46歳で父になった社会学者

第18回

番外

2020.04.07更新

お知らせ
この連載に加筆修正を加え、本になりました。ぜひ書籍でもご覧ください。

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『46歳で父になった社会学者』工藤保則(著)

 今、息子のじゅんは6歳9カ月。3月21日に保育園を卒園し、4月8日にある小学校の入学式を待っている。

 これまで、じゅんが3~4歳までのことを書いてきた。その頃までのじゅんは、1日1日、何かが変化し、私は育児をめぐる喜びととまどいの中にいた。今回は、番外編として、この1~2年のことを書こうと思う。際立つ変化はそれまでと比べると少なくなったものの、毎日が、家族それぞれにとっての「人生の1日」であることには変わりはない。

 2年前、つまり、じゅんが4歳の時、私たち家族に大きな変化があった。娘のあさが生まれたのだ。

 妻に陣痛がきたのは午前3時だった。あわただしく妻が入院セットを再確認していると、じゅんが目を覚ました。「お家でパパと一緒にいる? それともみんなで病院に行く?」とたずねると、「みんなで病院に行く」との返事。3人でタクシーに乗って病院に向かった。

 8時15分にあさが生まれた。あさの誕生に際しては、じゅんも立ち会った。産声を聞いたときの、じゅんのあの驚きと喜びがないまぜになった顔は忘れられない。そして、看護師さんがあさを抱いて、その顔を見せてくれた時の、じゅんの照れたような顔も。

 2年間、妹と一緒に生活していくなかで、じゅんはだんだんとお兄ちゃんらしくなっていった。

 あさが赤ん坊のときは、私や妻はどうしてもあさの世話に手を取られてしまい、じゅんの相手は後回しになった。

「パパ、遊ぼー」

「じゅんくん、ごめんね。今、あさちゃんの相手をしているから、ちょっと待っててくれる?」

「・・・。わかった」

 少し寂しそうな顔でそういって、私の手があくのを待ってくれた。それまで独り占めしていた親から「ちょっと待ってて」といわれるのはつらかったと思うが、じゅんはじっと我慢してくれた。

「じゅんくん、待たせて、ごめんね。一緒に、遊ぼう」

「えーっと、えーっと、何しようか」

「何でもいいよ。じゅんくんの好きなこと、しよう」

「じゃあ、トントン紙相撲」

 無理をいわず我慢してくれるじゅんがいとおしく、手があいた時は、それまで以上にじゅんと遊ぶように努めた。

 あさは1歳半になり、よちよち歩きができるようになると、じゅんと一緒に遊びたがった。とはいっても、じゅんにとっては、あさがまとわりついてくると邪魔でしかない。あさは、じゅんがお絵描きをしているとその上にぐちゃぐちゃとなぐり描きし、積み木を積んでいると壊し、ミニカーで遊んでいると奪う。あさが近づくと「あさちゃん怪獣が来たー」とじゅんはおどけながら逃げた。あさのほうは、じゅんがおいかけっこをしてくれていると思い、「ぐひひひひ」と大笑いをしながら追いかけた。

 じゅんを見ていると、ただ我慢しているわけではなく、5つ年の離れた――身長も体力も違う、言葉の量も質も違う、理解力も違う、つまりは、なにからなにまで大きく違う――あさのことを、じゅんなりに認め、譲り、折り合いをつけているようだ。「もー、あさちゃんたら~」と「クレヨンしんちゃん」の口調をまねして不平をいいつつも、あさがまとわりつくままにさせている。あさのほうも、どこ吹く風という感じで無邪気に笑っている。

 これまで、じゅんがあさを身体的にも精神的にも押さえつけることはなかった。そのおかげもあって、あさは天真爛漫な子どもに育ってくれている。

 そういうふたりがいっしょに遊んでいる様子を眺めながら、私はじゅんによくこういう。

「あと80年、ふたりはもちつもたれつ。じゅんくんが得意なことはじゅんくんがあさちゃんを助けてあげて。そのうち、あさちゃんのほうが得意になることも出てくると思うよ。そこは、じゅんくんがあさちゃんに助けてもらったらいいよ。でね、いつか、パパとママは死んじゃうけど、ふたりはずっと助けあって生きていってね」

