感じる坊さん。感じる坊さん。

第17回

一日より百日のほうが続けやすいのかな

2019.04.11更新

新しい言葉を作る

 新しい元号が発表になった。その報道を観ながら、恐らく多くのお坊さんは、自分たちが「戒名」を授ける時の作業をどこか思い出したと思う。僕が最近、つけた戒名には、「蔵観(ぞうかん)」や「寧晴(ねいせい)」という語がある。<観る>ということを蔵している。気持ちが落ち着いた(寧)中で、晴れやかな気持ちでいて欲しい。そんなある意味で新しい言葉を作っていくのはちょっと不思議な作業だ。

 みなさんも気が向いたら、自分の戒名や雅号を考えてみてはどうだろうか。しかし元号にしても戒名にしても、「(天皇陛下でさえ)自分で付けるものではない」ところが大事なところのようにも思う。

 新橋で号外に群がる人の様子をテレビで観ると、「言葉」とか「名前」の不思議さが込みあげてきますね。ちなみに僕はその号外がまったく欲しくありませんが、なぜだろう。それもわかりません。

 平和な良い時代になりますように。
 それに仏法が貢献できますように。

常楽会が終わりました

 栄福寺にとって七年に一度の行事である釈尊入滅の儀式「常楽会」(じょうらくえ)の儀式を無事、終えることができた。栄福寺では、この儀式の時にだけ本尊の阿弥陀如来の厨子をあけて開帳することになっている。

 儀式が始まって、自分の住む街にある七つのお寺で共有されている古い涅槃図や地獄絵図に囲まれて、その阿弥陀如来の姿がお見えになると、やはり胸にせまるものがあった。境内には自分で墨を入れた大きな角塔婆が立ち、五色の紐で阿弥陀如来の手と結びついている。九十才を超えて娘さんと島に住んでいる懐かしい檀家長老の奥さんも来てくださった。「そろそろ世代交代です」という檀家のお母さんに連れられた僕と同世代の娘さんもおられる。しかし人口が減り、高齢者が増え、昔のような活気は少しないようにも感じる。

 二十四才で住職になった僕も四十一才だ。まだできることがあるような気がする。

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 儀式を終えて、記念事業(本堂耐震工事)に携わってくれた人たちとの、ささやかなお寺での食事会では4歳の次女が僕の膝の上に座り、「わたしはお坊さんにはなりません〜」と信者さん達に愛嬌を振りまいている。

 その姿を俯瞰して上空から観ている気分になっていると、我ながら「ザ・現代日本のお坊さん」である。それも悪くない。

「とーちゃん、イチゴいる? おっきいの取り」と娘が僕に言葉をかける。

 そして今この文章を書いていると、儀式に出てくれた近所のおじいさんが、野菜の「わけぎ」をお寺にたくさん持ってきてくれた。「不幸事は疲れるけど、お祝いやけん、疲れんかったよ」と声をかけてくれた。

一年間お酒をやめてみる実験

 中国、西安の青龍寺参拝を終えて戻り、日本に戻った二月二十五日からお酒を一年間やめてみようと思っている。仏教では古くから、出家者はもちろん、在家信者も酒を飲むことが、よしとされていない。初期仏教から在家信者が受けてきた「五戒」にも、「一、一生の間、殺生を離れる。 二、一生の間、盗みを離れる。 三、一生の間、不正な性行為(浮気)を離れる。 四、一生の間、嘘をつくことを離れる。 五、一生の間、飲酒を離れる」とあって(佐々木閑『出家とはなにか』より)、お酒は仏教徒にとって結構大きなトピックなのだ。しかし日本では、古来より神事とお酒が強く結びついていることもあるのだろうか、僧侶がお酒を飲むことに現代では寛容だし、僕もその恩恵を受けてきた。そしてエビスの黒ビールが、ひとことで言って好物である。

 「せっかくだから、一年じゃなくて、五戒のように一生止めたら?」とか「そういうこと言わないで、ゆるい感じが良いところなのに残念!」などと色々言われそうな気もするけれど、ちょっと実験感覚でしばらくやってみようと思う。どうなるのだろう。

 ちなみに僕はお酒を飲んでいる人を非難したり、そういう気持ちはまったくない。ただ個人的に「流れ」のようなものをちょっと変えてみたいと思っているだけだ。

 大事にしている自分の好きな作家の言葉に、「なにかをやることが思いつかなければ、何かをやめてみたらどうですか?」という言葉がある。なにか流れを変えたい時、ぐっとスパートをかけたい時、「何かをやめる」というのも意外とお勧めです。あなたはなにをやめますか。

 しかし一年ぶりに飲む酒は美味いのかなぁ。途中で挫折したら、頭を丸めよう。

百日の方が続けやすい

 中国から帰った後、東日本大震災が起こった三月十一日に若いお坊さん達で、毎年の追悼儀式をすることになり、今年は栄福寺でやることになった。そうなると儀式の中でお経を唱えるお坊さんの中央で、密教修法をする僧侶を僕が担うことになる。「導師(どうし)」と言われる役割で、僕はこの役割をするのが初めてだった。

