46歳で父になった社会学者

第32回

感染(1)

2022.03.21更新

『46歳で父になった社会学者』の刊行から、ちょうど1年が経とうとしていたある日、著者の工藤保則さんから一通のメールが届きました。
「突然ですが・・・2月に家族全員がコロナ感染しまして・・・」
息子の発熱からはじまった、9日間の家族の記録。特別編として、2日にわたって掲載します。

 2月に、家族全員が新型コロナウイルスに感染した。

 この2年間、私たちは常に感染対策をしていた。外出もかなり控えていた。年明けから、息子のじゅん(小2)の通う小学校では感染者が出て学級閉鎖になったクラスがいくつもあるし、娘のあさ(3歳)が通う保育園で感染者が出て臨時休園になることもあり、コロナウイルスが近くにあることを感じながら生活していた。

 そういうなか、じゅんが経路不明で感染し、1~2日のうちに家族全員にうつった。後から思うことだが、オミクロン株は感染力がかなり強いのだから、感染した時のことを想定しておく必要があった。事前にできることは多くあったと思う。

 毎日、感染者数が発表されている。私たち家族が感染した時は、京都府の数字は、まさにピークだった。2月9日2996人、10日2982人。そこには私たちもカウントされているはずである。

 2996人や2982人という大きな数字は、それが「1人」の集まりであることを、忘れてしまいそうになる。さらには「人」という単位がつくことも忘れ、2996や2982といった数として認識してしまいそうになる。そして、全体として多い/少ない、先週の同じ曜日と比べて増えた/減ったなどといったかたちで語られる。その数のかたまりに意味がないと言いたいわけではないが、やはりそれは「1人」の集まりであり、その「1人」ごとに症状があり、その「1人」ごとに病院の先生や看護師さんが対応しているということを覚えておきたい。

 私自身、家族の誰かが、そして自らが、その「1人」になるとは、どこか本気では考えていなかった。しかし、じゅんから、あさ、妻、私へと感染し、みな1人の感染者になった。京都府の中ではある1日の約3000分の1だが、自分にとっては1分の1だ。

 その「1人」の体験を他の人と共有することには、少なからぬ意味があると思われる。けれども、ニュースなどでは、感染対策、重症者・中等症の入院患者の様子は扱われるが、自宅療養者のリアルはあまり語られない。

 「知っている人が感染した」「どういう症状だった」「どう対応した」ということを、いくつも知ることは、感染対策同様に重要なことではないだろうか。そうすることによって、万が一の時に備えることができるはずだ。

 これから書くのは、じゅんの発熱から始まった9日間の記録である。

2月8日(火)

 「じゅんくん、熱が39.5度もある」と妻のあわてた声で目が覚める。

 じゅんが早朝4時に「ふらふらする」と起きた。鼻血も出ている。妻が体温を計ると39度を超えていた。

 夜が明けていないので、どうすることもできない。とにかく休ませようと、解熱剤と水を飲ませて、もう一度、寝かせた。

 7時にじゅんは起きたが、また鼻血が出た。「ご飯、食べたくない」と弱弱しく言う。

 私と妻は「コロナかも」と頭の片隅で思ったが、それを打ち消すように「2日前の日曜日、とても寒かったのに、ずいぶん長い時間、外で遊んだから、風邪をひいたのかもしれないね」と話した。「そうあってほしい」という願いもあった。

 小学校は休ませ、10時に妻がかかりつけのクリニックに連れて行った。発熱外来の診察室で、ウイルス防護服を着て、フェイスシールドをつけた小児科の先生がみてくれた。「コロナの可能性がある」ということで、PCR検査を受けた。

 家に帰ってきてから、数日前に「感染者数がかなり増えてきているから、備えとして買っておいた方がいいかも」と思い購入していた、抗原検査キットで検査をすることにした。

「じゅんくん。しんどいとこ、ごめんね。ここに唾を入れてくれる?」

 小さな試験管に漏斗を取り付け、そこに唾液を入れさせようとした。しかし、PCR検査で唾液採取したばかりのじゅんは唾液がなかなか出ない。口をくちゅくちゅさせて、何とか唾を出そうとしているが、泡っぽい唾液しか出ない。