 冗談めかしていっているが、かなりの部分、本気である。

 昨年度は、じゅんは保育園の最終年、いわゆる「年長さん」だった。じゅんの通う保育園では、そのクラスのことを「たんぽぽ組」という。

 「たんぽぽ組」での1年は、記憶に残ることがたくさんあった。

 まず思い出されるのは、運動会である。当初は10月12日(土)の予定だったが、雨が降って2日後に延期になった。じゅんとあさの運動会を見るために徳島から出てきていた私の父は、14日(月・祝)に地域での用事があるため、「お天気のことは、しゃーないわ」といって徳島に帰っていった。

 14日の朝、祈るような気持ちで起きた。まだ小雨が降っていた。先に起きていた妻は「気になって、夜、何度も目が覚めた。そのたびに、雨音が聞こえたわ」と。気をもみながら朝食をとっていると「運動会をやります」という連絡がメールで届いた。

 8時にじゅんとあさを連れて、妻とともに保育園にむかった。家を出るとき雨はやんでいたが、もう少しで保育園に着くというところで、また降り出した。園につくと、保護者たちは心配そうな顔をして、校舎の軒下やテントで雨宿りをしていた。顔見知りのお母さんと「どうなるんでしょうねぇ」と話していると、スピーカーから「開始までもうしばらくお待ちください」というアナウンスが流れた。子どもたちは教室で待機しているようだ。30分くらいたっただろうか、ほんの少しだけ雨が弱くなったとき、「これから運動会を始めます」とアナウンスがあった。

 園長先生の「最近、お天気レーダーという便利なものがあるようです。先ほどそれを見たら、雨雲が移動していってます。これから雨が強くなることはないと思います。ですが、もし、また雨が強くなることがありましたら、中断することがあるかもしれません。若干プログラムを変更して実施しますが、ご理解、ご協力をお願いします」という挨拶があった後、「たんぽぽ組」の和太鼓演奏から運動会が始まった。

 園長先生の期待に反して、途中で雨脚が強くなることもあり、数回、中断された。再開時は、先生方が水たまりに向かってスポンジをもって走っていき、スポンジにたまった雨水を含ませてバケツに絞り出し、園庭の状態を少しでもよくしようとされていた。

 プログラムは、なんとか、「たんぽぽ組」の竹馬までたどり着いた。竹馬の足台はそれぞれにあった高さである。じゅんの高さは40センチくらいだろうか。踏み台の上から竹馬に足をかける。両足が足台に乗ったと思った瞬間、足を滑らせてしまい、乗り損ねてしまった。以前のじゅんならそうなると一気に弱気になり失敗を引きずってしまったものだが、もうそんなことはなく、今度は慎重に足台に足を乗せ、ゆっくりと歩き始めた。手でしっかりと竹馬を握り、姿勢よく前を向いて、歩を進めていた。障害物も難なく越えて、ゴールイン。観客席からの拍手に恥ずかしそうにしていた。

 その姿を見届けて、私は大学にむかった。その日は祝日だが、授業があったのだ。大学にむかいながら、ずっと、「プログラムは最後までできたのかな」と気になっていた。

 後で妻から聞いたところによると、運動会はその後も時折しぐれながら、親子タイムや玉入れを割愛することで、最後のプログラムまでたどり着いたようだ。最後のプログラムは、「たんぽぽ組」が2組に分かれてのリレー。これは、毎年、とても盛り上がる。

 じゅんは足が速い。クラスのみんなもそのことを知っている。私や妻は「アンカーになるのかな」と思っていたが、そうではなかった。走る順番はみんなで話し合って決めたそうだ。じゅんは「足が速いから、真ん中あたりで盛り上げる」順番となったようだ。

