凍った脳みそ リターンズ

第12回

チーム億千万の敗北

2026.07.10更新

 K林と俺のチーム臆千万は、石の蔵購入のための資金調達というか、共同で購入してくれるパートナー、もしくはうっかり全額出すというパトロン的な人材や会社を探していた。

 というのも、石の蔵を残したいと切望している爺さんたちの会社には事情があり、近隣の爺さんたちが出資して作った会社であるために意見が石の蔵の保存一本にはまとまらず、どういう目的であろうが石の蔵2棟と隣接する空き地の一括購入以外は認めぬ、ということになっていたからだった。臆千万のスタジオ工事を実際に行うかは別として、石の蔵の一棟を買い上げて、時間を気にせずに仲間たちとDIYでスタジオへと改築していくもの良いのではないかと俺は考えていた。

 そこで毎度の爺さんによる土蔵の歴史トークの折、小声でいくらか聞いてみたところ、全部で6千万ということだった。さすがにそんな大金は出せないが、一棟を2千万で買うことができれば、少し未来が開けるかもしれないと考えて、分割して売ることはできないかと恐る恐る尋ねてみたのだが、良い返事は得られなかった。一括購入以外に方法がないことがよくわかった。

 その後、チーム億千万には地元の銀行の支店長が加わった。イニシャルがKのヤツばかりで混乱するかもしれないが、このK谷支店長は大変に仕事ができる人で、地元の発展なくして地方銀行の未来なしという理念のもと、俺とKのブレーンとして様々な知恵と人脈を用意してくれた。大変に心強かった。

 しかし、このK谷支店長の参加によって、石の蔵の爺さんたちの会議が紛糾し、よくわからない事態へと突入していったのも事実だった。はっきり言えば、石の蔵の文化的意義を毎回熱心に伝えてくれた爺さん以外は、こんな古い石の蔵は早く潰して更地にして現金化したい、文化的価値など知るか木瓜、音楽スタジオなど論外、道場にするなら金をくれ、と想像の範疇ではあるがそうした目論見が各々にあったようで、「会社ごと売ったほうが税制的に考えて実入りが多くなりますよ」とM&Aを提案したK谷支店長を金の亡者か何かと勘違いして、まったく信用しなかった。

 そんなこんなで、誰を連れていっても追い返された。競合する不動産屋の買値と同額を提示しても、石の蔵の保存ではなく、取り壊しのほうに舵が切られ続けて、ついには予定調和のように件の不動産屋に販売されてしまった。パートナーとして参加してくださった会社や投資家の方には申し訳ない結果になってしまった。

 それならと石の蔵を購入した不動産屋に「一棟だけ分割して売ってくれないか」と掛け合ってみたが、狸のような爺さんが算盤をはじきながら我々に告げた価格は、「一棟6千万」だった。実に3倍。さすがにそれは高すぎる。そのような価格で購入すると何らかの祟りがあると考えて、残念ながら撤退の運びとなった。

 悲しいことだと思った。

 現在でも、あの石の蔵を残しておけば、地域にとって重要な場所になったと信じている。そのくらい素敵な建築物だった。3年早く出会いたかった。

 この一連のチーム億千万の敗北も、悪いことばかりではなかった。K谷支店長は爺さんたちに罵倒されていただけなので気の毒だが、俺は藤枝の旧市街地一帯の活性化を担うキーマンのような人たちから、この間に少しずつ信頼を得ることができたように記憶している。

 まず大きかったのが、地元の人がほとんど泊まったことのない貧谷ホテル(仮名)に宿泊したことだった。

 石の蔵をスタジオにするならば、訪れるミュージシャンたちの宿を探さねばならない。というわけで、google先生にお願いして、様々な宿を探した。そして見つけた徒歩圏内の貧谷ホテルに泊まったところ、アジカンの後藤さんはヤバい、ユニークというよりは変な人かもしれない、けれどもそこが良い、ここまでするのは本気の証だ、という理路で、スタジオ探しの本気度を理解してもらえたのだった。

 K林によると貧谷ホテルは、工事で町に訪れる作業員や、サッカーで有名な藤枝市で合宿を行う大学のサッカーチームなどが宿泊するようなビジネスホテルとのことだった。ビジネスホテルとはいえ、フロントのあるエントランスとロビーはホテルというより友達の実家みたいな趣で、何より調度品の類が友達の実家のそれで、書類なども積み上がっていて生活感があった。思わず俺は静岡弁で「ひとんちか」とひとりごちた。言葉は生活感のあるロビーに木霊して消えた。