「泡っぽいのじゃなくて、普通の唾は出ない?」

「出ない......」

「出ないか......、じゃあ、仕方ないね。それでいいよ」

 試験管の中の検査液と唾液を混ぜ、スポイトで吸い取り、試験紙に垂らしてしばらく待った。

 8分後、試験紙に陰性を表す線がでた。

「よかった」

「やっぱり風邪だろうね」

「日曜日、寒かったもんね」

「じゅんくん、お水を飲んで寝とこうか」

 あさがじゃまをしないように、別の部屋に布団を敷いた。じゅんが横になった後で、私はネットで「抗原検査 確度」と検索をしてみたら、「50~90%」という数字が出てきた。

「これじゃあ、よくわかんないね」

「先生は明日か明後日にPCR検査の結果が出るって言ってたから、やっぱりそれを待つしかないね」

「今はもう他にできることはないから、じゅんくんにゆっくり寝てもらおう。あさちゃん連れて、スーパーに行ってくる」

 コロナ感染者が出たため、あさの通う保育園は休園中だった。暴れん坊の妹がいると、ゆっくり休むことはできない。自転車で行けば10分弱で着くスーパーに、三輪車に乗ったあさと一緒に40分かけて出かけた。ゆっくり時間をかけて買い物をして、また40分かけて帰ってきた。

 じゅんはずっと寝ていた。昼食は妻が野菜炒めを作っていたが、じゅんは起きてこなかった。午後、トイレに行くために起きてきた時に「骨もおるし、たいへんやわ」と力なく言った。1カ月前にキャスターボードの練習をしていて激しく転倒し、左腕を骨折したことを言っている。数日前に、固定具が取れたばかりだった

 夕食も食欲がないということで食べなかった。

 21時30分。妻、あさ、私は平熱で、体調もいつもとかわらなかった。

2月9日(水)

 あさが2時に37.4度の発熱。水を飲ませてまた寝かせる。朝には36.5度に下がっていたが、妻が37.4度の熱。じゅんは「しんどいから、ご飯、いらない」と起きてこなかった。

 妻がクリニックに電話をして、じゅんが昨日からずっと食欲がないこと、自分とあさも微熱があることを伝えた。「すぐに連れて来てください」とのことで、妻、あさ、じゅんの3人でクリニックに。

 発熱の場合、クルマで行くと駐車場にクルマをとめてその中で待つことになるのだが、うちはクルマがないので、個室の待合室を用意してくれていた。じゅんは「しんどい」とずっとソファーに横になっていた。先生たちは忙しい。通常外来と発熱外来を行ったり来たりしている。ずいぶん待って、個室に防護服を着た先生が来てくれて、順番に診察を受けた。じゅんは1~2日食べられなくても心配することはないが、水分はしっかり摂ること。あさは平熱で機嫌がいいのでPCR検査はしなくていいと言われた。妻はPCR検査を受けた。

 診察後、クリニックのすぐ横にある薬局で薬を出してもらうのだが、発熱しているため中には入れない。寒い中、待っていると、じゅんが「しんどいから帰りたい」と言うので、薬をもらわずに帰宅した。妻もだんだんしんどくなって、体温を計ると38.3度もあった。その間、私はスーパーに行き、「もしかすると......」という思いもあったので、4~5日分の食材を買って帰宅していた。

「お薬もらわずに帰ってきた。悪いけど、後でもらってきてくれる?」

「もちろん、もらってきますけど......。大丈夫? 寝たほうがいいんじゃない」

「うん。ちょっとご飯食べてから、寝る」

 じゅんは先に布団に入っていて「ご飯、いらない」。私と妻とあさはパンを食べた。パンを食べながら、私以外はコロナ感染しているかもしれないな、という気がしてくる。妻もそういう気がしたのか「家の中でもマスクしたほうがいいかもね」と言った。

 私は平熱で、体調も変化はなかった。

 妻は、じゅんとは別の部屋に布団を敷いて寝ようとした。あさも休ませようとしたが、言うことを聞かない。「パパも」と私を呼びに来るので、私も妻の横に布団を敷いて、マスクをして横になった。あさがいろいろ話しかけてきた。私のお腹の上に乗って遊びだす。1時間くらいたって、やっとあさが寝息を立てはじめた。

 夕方4時、妻が目を覚ましたタイミングで、クリニックから電話がかかってきた。昨日受けたじゅんのPCR検査のことだった。妻は「はい。はい」とひとしきり返事をしたあと、いろいろ質問をしている。

「じゅんくん。陽性だった......。あらためて保健所から連絡が来るんだって。そこで正確なことを伝えてくれるそうなんけど、それもかなり遅れるだろうって。ともかく発症日から10日間は隔離になるって」

