昭和生まれ、アナウンサー西靖の育休日記

第22回

育休(後)日記5「コロナ」

2022.05.11更新

 発熱外来でコロナ陽性の判定を受け、電話で妻に連絡をして帰ると、妻は家の窓を開け、風を通しながら掃除をしていました。どんな効果があるかもわかりませんが、風を通したくなる気持ちはよくわかります。

私「謝るようなことをしたわけじゃないんだけど、ごめん。かかっちゃった」
妻「どこでもらったん?心当たりは?」
私「知ってると思うけど、会食なんてまったくしてないし、感染していることがわかっている人と近づいたタイミングは・・・ないなぁ。マスクも基本的にずっと着けてるし、どこでもらったかはわかんないわ。というか、どこで感染したかより、これからどうするか考えないと」
妻「そんなん言われても、頭が追い付かへん」

 それはそうだと思います。そういう自分だって、混乱しているというか、かすみのかかった頭で、厄介なことになったなぁ、と思っているだけで、思考が現実に追いついていないのはいっしょです。病院の会計のときに渡されたA4の一枚の紙には、10日間は家から出ない、家族と部屋を分ける、手洗い、消毒を徹底するなど、それなりに事細かに自宅療養のやり方が書かれていますが、どこか他人事のようでもあり、簡単に言うなよ、とちょっとムッとしたり、でもやるしかないよな、と思ったり。ぼーっとしていて具体的なことは考えられないのに、感情だけは右に左に流されるように変わります。

 妻は言います。
「ただでさえのんちゃん(三男のぞむ)が全然寝てくれないから私は寝不足でヘロヘロだし、お兄ちゃんたちだってまだ5歳と3歳で、家の中でマスクを着けるなんてできない。なんにもトラブルなくてもいっぱいいっぱいやのに、家から出ないでコロナの隔離なんてできる気がしない。無理やわ」

 無理といってもやるしかないやん・・と言いそうになって言葉を飲み込みます。私だって、頭の中でシミュレーションをしてみて、これは厳しい、と思っているからです。これまで、トラブルがあっても、なにかネタを見つけて「面白がるようにがんばって」きました。乗っている車が故障したときは、冷汗たらたらの親を尻目にスウスウと後部座席で眠る次男が空気を和ませてくれましたし、私の指の骨が折れたときだって、折れちゃったものはしょうがない! ねえ、針金で固定した傷口見る?ラップでぐるぐる巻きにしたら濡らさずにお風呂入れたよ! となんとか面白がってもらおうと(スベるのは覚悟のうえで)妙にハイテンションに折れた指を見せびらかしましたが、さすがにコロナ感染は笑えない。全然笑えません。

 朝、微熱と喉の痛みを感じた時点で会社には連絡し、その日は休むことを伝えていましたが、あらためて感染が確認されたことを連絡。仕事のピンチヒッターの手配をお願いすると同時に、濃厚接触者の有無を確認するために、過去数日の行動履歴を文章にまとめて送信。この事務的な作業をするうちに、ちょっと冷静になれたような気もします。ほどなく会社からのメールで、仕事がらみで濃厚接触者と判断される人はいないと連絡があり、少し気持ちが軽くなりました。それでも、前日の夜、ラジオ番組で共演した方やスタッフに感染を広げていないかという不安が、シミのように心に残ります。
 あとは幼稚園から帰ってきた子ども達に我が家に起こっていることを伝えなくてはなりませんが、どう説明すればいいのか迷います。二人の顔を見て話しますが、そのときも、どれくらい距離をとればいいのか迷います。もう、迷ってばかりです。

「あのな、パパ、コロナっていうちょっと怖い病気にかかっちゃって、お熱があるねん。ほんで、この病気はほかの人にうつったら大変やから、たすくやさとるとはパパは離れとかなあかんねん。しばらくはご飯もお風呂も、ママと一緒や。パパはご飯はこっちの部屋で一人で食べるし、お風呂も一人で入るからね」
「あと、たすくもさとるも、もしかしたらコロナのちっちゃいやつが体の中に入ってるかもしれんから、明日から幼稚園はお休みせなあかんねん。お外にも遊びに行けない。おうちでお絵かきしたり、ハサミの練習したりしよう。お絵かきの紙はいっぱい使っていいからね。テレビもたくさん見ていいよ」

