相変わらず ほんのちょっと当事者

第5回

これって気のせいですか?(前編)

2022.06.28更新

 青山、絶賛リハビリ中です。
「お元気ですか」と挨拶されるたび、丸まった背筋を少し伸ばして、近況報告している。
 ただの挨拶だった人には、想定外の返答で「なんのことだか」と軽く驚かせてしまうこともある。事情を薄々知っている人は、わたしの様子にちょっとほっとしたようで笑顔を見せる。

 もう1年半ほど前になる。人生で初めて心が緊急事態のような状態になった。
 ハフポスト日本版で、半年ほど前に少し経緯を書いている(メンタルが不調な仲間へ 「推し」と「どうでもいい雑談」があれば、なんとか元気でいられるかも)。

 不調はわたしに「書く」ことを制限した。楽でもあるが、苦しくもあった。
 だからほとんど1年ぶりに、自分の状況や思考を整理し、まとまったものを文章化できたことが心の底から嬉しかった。
「推し」という言葉は、誰かに知って欲しい気持ちが、自分を動かすほど好きな存在という意味で使っている。そんな存在に出会えることがとてつもない幸運に、今も思える。
 背中を押されるように遠方取材にも出かけ、まとまらない思考に絶望しながら、ふらつく身体を椅子に乗せて、避けてさえいたキーボードを叩いた。 
 タイトルにあるようにちょっとしんどい人がいて、そんな仲間の誰かに伝えたい。
 書いたというより、書けた。

 あの記事を自分事のように読まれた皆さん、お元気ですか。元気だといいけど、元気じゃなくてもいいんです。うまく言えないけれど。
 わたしはリハビリ中です。
 その話をしたい。

 長文の記事を読むのがしんどい人に向けて(やたらと長い・・・ごめんなさい)、ダイジェストしておきますね。
 2020年12月「パニック発作」が頻発、2021年1月に「揺れのような浮遊感」を相談した精神科で「不安障害」の診断、抗不安薬の処方。仕事も家事も大半を保留。芸能人ぽくいうなら(なぜ?)「治療を優先して活動を休止。休養を経て、徐々に活動を再開」といったところだろうか。

 2022年6月現在、理由のないひどい落ち込みや、根拠のない不安のループから抜け出せないことがなくなり、そろそろ半年になる。
 小さな不安はしょっちゅうあるが、考えないようにしようと思う前に、そもそも忘れてしまう。
 集中力があるのか、ないのか。目の前のことにしか気が向かない。溜めて熟考するのが苦手で、とにかく忘れっぽい。 
 さっきも部屋が蒸してきて、冷房を入れようと窓を閉めに行ったら、肝心のクーラーのスイッチを入れ忘れた。むっとした空気に、はっと思い出したという訳だ。
 お茶を飲もうと電気ケトルで湯を沸かそうとしたら、一回沸いた湯がまた水になる頃に気づく。一日中何かを探しているし、洗濯機のなかでは濡れた衣類が嫌な感じに乾いていることもしょっちゅうだ。
 うっかりさんの「あるある」かもしれないが、あんまり多いと苦笑もできない。
 小学校の頃から「忘れ物が多い人リスト」の主席だったわたしなので、今に始まったことではない。そんな恥ずかしい記憶さえもすっかり忘却の彼方。
 精神科の主治医曰く、それでいいらしい。痛くて恥ずかしいような、楽しいわけでもない記憶は、忘れてしまえばいいそうだ。そりゃそうだ。
 えー。でも、なんでも忘れるってなんだか不安だ。朝起きた時は病院に行こうと思っていたのに、ご飯を食べたらすっかり忘れて、今日も午前診ぎりぎりで走ってきました。ヤバかったです・・・。
「でも来てるよね。自分で思い出したんでしょう。忘れたのは、今日でなくても良いからと違う?」
 関西弁のまったりした先生の口調に、別にたいしたことではない気がしてくる。確かに明日でも良かった。

 短期、長期の記憶全般がかなりあやしいので、時々ちょっと困る。考えようによってはその程度でなんとかなっている。
 Zoomの打ち合わせ日程を間違えたり、すっぽり忘れていたり。すみませんごめんなさいとしょっちゅう謝っている。
 ただ、誰かの人生にダメージがあるほどの問題は起きていない。
 ま、えっか。悩む前にざっくり流れてしまう今日この頃です(申し訳ない)。

