ギター熱ギター熱

第9回

嫌になったとき

2026.06.11更新

 スランプだ。ああああ、スランプだ。素人にスランプなんてあるのか疑問だが、スランプとしかいいようがない暗い穴にはまってしまっている。
 毎日必ず最低15分、長いときは2〜3時間ギターを練習しているが、習い始めた頃に比べると明らかに上達スピードが落ちている。
 このあたりで打ち止めなのだろうか。年のせいか。いや、年のせいにしてはいけないな。生徒仲間が参加するSNSをのぞくと、年配のみなさんの演奏はすばらしい。あのトミー・エマニュエルの曲を弾きこなす女性だっている。
 友がみな我よりえらく見える日は......近所に花を買いに行ってしまう、はあ。
 練習が足りないのかな。力みすぎかな。ギターのせいかな。いや、ギターは弦高を調整して改善したはずだ。じゃあ、サムピックのせいか。フィンガースタイルのギタリスト必携の親指(サム)につけるピックのことだ。そうだ、サムピック、サムのせいかもしれない。
 エレキやアコギの弾き語りで使うのは人差し指と親指でつまむ三角のフラット・ピックだったので、親指にはめるピックにはこれまで縁がなかった。じつのところフラット・ピックもほとんど使ったことがない。そもそも子どもの頃、指にやさしいナイロン弦のクラシックギターから弾き始めたので、ピックで弾くこと自体に慣れていないのだ。
 ピックは安いものだと200円程度で買えるので、自分の指に合いそうなものをあれこれ買っているうちにフラット・ピックより数が増えて、今やピックケースはサム、サム、サムだらけ。最終的に指の太さに合うようにハサミで切って調整できるサムに落ち着いたものの、本音では使いたくない。指で弾きたい。
 ピックで弾けば音は大きくきらびやかに、指で直接弦をはじくと音量は小さいが音色が柔らかくふくよかになる。この先、曲がむずかしくなるとサムピックを使うほうが弾きやすくスピードも出るため練習はしているが、気分はブルーだ。

 いや、サムじゃない。もっと慣れないものがほかにあるだろ。そう、動画撮影だ。課題曲を演奏する姿をスマホで自撮りして先生に提出しなければならないのだが、これがじつに厄介なのだ。普通に弾くとできるのに、撮影ボタンを押したとたん弾けなくなる。ミスをするたびボタンを押して削除、録画して、またミスをして削除。この繰り返しが1時間以上続く。
 もはや、ギターの練習をしているんだか、動画を作っているんだかわからなくなってしまう。講師のおおもりごうすけ先生もそうだけど、連日動画を公開しているユーチューバーってすごいんだな。
 そうこうしているうちにスマホのストレージが自分の演奏動画でいっぱいになる。見返したくもないへたっぴーな自分の動画なので、そんじょそこらの詐欺メールよりひどいウイルス攻撃みたいでさらに落ち込む。そのうち、これ以上は容量が足りませんというエラーメッセージが出る。

 何を隠そう、私のスマホはiPhoneSEの第3世代なのだ。手のひらサイズの軽いスマホが取材や出張に最適で使ってきたのだが、そろそろ買い替えが必要かもしれない。しかし、SEの後継機はサイズが大きい。ポケットに入れたらはみ出すどころか、穴が開いてしまうかもしれない。このままもう少し我慢しようと思っているうちに、もはや限界に近づこうとしている。

 はい、そうです。わかってますよ。サムピックも動画撮影もスマホもわるくありません。いつものように弾けない言い訳を探して落としどころを探るが見つからないぐらいの底なしスランプなのだ。
 あああああ、なんとかしてくれよ、サム〜。
 こうなればやむを得ない。ついに私は禁断の扉をノックすることにした。たいていの生徒がスランプに陥ることを見越して制作された、おおもり先生の「嫌になった時に見る動画」である。そんなタイトルの動画を準備して、今か、今か、そろそろ来るか、来るか、来るよな、いらっしゃーい、とスランプに陥った生徒を待ち受けているって怖くないですか。
 そもそもおおもり先生に習おうと決めたのは、弾けない人の気持ちを理解した上で組まれたレッスン動画の細やかさにあった。練習もバンドも楽しくやっていたので、嫌になるときなんて来るはずないよ、まあ、自分には無縁の動画だなと思っていた。
 だが、ギター再開から1年が過ぎた頃から頭打ち感がハンパない。嫌になったとき、それは今だ。