「あした、幼稚園お休みして、あさっては行っていいの?」

「ううん、しばらく行けないねん。来週までおうちで待って、お熱が出たり、せきコンコンがでたりしなければ幼稚園に行ける。それまではママの言うことをちゃんと聞いて、おうちのなかで遊ぶんやで」

 長男たすくは5歳の脳みそをフル回転させている顔つきで、全部ではないにしても、なんとなくは理解したようです。3歳のさとるは、よくわからないけれど、私の表情や話し方から「深刻な何か」が起こっていることは感じたようで、神妙な、そして不安そうな顔をしています。

 一通りのことを済ませて、「隔離部屋」に籠りました。のどの痛み、微熱、頭痛、倦怠感。倦怠感はウイルスのせいなのか、感染の心理的なショックで身体が重いのか、正直よくわかりませんが、悪寒がするので解熱剤を飲んで横になります。
 これから、この部屋で10日。自分の症状については、ぼんやりとですが、そう大したことにはならないのではないかと感じていました。検査結果を伝えてくれたお医者さんが「若いし、基礎疾患もないですから、このまま軽症で経過するんじゃないかと思います」と言ってくれたのも影響していたかもしれません。(それにしても50歳はこの病気に対峙するときは「若い」んやな、と妙なことに感じ入ったりもしました)うとうとして、部屋の前に食事を持ってきてもらって晩ご飯を済ませ、子どもたちが寝てから風呂に入りました。普段はキッチンで洗い物をしたり、洗濯物を畳んだりと、できる家事は妻と手分けをしてやるのですが、この日からほとんどの家事は妻が一人でやることになりました。私がやるのは風呂に入ったあと、浴室を洗うことくらい。やんちゃな長男次男の面倒をみて、乳飲み子におっぱいを飲ませ、離乳食を作って食べさせるだけでも24時間では足りないくらいなのに、分担していた仕事も全部妻が背負うことになって、彼女が潰れはしないか。自宅療養を始めるとき、いちばん不安なのはそのことでした。いっそ家庭内の隔離をやめて、感染を覚悟のうえで一緒に過ごそうか、いや、子どもの感染はできる限り避けなきゃ、できるだけのことをやるしかない・・・。答えがでるわけでもなく、具体的な行動に結びつくことを思いつくでもなく、慣れない天井を見ながら眠りについたのでした。

 私が発症したのは2月3日。節分でした。子どもたちが幼稚園で作った鬼の仮面をかぶって、豆まきをするつもりでしたが、それどころではない状況になってしまいました。夜が明けて4日。案の定というか、リビングの方からは「お願いだから言うこと聞いて!」と妻の大きな声が聞こえてきます。責任感が強く真面目な彼女が、この状況をなんとか自分が支えなくてはと奮闘しつつ、早くも気持ちの余裕がなくなっていることが、声の調子から伝わってきます。でも、私は部屋から出られません。LINEにいろいろメッセージを打ち込んで、なんとか妻のストレスを和らげようと試みますが、扉一枚がこんなに分厚いとは。もどかしさ、いらだち、虚無感。こんなもん、健康な人間でも病気になるわ! というのが隔離生活スタート時の実感です。
 午後になって、テレビでも見ているのか、少し落ち着いた様子だな、と思って少しウトウト。目が覚めて携帯をみると、妻からメッセージが入っていました。

「子どもたちが、パパが起きたら豆まきしたいって」

 扉越しに「起きたよー」と声をかけ、マスクをつけて部屋の扉を少し開けると、青や緑の色画用紙で作った鬼のお面をつけ、豆をいれた桝を持った長男と次男が満面の笑みで「鬼はー外ーー!」と豆をぶつけてきました。一日遅れの豆まき。楽しそうな子どもの顔に、ジワジワと涙が出てきました。そして長男が「パパの身体のなかの鬼をやっつけるねん!」といってさらに豆を投げてきたところで、涙腺が決壊。うん、がんばるからね。がんばらせてごめんね。
 余裕がないなかで、こんな準備をちゃんとしてくれていた妻に、何度も何度もありがとうを言いました。

