感じる坊さん。感じる坊さん。

第22回

小さな中間地点と<ごめんなさい>という場所

2019.09.03更新

ロックなおじいさん

 ある日、グレイトフル・デッド(60年代に結成されたアメリカのロックバンド)のTシャツを着たおばあちゃんがお遍路さんにやって来た。胸のところに「Grateful Dead」と大きくプリントされている。

 僕は、やはり我慢できなくて「グレイトフルデッドのTシャツを着ておられるんですね」と何気ない顔で聞いてみる。

「すいません、気が抜けておりまして、あるものを着ています」

 とその方は、はにかんで答えられた。

 少し離れた場所では、まるで内田裕也さんのようなロックな雰囲気と服装をされた高齢の老人男性がぼんやり空を眺めている。おそらく彼がご主人でTシャツを共有しているのだろう。

 グレイトフルデッドが好きな彼は、四国遍路にどのような印象を持っただろうか。すこし聞いてみたかった。

お寺への寄進の額がわからない

「お盆のお参りはなんだか毎年、面白いんだよ。家族のメンバーが増えたり、当然減ったり、ちょっとした事件が起こったり。なんというかほんとドラマというか・・・。人の気配があるのに、いくら声をかけても反応がない時には事件性を感じたね。耳が遠くなっただけだったけど」

 僕は8月、連日のお盆のお参りがひと段落した頃に、馴染みのコーヒーショップに寄ってマスターにそう話しかける。

「でも毎年同じわけだよね?やることも、人も」

「うん。同じだから面白いというか。メンバーは同じで、時間だけが経っていくからね。20年やってても"ああ、お経って8割ぐらいの力で唱えたほうが綺麗なのかな"みたいな気づきもあるしね」

 近所の地区では、家の壁に設置された精霊棚をお坊さんが戸外で拝む習慣が残っていたりする。もちろんとても暑い。このまま温暖化が続くと、お坊さんがお盆に倒れだすだろうと僕は想像している。

 お盆を廻っていると、時々お寺関係の相談を受けたりもする。最近は、お墓をどうするか、ということも少なくない。

「自分が死んだ後の墓のことを考えると夜も眠れません」

 そう真顔で話す女性の言葉に耳を傾けながら、「自分は死んだらどうなりたいか」などということを、僕もぼんやり考えたりもする。他にも色々な相談がある。

「うちの実家のほうのお寺が崩れかかっていて、工事をするらしいです」

「それで寄進のお願いがあったのですが、和尚さんいくらぐらいすればいいものでしょうか?」

「いや、それは僕もわかんないです。やっぱりそのお寺のお坊さんに聞くしかないんじゃないですか?総工費もわからないですしね」

「いやそれが何度聞いても絶対教えてくれないんです。それでまったく目安というものがわからないので、想像でいいので教えて頂けないですか?」

「うーん。それが数百万円の工事なのか、たとえば五千万円の工事なのかもわからないですからね。よそのお寺のお金のことは正直言いにくいですよ」

「私達もまったくわからないので八方塞がりなんです。どうかヒントだけでも!」

「ヒント!えー困ったなぁ・・・。うーーーーん」

 と、檀家さんと一緒にああでもない、こうでもないとお寺に寄進する額を、腕まくりをして一緒に考えた。

 お寺とお坊さんのいる風景は、生々しい「お金」の話であっても生活の中に落語が混じり込んでいるような感覚で、なんとも不思議な手ざわりがある。

「お金」に向き合うための小さな中間地点

 「お金」の話はお寺の経営にも関わるお坊さんにとっても、やはり無関係ではいられない話だ。特に最近は、人口減ということもあり正面から多くのお寺が考えざるを得ないテーマでもある。

 僕が最近、感じているのは、「頭を下げる」(敬意を持つ)ということと「ひれ伏す」(屈服する)ということは、結構違うということである。それなのに、お金に対してわりと雑に「頭を下げる」ということを「ひれ伏す」と同じ意味にとらえてしまっている人がわりと多い。

 これはお金以外でもそうで、たとえば人間関係にも言えることだと思う。「ひれ伏す」のが嫌で、「頭を下げる」ことさえも拒絶することで話がややこしくなっている状況をずいぶん見かけるように思うのだ(これは国同士でもそうかもしれませんね)。

 「お金に対して敬意を持つけれど、屈服はまではしない」そう言葉で確認しておくだけで、ずいぶんと円滑にいく「お金問題」「人間関係」があるように思う。物事の「中間地点」にはもっと豊かな使い道のある地点がある。色々な「小さな中間地点」を探してみてください。

 こと僕たちの「栄福寺」に関しては、お寺を開いた弘法大師、仏教を興した「ブッダ」の声にあと少し耳を澄まし、現代に活かそうとする気持ち、好奇心を持てば、「大丈夫」だと直感している(甘いかな)。

 