 宿泊の当日はオフシーズンにコロナ禍の余波も重なって宿泊客は俺しか居らず、フロントは夜中にスタッフ不在になるとのことで、門限が設定されていた。

 なんだか懐かしいなと思った。ツアー先の鳥取でもそういうホテルがあったように思う。打ち上げが終わって夜中にホテルに戻ると、ベルを鳴らしても誰も出てこなかった。

 深夜、この貧谷ホテルには恐らく俺しかいない、その可能性を考えると大変に心細かった。チェックインした客室の壁の電波時計は時間がまったく合っておらず、電波時計なだけに妙に怖かった。時空が歪んでいないといいなと思った。門限ギリギリまで実家で過ごし、酒を飲んでから寝た。熟睡できたように思う。

 翌朝、朝風呂をキメようと大浴場に行ったが、案内に書いてある時間になっても風呂場の電気が点いておらず、仕方がないので自分で電気を点け、そそくさと浴槽の蓋を開けて勝手に入浴させてもらった。まあ、それはそれで貴重な体験だったが、徹底的に寂しい感じはあった。

 ゆえに朝食は大丈夫かしらとドキドキしたのだけれど、朝食はすこぶる美味しかった。散々ひとりぼっちにされて不安を煽られてからの、普通に朝ご飯が美味しいというギャップ。醤油に添加されたアミノ酸が染みた。

 調査の結果、アジカンのメンバーはギリ大丈夫な宿ではあるが、例えば、チャットモンチーや羊文学を案内するのはやめよう、みたいな評価を心の中に記したのだった。

 K林が皆に貧谷ホテル宿泊の件を伝え広めたのかは知らないが、前述したように俺の藤枝におけるスタジオ建設の本気度が伝わり、支えてくれる人が増えた。特に市役所の旧市街地担当の職員たちは、どう対処していいかわからないほど珍妙だが、この町のことを考えると大変に有益な人間かもしれない、というような目で俺のことを見るようになったと思う。ネットで燃えてるあの感じと違う、と思ってくれたのかもしれない。

 それはお前の妄想であり、気のせいではないかと思う人もあるかもしれない。しかし、俺が貧谷ホテルに泊まったことを知らない別の課の人の送別会に出くわしたときには、酔いも重なってなんなら「リライトを歌え」というような圧と空気を感じたことがある。ほとんどの職員が酒の効果でヘラヘラとしていた。それに比べて、旧市街地を担当する職員は俺のフィールドワークに付き合ってくれた。特に親しいS課長にいたっては、椎名林檎のライブに行くのを諦めて、チーム億千万が企画した集いに付き合うまでになったのだから、貧谷ホテル宿泊の効果は絶大だったのだ。

 とはいえ、俺は特に珍しいことをしたという気持ちがあったわけでも、スタジオ建設への気概を見せるために宿泊したわけでもなく、楽しい現地調査の一環であった。

 チーム億千万の物件探しは、思うようには進まなかった。どれも藤枝の市街地から外れてしまう。俺はフィールドワークを重ねるうちに、東海道の藤枝宿を大変に気に入ってしまった。

 そんな折、石の蔵の購入が完全に頓挫する直前に出会ったのが、E﨑新聞のE﨑社長だった。

後藤 正文

後藤 正文
(ごとう・まさふみ)

1976 年静岡県出身。
日本のロックバンド・ASIAN KUNG-FU GENERATION のボーカル&ギターを担当し、ほとんどの楽曲の作詞・作曲を手がける。
ソロでは「Gotch」名義で活動。また、新しい時代とこれからの社会を考える新聞『THE FUTURE TIMES』の編集長を務める。
レーベル「only in dreams」主宰。
2024年5月、静岡県藤枝市にて『NPO法人 アップルビネガー音楽支援機構』を設立。同市に滞在型音楽制作スタジオ「MUSIC inn Fujieda」を建設し、2026年3月にグランドオープンを迎えた。
主な著書に『何度でもオールライトと歌え』『凍った脳みそ』『青い星、此処で僕らは何をしようか』(藤原辰史との共著)(以上、ミシマ社)、『朝からロック』(朝日新聞出版)、『YOROZU~妄想の民俗史~』(ロッキング・オン)、『INU COMMUNICATION』(ぴあ)、編著に『銀河鉄道の星』(ミシマ社)。

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