 子どもたちがしばらく休むことを幼稚園に連絡したり、ご近所にお伝えしたり、SNSに書き込んだりしたことで、私の新型コロナ感染は周囲の知るところとなりました。すると、多くの人が、メールで、LINEで、SNSで「困ったことがあったら力になるから言ってね」と仰ってくれました。じっさい、そのまま食べられるように調理した食事を差し入れてくれた会社の先輩、レトルトのスープを送ってくれた妻の友人、お店で出している料理を簡易包装して送ってくれた知り合いのフレンチのシェフ、、、どれも本当にありがたかったです。涙が出るほど、というより本当に涙を流しながら頂きました。
 それと、家の中で子どもたちのエネルギーが有り余るだろうからと、幼稚園の同級生が室内用のトランポリンを貸してくれたり、ママ友や私の友人が、画用紙や色紙、模造紙、塗り絵、粘土、パズルなどを差し入れてくれたりしました。これがどれだけ子どもたちの生活を支えてくれたか。まさに、人はパンのみにて生きるにあらず、です。普段は「テレビはもうおしまいよ~」「お絵描きの紙は大切に使いなさいよ」と言われている子どもたちにしてみれば、夢のようだったかもしれません。ただただ、感謝感謝です。

 私はというと、狭い部屋で一生懸命、開き直ろうとしていました。この際だからと、読みたくても時間がなくて読めなかった本を読んだり、埃をかぶっていた独身時代に集めたステレオ機器を繋ぎなおして、めったに聴かないアナログレコードを聞いたり。本は集中力が続かず、時間が有り余っているわりにはあまり読めませんでしたが、音楽は気分転換になりました。それもアナログレコードをジャケットから取り出し、ほこりを拭いて、レコード針を落として音楽を鳴らす、という作業がよかったのかもしれません。若い方はご存じないかもしれませんが、アナログレコードはアルバムを収録しているLP盤でも20分少々で片面の再生が終わってしまうので、針を上げ、レコード盤をひっくり返してB面にしてまた針を落とさないと、続きを聞けないのです。手を動かす、手間をかける、じっとしない。そういうことだったのかな。小指を骨折してワイヤで固定したままの感染だったので、消毒したりガーゼを換えたりというめんどくさいことを一人でやらなくてはなりませんでしたが、それも気を紛らわせることにはつながったかもしれません。ちなみに、市の保健所からこの日、携帯にショートメッセージで「自宅療養のお知らせ」が届きました。

 友人、知人、親戚からの差し入れとアナログレコードがあれば隔離生活もニコニコ乗り越えられるかというと、もちろんというか、残念ながらというか、そう生易しいものではありません。5歳長男と3歳次男が状況を理解しておとなしくしてくれるはずもなく、どちらが先にオムレツにケチャップをかけるかでケンカを始め、自分でアンパンマンふりかけの袋を開けようとして中身を床にぶちまけ、勘弁してよと親がヨーグルトの蓋を開けたら自分で開けたかった! もとに戻して! と無茶苦茶なわがままを言い、まあ、早い話がいつも通りのことをいつも通りにやってくれるわけですが、その一つ一つが、自宅に籠りっぱなしで疲れ果てた妻の神経を削り、ときに爆発させます。扉越しに妻が子どもを叱る声を聞くのは、その扉を開けられない私にとっては相当キツいことでした。大人が2人いれば、たしなめる、慰める、話を聞く、と役割を分担して子どものしつけをしつつもストレスを掛けず、親もストレスを逃がしてやり過ごすことができますが、一人ですべてを受け止めようとすると、感情がしなやかさを失ってしまいます。普段なら叱らないようなことで声を荒らげてしまう妻もつらかったでしょう。
 それでも、差し入れをしてくれたり連絡をくれたりした皆さんの支えがなければ、自宅療養や家庭内隔離など到底無理だっただろうと思います。何度か妻の感情が爆発することはありましたが、差し入れてもらった料理や食材は買い物に行けない我が家を支えてくれましたし、私の食事には、頂いた紙皿や紙コップを使うことで、キッチンでの妻の負荷を減らすことができました。子どもたちは頂いた電車のパズルのピースの位置を覚えるほどやり込み、色画用紙を贅沢に使ってダイナミックに絵を描き散らしました。電話やSNSで励ましのメッセージをくれた人は数えきれないほどです。大げさに言えば、ニシ家は周囲のみなさんのおかげで、どうにかこうにか隔離期間の「基本パターン」を見つけることができたように思います。

