ユザワタヌキ文庫へようこそ

第11回

偏愛ノートに日々未熟を綴る

2026.11.04更新

悩みと想いの玉手箱

 先日、いくつかの悩みを持参して、学生がユザワタヌキ文庫にやって来た。研究テーマのこと、進路のこと、友だちのこと。話を聞いているうちに、「私って同じくらいの年齢の頃、何を考えていたんだっけ。どんなことに悩んでいたんだっけ」と、ふと過去の自分を思い出していた。今はフムフム、そうかそうかと落ち着いたふりをしているけれど、自分自身も似たような悩みの道を通ってきたわけなので、他人ごとではないような気持ちで学生の話に耳を傾ける。

 教員になってしまうと、つい学生たちのことを未熟だと思い込み、諭すように話しがちだ。でも、冷静に考えると、どんなに年を重ねても人格や思想が完成することはないのだから、「日々未熟」という感覚は大切にしたいと思っている。そんな時は「日々未熟」の記録を振り返るために、私はユザワタヌキ文庫の書棚の奥の方にズラリと並んだノートをいくつか引っ張り出してみる。それは、学生時代から書き溜めたノートたち。悩みと想いが詰まった玉手箱、いやパンドラの箱?! に入っている記録の数々である。パラパラとページを開いてみると、目の前で悩みごとを話している学生と同じくらいの年齢の、過去の私の色とりどりの心情がノートの間からポロポロとこぼれ出てきた。

 悩める学生は私と一緒にそのノートを覗き込みながら、面白がったり、笑ったり、しんみりしたりしている。なんだ、先生も悩んでいたんだ、こんな風に考えていたんだとわかり、安心したという表情を浮かべている。私にとっては、今の研究にも通じる原点のような言葉もあり、青臭いけれど瑞々しい想いが記録されていて、襟を正す思いにもなる。イラスト、いや落書き?! を描くクセがあるため、ノートのあちらこちらに面白い図や絵が散らばっている、いや散らかっている?! 学生にとってはその絵も混沌具合も面白かったらしい。

 私は主に、ゼミの記録や研究の構想を練るための大学ノートとフィールドワークの記録や日々の備忘録のための小さなノート、大小2種類のノートを使っている。今でも「あっ!」とテーマが思い浮かんだ時にはひとまず小さなノートに書き、そのテーマが気になってしょうがなくなったところで新しい大学ノートを用意して、表紙に油性インクでテーマを書き込む。それがひとりで始める「ひとり研究会」始まりの合図となる。そんな風にしているから、ユザワタヌキ文庫にはまだ書いている途中の未熟な「ひとり研究会ノート」が何冊も並んでいる。

京大式カードは失くしがち

 デジタル時代全盛期の今、デジタル・ネイティブと呼ばれる学生たちに囲まれてもなおノートを愛用し、いつしか偏愛とさえ思えるようになったのはいつからだっただろうか。その記憶をたどってみる。まずは大学生の頃の話。

 フィールドワークを重視する学問分野を専攻すると、フィールドワークのいろはを仕込まれる。私が専攻した地理学では、フィールドに携帯する必須アイテムとしてまず「地形図」について習う。国土地理院発行の地形図を入手し、携帯するために地図をきれいに折りたたみ(独特の折りたたみ方がある)、フィールドではそれをパッと広げて携行した色鉛筆などでガシガシ情報を書いていくこと。「地図は消耗品」というのが、地理学で習った新しい視点だった。地図さえもノート的に使う。今はデジタル地図が普及しているので私が学生だった30年前とは状況が異なっているが、私は今でも紙の地形図を愛用している。全体を俯瞰して眺めたり、細かな地図記号で産業構造を読み取ったり、歩いていくルートのシミュレーションをしたりすること自体が旅しているみたいですでに楽しい・・・。などというと、「それは地理屋だけでしょう」と笑われてしまうのだけれど。

 そしてもうひとつ、便利アイテムとして教えられたのが「京大式カード」だった。これは聞き取り調査を含む現地調査の情報、文献情報などを記録していくB6版のカードで、戦前期から存在していたらしい。生態学者、民族学者であった梅棹忠夫さんが愛用していた通称「B6カード」を『知的生産の技術』で紹介したことがきっかけで(1)、広く知られるようになり、「京大式カード」という商品名で今も販売されている。一項目一枚と決めて情報を記録していけば、共同研究などをする時に、情報を共有したり、カードを並べながら情報と情報の関係性を考えたりすることができる。ノートは切り離せないが、カードなら変幻自在、今でいうところの「タグづけ」をして分類できるというのがこの京大式カードの発明であり魅力でもある。

 「なるほど、なんだか研究者っぽくてカッコいい!」と思って使い始めたものの、しばらくして、私にはどうもこの京大式カードが合わないことに気がついた。最初は習った通りに使って情報を整理していたのだけれど、交換したり、並べたりしているうちに失くしてしまうことが多いのである。それはカードのせいではなくて、使い手である私があまり几帳面ではない性格だということに起因しているのだと自覚して、私は早々に京大式カードとおさらばし、以後はもっぱらノートを使うことにした。