 不調の最中、長年の謎がひとつ解けた。
「暇なときはぼーっと海を見たりします」
「お風呂でぼーっとするのが好きです」
 肩の力の抜けた素敵な人のインタビュー記事を目にすると、結構な頻度で、「ぼー」が出てくる。「ぼー」ってなんだ、もっと具体的に書いてくれよ、取材が浅く文章がゆるいんじゃないかと少し憤ってさえいた(ひどい)。
 ずいぶん前のこと。いい感じに柔らかな空気感のフィルム写真を撮る女性写真家と、なにをする時が好き? 他愛もない話をしていたら彼女は言う。一人でぼーっとする時間だと。
「もうちょっと具体的に教えてくれへん。ぼーっとなにするの?」
「え・・・。ぼーっとしてるだけだから・・・」
「それって比喩でしょ? 具体的なことを知りたいねん」
 きりきりと問いただすわたしに向けた、困惑した彼女の表情を思い出す。
 今はなんとなくわかる。
「ぼー」とするって、ピンピンに張って高速回転する思考がぼんやり緩まる、むしろ具体的じゃない状態なのだと。
 心身ともにくたびれきった自分を強制的に休ませるうちに、わたしもついに「ぼー」っとできるようになった。いや、できているのだろうか。ぼーっとした後で、いつの間にか時間が過ぎていた事実に気づくという感じなんだけど。
 50年ほど生きてきて、初めてぼーっができるようになり、軽く衝撃すら受けた。なんという気楽さだ。もっと早く知りたかった。少し残念な気持ちはあるが、まあ仕方がない。
 年のせいかあきらめもよくなった。これもまあ、楽だ。

 子どもの頃から、人間関係では人の目と声を気にしすぎていた。日常生活では自分で課した細々としたルールに気を配る。ふっと余裕ができた瞬間は、過去の反省すべき断片までちくちくほじくって気にかける始末だ。全方位、全力で自分に気を回しすぎる。
 それがどうだ。隙のないびしびしに細かかかったわたしのザルの目は、ざっくざくに粗い。ほとんど素通りだ。今の瞬間にしか意識が向かない。気にならない。
 これも老いの効力だとしたら、有無を言わさずいろんなことを受け入れさせる老い。おい、なかなかすごいぞ。

 とはいえだ。いい感じにはおさまらず、予測を超えて、ぼんやり&忘れすぎる自分がやっぱり心配にもなる。
 心配がむくむく不安になりそうな時は、文字にして残すことにした。予定を目につく場所に付箋で貼っておいたり、日常の買い物は裏紙にメモ。何か思い出したり思いついたことは、スマホで自分にメールする。まとまったものは、こうしてパソコンにパコパコと。
 書いておきさえすれば、後から読み返せる。忘れてもかまわない。
 文字の力ってすばらしい。大事なことを書き留めたいとパピルスに象形文字を描いた古代エジプト人にも共感してしまう。
 いささか壮大すぎるが、若い頃とは異なる思いが加わり、自分への記録のためにこの文章も書いている。

 つい先日、住んでいるマンションで異臭騒ぎが起きた。
「なんか変な匂いがしてる気がする」
 夕食後にだらだらスマホをスクロールしていたら、夫が不安げに鼻をくんくん鳴らしている。わたしは目も耳も頭も性格も悪いが鼻はいい。
 腕利きの探偵のように鼻きかせて自宅を捜索した。玄関がヤバい! なにこれ。鼻をつく刺激臭がマックスで、外気を入れようと思わずドアを開けたら、どっと異臭が流れ込む。うわっ。あたり一帯に化学薬品のような異様な匂いが充満している。これは気のせいではない。世界がヤバくないか? 他の住民も表に出てきた。
 こんなことでと迷いつつ、119番に電話した。
「家の周りが変な匂いなんです。薬品みたいな・・・」
 数分後にはうーうーカンカンとサイレンを鳴らした消防車とパトカーがびしっと到着。駆けつけた消防員と刑事さんが、「確かに匂いますね」と目をぎらりと光らせた。頼もしい。建物の周りを懐中電灯で照らしながら捜査開始。にわかに漂うゲンバみ。近隣への聞き込みの結果、ある家の住民が害獣よけ薬品をまいたことがほどなく発覚した。稀釈せずに原液のままボトル一本丸ごと・・・。
 一瞬、頭をよぎったケミカルテロは想像力を発揮しすぎだったが、気のせいではなかった。

 気のせいか、気のせいではないか。気にしないでいいのか。線引きは結構、難しい。
 抗不安薬に助けられていた頃、ひどく気になった言葉の一つが「気にしないで」だった。
 親切から出た声とわかっているのに、どうしてもうまく受け取ることができない。責められているように怖い。
 違うよ。やさしさだよ。理解できるのに気にしてしまう自分の愚かさが恥ずかしくて、心底嫌になった・・・もうダメだ。
 振り切れた「気」の境界線がどこにあったのか。なぜ越えたのか。今になってもわからない。どれだけ考えてもわからないことがあるのだと、気にしなくなるのに1年ほどかかった。その時間が短いのか長いのかわからない。それぞれに異なる、その人に必要な時間があるのだと思う。