 感染者は10日間の自宅療養、濃厚接触者である家族は「感染者と離れて生活するようになった日を0日目として、7日間の隔離生活」をしなくてはならないことになっています。妻や子どもたちは1週間どうにか頑張れば、外の空気を吸い、幼稚園にも行けるようにもなるのです。私はA4のコピー用紙に簡単なカレンダーを書き、隔離解除日に赤い丸をつけて壁に貼って、日に何度も何度も確認していました。
 私が感染したのが当時流行のど真ん中だったオミクロン株だと仮定すると、感染から発症までの期間がそれまでのデルタ株などと比べると短く、平均で3日間ほどだということだったので、隔離生活が3日を過ぎたあたりで、妻とは「どうにか家の中での感染は防げたのでは」と家のなかでLINEでやりとりしていました。妻は三男の妊娠中にひいた風邪から副鼻腔炎が慢性化していたのがこの過酷な生活で悪化してしまったようで、鼻が詰まり、痛み、かなりつらそうですが、隔離生活の出口が見えたことを励みに頑張っていました。

 ところが、隔離生活6日目。同じ家のなかで、妻から電話が鳴りました。

「たすくが咳してる。喉も痛いって」

 翌日には熱も出てきました。隔離生活6日目。あと1日で隔離解除。おかしい。そんなはずはない。すでに平均的な潜伏期間は過ぎているのに。こんなに厳格に隔離しているのに。このころの妻とのLINEのやりとりを読み返すと、
「きっと空気が乾燥してるから咳してるんやわ」
「がんばっていい子にしてるから、知恵熱でたんちゃうかな」
と、「コロナ」を認めたくない気持ちがあふれています。しかし、残念ながらたすくの熱は下がらず、翌日には、

「のぞむも熱い。発熱してるわ」

 さすがにこうなると、家庭内感染を疑わざるをえません。このときの妻のうなだれ方は尋常ではありませんでした。それでもいちおう家庭内で隔離生活を続けていて部屋に籠っている私に、電話口で、ここまで頑張ったのは何やったの、と涙を流していました。
 さらにその翌日、妻が子どもたちを連れて発熱外来を受診し、長男たすくと三男のぞむのコロナ陽性が確認されました。さらに、副鼻腔炎が悪化し、体調の悪い妻も検査を受けたところ、陽性でした。

 病院から帰ってきた妻は、空気が抜けたような表情で、「あかんかったわ」とひと言。次男は発熱していないので検査は受けませんでしたが、なにせ5人家族の4人まで感染しているわけですから、無症状のまま感染していても不思議ではありません。夫婦で話し合って、次男だけを隔離するのも意味がないという結論に達し、家のなかでの隔離をやめることにしました。久しぶりに隔離部屋を出て、リビングに行って、あらためて妻と対面。なんと言っていいのかちょっと考えて、

「ただいま」

と言いました。妻は

「おかえり」

と言って、顔をくしゃくしゃにして、しんどかったよう、寂しかったよう、と子どものように大きな声で泣きました。気丈にふるまうことの多い妻がいかに追い詰められていたか、そのとき改めて悟ったのでした。

 子どもたちの感染、発熱で、隔離解除までのカウントダウンはゼロからやり直しとなり、さらに10日間、家から出られない生活が続きましたが、幸い子どもたちの熱が速やかに下がったことと、家の中で離れて暮らすという、ある意味で異常なことをしなくて済むことで、療養期間前半ほどのストレスはなかったように思います。家の中で携帯電話を使って連絡を取り合う不思議な状況もなくなり、子どもたちといっしょにご飯を食べ、一緒にお風呂に入るようになりました。三男のぞむは、私が部屋に籠っているあいだに生後8か月を過ぎ、つかまり立ちができるようになっていました。ほどなく、私は発症から10日の自宅療養期間を終え、皮肉なことに家族でいちばん早く外に出られる身になりました。といっても家族を支えなくてはなりませんから、日中は自宅でいっしょに過ごし、子どもが寝たあとの深夜に、ゴミ出しのついでに近所のスーパーまで歩いて、缶チューハイを買ってきて飲む。これだけのことがすごい解放感をもたらしてくれました。ああ、帰ってきた、という感じ(感染してから初めて外に出たときは、妙にコソコソ、オドオドしてましたが)。

