感じる坊さん。感じる坊さん。

第19回

世界はもっと面白くなれる

2019.06.07更新

光る坊さん

「どんな時にしあわせだなぁと思う?」

 もちろん、いつもそんな会話をしているわけではないのだけど、4歳の次女にそうたずねてみた。本当に彼女がどう思っているか知りたいというよりも、「どんな風に答えようとするのだろう」ということに、興味があった。

「お父さんといるときー」

と、愛想のいい末っ子ぶりを発揮した後、

「あと、ひいばあちゃんが、生きていること」

と答えた。

 娘が本当にそう思っているか、あるいは家族が喜ぶようなことをあえて言ってくれたかは、僕にはわからない。だけど誰かが「生きていること」だけで、誰かの「よろこび」になっているという状況は、もしかしたらあるのかもしれない。

 長女は発光する深海魚を特集したテレビ番組を凝視している。

「人間は光らないのかな?」

 僕も一緒に観ながら、思わず声をかける。

「光るのはお坊さんだけでしょ」

「うわっ、あの魚、頭が透明で光ってる・・・」

「だからお父さんも光ってるで」

「でも頭は透明ではないよ」

「透明のはずないやろ!」

 そんな消えていく言葉を世界に放り投げながら、僕たちは生きている。

否定的な響きには、良き側面が隠れている

「コーヒーが好きだけど、コーヒーが体に合っていない気がする」

ということは、僕の積年の課題である。

 だからコーヒーを飲む人生とコーヒーを飲まない人生を何度も繰り返してきている。同じような<難しいけれどシンプルな課題>を抱えている人は少なくないと思う。

 今は「飲む人生」なので、コーヒー豆を挽いてドリップしていたら、1杯分の豆で2杯のお湯を入れてしまった。いつも飲むコーヒーよりもすごく「うすい」コーヒーだ。

 そしてそれを飲んでみると、「意外に美味しい」だけではなくて、普通の味のコーヒーにはない爽やかさもあるような気がして、体にも影響が少なく、自分として大きな発見だった。

 「うすめる」というのは、多くの人にとってネガティブな響きを持つことが多い。どちらかといえば、「濃く、もっと濃く」という方向性のほうが、格好良くみえるし、賢くみえる。僕もそうだ。

 しかし、「なにかうまくいかない」事がある時、一度、「濃く、堅く」しようとしている自分の心の方向性を、「うすく、やわらかく」しようとしてみては、どうだろうか。

 たとえば「言葉」を、本当の意味で、うすくできないものか。コーヒーほどは簡単ではないだろうけれど。

 そういった「否定的に感じやすいことのよき側面」ということで、僕が最近、思い出したのが「断られる」ということだ。

 「断られる」ことは、精神的な負担を感じやすい。また「断る」のも、楽しいことではない。その精神的な負担を感じたくなくて「断らない」こともあるのは、僕だけではないだろう。

 しかし、自分の人生の中で「いい意味での大きな出来事」を思い出してみると、「断られた」ことから"次の展開"を自分で考え、大きなチャンスに繋がったことが、いくつかある。むしろ大きな出来事は、僕にとっては、そういう道を通ることの方が多いともいえる。そんなことから考えると、「断られる」ことは大きなチャンスをに繋がっているし、「断る」ことは、相手に新しいチャンスを渡すことでもある。

 何もかも「断る」必要はもちろんないわけだけど、「断られる」という行為の肯定的な側面について、もっとリラックスして感じることができたら、色々と「良き側面」があるように思う。

 「断」には切り離す、だけではなく「決める」という意味がある。「決める」という大事な行為には、一時的とはいえ、大切なディスコミュニケーションがつきものだ。「断じて行えば鬼神もこれを避く」である。

 考えてみると「お寺」という存在も、時間や、言葉をいったん「切り離す」際に有効な装置として社会に置かれている。また繋ぐために。

 そして、日本の仏教が本質的に持っていると、僕が個人的に予感しているある種の「ゆるさ」は、もっとも俗っぽく言えば、「時には協力しよう。おれもひとりでやりたいことあるけど」というような絶妙なフィット感があり、僕はすごく好きだ。

サッカーFC今治の観戦に行くようになった

 栄福寺がある今治市には、「FC今治」という元サッカー日本代表監督の岡田武史さんが代表を務められているサッカーチームがある。

 数年前に、お店でひとりでごはんを食べていたら、となりに座っていたのが、こちらも元日本代表選手のFC今治の選手で、それ以来何度もお寺を訪ねてきてくれたり、お寺のトークイベントにコーチの方が来てくださったりそういった繋がりはあったが、試合を観に行く機会はなかった。