「嫌になった時に見る動画」。その長さ、6分30秒。
 集中して視聴し終えた今、憑き物が落ちたようにスッキリしている。なんだ、そんなことなのか。もっと早く見ておけばよかったよ。
 以下がおおもり先生のメッセージだ。生徒限定動画なのであまり細かくは紹介できないが、たぶん大事なことは一つだ。

「今日できることというのは、自分のレベルに合った練習をゆっくりやるということ。レベル3なら、3.5をやってはいけない。3をゆっくりやる」

 おおもり先生自身、どうしてもうまく弾けないときは、今でも曲を分解してゆっくり弾く練習をするという。するといつのまにか普通に弾けるようになっていく。上達する生徒の共通点でもあるそうだ。
 いつものテンポよりも20パーセント低いテンポにメトロノームを合わせて弾き直してみる。すると見たくなかった自分のプレイの不出来な箇所がよくわかるようになる。それをまず自覚して、うまく弾けないフレーズをとくにゆっくり練習する。
 さっそく、スランプのきっかけになった課題曲、チェット・アトキンスの「Trambone」をまずBPM70というかなり遅いテンポで弾き直してみる。たしかに、これまで速さでごまかしていたところがはっきり浮かび上がる。これでうまくなるかどうかはわからないけれど、自分の演奏にツッコミどころがたくさんあるということはよくわかった。
 まずはBPM70で一音一音しっかり弾けるようになることを目標にしよう。そこから、BPMの数字を5ずつ上げて、最後にBPM130で弾けるようにしよう。

「嫌になるときというのは、成長しなくて、いつまでこんなことばかりやるのと思うとき。でもそんな練習をしていくと伸びるんです」「血のにじむような努力は必要ない」

 わがSNSバンドのスタジオ練習で、ギターの先生にもっとゆっくり弾くように教わったことをみんなに話してみたところ、吹奏楽の経験のあるメンバーが、自分たちもとにかく最初はやたらゆっくり演奏させられたと教えてくれた。ピアノもそうなのかな。
 元音楽講師の@Midorinさんに聞いてみると、やはり彼女も幼い頃からそう指導されてきたし、生徒にも同じように教えてきたという。速い曲を弾く場合は今も部分練習ではテンポを落として弾いて、できたらだんだん原曲のテンポに上げていく。音楽教育では一般的なことよ、と。
 そんな常識も知らずに楽器を弾いていたとはつくづく情けない。小学生のときにピアノ教室に少し通ったけれど、当時は子どもだったのでどんな練習をしたか、練習方法までは覚えていない。ギターは我流で始めたため、これまで専門家の指導は受けたことがなかった。ギターを弾き語りから始めた人は案外知らないことかもしれない。とにかく歌いたいから弾くわけで、テンポ落として弾くなんてじれったいだけだから。でも知ってよかった。
 楽器練習の基本、ゆっくりゆっくり弾こう。せっかちな卯年の私にはかなり忍耐力が必要だけど、かめの歩みでコツコツやってみよう。いつかうさぎを追い越せる日を目指して。

 先日、若い友人一家がわが家に遊びに来た。伴奏してあげるからなんでも好きな歌を挙げてみて、というと、「『魔女の宅急便』の主題歌がいい」「やさしさに包まれたなら?」「それそれ」というので、「お安い御用よ」と伴奏したら、4歳の女の子も一緒にみんな心底楽しそうに歌ってくれた。
「すごーい、サイショーさん、ギター弾けるなんて知らなかったですう」
 こうやって目を丸くして驚いてくれる瞬間が一番楽しいんだよなあ。さっそくギターとウクレレを渡すと、母と娘はしばらく弦をはじいて遊んでいた。
 スランプ、なんとか脱出できそうだなあ。え、ウクレレ? その話はまた今度。

最相 葉月

最相 葉月
(さいしょう・はづき)

1963年、東京生まれの神戸育ち。関西学院大学法学部卒業。科学技術と人間の関係性、スポーツ、精神医療、信仰などをテーマに執筆活動を展開。著書に『絶対音感』(小学館ノンフィクション大賞)、『星新一 一〇〇一話をつくった人』(大佛次郎賞、講談社ノンフィクション賞ほか)、『青いバラ』『セラピスト』『れるられる』『ナグネ 中国朝鮮族の友と日本』『証し 日本のキリスト者』(キリスト教書店大賞)、『中井久夫 人と仕事』など多数。ミシマ社では『母の最終講義』『なんといふ空』『辛口サイショーの人生案内』『辛口サイショーの人生案内DX』『未来への周遊券』(瀬名秀明との共著)、『胎児のはなし』(増﨑英明との共著)、『口笛のはなし』(武田裕煕との共著)を刊行。

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