相変わらず ほんのちょっと当事者

第16回

ただ今、絶賛リハビリ中!(後編)

2023.07.19更新

【お知らせ】この連載から本が生まれました

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『元気じゃないけど、悪くない』
青山ゆみこ(著)

本連載を再構成し、大幅に加筆を加えた一冊です。
「わたしの心と身体」の変化をめぐる、
物語のようなノンフィクションであり、ケアの実践書。
お手にとっていただけたら嬉しいです。(2024年3月20日刊行)

(「ただ今、絶賛リハビリ中! 前編」はこちら)

 さて、ここからリハビリは第3段階へと進む。
 きっかけは、5年ほど前から卵巣腫瘍とプレ更年期の経過観察に通っているレディースクリニックだった。
 生理が大きく乱れたというか「凪」になったので、血液検査と内診を受けた結果、閉経が確認された。わたしの場合は、ホルモン剤の投薬による卵巣のチョコレート嚢腫のがん化リスクが懸念されていたのだが、閉経によりリスクが軽減され、更年期障害に対するホルモン充填治療(HRT)が可能になったのである。
 ホルモン治療には向き不向きがあると聞くが、わたしの場合は目に見えて効果があった。
 熱がこもったような頭部の火照り、お天気病と呼ばれるような気圧の変化に受ける不調、自律神経の乱れによるものなのか肌荒れ、手足の極度の冷え、気分の落ち込み、倦怠感・・・そんな無数の不調が、薬を飲み始めるとすぐにめちゃくちゃマシになった。
 この程度のしんどさって、やっぱもう年でしょ、年。加齢なる老化。50も過ぎたんだからと、納得できるくらいに。
 HRT、すごい!
 それが今年の春先、2023年4月のことだった。

 端的には良い変化ではあるが、同時に怖くもなった。
 ホルモン充填療法はあくまで、更年期のホルモンバランスの変化による不調をソフトランディングさせるのが目的であり、「治す」方向の治療ではない。
 つまり、「変化」そのものをなくすことはできないが、変化による「しんどさを穏やかに緩める」だけなのだ。
 また、本来なら生物として減少するはずのホルモンを追いたし投与するというのは、不自然なことでもあり、薬を飲まないに越したことはないようにも思ったり。
 服用する薬や個人差があるが、わたしの場合は長く飲み続けたとしても5年ほどで、ホルモン剤を卒業(卒薬)した方がいいそうだ。

 でもさ、50でこんなにガクンと体力が落ちるのに、5年後、そして10年後(アラカン)はどうなるのだろう。身体は老化する一方だよね? 薬に頼れなくなったとき、頼れるのは自分の身体だけになる。
 この2年半、自分なりに苦しい思いをしたことで、わたしは生まれて初めて「自分の身体の未来」を具体的に想像することになった(周囲の先輩方にもリサーチしたら、老化って全身くまなくやってくるようでびびった)。
 どう考えても、今のうちに抜本的な身体構造改革の必要がある。
 リサーチする中で、美容にも詳しい先輩のお姉さんの言葉が響いた。
「肌はな、めっちゃ高い化粧品を使ったからって過去の状態に戻ることはないねん。最高点が現状維持。だからどの段階の自分を保ちたいか考えて、今の自分を維持したいなら、今始めなあかん。内臓も同じ。でもな、筋肉だけはちゃうねん。ほっておいたらどんどん退化するのは同じやけど、筋肉だけは今からでも底上げができるねん。筋肉あったら、動きも年寄りくさくなくなって、若く見えるし、気持ちも上がるで」
 そうか。今からでも底上げが可能な筋肉。ムキムキになりたいわけではないが、生き生きと気持ちよく生活したい。
 そのための身体をつくる運動習慣をつけるときが今なのかもしれない(もう遅いとか思わずに)。身体の奥のほうからちろちろ燃える本気が出た。

 そんなわけで、近所で通えそうなフィットネス系のジムを検索すると、なぜかキックボクシングがトップに出てきた(アルゴリズムってヤツだろうか)。
 あまりに何度も目に入るので、ちょっとのぞいてみたら、なんだか良さそう。たまたまその日の体験レッスンに空きがあり、思い立ったが吉日と行ってみたところ、超楽しかった。そして、その日の夕方には「入会します」の紙にサインしていたというわけである。
 格闘技のトレーニングというより、めちゃ激しい楽しいダンスのような、小さな達成感が連続するスポーツゲーム感覚もあって、通い始めると、できることが増えてくるので、どんどん楽しい。ジムに向かうときのわたしは、いつも顔がニヤニヤ緩んでいると思う。

