感じる坊さん。感じる坊さん。

第15回

できることをやる。善き人と共に居る。

2019.02.06更新

栄福寺にやって来た親子

 先日、アジア系の若い女の子が栄福寺をお参りに来られていた。僕は境内にいたので、

「こんにちは。どこの国から来ましたか?」

と聞いてみると、

「タイなんです。今治の会社で働いていて、給料で軽自動車を買ったから、タイからお母さんを呼んで、見てもらったんです」と流暢な日本語で教えてくれた。隣では、人の良さそうなお母さんがニコニコと笑っている。

 僕は、「さすがタイは仏教国だなぁ。お母さんが日本に来たら、地元のお寺を案内するんだ」、「車を買ったから、海外から母親を呼ぶなんて優しいなぁ。がんばってるな」となんとなくじんわりするうれしい気持ちを抱えながら、二人と話していた。

 僕はこれからタイのことを考えるたびに、あの親子を思い浮かべる気がする。

彼女と彼氏

 今年は数年ぶりにインフルエンザに感染して、妻にもうつしてしまったこともあり、三歳の次女とふたりで一緒に寝ることになった。すると次女はニコニコ、ニヤニヤと笑いながら、

「二人で寝ていたら、彼女と彼氏みたいやんか! 私、子供なのに」

と言った。僕自身は、男兄弟で育ったので、間違いなく三歳の頃には、そんなおませなことは言わなかったと思う。我ながら日本人のお坊さんが、家族に囲まれて生活していることに、時々不思議な気持ちになるけれど、人間が「どんな心の思いを、どのように持つのか」という生物としての心の変遷を生で体験しているようで、子供との生活の中で意外と仏教や人間の心のことを考えることも多い。

 宗教の話ではなくても、僕自身、人生や生活のことを考える中で、

「今まで、なにが一番うれしかったか?」

ということを自分に問いかけることがあるのだけど、ふと子供から、

「お父さん、今まで生きてきて、なにか一番楽しかった?」

と問われ、自分にとっては「うれしいこと」と「楽しいこと」は、意外と違う状態なんだな、ということを気づかされたりすることもある。

 みなさんも「うれしかったこと」と「楽しかったこと」は、結構違いませんか?

「できること」と「できないこと」

 梅原猛さんと橋本治さんが亡くなられた。僕は、何冊か彼らの本を読んでいるけれど、巨人のように評す人も多い中で、決していい読者ではなかったと思う。しかし不思議と何度も繰り返し読む本もあり、また空海や仏教のことを考えるきっかけにすることもあったので、訃報を聞き、やはり自分の本棚にある彼らの著作を開くことになった。

「私が密教に魅(ひ)かれるのは、密教が世界の差異というものに好意的であるからである。差異に好意的であるということは、色に、物質的世界に好意的である、ということである。密教は、精神の一元論で世界をぬりつぶすことをしない」(梅原猛『空海の思想について』)

 「差異に好意的」と書かれているのが、なんとも梅原さん独特の表現だ。空海の現実世界の受け入れ方を、示唆する言葉のように僕には感じられる。――この世界はたしかにここにある――ということを否定せずに、むしろ輝きを持って迎える態度。

 梅原さんの感じておられた空海、密教、仏教に僕も著作を通じてこれからも触れてゆきたい。著者の亡くなった後でも本を読むことができることは、読者にとって(恐らく著者にとっても)とてもありがたいことだし、「経典」のような存在も、だからこそ編み続けられてきたのだろう。

 先ほどあげた梅原さんの言葉は、空海、密教の思想の根源的な世界を示唆するものだけど、「差異に好意的」という視点から僕はもう少し身近な生活を思い浮かべ、ある空海の手紙の言葉を思い出していた。

「空海聞く。物類形を殊(こと)にして、事群体を分つ。舟車用を別にし、文武才を異にす。若し其の能に当れば、事則ち通快し、用其の宜(ぎ)を失へば、労すと雖(いへど)も益無し」(弘法大師 空海『遍照発揮性霊集』巻第三)

【現代語訳 私、空海は聞いております。万物は形が違い、物事は本質が分かれ、舟と車は、はたらきを別にし、文と武は才能を異にするとか。もし、それぞれの能力に合致すれば、事柄はうまくいき、はたらきがそれぞれのもちまえにはずれれば、労力を費やしても利益はありません】

 僕はこの言葉を読んだ時、あるおじさんの話を聞いていたことを自然に思い出した。彼は一代で建築会社を興し、目覚ましい成果をあげて信頼を勝ち取り、公共事業をいくつも請け負いながら、障害者の方の雇用にも積極的で、仕事に対してものすごく情熱的かつ丁寧だった。

 そんな彼が、かつて建設業の前に「カレー屋」を経営していたことがあるという意外な話をしてくれた。僕はカレーが好きなので、彼のような力強い働き手が作ったカレーはどんなカレーだったかと、ワクワクしながら尋ねた。

「それって、どんなカレーだったんですか?」

「あのね、カレー屋ほど楽な商売はないんだよ。業務用のレトルトパックが売ってるから、ご飯を炊いて、レンジで温めて出せばいいんだ」

 そのカレー屋は、もちろんすぐに畳むことになった。

 僕はその話を笑って聞きながら、「ああ、結局彼は建設業が好きで、向いているんだな」と感じ入ってしまった。彼には、建物をうまく建てることはできるけれど、美味いカレーを作ることはできないし、そのつもりもない。でもカレー屋をはじめた。

