変な人にはついていけ

第10回

編集者の皆様

2026.04.28更新

 バンド時代、3人の音を合わせて1つの作品を作っていたのに対して、作家は基本1人で書き続ける孤独な職業だなあと思った。自分で自分を律することができなければ、大きめの作品は一生成就しないなあとも思った。尻を叩いてくれるのも自分でしかないのだから。3人で1つの作品を生み出す方が余程大変だよと知り合いの作家さん達は言うので、これはもう性分に合っているかどうかなのだろう。私は、中高と、教室では1人で詩を書いていたけれど、バンドよりさらに大人数な吹奏楽部に所属していたので、どっちも好きだったんだな。

 物書きになって15年経つが、「これ以上は直さない」と筆を置く決断、つまり自分を信じてGOを出す瞬間は毎回痺れる。バンドの時からそうだが、制作は延々と泳いでいい自由さを持っている。苦しいのにランナーズハイが続いていて、思いつくままにアイデアの風呂敷を広げていった。制作の次のフェーズは、広げた風呂敷を畳んで畳んで、最後にピリオドを打つこと。広げるよりも、削る作業の方がくたびれる。もったいないお化けを振り払わねばならん。そしてその瞬間は、いつも達成感と同時に寂しさが付きまとう。もうこいつに触れることはできんのだ。 

 私たち物書きが全部一人かと言われたら、編集さんがそばにいてくれることが安定剤であり、同時に肝を冷やす要因でもありますわなあ。ほほー。

 編集と作家の関係は、同志でありライバルであり、ビジネスパートナーであり、これまた不思議だ。音楽のように、ソニーならソニーからだけしかCDを出してはいけないという決まりはない。私たちは風来坊。書籍1作だけの契約なのだ。私も、これまで20冊以上の本を、ミシマ社をはじめ、10社以上の出版社から出してきた。関わってくれた編集さんの数も同じくらいいる。

 ということで、やはり書かねばならんだろう、編集さんの変人っぷりを。

 文章を書かせたら、私より編集者の方が余程上手だ。それなのに、自分では書かずに、人の文ばかり読んで、この人にこんなこと書いてもらいたいと企画し、その人の良さを最大限に引き出し、校正さんやブックデザイナーなどのプロたちをまとめて、一冊の本を作り上げる。年に何冊も! 変でなければやれない。

 まるで大工の棟梁のような職業だなと思う。

 時には、にっこり笑いながら、「この部分はカットしてみてはどうですか」と、バッサリカットされたゲラを渡されたり、逆にふわっと「good」とだけ書いてくる赤ペン先生もいる。文字が汚すぎて何を書いているか読めない人もいる。酒をしこたま飲んで、「疲れたよー」と己の話をする方もおるし、実家まで畑の手伝いに来てくれる人もいる。ああ、思い返すだけで、人間味がダダ漏れ。隠しているつもりでも隠せていませんよ。

 「いい音がする文章」のDモンド社の担当編集Kさんとは、打ち合わせの中盤からいつもバンド談義のようになった。4時間くらいお茶をして、その帰りに飲みに行くこともあった。茶をしばき、飲みながら、私の奥の方に横たわっていたものを引っ張り出した感があった。それに私も最初は気づかない。でも、話がどんどん深まっていって気づく。そうか、Kさんに喋っていることを書けば一番面白いんだな。

 「こういうのは専門的すぎて誰も読みたがらないでしょう?」「私はもっとその話が聞きたいですよ」「そうなん? こんなん聞いて面白いん?」

 これも何度もやりとりした会話だった。

 編集さんははじめの読者でもある。みんながきっとこういうものを読みたいだろうという視点を持っていなくてはならない。私と同じ視点ではだめなのだ。その辺りも、きっと個人差はあって、このKさんはディープな話こそしてほしいと言ってくれた。

 私は歌詞の依頼が来たら音楽チームの方に行ってしまうし、連載や愛媛の畑もあり、すぐに思考回路が寸断されてしまう。半分くらい書けたところで2年近くストップしてしまった。Kさんはその間、ほとんど何も言わず「待つのが仕事ですから」と泳がせていたのに・・・ある日いきなり、メールが来た。恐怖の刊行スケジュールだった。

 「この日に刊行します」と。しましょうではなく、しますだった。

 そこには、これ以上は待てねえぞという、怒りマーク付きの笑顔が見え隠れしたいた。

 数ヶ月後の発表日が決定しているではないか。ま、ま、まじか。鬼ー! てなわけで、真夏の愛媛で、早朝は畑、昼間は執筆という生活をし続けた。あんなに血眼で書いたのは初めてだった。

 疲れて私は「海外へ1週間行ってきます」と伝えた。言うておくけども、これは前々から決めていたことでKさんにも伝えていたはず(多分)。しかし、スケジュールでは、再校が出る結構な修羅場タイミングであった。

 今の時期に1週間日本にいない。発狂案件である。普通なら「すみませんけど、海外へゲラを持っていってくれますか?」となるだろう。しかし、Kさんは電話口で「じっくり休んできてください。発行日を1週間遅らせましょう」と言った。私の方が「いや、ゲラ持って行ってホテルでやりますよ」と言ったが、「いいえ、休んでください」と言ってくれた。こうしてショートしかけの頭を冷やすことができたのだった。飴と鞭の使い方のうまさ。これ編集さんには重要だなあと思った。

 Mシマ社のHさんは、『今夜 凶暴だから わたし』、『その農地、私が買います』、『わたしの農継ぎ』と、長い付き合いだ。同い年で家が近いこともあって、この4月頭にも、近所の公園で缶ビールを飲んだ。家で食べかけにしていたチャーハンとらっきょうをタッパーに詰めて、ビールを2本持って公園に座っているとHさんが本当に手ぶらでやってきた。サザエさん的な出かけ方だった。そういう距離感が心地いいと思う。