 心がしんどいってどういう感じだろう。
 そのうちすっぽり忘れてしまうので、これも自分の記録として書き留めておきたい。
 あくまでわたしの場合だが、胸のあたりがしょっちゅうズキズキひりひりしていた。肋骨の内側に、軽く接触しただけでパリンと割れるリーデルのワイングラスより薄く繊細ななにかがあって、誰かになにか言われるたびに、いや、言われてもいないのに、その繊細なものが壊れちゃうんじゃないかと怖いような。

 訳もなくぎゅんぎゅん締め付けられる胸をかばうように背中を丸めて肩をすくめていると、肩も背中も強ばって頭まで痛くなる。圧迫された喉は詰まったように息苦しかった。
 ダイレクトな身体症状が連鎖するように現れた。

 いちばんしんどかった頃、ある夕食後。苦手な低気圧がまた来たなあと、ソファでスマホのアプリを眺めていたら、にわかに「どーん」と来て、動けなくなったことがある。
 自分の身体が異物のように重くぴくりとも動かない。金縛りとはあのような状態だろうか。呪われたように見えない空気の塊で強くプレスされ、背中がめり込んで、もはや自分がソファと一体化したような。
 なんじゃこりゃっっ。
「動かれへん・・・」
 うめくように固まるわたしを見る夫の表情は困惑しきっていた。彼の目に映るのは「ただの座っている人」でしかなかったからだ。泣きそうに辛いのに、隣にいる人にさえ全く伝わらないことがショックで、身体はさらにソファに落ち込んだ。

 その時以来、わたしは「身体が重い」という言葉を気軽に使えない。気重に使うべき、ずっしりメガトン級に深刻な言葉だ。
 身体の不調を口にする友人が「身体が重い」と口にする時、とことん同情してしまう。いやあ、辛いよね・・・。見た目にはわからないけど、でもわかるよ・・・。
 体感を言葉で共有するのは自分が思っている以上に難しい。同じ日本語表現でも、それぞれが解釈する意味や感じ方は違うのかもしれない。
 心身のしんどさをわかりやすい言葉で理解した気になったり、自分の感覚に置き換えてジャッジするのはできるだけ止めて、その人の言葉をそのまま受け取りたい。
 当時の自分がしてもらいたかったこととして、意識している。

 心と身体も複雑疲労骨折していたような状態に応急処置をしながら、「忘れる」「気にしない」の2枚札でその場を流し、自分に対して気に病むことを止めていったわたしだが、今もってどうしても気にかかることがある。
 雲の上を歩くようなふわふわした浮遊感だ。
 字面は軽やかで楽しげだが、1年半近く四六時中、わたしの身体を揺らす軽いめまいのようなこの感覚は、常にあるので忘れようにも忘れられない。なかなかにやっかいだ。
 気にすると気が悪いので、気を取り直す。気分を上げたり下げたりする不安定なふわふわとしためまいは、わたしの揺れの身体感覚そのものだ。
 冒頭で触れた「リハビリ」は(もう皆さん忘れていることでしょう・・・)、この「ふわふわめまい」についてなのである。

 長くなっている。あと少しあります。水分を取ったり首を軽く回したり、休憩しながらお読みくださいね。息抜きって大事だ。

 めまいにもいろんなタイプがある。
 そう知ったのは、心身の「心」のぐらぐらが落ち着き始めた頃のこと。
 図書館でふと手に取った『フワフワするめまいは食事でよくなる』という本。表紙には、めまいを表現するときによく見る「頭の上にぐるぐる渦巻き」のイラストではなく、ふらふらゆらゆら揺れている女性の絵が描かれている(言葉で説明するのが難しい。絵はすごい)。
 こ、これ、わたしだ・・・。

 著者である川越耳科学クリニックの坂田英明院長によると、めまいは発生機序(物事や反応が起こる仕組み)による区分で、「目がぐるぐる回るような回転性めまい」「身体がふわふわするような浮動性めまい」に大別されるという。
 ふどうせいめまい???
 初めて知る単語だ。
「はじめに」を読み始めるや、驚きで頭がくらくらした(めまいではない)。
 日本にはめまいの患者さんが約3000万人いると推定されている。人口からいくとおおよそ4人に1人はめまいに悩んでいることになる(症状の差はあれど)。
 そんなに!?
「実は、このうち、回転性めまいは800万人〜1000万人で、実に2000万人〜2200万人は浮動性めまいなのです」
 にせんにひゃくまんにん・・・。
 桁が大きすぎて正直想像がつかないが、とにかくたくさん(ざっくり)の仲間がいると知り、妙に安心して涙ぐんでしまった。
 このしんどさや違和感を誰にもわかってもらえない。そう感じる時につきまとう孤独のようなものが、なにより苦しいように思う。