偏愛ノートのはじまり

 素直に考えてみれば、私はもともとノートが好きだった。好きというより偏愛していたふしがある。最初はレシピノートづくりに夢中になった。小学生の頃は夏休みの宿題作品展の参加者賞として地域のライオンズクラブから配られた大学ノートを自作のレシピノートにしたり、雑誌や新聞の料理記事のスクラップノートにしたり、ノート作りに余念がなかった。コピーするお金がなかったので図書館の料理本はノートに筆写し、ついでにイラストも描きまくる。それをあとで見返して、ひとりほくそ笑むのも楽しかった。家のチャイムが鳴って「あーそーぼ!」と友達が来たときも、レシピノート作りに熱中して、居留守を使ったことがある。友だちよりもノート作りを優先するような小学生って・・・。

 だからノートはどんどん増えていった。この増殖していく感じがいい。さらにいえば、ノートに文字を書いたり記事を貼ったりしているうちに、ノートがモコモコと膨らみ、ぶ厚くなっていく育ち具合もたまらなく好きなのである。私にはノートがまるで生きもの、あるいは生きものの棲み処のように見えることがある。私の頭や心から手、鉛筆やペンを通ってノートに吐き出された文字や絵が、ノートの紙の上に棲み処を見つけ、熟成しながら生き続ける。ノートは文字や絵の棲み処であると同時に、それ自体もぶ厚く育っていくので、いつしか生きもののようになる、みたいなイメージだ。私の好きな漫画、漆原友紀さんの『蟲師』には「筆の海」という作品がある(2)。動物でも植物でもない原初に近い存在としての「蟲」の世界に筆と文字が登場する話を読んだ時、あぁ、そうだ、こんな感じだと、この一風変わった私の感性の理解者を見つけたような気がして嬉しかった。

 そんな私だから、大学生になった時には科目ごとにノートを作り、日々の備忘録のノートを持ち歩き、ゼミのレジュメや取材資料は研究ノートに貼り、そこにメモを重ねていった。卒業論文の時には大学ノート2冊、修士論文の時には8冊、博士論文の時には一回り大きめのノートで10冊を育てた。いや、育っていった、と表現する方が適切だろうか。最初は育てているつもりが、ノート自体も勝手に育っていくようになり、最後には私がノートに育てられるという展開になる。それらのノートをもとに論文を書いた。費やした時間や想いがノートの量として見えるのも張り合いになった。

モコモコしたら書ける

 いつだったか、「ユザワさんって、どうやって本を書いているの?」と質問された時に、うっかり「研究ノートがだいぶモコモコしてきたな、育ったな、と思ったら書けるって思うんだよ」と答えてしまったことがある。一瞬呆然とした相手から、「なにそれ、ちょっと意味わかんない」というリアクションが返ってきた。そりゃそうだろうな、理解されないのはごもっともである。ならば「情報が十分集まったら書けるような気がする」と言葉を変えて説明すべきだったが、「ノートがモコモコしたら書ける」という感覚に私はこだわって、何とか伝えようと試みた。

「情報が集まったら書ける」というのはシンプルで分かりやすい表現だと思うのだけれど、私がノートに吐き出し、書き綴っているものは「情報」だけなのか、いや、そうではないはずだ。想いや念が込められたというとちょっと怖いかもしれないけれど、そういう「情動」のようなものを行間に織り込みながら、ノートに綴っているような気がする。だから、やっぱりノートは生きていて、モコモコと育っていくものなのである。少なくとも私にとっては、ということだけれども。

「情報」だけではない、目には見えない「情動」も織り込まれたノート。そこにはコンピューターに打ち込んで、デジタル空間の中で整理整頓すると削ぎ落されて手が届かなくなってしまう何かがある。私にとってノートは、折々の心の風景をめぐる風合い、手触りが息づいているがゆえに、こちらに話しかけてくるような気配を纏っている存在だ。人間と同じで、早く育つもの、ゆっくり育つもの、太いもの、細いもの、賑やかなもの、静かなもの、ノートにも個性があるので、それを見守りながら今日も私はノートに文字を綴り、絵を描く。

 学生と過去のノートをめくっていて気がついたのは、ノートに息づく学生時代の私はもはや私自身ではなく、第三者のような存在となって時に私を叱ったり励ましたりするということだった。過去の私がノートを介して今の私に話しかけてくる。都会の真ん中、無機質な高層ビルの一角にあるにもかかわらず、ユザワタヌキ文庫ではなぜか生きもののような存在の気配を感じることがある。長らくそれを不思議に思っていたのだけれど、そうか、私の偏愛ノートたちが生きているからなのかと、ようやく今、その理由を諒解できたような気がした。それってやっぱり、ちょっと、怖いですかね。

(1)梅棹忠夫『知的生産の技術』岩波新書、1969年
(2)漆原友紀『蟲師』講談社、2002年

湯澤 規子

湯澤 規子
(ゆざわ・のりこ)

1974年大阪府生まれ、千葉県育ち。法政大学人間環境学部教授。筑波大学大学院歴史・人類学研究科単位取得満期退学。博士(文学)。専門は歴史地理学。主な著書に『胃袋の近代―食と人びとの日常史』(名古屋大学出版会)同書で、生協総研賞第12回研究賞、第19回人文地理学会賞(学術図書部門)を受賞。『7袋のポテトチップス―食べるを語る、胃袋の戦後史』(晶文社)、『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか』(ちくま新書)、『焼き芋とドーナツ―日米シスターフッド交流秘史』(KADOKAWA)、同書で第12回河合隼雄学芸賞を受賞、などがある。

おすすめの記事

編集部が厳選した、今オススメの記事をご紹介!!

ページトップへ