 私も妻も、昨日から少しずつ「じゅんはコロナに感染しているかも」という気になってきていたので、検査結果はショックであることに間違いはなかったが、意外とすぐに「これはもう仕方ない」という気になった。

 じゅんも起きてきたので、私から検査結果を伝えた。

「おいら、気をつけてたのに。マスクして、手も洗って、うがいもして」

「じゅんくん。コロナにかかったからって、じゅんくんが悪いってことじゃないよ。今は誰がかかってもおかしくないから。これ以上しんどくならないように、気をつけていこう」

「わかった」

 じゅんも、案外、冷静だった。

 妻は、小学校や学童保育、保育園などに電話した。その後、会社に電話。私も大学にメールした。

 先のクリニックからの電話もそうだが、小学校へかけた電話で出てくれた保健室の先生がこれから先のことも含めてとても丁寧に説明をしてくれた。「これから先のこと」がわかると、安心する。

 夕食はじゅんが「ラーメン、食べたい」と言うので、ラーメンに。ラーメンをゆでながら、あさに「あさちゃん。みんなで協力しようね」と言うと、「エイエイオー」と保育園ではやっている掛け声を大きな声で言った。状況にあっているようなあっていないような気がして、思わず笑ってしまった。

 じゅんはラーメンを2~3口すすっただけで「ごちそうさまでした」。

 夕食の後、じゅんは「絵が描きたい」ということで画用紙や紙コップに次々と絵を描いた。絵を描くことはじゅんの一番好きなことである。からだはふらふらなのだが、描いた絵は力が抜けていてなかなかよかった。

 洗面所のタオルを、使い捨てのペーパータオルに変えた。コップもそれぞれ専用の紙コップを使うことにした。紙コップにはじゅんが似顔絵を描き、その下に「パパ」「ママ」「あさ」「じゅんくん」と書いた。

 私以外は20時に布団に入った。じゅんは引き続き別室で寝た。

 じゅんが寝入った後、私は妻と「かかったことはどうしようもない。軽症ですんだら『免疫ができて良かった』と思うくらいでいよう。世界レベルの出来事に直接関わることになったね」という話をした。

 この日は、まだ冷静にいられた。

2月10日(木)

 朝、じゅんはよくなっていなかった。朝食を食べず、顔色も悪い。

 妻が受付が始まる8時30分にクリニックに電話をかけた。じゅんの様子を伝えて、「陽性ですけど、点滴してもらうことは可能ですか?」とたずねると、「すぐに連れて来てください」とのこと。私以外は発熱しているということもあって、私も念のために抗原検査キットで検査をした。結果は陽性だった。

 9時30分に私がじゅんを連れてクリニックへ。また個室の待合室を用意してくれていた。

 検尿をして、少し待っていると、小児科の先生が部屋に入ってきた。じゅんの顔を見るなり「青い顔してるね。検尿も糖がたりてなかったわ。食事はどうですか?」

「ほとんど食べていません」

「水分は」

「水は飲んでいます」

「ジュースは」

「飲んでないです」

「それでは糖分がたりないわね。水より、ジュースやポカリを飲ませないと」

 診察の後、点滴に。こわがって大泣きするじゅんを看護師さん二人と私の三人がかりで押さえて、指に針を通した。点滴3袋。その間、私は「点滴には時間がかかるから」と妻がじゅんに持たせた『いつの間にか名探偵』を読み聞かせた。

「じゅんくん、自分で読めるんとちがう?」

「読めるけど、点滴が痛いから。ページ、めくれへん」

 弱気になって甘えているようだ。

 点滴が終わった時に、先生がまたみに来てくれた。

「おかあさんのPCR検査の結果が届いて、陽性でした。」

「そうですか。そんな気がしていました。私もここに来る前に、家で、抗原検査キットで検査したら、陽性でした。妻も陽性となると、私もPCR検査を受けたほうがいいですね」

「そうなんだけど、京都の基準は満たしていないからね。でも状況からして、感染していると考るのがあたりまえだから、『みなし陽性』として保健所に連絡します。症状、出てる?」

「何も出ていません。熱も平熱です。体調もいつも通りです」

 体調についてあらためて聞かれると、ほんとうにかすかなものだが頭痛のもとが頭の隅のほうにあるように感じられた。しかし、それは「ない」といってもいいくらいのものなので、そうこたえた。