 いやあ、もうなんせ汗だく。水分を補給しながら50分近く動くのだが(インターバルで休憩しつつ)、毎回1Lを飲みきっている。それが週5。こんなに連日汗をかくのは、中学のバスケ部以来じゃないかな。
 有酸素運動と無酸素運動を組み合わせたプログラムなので、心拍数が上がり、必ず息が上がるタイミングがある。肺や心臓にも結構な負荷がかかっていると思う。この2年ほど、マスク生活もあったのか、いつも喉が詰まっているような感触があったのだが、肺活量が上がったのだろうか。気づけば以前より声が出るようになっている。
 それは嬉しいおまけだが、わたしにとって大きく得たものが他にもあった。手を抜く。力を抜いてさぼるということだ。
 トレーニングの真っ最中でも、あまりに息が上がって、ああ、無理!と思うその前の瞬間、すかさず力を抜いて、自分のペースで息を整えるようになったのだ。なにをやっていても力を抜くことが苦手だったわたしなのに。
 軽い筋肉痛や関節の違和感があるときは、迷わずトレーニングを休み、パッチワークのように湿布をぺたぺた張りまくる。わたしにとって湿布とは、自分の身体をケアする、大切に扱うという行動の可視化でもある。
 他の誰でもなく、わたしの身体をわたし自身がケアする。わたしさえケアし続けるかぎり、わたしの身体は傷つきっぱなしなんかにならない。
 自分なりにとはいえ、身体に声を聞き逃さないようになれたのは、2年半のリハビリの成果なのかもしれない。

 キックボクシングを始めたきっかけは、ボクササイズの体験もあったけれど、専門のジムに入会しようとまで思ったのは、Twitterで生井宏樹さんの投稿を眺めていたことも大きかった。
 生井さんは『60代・70代からの不調と痛みに効く!キックボクシング・エクササイズ』という本も出されている柔道整復師の元キックボクサーで、接骨院の隣でジムを運営されているという。そのジムでは、80代、90代の女性がキックとパンチを楽しんでおられる動画に、わたしはいつしか先輩からのエールをもらうように強く励まされていた。

 先日、肋骨骨折から復帰したという92歳の方とのミット練習の様子がアップされていて、ブランクからいくと動けなくて当然なのに、普通に動けていたという投稿があり、こんな一文が添えられていた。
「僕はこういうのを、運動の貯金と呼んでるんだけども。やはり元気な時に、出来るだけ動いておいた方がいいんだよね。何かあった時のためにもね」(https://twitter.com/Palledo_namai/status/1666657321441972226?s=20

 そうか、運動の貯金か。思い当たることがある。
 少し遡るが、わたしは40歳を過ぎてから5、6年ほど合気道に通っていた。親の看護や介護が始まって、稽古を休むことになったのだが、そういえばわたしは、過去、それなりに身体を動かしていたのだ。
 寝込んでしまったあとも、とにかく動かなきゃと思えたのは、前編で書いたように「身体のほうが頭がいい」という合気道の師の言葉を思い出したからだし、ゆっくりとではあるが、少しずつリハビリを積み重ねて、キックボクシングを始めるまでになれたのは、運動の貯金のおかげなのかもしれない。頭では忘れていても、身体は覚えているのだろうか。
 貯金、有効!

 30代、40代とそれぞれに身体が変化して、人生も大きく変化した。いろんなことをだましだましで来たけれど、50代を迎えるあたりで、わたしの場合は更年期の症状も強くて、もう騙せなくなったんだと思う。
 仕事も生き方も、いろんなことがなし崩しになっていた。
 たった今も絶賛リハビリ中のわたしは、こんなふうに考えている。
 わたしの人生を「やり直す」ことはできないが、生活は「立て直す」ことはできるかもしれない、と。現に、リハビリ開始後の「運動」に見立てた「行動」は、そのまま今のわたしの生活をつくっている。
 この2年半で、わたしの生活も、わたしの身体も変わり続けている。
 これは「回復」なのだろうか。そういう言葉とは、なんだか違うように思える。
 