 19時すぎに家に帰った私は、玄関で迎えてくれたじゅんの顔を見るやいなや、「リレー、勝った?」と尋ねた。じゅんの返事は「運動会は勝ち負けやなんいんやで。自分のできることをせいいっぱいやるかどうかが大事なんやで」。先生から教わったのだろうか。自分の素直な気持ちなのだろうか。いずれにしても、じゅんのいうとおりである。「それはそうやなぁ」と私は最初に勝ち負けを聞いたことを反省した。

 1月には「たんぽぽ組」は「社会見学」に行った。保育園ではこれまではなかったイベントだが、ひょんなことから私も関わって実施することになった。見学先はミシマ社京都オフィス。社会見学が決まった後、ミシマ社のワタナベさんとごく簡単な打ち合わせを1度しただけで、当日を迎えた。

 保育園からミシマ社京都オフィスまで徒歩約30分。当日の9時半、私は園の門前で立っていた。手には「たんぽぽツアー」と書かれた旗が2つ。前の晩にじゅんと一緒に作ったものだ。子どもたちが園庭に出てきたのが見えたとき、私は旗を大きく振った。

「じゅんくんのおとーちゃん、今日は、何で来てるの」

「添乗員さん」

「添乗員さんて、何」

「えっと、みんなといっしょに行く人、かなぁ」

「ふーん。でも、今日はお仕事行かなくていいの?」

「いいの、かなぁ・・・」

 そんな話をしながら、ツアーが始まった。19人の子どもたちは2列に並び、友だちと手をつないで歩く。先生ふたりと私は、安全を確認しながら、その前後を歩く。園のすぐ近くに京都御所があるのだが、その中を通り抜け、5分も歩かないうちに、ミシマ社がある。

 インターホンを押すと、ミシマ社の皆さんが笑顔で迎えてくれた。オフィスにあがり、1階の和室でワタナベさんから「ここは本を作っているところです。いっぱい本をおいていますから、本を大事にしてください」との基本姿勢のレクチャーを受けてから、階段を上がり2階の仕事場へ。パソコンが並び、さまざまな資料があふれる、本づくりの現場を見学させてもらった。子どもたちは部屋にあるものひとつひとつに興味津々。ワタナベさんが説明をしているなか、子どもたちはミシマ社のみなさんに勝手に話しかけていた。

 ふたたび1階和室に戻り、今回の社会見学のメイン企画であるワタナベさんによる『ネコリンピック』(さく・ますだみり え・ひらさわいっぺい ミシマ社)の読み聞かせがはじまった。

よーいどんで 走らなくて いいんだってにゃ~。
好きなところからで いいんだってにゃ~。
好きなときに はじめれば いいんだってにゃ~。
飛んだって いいんだってにゃ~。
のぼっても いいんだってにゃ~。
何回やすんでも いいんだってにゃ~。
にゃーにゃー 泣いても いいんだってにゃ~。
まよっても えらんだ道で いいんだってにゃ~。
ぐるぐるまわって、また最初からでも いいんだってにゃ~。
たすけてもらっても いいんだってにゃ~。
たすけるのも いいんだってにゃ~。
だけど、ひっかくのは だめなんだってにゃ~。
何番でも いいんだってにゃ~。
いいにゃ~ いいにゃ~ ネコリンピック。
みんなメダルがもらえますにゃ~。
よかったね! よかったにゃ~。 

 子どもたちの目は、ワタナベさんが持つ『ネコリンピック』に注がれている。読み終わるやいなや、ある子から「もう1回!」の声。驚くワタナベさん。が、とてもうれしそう。

 「ありがとう。そしたら、今度は、みんなで「にゃ~」をいおうか。そして、そーだなー、「にゃ~」のところで、こういうふうにポーズもとろうか」といい、手のひらを軽くグーにして、顔の前に出した。

