鬼気迫るど忘れ書道

第10回

バナナマン日村~スヌープ・ドギー・ドッグ

2021.10.04更新

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 さてマグロから採った成分「DHA」を摂取し始めて、きわめて微妙ながら記憶に変化が生じた話を書かなければと前回の原稿フォームを見てみたら、すでにその話が書いてあったのにはギョッとした。全然効いていないことになる。
 いやしかし、普通なら完全に失念するであろう「高田馬場ビッグボックス(この場合、失念ポイントは「ビッグボックス」)」(※1)、石橋蓮司氏(※2)の名前と、近頃立て続けにど忘れを回避出来ているのだ。岡本喜八(※3)は確かにまた忘れてしまったけれども。
 したがって今回も俺は、自分の脳の停滞ぶりを、もしくはごくささいな回復ぶりを繊細に記録する必要がある。そうでないとDNAの飲み損(※4)ということになるからで、朝起きた途端にそれだけは忘れまいとリビングの戸棚に突進する自分の、その餓鬼のごとき哀れな必死さも含めて、あれこれと人生の損失を無駄に受容していることになってしまう。
 それにしてもバナナマン日村(※5)の名前の思い出せなさにはほとほと困った。特に人前でその名を出す必要はなかったからまだいいものの、まずバナナマンでひっかかりかけ(これは昔もあったことのように思う)、そこをなんとかクリアしてすぐに設楽の名前は出たのだが(というか「設楽」が何より先に出て、その勢いのおかげで「バナナマン」も出るという順番だ。そういう意味では俺の脳みそでは「設楽」がむしろコンビ名で、「設楽」のうちの左側が「バナナマン」という立ち位置になろうか)、そこから日村へ行かない。
 これはまったくどういうわけだか、映像的にはものすごくはっきりと日村が記憶のスクリーンに出ているのである。なんなら女子のコスプレをした日村、ランドセルを背負った小学生の日村、踊ることで揺れている日村のツヤツヤの前髪、バラエティのスタジオで優しそうにこちらを見ている日村など、数多くの日村がまるで走馬灯のように俺の目の前をよぎる。
 にもかかわらず、その独特な風貌をした男の名前が一切出てこないのだ。これはひとつの特別な苦しみだと言っていい。俺は俺自身によって拷問を受け、なんなら「日村出てこない地獄」とでも言うものに底深く落ちてしまったのだった。ただしもっと厳密に言うと「日村出てこない地獄」というより「○○○出てこない地獄」が妥当なわけで、この空隙が埋まらない気持ちの悪さ、なんなら○が二つだったか三つだったかさえわからない絶望はまさにとらえがたい苦難だ。
 結局、日村は発見されるまで三日かかった。それまでふと思い出しては(思い出せないということをふと思い出す不快さといったらない。重い便秘をふと自己認識する感じに似ているかもしれない)、やはり空隙は空隙なのである。目の前にはヒントひとつない。いつも思うことだが、日村が日村であることにどんな論理的な理由もないからである。
 それが突然、まるで南極の氷の塊がすっと水の中に離れるかのように、「日村」が出現した。そう、ひとつのアマルガム(※6)であったからこそ言葉が出てこないので、その巨大な何かの隅っこからひとつの単語が自らを引き剥がし、桎梏(※7)を逃れて単独行を始めるのである。それが思い出すという行為そのものだ。
 今俺はとても素敵なことを言ったと思う。詩的で、かつクレバーだったのではなかろうか。けれどそんな能力がありながらなぜ、俺の記憶の前面に「日村」が出なかったのか。この実はかなり変わった名前が俺の脳のシナプスを発火させにくいはずもないし、俺はやつが好きなのにもかかわらず、だ。ただただ現在は、それが三日かかって出たことを喜ぶ以外なかろう。もしも俺が捜索隊であったなら、限界一歩手前の時刻だったはずである。
 ミルフィーユ(※8)が出ないのも繰り返された。家で他人にお礼のお菓子を贈ることになり、だがそのひと箱が余ったのである。それが個包装の乾いたミルフィーユの詰め合わせで、仕方なく俺は毎日朝食後にそれを一個、ないし二個ずつ食べていくことになった。
 まあおいしいからいいのだが、しかしその何日目かを迎えた時から、俺はその菓子の総称を言おうとして言えなくなった。妻に「あの、あれの箱はどこだっけ?」などと言い始めた俺は、あろうことか「あの、あれ、たたみいわし(※9)みたいなの、あったよね?」などとその特徴を思いきり和風に表現するようになった。
