相変わらず ほんのちょっと当事者

第3回

「家の犬」と「わたしの猫」2

2022.05.09更新

【お知らせ】この連載から本が生まれました

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『元気じゃないけど、悪くない』
青山ゆみこ(著)

本連載を再構成し、大幅に加筆を加えた一冊です。
「わたしの心と身体」の変化をめぐる、
物語のようなノンフィクションであり、ケアの実践書。
お手にとっていただけたら嬉しいです。(2024年3月20日刊行)

(前回「家の犬」と「わたしの猫」1 はこちら)

 ロッキーはある日、ロイになった。
 母は「青山ロッキー」という名前を姓名判断で調べたという。この落ち着きのない性分は名前によって決定づけられているそうだ。

 い、い、犬に姓名判断って?

 母は大真面目だった(彼女はいつだって真面目なのだ)。「青山ロイ」の画数だと、どっしり構えた凜々しい犬になるらしい(はああ?)。
 思い込んだらの人である母は、ロイ、ロイと呪文のように呼びかけて犬に刷り込もうとしているし、当のロッキーはごはんをくれて遊んでもらえたらどっちでも良さそうだ。
 そりゃ、そうだ。
 ロッキーはその後の犬生を「青山ロイ」として過ごすことになった。

 母の思惑に反して、「ロイ」となっても相変わらずちゃかちゃかと動き回り、人の後ろをついて回り、いたずらを繰り返す無邪気な性格のまま。でもそれになんの問題があったというのだ。犬なんだから。

 子どもの頃のアルバムを開くと、黄ばんだスナップ写真におさまるロイは柴犬でも正統派の整った顔つきで、若き日のヒロミ・ゴー的な甘さまでほんのり漂わせている。我が家を訪れる犬好きはみな相好を崩して「ハンサムだ」「なんてかわいい柴犬なの」とロイを撫で回したので、自分でも「僕はかわいい犬だ」という自覚を持っていたように思う(たぶん)。
 ルックスがいいうえに人好きのする性格。そりゃ、かわいい。
 でも、わたしは何年経ってもロイを手放しでかわいがることができなかった。
 むしろ手が放せない、手のかかる存在だったからだ。

 古くさい家父長制を政策に掲げる党首のような父が率いる我が家には、守るべきルールがあった。序列のようなもの。食卓のおかずにお箸をのばすのも、お風呂に入るのにも、年齢の上下もあるが男性が優先。
 父が一番は言うまでもないが、きょうだい間でも順番がある。
 第一子であり長男の兄がすべてにおいて優遇され、弟は第三子だけれど、男なので女のわたしよりも優先される。結果的に兄と弟に挟まれたわたしはいつも3番目の「後回し」となる。

 そこに加わるのがロイだ。

 犬はその家族のなかで「下から2番目」という自覚を持つとも耳にする(真偽のほどはわからない)。我が家ではそのとおり、ロイの態度の端々に、末っ子である弟を自分の下に位置づけているのを感じた。弟にはそれすらかわいい理由となったようだ(嬉々として下僕、といったような楽しそうな関係がそこに見えた)。
 だが、わたしにとっては、「家族のなかで自分より優位に置かれた弟と、その上にいる犬」という、複雑な序列を突きつけているようにも感じられた。
 や、ややこしい......。
 といまは思う。だが、育った家庭の有り様が「世界の普通」だと疑うことのなかった子どものわたしは、自分もまた筋金入りの「序列主義者」になっていることに気づいていなかった。

 うちは性別による役割分担も徹底していた。
 家事の類いはすべて女の仕事で、インコや犬の世話もそれに含まれた。女というのは、慈愛の精神と無償の愛情、奉仕の心でもって家族に仕えるもの。
 自身もまた育った家庭で封建的でオールドな教育を受けた母は、一度も会社勤めなどをした経験もなく、女は家族のために働いて生きるものと、性別役割を受け入れていたように思う。

 彼らが育った古い時代の影響なのか、父と母は「イメージ男」「イメージ女」みたいな理想像を共有していたようにも見えた。
 父親として母親として、真っ直ぐに、熱心に役割をこなそうとしていたのだろう。ふたりとも「正しさ」に対して真面目な人たちだった。

 でも、否定することさえ憚られる「正しい」人が同じ家にいるって、さらにはそれが親だったら、子どもにはまあまあしんどくないですか?
 同じ子どもでも、女である「娘」は、男である「息子」に比べて「損してる」ように感じていたわたしは、役割を受け入れることが息苦しくもあった。飲み込めないなにかが、いつも喉に詰まったような気分で。

 ロイは陽気で自由な犬だった。

 うちの家の横が空き地になっていて、境界には金網のフェンスがあるのだが、ロイは巧妙に穴こじ開けてそこから気まぐれに脱走を繰り返した。何度、網を張り直しても、家に閉じ込められる不自由さに抵抗するかのように。
 飼い犬の脱走は、近所迷惑な事件でもある。誰もが犬好きなわけではないし、中型犬といえども小さな子どもには恐怖心を抱かせる存在ともなる。
 近所の人がドアホンを鳴らす度にどきっとした。
「ロイちゃんが坂の下にいたわよ」
 口調は柔らかいが、度重なると「またですか??」という批難の声にも聞こえてくる。
 脱走を繰り返すのでだいたいのルートがわかっている。ロイが交際していた(勝手に夜這いしていた)彼女犬のいる家の周辺。あるいは、近所に何人かいた、犬用おやつをいつもポケットに入れているような犬好きの優しいおばさんたちの家に逃げ込むのだ。
「あんまり怒らないであげてね」
 全方位、彼の味方のロイファンたち。
 知らないうちにロイは犬同士で親密な関係を築き、自分の仲間と温かな交流を深めていた。内(家)と外(近所)を行き来して、自分の存在を受け入れられていたロイ。
 犬は犬であるだけでかわいがられた(当然だ)。自分に与えられる愛情がさまざまな条件付きに感じていたわたしは、なんだかずるい気がした。

