相変わらず ほんのちょっと当事者

第7回

これって気のせいですか?(後編)

2022.09.04更新

(「これって気のせいですか? 中編」はこちら)

「投薬と運動療法の2段構えでいきましょう」
「はいっ」
 ぐっと目に力を込めるマチャアキ先生、鼻息の荒いわたし。そんな2人が顔を突き合わせる5月の連休の頃、めまい病院の診察室でのことだった。
 で、いったいどんな運動をすればいいのだろう。
「もしかしたらね、ばかみたいに思うかもしれませんが・・・ケンケンしてくださいますか」
 け、ケンケン???
 きょとんとするわたしの前で、先生はフラミンゴのように片足でぴんと立ち、そのまま診察室を斜めにぴょん、ぴょん、ぴょーんと大きく3歩跳んだ。
 三段跳びの選手みたいに力強く、美しい身体の動きに見とれてしまった。
 うながされて自分でも真似てみようとしたら、片足で立とうとするもずっしり乗っかる身体を膝が支えきれず、足もとはぐらぐらぐら。フラミンゴどころか、壊れたやじろべえのようだ。
 ケンケンは無理、せめてぴょんぴょんでもと真上に跳んでみるも、身体が全く持ち上がらない。どたっどたっ、足裏と床の隙間は2センチも空いてなかったと思う。
「案外難しいもんですよね」
 脇の下ぐっちょりで軽く動揺するわたしを気遣いながら、マチャアキ先生は具体的なアドバイスをくれた。
 まずその場でぴょんぴょん。慣れたら前方にケンケン。さらにできそうな場合は、目を閉じた状態でケンケン。いうまでもなく、安全な場所で転けないように。無理はせずにぼちぼちとね、と。
 
 はてしなくやさしいマチャアキ先生だが、ぎょぎょっと驚くようなスパルタな提案も受けた。
「普段は見ないような方向に頭を振るのもいいですよ。ぷいっと素早く顔を向けるような感じで」
 三半規管の働きを調べる検査で体験したような、フックやアッパーをくらったボクサーみたいに頭部をぶんと振って目を泳がせる動きをしてみせるマチャアキ先生。
 そ、それ、いちばん目が回るやつ・・・。
「そうです! いろんな方向に目を回すことが、脳のトレーニングになるんですよ」
 嬉しそうな先生の様子に、ようやくピンときた。
 頭部が動いたとき、内耳でうまくバランスを取れなくても、視覚からの情報から脳にフォローしてもらうトレーニングのようなものか。
 変化球、時に暴投を投げ受けあうピッチャーとキャッチャーのように、目と脳が情報のキャッチボールを繰り返すことで、感覚の球筋たますじを身体が自然と覚える。
 筋トレと同じように、目を回せば回すほど「めまい」に対する脳力もアップする。意図して起こしためまいは、良き負荷になるのだと。

 投薬治療としてマチャアキ先生が処方してくれたのは、「脳の血流をよくする」薬だった。
 そういえば、不調になってから、しつこいお悩みの一つに強い「冷え」がある。漢方内科では血行をよくして身体を温める薬を、鍼治療では自律神経を整えて血の巡りを整えるという鍼を継続している。
 どこに行っても指摘されるのが、血行の悪さだ。考えたこともなかったけれど(なぜ?)、脳も身体の一部だから、胃や腸と同じように冷えるのかもしれない。そうか、脳よ、お前もか・・・。

「血行」といえば、いつも思い出す漫画がある。心の仕組みを知りたくて、精神科看護の現場に飛び込んだ新米ナースを描いた水谷緑さんの『精神科ナースになったわけ』という作品だ。
 登場人物の一人として、心を病んだ患者さんの肩を揉んだり、診察の合間に時間を見つけては走って身体を動かしたりと、フィジカル面も重視する精神科医が登場する。
 鍼灸医でもあるその「森田先生」が、ある時、主人公のナースに、心身の不調の原因ってなんでしょうね・・・みたいに問われ、ぽつりと呟く場面がある。
「だいたい血行」
 メンタルとフィジカル、心と身体、その両輪に関係するものは、つまり「血の巡り」だと。
「だいたい」という曖昧さがやけにリアルで、ずっとわたしの胸にひっかかっていたそのひとコマと、めまい病院で処方された血流を良くする薬が、パズルのピースのように自分のなかでパチリとおさまった。
 わたし自身でいうとメンタルの不調をきっかけに謎のめまいが現れたが、「心の不安定さ」と「身体の不具合」のどちらにも、全身を巡る血液の流れが関係しているように思えたのだ。
 そりゃあきっと血行が悪いよりは血液さらさらでぐるぐる循環する方がいいよね。あらゆる健康関連の本でしつこく叫ばれているように。
 身体を動かしましょう。歩きましょう。心と身体のために。ああ、そういうことなの・・・。