 2回目の読み聞かせが始まった。子どもたちのポーズ付きの「にゃ~」の声が、何度も何度もとどろいた。みんな、とびっきりの笑顔。

 2回目が終わった。

「もう1回!」

「もう1回、読んで」

「読んで!」

 何人もの子どもたちからの再びのアンコール。予想外のことにワタナベさんは驚きながらも、「それじゃあ、今度はスピードアップで行くよ」と即座の対応。さすがである。

 3回目、ワタナベさんが早口で読んでも、子どもたちは余裕でついていき、ポーズをとっての「にゃ~」を繰り返した。

 大盛り上がりのなか、読み聞かせが終わった。

 「じゃあこれからは、ネコリンピックのネコちゃんに、何の種目に出てもらいたいか考えて、そのユニフォームを描いてみよう」と、ワタナベさんは服を着ていないネコちゃんが書かれた台紙を子どもたちに手渡した。

「ワタナベ先生、のど、カラッカラにかわいたから、水飲んでくるね」

「いっぱい飲んできて」

「そやな、いっぱい、飲んでくるな」

 ひとつひとつの会話がどれもおかしい。

 お絵描きタイムに入ると、子どもたちはそれぞれ好きな競技を考え、集中してクレヨンでユニフォームを描き、色を塗る。友だち同士でアドバイスしあっている。真剣そのものだ。

 描き終わったら、絵を集めて、ワタナベさんがみんなの描いた選手の紹介をした。絵がうまいとかヘタとかは全く関係がない。どの絵も気持ちのこもったいい絵だった。

 それぞれの絵の紹介とあわせて、その絵を描いた子に、ミシマ社の皆さんが用意してくれた「ネコリンピック」金メダルの授与をした。金メダルをかけてもらっているときの子どもたちの、うれしくてたまらないといった表情。添乗員の私も金メダルをかけてもらった。最後に全員で「にゃ~」ポーズで記念写真を撮り、ミシマ社を後にした。

 その日、私はじゅんのお迎えに金メダルをつけて行った。たんぽぽ組の子どもたちは、金メダルをつけたまま外で遊んでいた。担任の先生から聞いたところによると、みんな、園に帰った後も、金メダルをつけたまま、給食を食べ、午後の活動をし、外で遊んでいた模様。おそらく、金メダルをつけたまま帰宅するのだろう。

 あさといっしょに家に帰ったじゅんは、手を洗ってうがいをして、その後すぐに、あさに金メダルをかけてあげていた。

「あさちゃん、金メダル、きれいだにゃ~」

 あさは「なんだ、これ?」という顔をして金メダルをなめていた。

 2月には生活発表会があった。生活発表会とは、年齢別の6つのクラスが、1年間の保育園生活の中から着想を得た出し物をする会である(あさの0~1歳児クラスは、はいはいやよちよち歩きの披露が中心)。それぞれの出し物の幕間に、じゅんたち「たんぽぽ組」によるミニ出し物コーナーがある。5人くらいでコマ回しやマリツキなどを披露するのだが、今回は、そのひとつの「お話劇場」(自分たちが作った紙芝居)として『ネコリンピック』に着想を得た「たんぽぽさんのにゃんぽぽりんぴっく」があった。「たんぽぽ組」のこの1年の出来事についての絵をかき、それに「ネコリンピックの精神」にのっとったセリフをつけていた。

「いっぱくほいくは あめがふっても きにしなくて いいんだってにゃ~
はなせ(花背)のもりまほうがっこうで まほうのしゅぎょうをしたよ
たんけんにでかけたときには あめがやんでいたしね
それはきっと まほうがかかっていたからなんだにゃ~」

「うんどうかいは おてんきのほうがいいけど
あめがふっても いいんだってにゃ~
どろんこのなか がんばってたみんなは かっこよかったし
うんどうかいは やっぱり たのしかったよ
だからあめでも へいきなんだにゃ~」

「おでんぱーてぃーに つかおうとおもって うえた だいこんだけど
おでんぱーてぃーに まにあわなくっても いいんだってにゃ~
もっとおおきくなって おいしくなってから
たべたほうがいいんだにゃ~」