「あさちゃんは、どう?」

「37度から37.5度の間をいったりきたりで、のどがガラガラしています。機嫌は悪くないです」

「あさちゃんも状況から考えて、みなし陽性として連絡しておくわ。じゅんちゃんを連れて帰ったら、後であさちゃんを連れてきて」

 点滴が終わった後で、先生が「じゅんちゃんの点滴はちょっと少ないかもしれないから、もし明日の朝もしんどそうだったら電話をして連れてきて。また、点滴するから」

 翌日は祝日なのだが、「そんなことは気にしないで」という口調だった。

 じゅんは点滴をして明らかに楽になったようだった。隣りの薬局で薬を受け取る際に、薬の説明をしてくれた薬剤師さんに「ありがとうございました」とはっきりした声で言った。薬剤師さんもじゅんに「しんどいのにえらいねー。声に元気があったから、すぐによくなるよ。お大事に」と元気づけてくれた。

 じゅんを連れて帰ってから、あさを連れてもう一度クリニックへ。聴診器をあてて簡単な診察。あらためて「あさちゃんもみなし陽性として保健所に連絡します」とのことだった。

 あさの診察時、先生から「あさちゃんの身長と体重は?」と聞かれた。私は「身長は90センチちょっとで、体重は、えーっと22~23キロです」と返事した。診察が終わって個室の待合室で待っている時に、「体重、じゅんくんのと間違えたなー」と思っていたら、看護師さんが体重計を持ってきた。

「22~23キロってことないよね」

「私も間違ったと思っていたところです。あわててしまいました。12~13キロです」

「せっかく体重計を持ってきたから、測っとこか」ということで、あさを乗せると「13.5キロ」と表示された。

 私とあさが帰宅した後、あさの通う保育園の先生がPCR検査キットを持ってきてくれた。休園前の登園において、濃厚接触者に認定されたのだ。別日に回収にきてくれた。後に、検査結果が陽性だったとの連絡をもらった。

 昼食は、私以外はパン。私はパンがなかったので、少し前にいなか(徳島)からより寄せたカップ麺「金ちゃんきつねうどん」。お湯を入れて待っていると、じゅんとあさが「うどん、食べたい」と言った。じゅんとあさの分を別のお皿に分けて、3人で食べた。

 13時、妻は布団に入り休んだ。じゅんは「しんどくない」、あさも「ちんどくない」ということで、ふたりには『ひつじのショーン』のDVDを見てもらった。半分くらい見たところで、あさは妻の布団にもぐりこんできて一緒に寝た。

 16時にあさが「おでこがいたい」と起きた。熱は37.7度。妻が薬局に電話して頭痛にも効くと確認したうえで、解熱の座薬を入れた。薬が効いてくると機嫌もよくなった。

 夕方、私がぶり大根を作り、いつもより早めの18時に夕食にした。じゅんもまあまあ食べた。

 妻、あさ、じゅんは20時30分に就寝。みなし陽性だが無症状の私は、じゅんと入れ代わりで別室で寝ることに。

 部屋のかたずけをして、23時に布団に入ろうとした時だった。

「あれ?」

 突然、頭痛がはじまる。そこから、頭痛はひどくなる一方だった。頭がガンガンして4時近くまで眠れなかった。

つづく

お知らせ
本連載(第1回〜第28回)が本になりました。ぜひ書籍でもご覧ください。

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『46歳で父になった社会学者』工藤保則(著)

工藤 保則

工藤 保則
(くどう・やすのり)

1967年、徳島県生まれ。龍谷大学教授。専門は文化社会学。著書に『中高生の社会化とネットワーク』(ミネルヴァ書房)、『カワイイ社会・学』(第25回橋本峰雄賞。関西学院大学出版会)、『46歳で父になった社会学者』(ミシマ社)、共編著に『無印都市の社会学』(法律文化社)、『<オトコの育児>の社会学』(ミネルヴァ書房)、『基礎ゼミ 社会学』(世界思想社)などがある。好きなものは、落語、散歩、リクオ(シンガーソングライター)、「0655」(テレビ番組)。現在、8歳の息子と4歳の娘の子育てまっただ中。

編集部からのお知らせ

西靖 × 工藤保則「アナウンサーと社会学者が語る 『家族がコロナになったとき』」開催します!

fc5c4b364e9c7a082a0d.jpg本連載の著者・工藤保則先生によるオンラインイベントを開催します。
お相手をつとめるのはMBSアナウンサーの西靖さん。工藤先生と同じくコロナ感染、ご家族の看病を経験されました。子育て家庭のコロナ療養のリアルを共有いただき、未感染者は今後の備えにもなるような90分です。みなさまのご参加お待ちしています。

開催日時:5月13日(金)17:30〜19:00

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