 その作法や導師のお経を繰り返し練習する日々が数日続き、三月十一日、数人の僧侶と共に被災地の復興と亡くなった方々の供養を祈った。

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 大きな声では言えないけれど、僕にとってお堂に座り次々と手に印を組み、口に真言を唱え、心に観想(かんそう)というイメージを思い浮かべることが中心になる「密教修法」は、なかなか毎日の習慣として、定着することが難しい存在だった。風邪をひいたり、忙しくなると、どうしても途絶えてしまうことがある。しかしこの密教修法は、禅宗のお坊さんが、坐禅をするように、カフェのマスターがコーヒーを作るように、日々、密教僧が大事にするべきものなのだ。

 そこで、僕はあるお坊さんが説いていた「百日間続ける」という方法を儀式の後もやってみることにした。すごくシンプルな方法で、百日間連続で自分の決めた修行を続け、途絶えてしまったらゼロに戻って、また一からスタートするという方法である。これはどうやら僕に合っているようで、今、毎日の密教修法が二十四日続いている。ある意味では、「一日やるより、百日続ける方が楽なんじゃないかな」とさえ思う。出張などでお寺にいない日もあるので、そんな日は印、真言と観相をホテルなどで唱えるようにした(今まで二日あった)。「毎日やること」を続けていると、お葬式があったり、大きな行事がある「今日はやめておこう」となりがちな日も修行することになり、それが良いようだ。

 みなさんも、なにかを癖にしたり、習慣にしたいことがあったら、「百日やってみる」というのはいいと思う。十日ぐらいをすぎたら、ゼロになるのがもったいなくて、なんとなく続いてしまいそうだ。

 今まで続けてきて感じたことは、一日の早い段階で課題の「行(ぎょう、修行のこと)」を終えたほうが良いということ。夕方や夜に時間があるので、そうしようと思っていると、急な来客や予定が入り、思うようにいかなくなることが意外と多い。これは習慣的な「行」だけでなく、「人生でこれは必ずやろう」と決めていることは、できる限り早くやった方が良さそうだと感じた。

 この「百日修行」は、僕の場合、密教修法だけでなく五体投地(ごたいとうち)という両膝、両手、額を床につける礼拝方法があり、その礼拝を毎日、百回している(百礼、ひゃくらい)。この五体投地は多くの仏教国で行われる行為で、高野山での修業時代にも繰り返していたこの礼拝行を再開してみると、なかなかしっくりくる。

 どうしてこんなにもこの礼拝が、仏教徒にとって一般的か自分なりに考えてみると、やはり仏教とはどこかで小さな「我」を投げ出す行為で、それを体現しているのが、この五体投地なのだと今は感じている。そしてこんなことを言ってはいけないのかも知れないけれど、「坐る修行」の後で体を動かすと単純にスッキリする。

 そして、最初は正直言って義務感もあった「毎日続ける」ということが、どこかの段階で、本堂に坐った途端、「ああ今日もゆっくり坐れるな」という行の中で「休む」というような感覚になった。よく「密教の修行は苦行ではない」という表現もするけれど、人間は普通に生活していても、話したり、見たりするルーティンの中で、意外と疲れているのかもしれない。

 だから修行はかの(アニメの中での)一休さんの言う「あわてない、あわてない。一休み、一休み」という感覚に近いとも思う(あ、宗派が違った)。

仏教や密教は「自由」への試み

 そんな日々の中で、仏教というものが(あるいは密教が)、僕たちの心身を無理に規制したり、コントロールしようとするものであるよりも(あるいは時に規制やある種のコントロールによって)、僕たちがもっと「自由に活き活きと生きられるんじゃない?」という様々な方法での「試み」のような気分がしてきた。

 そこにもっと気づけば、これからのお坊さんとしての活動や修行は、もっとシンプルに明確になるなぁと思っている。

 今日は、断酒とか密教修法とか五体投地とか抹香臭くてすいません。

 ことがことだけに「さぁ皆さんも一緒に五体投地をやってみよう!」とか言いにくいのだけど(言ってもいいのだけど)、なにかヒントがあればと思う。「百日修行(百日続けること」はぜひやってみよう!

白川 密成

白川 密成
(しらかわ・みっせい)

1977年愛媛県生まれ。栄福寺住職。高校を卒業後、高野山大学密教学科に入学。大学卒業後、地元の書店で社員として働くが、2001年、先代住職の遷化をうけて、24歳で四国八十八ヶ所霊場第五十七番札所、栄福寺の住職に就任する。同年、『ほぼ日刊イトイ新聞』において、「坊さん——57番札所24歳住職7転8起の日々——」の連載を開始し2008年まで231回の文章を寄稿。2010年、『ボクは坊さん。』(ミシマ社)を出版。2015年10月映画化。他の著書に『空海さんに聞いてみよう。』(徳間書店)、『坊さん、父になる。』がある。

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