 相手にしてみれば当然だが「たたみいわし? ないでしょ、たたみいわしは家に」といった返答がしごく常識的である。もしくは実際にたたみいわしを朝食後の食卓に出してくるかである。というわけで、俺はミルフィーユとたたみいわしの違いをパントマイムであらわすしかない。お菓子の方は厚さがあり、たたみいわしはごく薄い。そしてお菓子の方は甘くておいしそうであり、たたみいわしの方は渋いうまさで早く日本酒が欲しい。そういう一連の風景を体の動きや表情であらわしていく俺の秋の午前中を、果たして家庭の幸福などと言いあらわし得るものだろうか。
 ただ少しヒントはあって、ミルフィーユの皮の重なりの多さがおおげさに「千」と名付けられているのであって、そこがフランス語で「ミル」だと思い出せば、何も俺だって酒のアテみたいなものを口に出しはしない。ドゥルーズ&ガタリ『ミルプラトー』のミルだ(※10)。だがしかし「あの重なった菓子の皮の感じをなんか比喩で言ったんだよなあ」と思った時に、果たしてどれだけの人が『ミルプラトー』と回答するものだろう。そもそも、そんな力があれば、俺は自分に日々ヒントを出すような暮らしをしていない。
 ファミレスのジョナサンを何度も思い出せなくなったのにも、今月はまいった。そもそもファミレスに行く世代からぎりぎりずれていて、経験が乏しいこともある。だがデニーズはわりとすんなり発音出来るし、サイゼリアもワインあたりと関連付いて覚えているのか、少し引っかかってから口に出る。
 しかし問題はジョナサンだ。いや俺は何かよくない印象を持っているのではない。むしろ逆で、他のファミレスとの比較においても俺は最も多くジョナサンを訪れている。確か朝日新聞本社の近くにあって、そこでよく時間調整などしたものだった。
 なのにそれが出てこない理由は自分でもよくわかっていて、俺世代は「ジョナサンと言えばカモメ」だからなのだ。『カモメのジョナサン』(※11)というベストセラーがあったがゆえに、ジョナサンを思い出すのにまず眼前のカモメをどかさないといけない。しかしここで大変困ったことに、ファミレスのジョナサンは「すかいらーくグループ」で、スカイラークはむろんヒバリなのである(※12)
 カモメをどかそうと近寄っていったら、なぜか目前の草むらにヒバリが見え、それが独特の鳴き声とともに空高く飛び去る。するともはやそれが元来カモメであったことを俺は忘れ去ってしまうのだ。いや実際はさらに苦難は複雑に絡み合っており、そのチチチチと鳴いているヒバリに、なにかしら他の鳥類の面影が残っている感じなのである。
 それがカモメだなんて誰が思うだろうか。イメージ上、すでに対象はヒバリの大きさに縮んでいる。その上、それが飛び立った現場は草むらなのである。これが水辺の青空だというのなら、カモメがすいすいと飛び帰ってくることもあり得る。特徴である白色を失い、ヒバリの色をしたカモメが。
 ということで俺は「ジョナサン」を覚えることがなかなか出来ない。それはつまり、ヒバリの色と大きさをした、しかも同時に白く羽根を伸ばした案外冷たい目をしたカモメを想起出来る能力が俺にはないことを指している。そしてそんな多層的な映像喚起能力は、よほどの変人にしか与えられていない。
 スヌープと書いてあるのは、むろんラッパーの、というより普通にアーティストと呼んだ方がいまや妥当なのであろうスヌープ・ドギー・ドッグ(※13)のことなのだが、その世界でオールドスクールとも言われる世代の俺は、同じ世代の「ダグ・E・フレッシュ」(※14)という人物を忘れることが出来ない。なぜなら彼の言葉の乗せ方の中に日本語的なリズムを見出し、ゆえにこそ「これは日本語でも出来る!」と思ったことがあったからだ。
 で、その「ダグ・E」がいつでも「ドギー・ドッグ」の記憶にちょっかいを出す。当然「ダグ・E」は「ダギー」と読むからだ。
 そうした昔のよしみのせいで、俺は「スヌープ・ドギー・ドッグ」と言いたい時、まず「ドッグ」のところを思い出す。「スヌープ」から直接行けば事はすんなり済むのだろうが、そこから「ドギー」に移る際に、俺の頭は「ダグ・E・フレッシュ」のゾーンを通ってしまう。その際「スヌープ・ドギー」から「スヌープ・ダギー」と記憶の車の進路変更をしてしまえば、俺は「スヌープ・ダギー・フレッシュ」と変なジャンクションを抜けてどこか知らない街へ向かうのだ。
 だから俺はまず「ドッグ」と心の中で言って「犬」を自分に印象付け、そこから改めて「スヌープ」を思い出すことで、危うい「ドギー」の部分を乗り越えるのである。
 まったく記憶とは面倒なものだ。