 キックボクシングを始めて、驚いたことがある。
 なにかに勝ちたいとか思ったことのない、勝負事にまったく興味のなかったわたしだが、「自分に負けたくない」という思いがどこからか湧いてきているのだ。
 諦めたくない。そういう気持ちなのかもしれない。
 格闘技は、自分のなかにある、自分もまだ知らないものを引き出してくれるのかな。よくわからないけれど。
 トレーニングの始まりでグローブを両手につけるとき、奮い立つような感情がこみ上げる。
 今日のわたしは、前回のわたしに負けたくない。
 胸の奥でぼうっと燃えているような。それを確かめてトレーニングに挑み、毎回、負けている。思っていた自分に、軽く負けている。ぼっこぼこのぐっだぐだにされている。それもまた楽しいんだなあ。
 いつか自分に勝ちたい。
 自分に対する諦めがずいぶんと悪くなった。そんなマイペースな自分が今は嫌いじゃない。

 さて、わたしはどこを目指してリハビリを続けているのだろうか。更年期から老年期へと向かうこれからの年代、若かったあの頃のようになりたいわけではない。戻れるとも思っていない。
 ひとつ思い当たることが頭のなかにある。
 わたしはいつか道場に戻りたいと思っているのだ。尊敬する師のいる合気道の道場へ。
 不調になってから、師匠には自分なりに報告をしているし、いつでも良いと思ったときに戻ってらっしゃいとあたたかい言葉もいただいている。いつだって戻れるんだけど。なのに、どうしても戻れない。なぜだろう。
 こんなことを言うのは恥ずかしいのだが、ヨレヨレの自分をどこかで見せたくないのだと思う。このどうしようもないエゴというヤツが・・・。『スラムダンク』の三井くんの気持ちがわかる気がする。あのバカ野郎って思いながら・・・。
 どうしようもないこの自分と向き合うのも、リハビリの一環なのだろうか。

 わたしの通っているジムでのキックボクシングはあくまで個人トレーニングで、自分の身体の運動機能を高めることが目的だ。
 でも、50年以上、「わたし」をやってきた経験上想像がついてしまうが、わたしは「自分」にすぐ飽きる。早晩、通っているジムのトレーニングにも意欲を失っていくことだろう。
 合気道はひとりではできない。技をかける人、技を受ける人。それぞれがいて、はじめて成り立つ武道である。
 初めて道場で稽古に参加した時に驚いたのは、「こんなにいろんな人の身体に触れる機会って、日常生活の中にない」ということだった。
 もちろん身体接触を伴うコンタクトスポーツは他にもたくさんあるが、合気道はスポーツではない。試合のない、勝敗や優劣を争うことのない、あくまで心身の鍛練のための武道なのである。
 わたしは見るのもするのも勝ち負けを争う勝負事が心から苦手で、スポーツにはまるで関心がないけれど、合気道だけは面白くて、だから(いちおうは)黒帯をいただくまで道場に通っていた。
 心から敬い、信じることができる「師」が自分の人生に存在する意味。力でねじ伏せるようなことのない、身体の接触を通してお互いを尊重できる先輩や同友といった仲間との関わりにも魅了されて。
 身体は頭がよく、そして嘘がつけない。そんな生身の身体で人と関わることは社会生活だと面倒や危険を伴うが、絶対に安全な場として、安心して身を投げ出せるのが、わたしの師のいる道場という場所なのである。

 先生、合気道がしたいです。
 わたしもいつか道場に立って、心からそう言うために、今は個人トレーニングに励んでいるのだと思う(だからそれも道場に行けって話なんだけど・・・)。
 言い訳みたいになってしまった。お恥ずかしい。

 さて、「相変わらずほんのちょっと当事者」というこの連載。名前のとおり書籍となった前連載『ほんのちょっと当事者』の続編である。
 前著では、大きく「社会」と「自分」を、「ほんのちょっと」の当事者意識で改めて見直してみる。そういう内容になった。
 続編は、コロナの真っただ中の2022年4月に開始したこともあるのか、結構内向きの内容になっている。いや、個人が生きるということは、必ず社会に関わるので、完全に内に向いてもいられないってことが書きながらわかったのだが。
 続編では、コロナの影響も色濃いが、わたし自身が2020年12月〜2021年1月あたりに、心がポキンと折れて、身体がまったく動かなくなり、心身の調子がぺしゃんこに崩れたことがひとつの主軸になっている。

