相変わらず ほんのちょっと当事者

第2回

「家の犬」と「わたしの猫」1

2022.04.27更新

【お知らせ】この連載から本が生まれました

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『元気じゃないけど、悪くない』
青山ゆみこ(著)

本連載を再構成し、大幅に加筆を加えた一冊です。
「わたしの心と身体」の変化をめぐる、
物語のようなノンフィクションであり、ケアの実践書。
お手にとっていただけたら嬉しいです。(2024年3月20日刊行)

(前回「お久しぶりですのご挨拶」はこちら)

 わたしが幼稚園の頃。
 実家で初めて飼うことになった子犬は、軽く焼いたトーストのような色をした毛の短い中型犬の雑種だった。「リキ」と名付けられたその犬は、父の知り合いの飼い犬が産んだ犬で、何匹かいた兄弟犬のなかで、父が脚を持って逆さにしても唯一吠えも鳴きもしなかったそうだ。
 なんでそんなひどいことをして犬を試さねばならなかったのか。
 何事にも優劣をつけたがる父らしいといえば、らしすぎる。
 剛胆な犬を連れて帰ったと、まるで戦国武将が手柄でも語るように、父はそのエピソードを好んで繰り返した。

 リキは人に媚びない犬だった。
 無駄吠えせず、べたべたと甘えず、人の顔色をうかがわない。
 子犬の頃からどこか凛とした空気を漂わせ、成犬となってもリキはいつも毅然としていた。
 対して、ほとんど年子の団子三兄弟のような兄と弟、わたしの3きょうだいはまだ10歳前後の無思慮な子どもっぽさ垂れ流しで、日々をどたばた過ごしていた。
 リキは慎み深く、深遠なる眼差しでそんな子どもたちを眺めていた。まるで自分の方が兄貴分であるかのように、目下のもの(わたしたち)に遠慮させるような風格をたたえながら。
 滅多に吠えないリキが口を開くのは、自分にとって不審な人間を前にするときだけだ。ウォンとドスのきいた低い声を響かせるのはごく稀なこと。
 家族の誰もがリキに対してちょっとした畏敬の念を抱いていたように思う。

 あんた、なんだか、ほんとよくできたヤツだよ、というふうに。

 しかし残念ながらリキの犬生は太く短かった。若くして病魔に倒れたのだ。フィラリアだったと記憶している。昭和50年代、屋外での飼育。まだ予防薬はいまほど普及していなかった。
 うちだけではなかっただろうが、当時リキのごはんはドッグフードではなく、家族の食べ残しが主だった。鶏肉をゆがいたものなんてご馳走の部類だ。なんでもいいからとにかく食べさせておけばいい。考えてみれば玄関先に終日つないでいたのだから、いまならほとんど動物虐待だよ。まだそういう考え方や知識が行き渡っていなかったのが昭和という時代だった。

 リキが死んだあと、母は自分が鶏の骨まで食べさせたからリキは病気になったと何度も悔いていた。鶏の骨とフィラリアの科学的な因果関係など聞いたことがない。母のなかでなぜそう結びつけられたのかわからないが、なにかしら理由が欲しかったのだろう。身近なものの死に対して納得できるようななにかが。

 実はわたしはリキの最期をよく覚えていない。ある日、リキが冷たくなって段ボールのなかで丸くなっていたことだけが遠い記憶の片隅にある。悲しいといった感情の前に、動かなくなってもなお誇り高い犬の姿に圧倒された。
 初めて一緒に暮らした犬がそうだったせいか、わたしにとって犬とはそういう存在として心に刻まれた。

 リキがいなくなると、我が家にはセキセイインコがやってきた。
 最初はつがいで2組の夫婦を駅前の小鳥屋さんで買ったのだが、どちらのカップルも仲が良く、次から次へと卵を産み、せっせと温めて、ふ化し、小鳥が増えた。二世帯住宅のように鳥かごを並べて、20羽を超したあたりでわたしたちは一羽ずつ名前をつけることを諦めた。
 もう小鳥たちの区別がつかないよ。
 30羽を超す頃には、家庭用の鳥かごを2段重ね×2列=4つ置いてもかごのなかでぎゅうぎゅうの密密状態になり、ストレスからか病気になるインコさえ出てきた。
 これはまずい。
 父が地元の小学校に相談して、最初からいたつがい2組の4羽だけを残して他の子どもインコはすべて寄贈した。聞くところによればインコたちは広い鳥小屋をびゅんびゅん飛び回っていたそうだ。間違いなく、うちにいたときより幸せだっただろう。

 インコがまだ20羽くらいの頃、我が家にやってきたのが、柴犬の子犬だった。
 わたしにとって2匹目の犬だ。
 二つ年下の小学5年の弟が、ある日、犬を飼いたいと言い出したのだ。中学ともなれば兄やわたしには「自分の世界」ができていた。弟は家のなかで遊び相手でも欲しくなったのだろうか。
 だが父は猛反対した。
 弟は気の良い優しい性格で動物好きだったが、インコの世話もほとんどしなければ、部屋はいつも散らかりまくっている。好きなおもちゃも、飽きればごみのように乱雑に捨て置くような、典型的な「気分で行動する小学生」だったからだ。末っ子という「かわいがられる存在」として育ち、年下のものの面倒を見たこともない。
 生きものを飼う人間として信用ならない。そんな父の懸念が容易に想像できる。

 わたしは鳥が結構好きで、インコの世話を熱心にしたほうだと思うが、なんせ数が多かった。うっかりすると半日で餌箱は空っぽになり、フンの量もすごいので、鳥かごの底に敷く新聞紙を毎日替える必要がある。飛び散る羽毛は半端なく、鳥かご周辺の掃除も欠かせない。子どもの頃からやるべきことの順番を間違い続けて親に怒られてばかりいたわたしに、それらが完璧にこなせていたとは思えない。