※1 高田馬場ビッグボックス:1974年5にオープンした商業ビル。
※2 石橋蓮司:俳優、演出家。「劇団第七病棟」主宰。
※3 岡本喜八:映画監督。主な作品に『独立愚連隊』『日本のいちばん長い日』など。
※4 DNAの飲み損:「DHAの飲み損」の間違い。DHAの効き目が怪しまれる。
※5 バナナマン日村:日村勇紀、お笑いタレント。相方の設楽統とバナナマンというコンビで活躍。
※6 アマルガム:歯の詰め物などに使われる水銀と他の金属との合金の総称で、広義では混合物一般を指す。
※7 桎梏:手かせ足かせ。
※8 ミルフィーユ:フランス発祥の菓子の一種で、「ミル」は千、「フィーユ」は葉の意味。パイ生地が何層にも重なっていることから。
※9 たたみいわし:カタクチイワシの稚魚そ板のように薄く干し固めたもの。
※10 ミルプラトー:日本では『千のプラトー』。1980年に刊行された評論集で、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズと精神分析家フェリックス・ガタリの共著。
※11 カモメのジョナサン:1970年にアメリカで出版されたリチャード・バックによる小説。
※12 すかいらーくグループ:「ガスト」や「バーミヤン」、「ジョナサン」などのファミリーレストランチェーンを運営。公式ロゴに、オレンジ色のヒバリが使われている。
※13 スヌープ・ドギー・ドッグ:アメリカのラッパーで、現在は「スヌープ・ドッグ」と名乗っている。
※14 ダグ・E・フレッシュ:アメリカのラッパーで、ヒューマンビートボックスの名手として知られる。

いとう せいこう

いとう せいこう
(いとう・せいこう)

1961年生まれ。編集者を経て、作家、クリエイターとして、活字・映像・音楽・テレビ・舞台など、様々な分野で活躍。1988年、小説『ノーライフキング』(河出文庫)で作家デビュー。『ボタニカル・ライフ―植物生活―』(新潮文庫)で第15回講談社エッセイ賞受賞。『想像ラジオ』(河出文庫)で第35回野間文芸新人賞を受賞。近著に『ど忘れ書道』(ミシマ社)、『夢七日 夜を昼の國』(文藝春秋)、『「国境なき医師団」になろう!』(講談社現代新書)など。

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