 しかし昨年から突然、尼僧の妻がFC今治の試合観戦をするようになり、ホーム戦のある日曜日は、家から車で10分もかからないホームスタジアムに家族4人で観戦に行くことが多くなった。妻は、かつて僧侶を志す高校生でありながら、元野球部のマネージャーという経歴である。僕も新居浜市に住んでいた小学生の頃、数年間だがサッカーをやっていた。

 そのような中で、岡田さんがされている「今治夢スポーツ」という会社が、「ホーム戦の前に家族で四国遍路を歩いてお参りしよう」という一般参加の企画をしてくださり、栄福寺にもお参りにこられた。そして、その翌日には、岡田さんも挨拶に来てくださり、色々な話をしてくださった。

 代表監督として大きな結果を残され、Jリーグの監督オファーをいくつも受けながら、今治という小さな街のサッカーチームを渾身の力で1から作ろうとされている姿が、これからのお寺や仏教と重なって見える。

 それは、ひとことで言って、「ピラミッド型の先っぽからは変わらないことを、地面のような底からなら、変えられるかもしれない(変えるしかない)」という挑戦だと思う。

 そして、色々な取材で話されている「今治でお客さんに来てもらうために、スタッフと遅くまで話したが、答えが出なかった」ような「日々の本気のトライ」を自分たちのチーム(栄福寺)が、ほんの少しでもできていたか考えると、冷や水をかけられたような、目が覚めるような思いだった。

 そこで僕は岡田さんが大学で2限ぶっ続け(3時間)でされる講義の存在があることを教えて頂き、あえて作務衣を着たまま、講義に混ぜてもらうことにした。後半は、学生を交えてのディスカッションだ。隣の学生が、

「お坊さんですか? 弘法大師って記憶力の修行をしたって本当ですか」

と意外とナチュラルに接してくれた。

世界はもっと面白くなれる

 冒頭に話された「モラル」と「ルール」の話も印象的であった。会社にゴミが落ちていて、「ゴミを拾いましょう」と壁に貼るのがルール。

 しかしチームモラル(企業文化)があるとしたら、ゴミは「自然と自ずから」誰かが、拾わなければならない。そういう雰囲気が当たり前になければならない。「ゴミを拾う重要性」ではなくて、そのチームメイトが「自然に、自ずから、自立して考えて」動き出すということ。

 「神は細部に宿る例を何度も経験した」「上手くなるには、好きになることが必須」「今できることをやる」「負けを含めて、起こっていることは、すべて意味があることだと信じている」「進歩には波がある(止まって見える時が必ずある)」「スタートアップ(チーム)は死に物狂いでやらないと終わる」「前例にないことをしようとしているのだから、同じ事をしていてもはじまらない」「禅語の淵黙雷声から"とにかくやってみろ。だめだったらやめたらいい"ということ」「腹をくくるかどうか、である。くくった後の人間関係は変わってくる」「里山スタジアム構想」

 僕の記憶違いの部分もあると思うけれど、今の自分にビシバシと響いてくる言葉、思想の連続だった。

 そしてやはりこれから「お寺や僧侶が担えることの可能性」に太く繋がっている。

 そのような中で、不思議と響いてきた弘法大師の言葉があった。

「色すなはち心、心すなはち色、無障無碍(むしょうむげ)なり」(弘法大師 空海『即身成仏義』)

【現代語訳 物質はすなわち心、心はすなわち物質であり、さわりなくさまたげがない】

 心と物は、つねに表面的にも交流関係にあり、本質的には違う存在ではない。しかしあえて分けて捉えた時、心と一見みえるものが、大きな変化をみせると、僕たちの現前に広がる「物」も一緒に動いていくだろう。

 そして「物」が動くと、「心」がまた動いていく。そして常に溶けあっている。

「世界はもっと美しくなれるし、面白くなる」

 そんな声を聞いたようだった。

白川 密成

白川 密成
(しらかわ・みっせい)

1977年愛媛県生まれ。栄福寺住職。高校を卒業後、高野山大学密教学科に入学。大学卒業後、地元の書店で社員として働くが、2001年、先代住職の遷化をうけて、24歳で四国八十八ヶ所霊場第五十七番札所、栄福寺の住職に就任する。同年、『ほぼ日刊イトイ新聞』において、「坊さん——57番札所24歳住職7転8起の日々——」の連載を開始し2008年まで231回の文章を寄稿。2010年、『ボクは坊さん。』(ミシマ社)を出版。2015年10月映画化。他の著書に『空海さんに聞いてみよう。』(徳間書店)、『坊さん、父になる。』がある。

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