 結局16日間、我が家のコロナ生活は続きました。妻と子どもたちが外に出られるようになった日は、特別なことをしたわけではありませんでした。しいて言えば、家のとなりのいつもの公園ではなく、大きな滑り台とシーソーのある、少し離れた公園に連れて行ったくらい。長男たすくと次男さとるも、なにか特別な瞬間のような表情をみせるわけでもなく、いつものように楽しそうに遊んでいました。それを眺める親のほうが、その、いつものような様子に、ホッとしたり、ジーンとしたりしていたのでした。
 妻は、療養中に支えてもらったご近所さんや友人、知人、遠方の親戚にお礼の連絡やお菓子の配送の手配。妻のこういう義理堅いところ、ご縁を大切にするところには本当に頭がさがります。彼女のこういう性格、習い性がなかったら、(くどいようですけど)私たちのコロナ生活はもっと孤独で厳しいものになっていたと思います。その後、息子の幼稚園の友だちの家でも感染がわかったり、私の会社の同僚も相次いで感染したりと、この時期は過去にくらべてコロナウイルスが「そこらじゅうにいる」という感覚が強くありました。長男の仲良しのタケシタさんのお宅も、我が家の少しあとに家庭内で感染が広がり、同じように自宅療養をしていました。もちろん、いろいろと差し入れをしました。うちと同じ男の子3人という親近感もあって、もともと家族ぐるみのお付き合いですが、両ファミリーの感染後は、なんだか戦友のような気分です。まさに、困ったときはお互い様、です。
 妻も私も、「困ったことがあったら助けてもらおう」と思ってご近所づきあいをしているわけではありません(当たり前)。それに、ご近所や仲間が感染したと聞いたときに何かしらサポートしようと思うのは「前に何かしてもらったから」「義理があるから」というものでもありません。ふだんは幼稚園から一緒に帰ったり、体操服のおさがりをもらったりというお付き合いが、じつは思っていたよりももっと大きくて、しなやかで、温かくて、泣きそうに強い関係なんだと、コロナ禍で気づかされたように思います。そして、コロナ禍に支えてもらって、支えて、という経験は、その関係をより太くしたようにも思います。
 あ、こんなふうにまとめると「いい経験」と総括されそうですけど、絶対に、本当に、何が何でも、感染も自宅療養も家庭内隔離も二度とゴメンですから!

西 靖

西 靖
(にし・やすし)

1971年岡山県生まれ。毎日放送(MBS)アナウンサー。大阪大学法学部卒業後、1994年にMBS入社。『ちちんぷいぷい』(2011年~2021年)、報道番組『VOICE』(2014年~2019年)、『ミント!』(2019~2021年)といった人気番組の司会やキャスターを務める。現在はMBSアナウンスセンター長。相愛大学客員教授。2021年6月から9月までおよそ4ヵ月間の育児休業を取得。著書に『西靖の60日間世界一周旅の軌跡』(ぴあ)、『辺境ラジオ』(内田樹・名越康文との共著、140B)、『地球を一周! せかいのこども』(朝日新聞出版)、『聞き手・西靖、 道なき道をおもしろく。』(140B)。

編集部からのお知らせ

西靖さん × 工藤保則さん対談「家族がコロナになったとき」

fc5c4b364e9c7a082a0d.jpg 家族でコロナに感染するという出来事について、心の移り変わりや家族とのやりとりを丁寧に綴ってくださった西さんが、オンラインイベントでもお話しくださいます。対談のお相手は、『46歳で父になった社会学者』の著者である社会学者の工藤保則さんです。工藤さんも一家でコロナに感染されました(ミシマガでは、当時のリアルな経験を淡々と、実感に根ざして記録した文章「感染」が公開中)。
 幼い家族を抱えて新型コロナウィルスと闘病・看病したお二人が、はじめて語り合います。話しにくく、情報も少ない「コロナのリアル」を共有し、未感染者は今後の備えにもなるような90分です。みなさまのご参加お待ちしております。

開催日時:5月13日(金)17:30〜19:00

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