第1回
第3子誕生に伴い、会社を休むことにしました。
2021.06.11更新
こんにちは。大阪の毎日放送という放送局でアナウンサーをしている西靖といいます。
昭和46年生まれの49歳。主に情報番組や報道番組を担当するアナウンサーとして気がつけば27年。遅い結婚をしたのが43歳のときで、いま4歳と2歳の男の子がいるのですが、この6月に第3子が生まれる予定です。この連載では、第3子の誕生に伴って数か月、会社を休む、いわゆる育児休業の日々について書きます。
「子どもが生まれたら、ちょっと仕事を休んだほうがいいかもしれないな」と、ふと思いました。ポリシーや信念があってのことでもなく、本当に「ふと思った」のです。ほとんど思い付きに近い感じです。判断に至った要素をあえて挙げるとするならば3つほど。
ひとつは、4歳と2歳に加えて新生児の子育てはさすがにかなりたいへんそうだということ。子育ては基本的に発見と喜びの連続だというのは間違いないんですが、長男のときはご多分に漏れず「え、こんなにしょっちゅうおっぱいあげるんですか!?」「おっぱいのあとのゲップが必須なのに赤ちゃんは自分でできないの? ホンマに?」「こんなにしょっちゅうオムツ替えるんですか?」「ウンチが白っぽいんですけど、これ大丈夫?」「ウンチがおむつの背中側から漏れるなんてことがあるなら先に言ってくださいよ!」「というか、こんなに寝ないものなんですか?」とまあ「こんなに?」と「これなに?」の連続で、疲労と心労のミルフィーユ。次男のときは長男に輪をかけて睡眠の安定しない子だったので妻は寝不足ですっかりグロッキー。妻の奮闘ぶりに心から感謝し、尊敬しているのに、歯車がかみ合わなくてついトゲトゲした言葉の応酬になることもありました。ようやく朝までぐっすり寝てくれるようになったと思ったら第三子妊娠。妊婦健診のエコー検査で早々におちんちんの存在を確認。おお、こいつはまた賑やかになるぞ、とまあそんな感じですね。
ふたつめは、コロナ禍で両家の両親やご近所さんにお願いできることにも自ずと限界があるであろうということ。ここまでもすっぽりコロナ禍と重なっている妊婦生活なので、「家族」というユニットでどうにかしなくはならないことが多くありました。悪阻のひどく体調が優れなくても実家の親に気軽にサポートを頼むわけにもいかないし、春休みの帰省も諦めたし、同じマンションの仲良し家族との餃子パーティーもなかなか開催できません。次男が生まれたときは長男は妻の実家で面倒をみてもらいましたが、コロナ禍ではそれも難しいし、楽しそうに通っている幼稚園には休まず通わせてやりたいし、そもそも妻の実家がこの間に滋賀の山奥に移住して田舎暮らしを始めていて、さすがに気軽に預けるわけにもいきません。
もうひとつは、新生児との生活にこれまで以上にしっかり時間を取りたいという思いです。
さきほど二人の子育てが苦労ばかりみたいに書きましたけど、もちろんそんなことはなくて、本当にこんなに自分のことなんてどうでもいいくらい誰かを愛おしいと思える経験は初めてで、「楽しい」と「たいへん」を天秤にかければ勝率100%で「楽しい」が勝つのです。というか、そもそも「楽しい」と「たいへん」を分けることすらできなくて、ぜんぶひっくるめて、ずっしりぎっしり中身の詰まった得難い経験をさせてもらっていると思います。父親として新生児と相対するのはさすがに最後だと思うし(いやたぶんほんとに)、その経験にこれまでよりもどっぷりと浸からせてもらえる制度があるならば、利用しない手はないんじゃないかと考えるようになったのです。
とはいえ、そこは昭和生まれで転職の経験もゼロ、一つの会社で(いちおう)ひたむきに働いてきたモンとしては、育休の取得に迷いがなかったわけでもありません。そのあたりも含めて正直なところを書いていこうと思いますので、向こう数か月、ゆるゆるとお付き合いいただければうれしいです。