もう見ることのない風景を見ている

 もう20年近くお盆のお参りをしているので、たとえば道のわきにあるお地蔵さんの前を車で通った時に、「ああ昔はお地蔵さんの縁日にここを通ると、近所の人たちがお地蔵さんの前にむしろ(ワラで編んだ敷物)を敷いてご飯を食べていたな」ということを思い出したりする。大きなお祭りでもないのだけど、なかなかいい風景だった。

 それは今ではもう見ることのない風景だ。そんな記憶をたどりながら、僕たちは「今」という状況のなかで、常に「もう見ることのない風景」を見続けているのだと感じ続ける。

 道の先の畑でストライプのパラソルが見えてくる。お盆休みに集まった家族がバーベキューでもしているのだろうと思っていると、それは大きな農業用の機械に日よけのパラソルをつけて、ひとり黙々と農作業をしている農夫の姿だった。僕たちは時に「見誤りながら」風景を見続けていることにも、一種の感銘を受けながら僕は車を走らせ、また仏壇の前でお経を唱える。

 パラソルをつけた農業用機械の記憶は、遠くに去って行く。

主客を超えるための「ごめんなさい」

 「神仏習合」という、日本の神道とインドから伝来した仏教が、日本では同時に共存しながら(あるいは融合して)信仰される形態を指す言葉がある。それは歴史的にはかなり以前から(あるいは最初期から)存在する信仰形態で、今に至っている。今でも栄福寺の境内には金比羅さんという日本の神様を祀っているお堂があるし、そもそも明治時代が始まるまでは石清水八幡宮の別当寺であった。

 僕自身も興味があって色々な説を調べていると、興味深い説に出会った。僕の受け止めた解釈だが、地域の共同体で土地を共有していて、もともとは個人や家族で土地を所有するということがなかった日本古来の社会の中で「所有」の概念が広まり始め、貧富の差が発生した。その中でごく一部の「富める者」が感じたのが、その他大勢の貧しい人を虐げているという「罪の意識」だった。そして、仏教にはその罪の意識に対する「懺悔(さんげ)」(犯した罪を自覚して許しを請うこと)の思想がゆたかに含まれていたため、古来の神道と共に仏教を取り入れた、ごくかいつまんでいうとそういう説だった(多くの要素の中のひとつだが)。

 その説が正しいとか、正しくないとかいうことよりも印象的な説だった。「学ぶこと」の有効性のひとつは、いくつかの仮説によって物事を多面的に見ることだと僕は思う。

 その説を心に留めておくと、「懺悔」ということを考えることが何度かあった。今、生活の中から近い言葉を僕なりに引き出すと、「ごめんなさい」だろうか。

 「ごめんなさい」。そういう言葉を持ちたいと感じた時、相手はすでに自分の前にはいないことが多い。それは「死」によっての時もあれば、他の理由で近くにはいないこともある。あるいは近くにいても、自分の気持ちの整理がつかず、その言葉「ごめんなさい」を発することはできない。

 それでも、「自分にも言い分はあるにしても、あれは申し訳なかったな」と自分が心の中で確認し、無言の言葉を発することは意味のあることだと思う。

 時々、「ごめんなさい」と心の中で唱えてみる。

「能所(のうじょ)の二生(にしょう)ありと雖(いえど)も、都(すべ)て能所を絶せり。法爾(ほうに)にして道理なり。何の造作かあらん」(弘法大師 空海『即身成仏義』書き下し文)

(現代語訳:言葉の上では能と所は主と客の関係で、別個のように思われているけれども、能・所、言い換えれば主・客は、もともと対立関係にはなく一体である。こういった見方は、自然のありようそのもので、天地の道理に適っている。その関係に何らかの手心が加わっているわけではない)<松長有慶訳>

 「仏教的な場所」の中で、ここで弘法大師があげられている世界は主体と客体が対立関係ではなくじつは一体となっていることを認識するということは、とても大事なことだ。そしてそれは無理矢理の思想によってそう捉えるのではなく、「あるがままに見れば」そうであるとする。

 僕たちは普段「ごめんなさい」と言うことで「主客」をはっきりさせてしまうと恐れる。でも実は「ごめんさい」と心の中で唱える場所は、小さくても、相手と私が対立していない混じり合った場所なのだと思う。人にはそんな場所が必要だ。

 僕は、娘が3歳になった時にプレゼントした絵本に沿えた言葉、

 「"おめでとう"といえるひとは、すごい」

 という言葉をなんとなく思い出していた。

白川 密成

白川 密成
(しらかわ・みっせい)

1977年愛媛県生まれ。栄福寺住職。高校を卒業後、高野山大学密教学科に入学。大学卒業後、地元の書店で社員として働くが、2001年、先代住職の遷化をうけて、24歳で四国八十八ヶ所霊場第五十七番札所、栄福寺の住職に就任する。同年、『ほぼ日刊イトイ新聞』において、「坊さん——57番札所24歳住職7転8起の日々——」の連載を開始し2008年まで231回の文章を寄稿。2010年、『ボクは坊さん。』(ミシマ社)を出版。2015年10月映画化。他の著書に『空海さんに聞いてみよう。』(徳間書店)、『坊さん、父になる。』がある。

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