウリ食べる? 持っていってくれや」

 と、どっさりキュウリをくれた。

「お父さん、なぜあのおじさんは、優しいの?」

「総代さんは、お寺のリーダーだからね。お寺とお坊さんに優しいんだよ」

「お父さんはお寺のリーダーじゃないの? 住職なのに」

「お父さんもリーダーだよ。でも総代さんもリーダーだね」

「へー」という表情を浮かべた娘はキュウリが好物だ。

 1日、1日の会話や出来事を振り返るたびに、もし僕が老人になるまで生き延びることができたならば、今日のような1日を思い出すのだろう。もしかしたら死の床でさえも、今日のような1日を思い出すのだろう。と繰り返し感じる。それが、本当の事かどうかはわからないけれど。

まず人にぶつける

 「はげつるぴっちょのお坊さん」である僕もTwitterを書き込むことも、読むこともあって、時々「リツイート」で流れてくる、誰かの過去の名言風の言葉に、むむむと考え込むことがある。ある日、そんな風に読む機会があったのが、ある著名な映画監督(故人)の言葉だった。

「本書を生み出す過程において私が学んだ最大のことはおそらく次のことでしょう。すなわち、自分に出会えない人生は他者とも出会えない、ということです。逆にいうなら、他者と出会うためには、まず自分と出会うことが必要であるということです」

 この考え方は、僕もかなり同感で、恐らく今までならば、とっさに100パーセント共感してこの言葉を聞いただろう。しかしすぐに去年の高野山での1カ月の修行時、師と二人きりになった時に伝えてくださった言葉を思い出していた。

 師は高野山を代表する僧侶であり、高齢になった今でも毎日、本堂で仏への供養をかかさない。そして修行期間、毎日そのお堂をお借りして高野山の高野明神という神様を拝む修法を終えた僕は、翌朝、師が修法する壇の準備をするのが日課になっていた。その準備をしている時、師と雑談になった。

「最近の人は、自分のことで手一杯だね。外に出てこない。本当は、自分の考えを人にぶつけて、はじめて自分のことがわかるんだ。そしてまた人の話を聞いて、"ああ、そういう考え方があるんや"と、知るんだけどな」

 正直に言うと、僕は「ひとり」の時間を増やさなければいけないと思っていた。人との時間が長すぎると、その楽しさや「なにかをやっている」という感覚の中で、大切な、何かが埋没してしまうような焦りを感じることがあった。その中には、「自分を見出さなければ、自分を見出さなければ」という脅迫概念があったような気がする。

 しかし、今、師の言葉を振り返りながら、「人に向かって、正直に語る」ということが、そのまま「自分との出会い」なのかもしれないと、ヒリヒリと感じている。まず自分を見出すのではなく、その前に人に向かい、自分を開く。

自説をくつがえされる準備

 その時、自分なりに大切にしていることのひとつは、「自説をくつがえされる準備をする」ということである。僕は、よく思うのだけど、国会中継を観ていて「あ! ほんまや。そういえば、そうや。あんたの言う通りや。前言撤回、そうします」という言葉を聞いたことがない。僕が国会議員でもそうなるであろう。

 しかし現実世界では、それが可能な「はず」である。しかし逆に、「自説だけはくつがえされないように」準備をすることが、自分を含めてなんと多いことか。

 「自説をくつがえされる準備」をはじめると、すぐにわかることがある。それは、そういう思いを持って生きている人と、そうでない人の存在だ。

 「人に向かって、正直に語る」「自説をくつがえされる準備をする」を大切にしてこそ、いい意味での「本当に"こだわる"べき自分」のようなものが、川の丸石のような柔軟さで染み出てくるのかもしれない。ちょっと矛盾するわかりにくい言い方になってしまうけれど、本当に今、僕が大事にしていることは、「自説をくつがえされる準備をしながらも、自分で決める」ということだ。

 「人に向かって、正直に語る」「自説をくつがえされる準備をする」そして、そのうえで、「自分で決める、自由にやる」ということ。気になったらみなさんも試してみてほしい。

欲望を数える

 ある書籍で、何人かの僧侶が弘法大師の言葉を題材に法話エッセイを書く、という企画に参加している。この企画は言葉を自分で選ばず、監修をされている僧侶から言葉が割り振られてくるので、ふだんなら自分が選ばない言葉を担当することになり、そのことがちょっと面白く感じることがある。

 僕が今回、担当した言葉のひとつは、こんな言葉だ。

三界六道長く一如の理に迷い 常に三毒の事に酔うて幻野に荒猟して帰宅に心なく夢落に長眠す 覚悟いずれの時ぞ」(弘法大師 空海『吽字義』書き下し文)

【現代語訳 三界六道において、長い間さとりの真理に迷い、常に煩悩という酒に酔い、幻の荒野においてすさんだ猟にふけり、さとりという真理の本宅に帰ることを忘れ、夢の村落にいつまでも眠り続けるのである。彼らが目覚めるのはいつのことであろうか】

 僕は、この言葉の後に、自分自身も欲望に追いかけられている未熟な僧侶であるとことわったうえで、法話の中でこんな提案をしてみた。

 ①僕たちの欲望は、いつか満たされるように見えて、じつは果てがないということを知ること。②その欲望は、幻かもしれないという気持ちを心に置くこと。③欲望に追いかけられない時間を、少しでも持つこと。

 さとりきっていない僕たちが、「仏教をヒント」に生きていくために、「欲望」をそんな風にとらえてみる時間を積み重ねることもひとつの方法だと考えた。

 しかしいわゆる「法話本」にはちょっと書きにくいことではあるけれど、「俗世の中には、本当に"ちょうどいい煩悩の消化具合"ってないのかな」ということを最近、考えていた。例えば、「甘い物って、やはり週イチぐらいで食べたほうが落ち着く」という人は現実にいるかもしれないし、「性欲旺盛な十代後半の男性は、少しは性欲を消化したほうが心身に良いのでは?」という意見もあるかもしれない。もちろん(?)仏教、特に元々の出家者にとっては、その発想自体が悩みの種であるというのが、基本的な考え方であろう。

 しかし、なんだか最後にどーんと「直感」とか言って申し訳ないのだが、今の僕にとって、そして現代の社会において、「自分の欲望を数える」「欲望を見つける」ことも同時に大事なように思う。

 誰かに強制されたり、時代の流れに無理矢理乗るのではない「素の自分の欲するところ」に、ちょっぴり敏感である。<自分を前に進める欲望>。

 そんな風な「欲望」は、見つけて、数えられたら良いなと僕は思う。

白川 密成

白川 密成
(しらかわ・みっせい)

1977年愛媛県生まれ。栄福寺住職。高校を卒業後、高野山大学密教学科に入学。大学卒業後、地元の書店で社員として働くが、2001年、先代住職の遷化をうけて、24歳で四国八十八ヶ所霊場第五十七番札所、栄福寺の住職に就任する。同年、『ほぼ日刊イトイ新聞』において、「坊さん——57番札所24歳住職7転8起の日々——」の連載を開始し2008年まで231回の文章を寄稿。2010年、『ボクは坊さん。』(ミシマ社)を出版。2015年10月映画化。他の著書に『空海さんに聞いてみよう。』(徳間書店)、『坊さん、父になる。』がある。

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