 とくれば、考えるより動いてみるっきゃない。頭より身体が先に動いた。こういうのは自分にとって良い傾向だ。
 気軽に通えるスタジオが近所にあったので、思いつきでエアロビクスのような初心者向けレッスンに参加した。
 令和の切れのいいKポップみたいなダンスではなく、昭和なジェーン・フォンダみたいなやつ(スタジオではバグルスの『ラジオ・スターの悲劇』とか流れてます。80年代・・・)。
 前後、左右、斜めにステップを踏みながら、音楽に合わせてすーすーはっはっと息を吸って吐いて40分。身体はもたついて目が回り、音楽にもついていけない。でも、動いている間はかえって揺れが気にならないし、身体がぽっぽと温まり、いくら水を飲んでも追いつかないほど無限に汗が吹き出す。気持ちいい〜。踊るのってやっぱり楽しいぞ。

 平日のまっ昼間、コロナ禍とありスタジオはすっかすかで、5人ほどの顔ぶれも、シニア割引を利用したような人生の先輩方。みんなめちゃマイペースで他の人のことなんて気にもしていない。そんな気楽さも良い。
 しんどい日は無理せず行くのを止めて、週1回、通えたら週2回。いい気分転換ともなり、あっという間にひと月が過ぎていた。
 そういえば、ふわふわする浮遊感が以前が10だったとすると、8か7に減ったような。気のせいかもしれないけど。

 めまい病院の月1通院で、そんな報告をマチャアキ先生にすると、「すばらしいです」と目をまん丸にして褒めてくれ、投薬治療はなしになった。
 嬉しくなって、そのひと月に考えたことを先生に聞いてみた。
 跳びはねる運動で、目を回しながら内耳の重力センサーと脳がそれを感知するエアロビみたいなエクササイズ。これって、脳と内耳の血行も良くなるし、結果として足腰が鍛えられて、頭がふらついても、下半身の筋力に支えられるんじゃないかと思うんです。つまり、耳石器の不具合でふらついても、脳力もそうだし、筋力でもフォローできるのかなって。
 先生は目を大きく見開いた。
「それはすばらしいお考えです。でも付け加えることがあります」
 えええ。何だろう。どきどき。
「脳が動きを覚えて、身体の筋力がアップして、全身の血行が良くなる。そういう状態を継続していけば、衰えていた耳石器そのものの働きも良くなることが多いんです!」
 なんと!! 一石三鳥みたいな。

 でもこれはこれは、どう考えてもあれだ。すべてが二つの事実に行き当たる。書くのも心苦しいようなあまりにシンプルなこと・・・。
「加齢(による老化現象)」と「運動不足」。
 恐る恐る恐る聞くと、マチャアキ先生は初めて苦笑を見せた。「それは・・・あるかもしれませんね」と、どこまでもやさしい先生。涙。
 身体が老いると耳石器も衰える。だから、高齢者のめまいには加齢性平衡障害も少なくないそうだ。
 あああ、あまりに自分が身体の変化に無頓着で、その上、運動不足とか、今さらすぎないか・・・。読んでる人もぎゃふん、でしょう。恥ずかしい。

 でも、理由もあるんです。
 遡って思い出してみると、わたしが揺れを気にするより先に、まず身体が動かなくなったんです。

 その前の数年、立て続けに親や愛猫の看取り、家族の命に関わる病気の手術といった人生の大事が起きた。根を詰めて取り組む仕事も多かった。40代後半を息つく暇なく駆け抜いて、ひとまずほっとしたらどっと疲れが出たような。
 50年ひたすらぶんぶんと走らせてきた車が突然エンストした。驚いて戸惑って、ひと月ほどがっつり寝ついて休めたら、次に動かそうとした時にはエンジンがウンともスンともしないという感じで、めまいがするようになったのだ。
 
 村井理子さんの『更年期障害だと思ってたら重病だった話』という本がある。
 タイトル通り、身体の不調が更年期障害ではなく実は心臓の重篤な疾患だったという闘病記だが、心臓病を体験していないわたしにも自分事として強く触れてきたくだりがある。
 肋骨を切り開いて行われた大手術を終えた、なんとその翌日には早速リハビリが行われて、実際に歩かされたという驚きのエピソードだ。
「なるべく起きているように」
 心臓の手術の後でさえ、寝てばかりいるのはよくない。可能な限り座るようにつとめたという村井さん。骨にも響いたことだろう(痛そうすぎる)。それがどれほど大変で苦しいことか。村井さんが綴る心身共の苦しさにも共感してしまう。無理でしょ。心から同意する。
 彼女は、3年が経ってすっかり元気になった「現在」から、過去の闘病を書いている。その事実にずいぶんと励まされた。
 焦りそうになると、心で念じる。めまいの上にも3年。
 気力の泉が枯渇して、ついソファにだらりと寝転びそうになっても、せめて座ろう、座るだけだよと本を思い出して自分を鼓舞する。睡眠として寝るのでなければ、できるだけ背筋をまっすぐに立てるだけで良いから・・・というハードルの低さで。