 ペットはかわいいけれども、面倒見るって大変だよ。
 そんなふうに感じていたから、新しく犬を飼うことに不安が大きかった。どうせ弟はまた犬の世話もしなくなるだろう。彼は動物を「かわいがる」だけなのだ。

 母も同様に「ちゃんと世話をする」という弟の口約束を信用していなかったが、自分がリキを死なせてしまったと思いこんで後悔していたこともあり、やり直したかったのかもしれない。次第に犬が欲しいという弟の口撃に反撃する口調が弱まっていった。

 結局、末っ子の甘えに根負けした形で、我が家は再び犬を迎える流れになった。リキのように知り合いから引き取るのではなく、今度はペットショップに買いに行くことになった。
 子犬選びには、なぜかわたしもついてくるように母から告げられた。おそらく情に流されやすい性格の二人(母と弟)で、今後長い間生活をともにする犬を選ぶことが不安だったのだろう。
 でも情に流されて選ぶのが正解ではないのか。
 そんな不安は後に的中する。

 あらかじめ柴犬を希望する連絡を店側に入れておいたので、ペットショップに到着すると、店内中央のベビーベッドのようなサークルには、5匹ほどの柴の子犬がコロコロとした体で転げ回っていた。さほど犬好きでないわたしでさえ、その愛くるしい姿には心をもっていかれそうになるほどだ。母もすっかりその気になっている。弟は完全に舞い上がって子犬よりも落ち着きがない。

 店のスタッフから、それぞれの犬の性格など説明を受けながら、母や弟はどの子犬を連れて帰るべきか、あーだこーだと言葉を交わし、消去法で絞り込んでいる。
 最初に性別は雄に限定し、弟は子犬らしくきゃんきゃんと元気に鳴きながら人懐っこく駆け寄ってくる犬に夢中になっていた。母は、その子犬のかわいらしさに惹かれはしたが、落ち着きのなさに一抹の不安を感じたようで、わたしが推したおとなしく座ってきょろきょろと人間を見上げていた子犬の2匹で、迷った。

 スタッフは人懐っこい犬の血統書を自慢げに見せた。そこにはホストクラブの源氏名のような大層な名前が書かれていた。
 迷いに迷った挙げ句、膠着した空気のなか、わたしがこう言い放った。
 落ち着きのない犬は嫌だ。リキのように吠えない犬がいい。
 その結果、人懐っこくきゃんきゃん鳴く犬は見送られ、おとなしく様子をうかがっていた犬を連れて帰ることになった。

 子犬は連れられた家で箱(たぶん段ボールみたいな箱だった)から出されると、警戒心を露わにして、不安そうに周りを見渡しながら、壁際のアップライトピアノの脚の隅にうずくまり、そこから夜まで動かなかった。
 ちょっと鈍くさそうなので「ドン」と名付けて(ひどい)、子犬らしくない様子に不満げな母と弟をよそに、人に媚びないドンちゃんをかわいいなとわたしは感じていた。

 しかしながら翌日、学校から帰ると、ドンちゃんの姿はなく、代わりに短いしっぽをぶんぶん振りながら人間の足下をじゃれ回るもう一匹の人懐っこい子犬が、家中をきゃんきゃんと走り回っていた。

 ええええ?

 弟は目に入れても痛くない様子で、その子犬と旧知の友のようにじゃれあっている。バカな小学生が二人といった気配になんだか腹が立った(ひどい)。
 校則が山のようにある中学に上がったばかりのわたしには、彼らの無邪気さが「遠く」に感じられた。
 その「遠さ」にはかすかな痛みが混じっている。自分がなぜそんなふうに感じるのかよくわからなかった。
 そもそも当時は痛みとさえ認識できなかったように思う。自分でもうまく言葉にできない。わからないのだけれど、そこにあるかすかな痛み。違和感。

「ドンちゃんは?」
「あんなに陰気な犬がいたら家の中が暗くなるから、返してきたのよ」
 母がこともなげに言った。
 しばらく経ってから、ドンちゃんは老夫婦にもらわれて行ったと母から聞いたが、どこからそんな情報を入手したのだろうか。
 わたしはまるで自分もドンちゃんとともに捨てられたような気がして、胸がきりきり痛んだ。でもなににどう反論したいのかやっぱりわからずに、言葉もなく目の前の犬を眺めるしかなかった。

 ロッキーと名付けられたその子犬は、病気もせずすくすくと育ち、予想されたとおりの無邪気な子どもっぽい成犬へと成長した。
 子どもの頃と変わらず人を見ればしっぽをちぎれんばかりに振って、誰にでもついていこうとする。犬好きの人にはたまらないらしいが、わたしはいつも毅然とした態度のリキと比べてしまう。
 良いようにいえば陽気で明るい、歪曲してとらえれば(なんのために?)C調で軽薄なロッキーを素直にかわいいと思えなかった。
 思えば、わたしとロッキーの関係性は、ドンちゃんのこともあり、初っぱなからうまくいかなかった。

「家の犬」と「わたしの猫」2 へ続く

青山 ゆみこ

青山 ゆみこ
(あおやま・ゆみこ)

文筆・編集。神戸在住。猫が好き。「読む・書く」講座やオープンダイアローグをはじめ、さまざまな対話の手法を実践中。著書に、ホスピスの「食のケア」を取材した『人生最後のご馳走』(幻冬舎文庫)、エッセイ『ほんのちょっと当事者』(ミシマ社)。共著に『あんぱん ジャムパン クリームパン 女三人モヤモヤ日記』(亜紀書房)、震災後の神戸の聞き書き集『BE KOBE』(ポプラ社)などがある。

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