 うつ病は「心の風邪」とも表現される。
 わたしの場合は、精神科クリニックの診断はひとまず不安障害だったけれど、軽いうつと軽い躁も認められて、わたし自身の体感では「死ぬかと思った」である。
「死ぬかと思った」ような状況で、一度、はっきりと「死にたい」とも思った。
 この「死にたい」は、なんとなく「死にたいなあ」みたいなぼんやり慣れ親しんだものではなかった(子どもの頃から生きるのが面倒に感じることが多かったので)。
「こんなに苦しいなら死んで楽になりたい」というくっきりした、当時の青山ゆみこ人格の強い主張で、それが聞こえたとき、かなり怖かった。
 ああ、これはもう、わたしの心か脳か、そのあたりがなんらかの病気なんだなあ。
 幅広く設定されている「それなりに健康」の範囲に収まらない、いわゆる「心が振り切れた」状態だとわかった。
 心の繊細さや不安定さ、奥深さについてはもともと関心が強かったので、「メンタル」界隈や「精神医療」関連の本やニュース、映像などに結構触れていた。情報や知識として、それなりに自分のなかにあった。
 そのおかげなのか、振り切れた自分を、もう一人の自分が眺めながら、「ああ、これは見聞きしてきたものだな」とわかった気がした。
「自分」というのは、あんがいどこまでも「ひとり」じゃない気がする。いや、どうなんだろう。そんなふうに分裂していることで、わたしのなかの「誰か」が暴走したのだろうか。
 とはいえ、当時は、ほんの少しのその客観的な視点をもった「自分」が、わたしを精神科クリニックに駆けこませたり、「死にたいくらいつらいので楽になりたい」から、思いとどまらせたように思う。
 思いとどまったことは、やっぱり良かったのだろうと、理解している。
 でも、ひと思いに楽にならずに思いとどまったあと、「はい、じゃあ、今日からまたすっきり生きましょう〜」とはならない。
 わたしは常に「過去の自分」と地続きだからだ。

「死にたくなるほど苦しい思いをしたくない」という心からの願いを叶えるためには、ひどい火傷のあとの回復期のように、それなりの治療が必要になった(子どもの頃に、上半身を大火傷したことがあるのでこの表現です)。
 治療はさまざまな苦痛も伴った。どんなに劇的に効く薬を用いても、ただれた皮フが一度剥がれ、その後に新しい皮フが再生するための時を要するように、時間がかかる。
 新しく生まれる皮フは、もともとの皮フを引き攣らせたりもする。その際には独特の痛みもある。
 多くの心の病の経験者と同様に、わたしも身体の不調がわかりやすく、ときにわかりにくく頻出し、そちらの痛みも並行して治療する必要があった。
「死にたい」と思うほどの状態から、「これなら生きていてもいいかも」と思える状態になるまでの心身のリハビリについて、この連載続編で書いてきたのだと、書き終えて、はっきりわかった気がした。
 今は、新しく生まれた皮フと、元からの皮フが、境界がよくわからないほどになじんでいる。見た目にはちょっとちぐはぐしていても、皮フ感覚では違和感がない、といったところ。
 今のわたしが、そのわたし自身に馴染んでいる。

 たった今、絶望している、生きることから解き放たれたい。
 これを読んでいる中にも、そんな人がいるかもしれない。
 あなたの思いをわかるとは絶対に言えないし、その人になにができるかって聞かれても、とても難しくて黙り込んでしまうかもしれない。
 それぐらい、その人にもどうにもならないことだって、ちょっとだけ想像します。
そんな想像をしている人がここにいることが伝わったらいいな。これは自己満足だなって、恥ずかしくもあるけれど・・・。

 大変だろうな。
 大変ですよね。
 そうとしかいえなくて胸が痛い。
 希望が欲しかった。小さくてもいいから。
 あの当時のわたしに向けても、これを書きました。

青山 ゆみこ

青山 ゆみこ
(あおやま・ゆみこ)

文筆・編集。神戸在住。猫が好き。「読む・書く」講座やオープンダイアローグをはじめ、さまざまな対話の手法を実践中。著書に、ホスピスの「食のケア」を取材した『人生最後のご馳走』(幻冬舎文庫)、エッセイ『ほんのちょっと当事者』(ミシマ社)。共著に『あんぱん ジャムパン クリームパン 女三人モヤモヤ日記』(亜紀書房)、震災後の神戸の聞き書き集『BE KOBE』(ポプラ社)などがある。

編集部からのお知らせ

新連載が始まります!

 本連載は今回で最終回となります。これまでお読みいただき、本当にありがとうございました! 来年以降、書籍となる予定です。
 また、近々、「みんなのミシマガジン」にて青山ゆみこさんの新連載が始まります! どうぞお楽しみに。

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