 そうそう、村井さんが、強く現れていた全身の「むくみ」は心臓の不具合のせいだったとも書かれていた。
 実はわたしも有酸素運動をした後は、いつも履いているスニーカーがぶかぶかになる。血の巡りは余分な水分も排出してくれるのだろう。
 そういえば酸素を全身に届ける血液には、この水分も重要だ。はっと思い出して、気を緩めてお水をごくり飲む。意識しないでもできるように習慣づけられたらいいなと思う(わたしの課題)。
 胸がぎゅっとなって思わず息を止めることが人生には多いけれど、できるだけすーはー意識する呼吸、大事だ。
 なんてことも村井さんの本に、ユーモアを交えながら、でも切実に書かれている。
 
 鍼治療の先生がある時、一つの極論だけどと前置きして、心臓さえ元気に動き、全身に血液を回せば、だいたいの身体の不調に変化があると話しておられた。
 運動を始めてから、精神科では「有酸素運動はいいですねえ」と褒められた。
 当たり前すぎるけど、酸素って脳にすごく大事なんだな。酸素が届かなくなると、脳細胞が死んでしまいさえする。血液の循環が全身にくまなく酸素を運ぶためだということも、改めて思い返す。
 やっぱり血行。また腑に落ちる。
 どの診療科の先生も、つまりは同じことを伝えてくれていたのだと、今になってわかる。

「心と身体のバランス」とよくいわれるが、確かにどちらかだけではうまく回らない。どちらかが動けば、もう片方はつられて動くのかもしれない。
 現在もリハビリ中のわたしだが、こんなことを思う。
 心を大きく怪我することも人生にはある。身体が動かないほどのダメージも受ける。
 ただ、身体が動く限りは心の傷に手当して、癒やすことだってできる。
 傷が深い場合は回復にも時間がかかるし、古傷みたいに残る痛みもあるかもしれない。
 一つの身体で長く生きていると、無傷じゃいられない。指の切り傷や子どもの頃の火傷の跡のように、傷が残ったとしても、だからってうまく暮らせないとも限らない。
 怪我をしたときは適切な治療と、身体が回復する時間が必要だ。その時々に必要な手当は異なるんじゃないかって。

 リハビリ期は、期待が大きくなるので、焦りも大きくなる。
 自分一人だと不安になるけれど、そんなときに併走してくれる人がいたら、なんだか心強い。
「治したい」医者は、「治りたい」わたしの強い仲間にもなると感じている。 
 励ましと見守りとアドバイスをくれる味方はひとりでも多い方がいい。意見は異なる方が躓いたときに方向転換しやすいように思う。
 拠りどころというと大層だけど、悩みごとのたびに相談する人が違ってもいいかもしれないって。

 さて、50を過ぎたわたしの人生は、平坦で穏やかには進まないし、なにより間違いなく「老い」ていて、心も身体ももう無理がきかない。そんな人、きっと多いですよね。年をとるって結構大変なことだわ。しみじみ。
 ただ、結果的にではあるけれど、ネガティブな意味ではない「諦め」が身についた2年でもあった。
 この「諦め」は思いのほか、生きることを楽にしてくれる。
 頑張りすぎるのはもう止めて、ほどほどに動いて、ほどほどに休む。だましだましは怖いので、あえてのらりくらりと気を楽に。

 リハビリを始めてそろそろ4カ月。そういえば「フワフワめまい」は7か、いや6くらいになった気もする。気のせいかもしれないけど。悪くない気がするなら、それでいいんじゃない。
 そんな絶賛リハビリ中、2022年すっかり秋の頃でした。

青山 ゆみこ

青山 ゆみこ
(あおやま・ゆみこ)

文筆・編集。神戸在住。猫が好き。「読む・書く」講座やオープンダイアローグをはじめ、さまざまな対話の手法を実践中。著書に、ホスピスの「食のケア」を取材した『人生最後のご馳走』(幻冬舎文庫)、エッセイ『ほんのちょっと当事者』(ミシマ社)。共著に『あんぱん ジャムパン クリームパン 女三人モヤモヤ日記』(亜紀書房)、震災後の神戸の聞き書き集『BE KOBE』(ポプラ社)などがある。

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