 私の漬けたらっきょうをつまみ缶ビールを紙コップに入れてちびちび飲んで、近況を話して、「寒うなってきたから帰ろか」と1時間半で解散。この連載をしていることもあって、互いに今どういうことを考えているかもなんとなく共有できているのかもしれない。

 夫が仕事帰りに私たちを見かけたそうだ。「なんなん、声かけてや」「いや、なかなかの感じだったからそっと帰った」と。

 Hさんは、真面目に、厳かに、しっかりと変さを醸し出している。夫はその雰囲気も掴み取っていたのだった。同じ感覚の持ち主として信頼できるから一緒にお仕事をできる。本を世に出すというのは、当然人生をかけたことだ。自分の分身というか、子を誕生させることだから。

 今や文学フリマの東京会場は来場者1万人を超える盛況ぶり。本はもはや1から10までの全てを1人で作れてしまうものだった。それでも、出版社から本を出したいと思うのは、私以外の信頼できるプロの視点を入れたいからだ。この世界でしのぎを削ってきたプロの編集さんや校正さんの目。出版社の体制みたいなことももちろんあるけど、結局は人と人だった。

 同じような価値観で、私が面白いを思っていることを同じように面白いと思って、そこをどんどんと掘り起こすことをやっていく。時にはよく掘れる新しいシャベルを差し出してくれたり、水をくれたり、そうして水脈を見つけ、その流れに乗れたら、ゴールに辿り着くまでそっと見守ってくれる。

 誕生したはいいが、その人が一緒に子育てをしてくれるか、長く愛してくれるか、そういうこともやはり大切だなと思う。

 寝ろ! と思う編集さんもまあまあいらっしゃる。会うたびにクマがひどくなっている。しまいには校了前に3日くらい全く連絡が取れず、これはマンションで倒れて亡くなっているのではないかと、警察に通報する寸前までいったこともあった。

 翌日「すみません。倒れて寝てました」と電話があり心底ホッとした。編集という過酷な仕事を生涯続けていこうと頑張ることは嬉しいけど、あんたの体の方が心配なんじゃから、というか、私があんたについていけんようになってしまうけん。上の人に掛け合ってあげようか? ご飯は食べとるんか? もう私のことは私がやるけん休み。というようなこともあった。編集者は、健康を損ないがちな職業でもあると思う。

 1冊を作り終えるまでには長いと10年近くかかることだってあるから、その10年をのらりくらりと家族のような友達のような姉妹のような、でもプロとプロとして目を光らせていなければいけない。私の本よりも、編集さんや家族の健康が一番だよということを忘れないでいてほしい。

 T摩書房のKBさんとも長いお付き合いで、『いっぴき』『ぐるり』『一生のお願い!』と3冊も一緒に走ってきた。私の物書きとしての思春期を支えてくれた方だ。「ぐるり」は私の初の小説集なのだけれど、連載の時にはエッセイで依頼され、途中まではエッセイを書いていた。でも、途中で小説を書いてみようかなという気持ちになって、KBさんに連絡してみた。 

 「私、小説が書きたいです」

 「おお、わかりました。じゃあ途中からですけど小説にしましょうか」

 多分、変な人について行き慣れているプロなので全く動じなかった。第6回目くらいから連載はいきなり小説になった。

 連載が終わり、この短編小説達を、1冊の群像小説にするために、KBさんはシャベルや水をいくつも私に与えてくれた。そうして、「DJ久保田」という連載には出てこなかったラジオDJを中核に据えた物語にまとまったのだった。

 KBさんは私をいつも褒めてくれた。

 「上手い下手ではなくて、くみちゃんの見ている風景や物語を僕は読みたいと思うんだよ」

 それは、私が作詞教室でいつも生徒さんに言っていることだった。

 上手く書こうとしなくていいんです。あなたに見えている景色を私は見てみたいんですよ。KBさんに言われて、ハッとしたのだった。

 締め切りをすぎた翌日にこの原稿を書いている。きっと私の性格を分かって、少し早めに締め切りを言っているに違いない、とか思うけど、Hさんの性格だと、いやそういうことはやらなさそう。編集さんのストレスをビーカーに溜めていったら、1日で満タンになりそうよ。何百回「ごめんなさい」を繰り返していることか。

 これからも謝り、感謝しながら、ともに歩いてもらえたら嬉しいなあ。

 『一生のお願い!』の中に、編集さんのことを書いたエッセイが入っている。そこに、30代前半の私は、「友達とはパジャマで会えるけれど、編集さんとは三番目にいい服を着て会う。そんな関係だ。」というように書いている。

 そうね。そういう関係、続けて行きたいね。

 編集者の皆様、これからもどうぞよろしくお願いします!

高橋 久美子

高橋 久美子
(たかはし・くみこ)

作家・詩人・作詞家。1982年愛媛県生まれ。音楽活動を経て、詩、小説、エッセイ、絵本の執筆、翻訳、様々なアーティストへの歌詞提供など文筆業を続ける。また、農や食について考える「新春みかんの会」を主催する。著書に『その農地、私が買います』『わたしの農継ぎ』(ミシマ社)、小説集『ぐるり』(筑摩書房)、エッセイ集『いい音がする文章』(ダイヤモンド社)、『旅を栖とす』(KADOKAWA)、『いっぴき』(ちくま文庫)、詩画集『今夜 凶暴だから わたし』(ちいさいミシマ社)、絵本『あしたが きらいな うさぎ』(マイクロマガジン社)など。

公式HP:んふふのふ 公式Twitter

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