 僕は、いろいろな場面でこのエピソードを思い出す。「人間、できることはできるし、できないことは、できないんだ」と。

 だから「できること」を見出すしかない。あまりにもシンプルだけど、意外と人はこのことを、忘れがちだ。

 できないことをやり続けるよりも、できることを始めることの方が大事なことがある。そして、自分ができることを、人は知らないことがある。

 僕は、親として、また小さな宗教法人の代表として、「苦手なことはやらなくていいよ」なんて、とても言えない。でも同時に、努力と工夫を重ねた上で「できること」「できないこと」の判断は、やはり大事だと思う。

「落ち着け」が仏教

 橋本治さんは、著名な仏教学者である末木文美士さんの名著『日本仏教史――思想史としてのアプローチ――』の文庫版「解説」を書かれている。その中で、『宗教なんかこわくない!』で仏教についても触れられている橋本さんは、このようなことを書かれている。

「ブッダの教えそのものは、いたってシンプルなものだと思います。目的は〝悟りを開く〟です。そのためには、〝思い込みを捨てて、冷静に自分の頭で物事を考える〟です。そのことが出来にくくなったら、冷静になる用意をする――それが〝修行〟でしょう。私にはそうだとしか思えません。」

 僕は、この解説の文章が頭にあったのか、それとも橋本さんが別の所にそう書かれていたのかもしれないけれど、「橋本さんの仏教」のことを、自分の頭の中で「落ち着け」というひと言の言葉でずっと理解していた。「橋本さんにとっての仏教は、〝落ち着け〟なんだな」と胸にずっと残っていて、自分が仏教のことを考えるうえでも、何度も思い出すことがあった。そして、それは僕なりにどこか、しっくりとくる「仏教論」だった(橋本さんの「輪廻転生」についての考え方は、僕とは違うと思う)。

 原始仏典『サンユッタ・ニカーヤ』の中にもこんな一説がある。

「智慧は、世の中における光り輝きである。落ち着いて気をつけることが、世の中における〈めざめている者〉である。」(『サンユッタ・ニカーヤ』第1篇 第8章)

 ここで、訳者の中村元さんが、「念」や「気づき」ともされるパーリ語のサティを、「落ち着いて気をつける」と訳していることは、違和感がある人もおられると思うけれど(仏教修行をしている人の中には、「もっとプリティカルに呼吸や動きに<気づき>を持っていることでしょう。」と思う人も多いだろう)僕は、この中村さんのどこまでも野花のような市井の表現がなんとなく好きだ。それは、何度も「落ち着け」という言葉を自分で反芻したからだと思う。

 僕は、これから何度もこの「落ち着け」という言葉を、繰り返すだろう。

善き人との時間

 空海の著作といわれてきたものの中には、じつは今となって真作がどうかはっきりとわからない著作がいくつもあって、例えば『五部陀羅尼問答偈讃宗秘論』などもそういったものだ。しかし、そういった作品も、少なくとも千年、数百年の歴史の中で読まれ続けてきた事実は結構重いものがあるし、その年月だけをみても価値がある「読み物」だと感じることが、僕は多い。その中に、

「珠を持てば善念生じ 剣を把(と)るは殺心(せっしん)の器」(『五部陀羅尼問答偈讃宗秘』)論』

【現代語訳 宝石をもてば善い心が生れ 剣をにぎれるとこれは殺生をしたくなる物です】

という言葉がある。

 先ほどと同じように原始仏典も共に挙げるとしたら、

「ただ善き人々と共に居れ。善き人々とだけ交われ。

 善き人々の理法を知るならば、智慧が得られる。そうでなければ、得られない』(『サンユッタ・ニカーヤ』第四章、第一節、四)

 という言葉が僕には、想起される。

 これらの仏教の言葉を知ったからか、あるいは自分の経験の中で感じるのか(それともその両方か)、僕も「人は想像以上に、出会い、時間を共にする人の影響を強く受ける」と感じている。もちろん原始仏典のように描かれているように「善き人々とだけ交われ」となると多くの人にとっては、現実的には難しいと思われるけれど、今までよりも「善き人との時間」を増やし、積み重ねることは可能だ。

 僕にとって、「本を読むこと」「人の言葉に触れること」は、そういうことだと感じることが多い。繰り返し開く本の言葉に触れることは、僕にとっての「善き人」と繰り返し語り合う時間だ。

 そして普段の生活においても、「共に時間を過ごす人」「触れるもの」の大切さをもう一度、確認しておきたい。あなたは自ら進んで手に剣を握っていないだろうか。そして珠を求めて、小さな宝石をいくつか手に握ることができているだろうか。僕はちょっと心もとない。

白川 密成

白川 密成
(しらかわ・みっせい)

1977年愛媛県生まれ。栄福寺住職。高校を卒業後、高野山大学密教学科に入学。大学卒業後、地元の書店で社員として働くが、2001年、先代住職の遷化をうけて、24歳で四国八十八ヶ所霊場第五十七番札所、栄福寺の住職に就任する。同年、『ほぼ日刊イトイ新聞』において、「坊さん——57番札所24歳住職7転8起の日々——」の連載を開始し2008年まで231回の文章を寄稿。2010年、『ボクは坊さん。』(ミシマ社)を出版。2015年10月映画化。他の著書に『空海さんに聞いてみよう。』(徳間書店)、『坊さん、父になる。』がある。

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