などなど、どのセリフにも、「ネコリンピックの精神」が宿っていた。

 「たんぽぽ組」の出し物は、ミュージカル仕立ての劇「少年少女冒険隊」だった。もともとある戯曲(中山譲:作)を基にしながらも、一泊保育の魔法学校での修行と絡めたオリジナルのストーリーに仕立てられていた。あらすじは、子どもたちが魔女から宝物のある場所を記した地図を受け取り、仲間と協力して困難に立ち向かいながら、宝物のある場所を目指して進んでいくと、たどり着いたところにあったものは・・・、というものである。子どもたちはネッカチーフを首に巻き、リュックを背負って探検隊員ふうの格好で、しゃべり、歌った。劇の中で、じゅんは自分のセリフがない場面でも、首を傾げたり、驚いた表情をしたりと、こまかいお芝居をしていたのがおもしろかった。

 数々の冒険を経て、「たんぽぽ組のみんな」という宝物を見つけた子どもたちは、最後にステージで横一列になり、「ぼくのとなりに」(柚梨太郎:作詞・作曲)という歌をうたった。

手が届かない 遠いところに 夢をかなえる 何かがあると
信じていたから 空の向こうばかり 目を細めて見つめていた
春は菜の花 咲いている道 夏はヒグラシ 鳴いている道
君と一緒に 日が落ちていく空 目を細めて見つめていた
どんなときも君がいた 僕の隣に君がいた
遠い空の向こうじゃなくて 僕の隣に
どんなときにも君がいた 僕の隣に君がいた
笑いながら夢を話せる 僕の隣に 僕の友だち 僕の隣に

 じゅんはここでも細かなお芝居をしていた。手をつないだみんなが前を向いて大きな声で歌っているなかで、「僕の隣に」のところで、左右の友だちの方に顔を向けて目を合わせにっこりと笑っていた。とてもいい光景だった。

 「僕の隣に君がいた」。子どもたちはそのことをごく自然に実現できているように思えた。

 ところで、今年7月に開催が予定されていた東京オリンピックは延期となった。「オリンピックは参加することに意義がある」といわれるが、現実的には、オリンピックは世界規模で「競う」場である。

 それに対して、保育園の運動会は「競う」場ではない。「できる(ようになった)」ことを披露する場である。まだうまくできなくても、今、その子ができることをそのまま見てもらおう、というスタンスである。けれども、その、子どもたちの1年間の伸びたるや。オリンピック選手と比べても、遜色ないかもしれない。

 それぞれ個性のある友だちと手を携えてその場をよりよきものにする子どもたちの力には、驚くばかりである。じゅんのあさに対する姿勢にも同じことがいえる。

 大きくなるにつれて、誰もがいやがおうでも競争の原理の中に入っていく。できる/できないで区別され、できる場合はさらに、人より早くできるようになること、人よりうまくできるようになることを求められる。やがて、私たちは好むと好まざるとにかかわらず、競争にあおられ、いつしかそれから降りることを極端に恐れるようになる。

 保育園児は、なにごとにおいても月齢差が大きく、また個人差も大きい。そのため、「差や違いがあって当然」というスタンスが貫かれている。友だちと比べられることはほとんどない。友だちと助け合うのが当然のこととして定着している。非競争の原理がゆきわたっている集団といえるだろう(ついでながら、家族もそうであろう)。それは、今の世の中では、とてもやすらいだ世界のように感じられる。

工藤 保則

工藤 保則
(くどう・やすのり)

1967年、徳島県生まれ。龍谷大学教授。専門は文化社会学。著書に『中高生の社会化とネットワーク』(ミネルヴァ書房)、『カワイイ社会・学』(第25回橋本峰雄賞。関西学院大学出版会)、『46歳で父になった社会学者』(ミシマ社)、共編著に『無印都市の社会学』(法律文化社)、『<オトコの育児>の社会学』(ミネルヴァ書房)、『基礎ゼミ 社会学』(世界思想社)などがある。好きなものは、落語、散歩、リクオ(シンガーソングライター)、「0655」(テレビ番組)。現在、8歳の息子と4歳の娘の子育てまっただ中。

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