 飛行機で乱気流に巻きこまれたとき、一瞬、無重力になるような「ふわ」っとした体感があるじゃないですか。乗っている電車や車が急ブレーキをかけたとき、思わず身体がつんのめるようなふらつきというのか。全身がうまく連動していないような感覚が、横になっても起き上がってもわたしにはずっとある。
 消せるものなら心からなんとかしたい。
「浮動性めまい」という言葉をお守りのように胸に抱いて、わたしはふらふらと、いや、ふわふわと病院に足を運ぶようになったのだ。

 自分でいうのもなんだが、人に驚かれるほど気軽に医者に行く。
 病院が苦手という人が多いが、なんだろう、わたしは専門家の話を聞くのが好きで、病院というのは身体の各パーツの専門家である医師からマンツーマンで話が聞ける場所というイメージを持っている。
 ライターという仕事柄、取材に近いかもしれない。あらかじめ本やインターネットで予習して、自分に引き寄せて咀嚼したことを頭のなかでまとめておき、それを質問、検証するような。その源にあるのは好奇心だろうか。病院に行く時は、知りたいと思うその素材が「自分」なのだ。
 病院に過度な期待をしていないのもある。望むと望まざるにかかわらず、結果的に「わたしが知りたかったことを知る」場所だとも考えている。

 しかしながらしかしながらだ。身体の動かない日は話が変わる。病院に行くなんてとてつもなくハードルが高い。気が重い以上に絶望的に身体が重い。ベッドから身体を起こす気力が湧いてこない。前もって予約していてもキャンセルを繰り返した病院もある(ごめんなさい)。
 寝転びながらネット予約できる病院はほんとにありがたい。だから身体動くすきあらば、自分をだますように外に連れ出した。

 まずお年頃から更年期障害を疑い婦人科へ。血液検査の結果、女性ホルモンの数値は確かに更年期に入っていることを確認できたが、めまいに関しては該当しづらいという診断。
 激しい動悸や血圧の不安定さから、心臓に見当をつけては循環器科。脳の異変かもしれないと訪れた脳神経外科では15年ぶりに脳のMRIもとった。
 はたまた、めまいっていうんだから「目(め)」を疑って(単純すぎる)、眼底や眼振などかなりの精密検査ができる眼科へ。
 細かなパーツを点検するように専門の診療科の項目を消し込みながら、並行して全身丸ごとオーバーホールのような鍼治療と漢方医にも通い、自律神経を整えた。
 医療の東西フルコース。そんなに動けるなら元気じゃないですか。そんなふうに驚かれたこともある。わたしだってそう思いたい。
 でも、浮動性めまいはしつこくわたしを揺らしている。これって元気なの?

 それぞれの診療科でそれなりの検査を経て、確信したことがある。
 わたしの身体は年相応に老いている(あ、当たり前すぎる)。
「他は特に問題ありませんね」
「そうですか・・・良かったです・・・」
 気になる数値や影は一切なく、データすべては「異常なし」。心から喜ぶと同時に、地図で見当をつけた場所に探していたものはなかったような、微妙すぎる落胆。医師はみな一様に、「見た目には揺れてませんけど。それ、気になりますか?」と困ったように苦笑を浮かべる。

「先生、わたしはどうやらそれなりに健康なようです」
 精神科の定期通院で検査結果を報告すると、「良かったね。うーん」と先生もやっぱり微妙な表情だ。
 用事をつくっては、徐々に動き始めたわたしを眺めて、ある日、ぽつり。
「どうなんかなあ。その揺れみたいなの? 心因性でもなさそうやねえ」
「え? でも揺れてます。今もふわふわです。そしたら、これって気のせいですか? いや、気(心)のせいじゃないってことですか?」

 や、ややこしい・・・。
 ただ、確かに気のせいではなかった。
 今から2カ月ほど前のことである。これで最後と思い立ち、3週間待ちの予約を取ったある病院での精密検査の結果から、わたしはついに目にすることになったのだ。科学的に数値化されたグラフで、微量の揺れを。

(中編につづく)

青山 ゆみこ

青山 ゆみこ
(あおやま・ゆみこ)

文筆・編集。神戸在住。猫が好き。「読む・書く」講座やオープンダイアローグをはじめ、さまざまな対話の手法を実践中。著書に、ホスピスの「食のケア」を取材した『人生最後のご馳走』(幻冬舎文庫)、エッセイ『ほんのちょっと当事者』(ミシマ社)。共著に『あんぱん ジャムパン クリームパン 女三人モヤモヤ日記』(亜紀書房)、震災後の神戸の聞き書き集『BE KOBE』(ポプラ社)などがある。

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