 なんだかんだ言っても誰よりも細やかに面倒を見る母に当然のようにロイはなつき、弟による源泉垂れ流しの愛があったからだろうか、ロイはとことん家族みんなが大好きで、冷めた態度のわたしにでさえ、外出から戻る気配を察すると、喜び過ぎて興奮のあまり失禁した。
 帰宅して早々に、犬のおしっこを水で洗い流さねばならない面倒臭さ。
 自分を歓待する犬の感情を受け止めるどころか腹立たしさが勝り、わたしはロイの背中をパシパシ叩いた。しつけという名のもとに。
 母親がわたしにそうしていたように。さらにいうと、中学の先生からごく当たり前にされていたように(昭和ってひどい時代だったんです。完全に過去形でないのが苦しいのですが)。
 どんなに怒られても、ロイは人を噛むことはしなかった。うーうーと悲しそうに鳴いた。
 いじめの問題や、児童虐待のニュースを見聞きすると、自分や母が犬に対してしたことをふと思いだし、胸がざわざわひりひりすることがある。「ひどい」「許せない」とあわせて「ごめん」もそこに入り混じる。

 大学生になる頃には、自分の世界が楽しくて家を空けてばかりの弟はほぼパーフェクトに犬の散歩もしなくなった。けれども彼はたまに会うロイにいつでも純粋な混じりけのない愛を与え続けていた。じゃれあって庭を一緒に転がり回るふたり。
 「そんなに厳しくせんでもいいやん」
 ロイをかばう弟。
 なんだろう。世話もしないのに。そういう愛をわたしはどこかで否定してしまう。それ、ちょっと都合が良すぎない? 
 と同時に、弟のような存在がいることを、「ロイ、良かったね」とも思っていた。全く異なる、矛盾するような気持ちがそこにも同居する。

 ロイを見ると、かわいいより先に感情の整理がつかず複雑な気持ちになるのだ。
 わたしは邪心や偏見をもたず透き通った瞳をキラキラさせて愛を信じるロイが、犬という存在がいつしか苦手になった。
 ロイはいつだってかわいい犬だった。そう思えなかったことがいまとなっては申し訳なく、その事実はわたしという人間の醜悪さを表出させる気がして、哀しい。ロイが羨ましかったのかもしれない。

 後年、母が終末期の、ほんとうに命の限りを目前にして痛みに耐えていたとき、病室で突然こんな言葉を漏らしたことがあった。
「ゆみこちゃん、わたしね、ロイをもっとかわいがってあげたかったのよ。かわいいかしこい犬だったでしょ。でも他のことでしんどくて。今ならもっとかわいがってあげられるのに」
 10数年も前に死んだ犬のことを病床で思い出すなんて・・・。
 母も苦しかったのだ。
 仕方がなかったよね。ママはかわいがっていたよ。わたしもかわいがってあげたかったよ。わたしは力なくそう答えるしかなかった。
 なすべきこととして「世話をする」でなく、おおらかに「面倒を見る」ことをわたしたちはしたかったのだと思う。手がかかることさえ慈しむということを。

 15年ほど我が家にいたロイは、大きな病気もせずにいわば寿命を全うした。最期は家のなかで家族に見守られて静かに眠りについた。
 涙の枯れない母はそのまま庭に埋めたがったが、「犬は人間とは違う。未練を持つな」と父が保健所に連絡して火葬した。お骨は戻ってこなかった。ペット葬なんてない、これも時代なのかもしれない。
 わたしは新卒で就職したアパレルメーカーから出版業界に転職したところで、連日深夜に帰宅する多忙な日々を送っていたので、だんだんと痩せて弱っていったロイを母が介護し看病するのを横目で見ていたが、ある夜、痙攣が止まらないロイを前にして涙が止まらなくなった。何度も抱きしめた。鬼のようなわたしが・・・。
 翌朝、ロイは冷たくなった。
 屋外とはいえ、同じ屋根の下、長年暮らしをともにしていた存在の死は、情の薄いわたしにも深い悲しみをもたらした。 
 ただ、日々の雑事のなかのなかにロイの思い出は紛れていった。むしろ自分がしてきたこと、できなかったことを思い出したくないという気持ちもあったのかもしれない。そしていつしかほとんど記憶から浮上することもなくなった。
 「家に犬がいた」という程度にしか。

 ちなみに弟は現在、妻と娘に面倒臭がられながらもそれなりに慕われて、困ったことがあると気まぐれに連絡をよこす姉(わたし)の面倒を見るおっちゃんに成長した。
 細かい世話焼きではないけれど、面倒見はいいのだ。昔から変わらず。

「家の犬」と「わたしの猫」3 へ続く

青山 ゆみこ

青山 ゆみこ
(あおやま・ゆみこ)

文筆・編集。神戸在住。猫が好き。「読む・書く」講座やオープンダイアローグをはじめ、さまざまな対話の手法を実践中。著書に、ホスピスの「食のケア」を取材した『人生最後のご馳走』(幻冬舎文庫)、エッセイ『ほんのちょっと当事者』(ミシマ社)。共著に『あんぱん ジャムパン クリームパン 女三人モヤモヤ日記』(亜紀書房)、震災後の神戸の聞き書き集『BE KOBE』(ポプラ社)などがある。

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