46歳で父になった社会学者

第1回

オトコの育児

2018.11.16更新

「じゅんくんは、大きくなったらルパンレンジャーになりたいなー。パパは大きくなったら、何になりたい?」

 5歳の子どもに聞かれた。

「パパは大きくなったら・・・、うーん、何になりたいかなぁ・・・」

 うまくこたえられないまま考え込んでいると、子どもは笑顔でこう言った。

「何でも好きなものになったらいいよ」

 私は人よりかなり遅く、46歳で父になった。

 ずいぶん大きくなってからなったものだが、この先、息子がルパンレンジャーになる頃には、私もまた何かになれるかもしれない。そう思うと、なんだかうれしくなってきた。

 子どもの成長はめまぐるしい。毎日、何かが違う。毎日、何かが起こる。そして私は、毎日、何かを思い、感じる。そのことを、この連載ではたんにエッセイとして綴るのではなく、「ある視点」から捉えて書きたいと思う。

 「ある視点」とは、「オトコの育児」という視点である。当事者性に欠ける「オトコも育児」でも、二者択一的な感じがする「オトコが育児」でもなく、オトコの視点から育児を考えてみたいのである。

 オトコとカタカナにしたのには意図がある。「男の〇〇」という時、そこには趣味的=自分(たちだけ)の楽しみといったニュアンスが含まれる。たとえば、「男の料理」や「男のロマン」という言い方に典型的だ。そういうことから、「男の育児」と表記すると、男性(夫・父)による趣味・楽しみ的な育児(それは女性から「いいとこどりの育児」と言われたりする)というイメージを持たれてしまいかねないと考え、カタカナ表記にしている。

 子どもが生まれたことで私の生活は一変した。

 何よりもまず、仕事をする時間がぐっと減った(ここでいう「仕事」とは、講義や校務のことではなく、調べものをしたり原稿を書いたりすることを指している)。

 子どもが生まれる前は夕食と入浴を終えたあとの時間は仕事にあて、12時頃に寝ていた。子どもが生まれてからは、子どもが就寝する9時過ぎまで子どもの相手と家事に追われ、息をつく暇もない。最近は夜に仕事をすることを諦め、子どもと一緒に9時に布団に入り、朝の4時台に起きてひっそりと仕事をしている。

 必然的に、夜に外出することがほぼなくなった。もともと私はお酒が飲めない。けれども、人と話をするのは好きなほうなので、そういう場に行くのは嫌いではなかった。が、今ではまず行くことはない。人づきあいが変わった(悪くなった?)かもしれない。

 休日に家で仕事をすることもなくなった。休日は、子どもと家で遊んだり、家族で出かける日になった。おかげで、「子どもが楽しめる場所」にはずいぶん詳しくなった。

 入浴や食事の仕方も変わった。1日の疲れをとってリラックスするために、ゆっくりお風呂に入っていたのが、今では子どもの体を洗うために入っているようなものである。少し肌が敏感な子どものために、天然成分の石鹸から泡立てネットを使って泡を作るのもうまくなった。

 朝食はあわただしく10分くらいで食べおえていたのが、ゆっくりと30分は食卓に座るようになった。健康的でいいことだと思うが、意識してそうなったのではない。食べることに集中できない子どもにつきあっていると、結果としてそうなったのである。

 そして、ほとんど料理をしなかった私が、今では平日の夕食を作っている。レパートリーもかなり増えた。これはともに仕事を持ちながら育児をする妻との関係の中で変わったことである。

 他にも「変わったこと」をあげればきりがない。あらゆることにおいてそれまでの自分のペースはことごとく崩され、子どもの生理や生活を基にしたものに切り替えられた。けれども、それは決して不本意なことや嫌なことではなく、人生半ばを過ぎたところで思いがけず遭遇した、生活に新鮮なリズムとテンポを与えてくれるうれしい転機だった。それまでの人生の延長線上ではなく、別の人生を一から生きているような感じがする。私にとって、父親になるまでの人生と父親になってからの人生は大きく異なる。思いもよらなかったことである。

 同時に、自分自身の人生を一から生きなおしている感じもしている。子どもが離乳食を食べられるようになる。ハイハイができるようになる。ヨチヨチ歩けるようになる。普通食を食べられるようになる。トコトコ歩けるようになる。片言を話せるようになる。会話が成立するようになる。トイレでおしっこができるようになる。さらにうんちもできるようになる。数えきれないほどの成長の段階がある。

 これらを間近で見ていると、「自分もこうだったのか」と思わずにはいられない。そして、「できるようになる」喜びを自分のことのように味わう。私自身が乳幼児だったころに感じたであろう「できるようになる」喜びは、当然のことながら記憶には残っていない。したがって、その喜びを初めて実感しているともいえる。わが子を通して、幼き自分に出会えた。

 子どもが生まれた時、私はぼんやりと過ごしてきた時間の多さと残された時間の少なさに気がつき、愕然とした。しかし、それはもうどうしようもないことである。それならば残っている日々を、少しでも厚いものにしたいと考えるようになった。

 20代や30代で父になっていれば、違っていたかもしれない。いささか年を取ってから父になったため、こんなふうに思うのだろうか。

 毎日の生活の重なりが人生になっていく。今の私の日常生活において、育児は大きな比重を占めている。とすれば、育児をする生活が、私の人生、将来の私、をつくっていることになる。

 私は社会学を専門とする大学教員である。この連載で、私は育児する日常生活を書いていくが、そこには問題らしきことは出てこない。いや、社会問題らしきことは出てこない、と言ったほうが適切だろう。しかし、何でもないように見える日常生活のなかにも、絶えず何かが起こっている。私たちは日々それらに向き合い、とまどい、悩みながら、それなりに解決しては、明日に向かって歩いている。

 そこで起こっていることは、他の人からすれば、あまりに「ふつう」のことであり、取るに足らないことかもしれない。しかし、当事者である私にとっては、意味のある出来事であり、事件である。そして、ごく私的なそれらのシーンには、「生活する」ということの普遍性が宿っているようにも思うのだ。日常生活はぼんやりとして退屈なものである。煩わしいことも多い。「生活する」とはそういうことだと思う。しかしながら、ただ流れる時間に身を任せるのではなく、意識的に周囲を見渡し、身近な人たちとの関係をよりよく維持し、自分の足下をたえず自覚するとき、日常生活の豊かさが立ち上がってくる。

 160万部の大ベストセラー『育児の百科』(岩波書店、初版1967年)の著者として知られる小児科医の松田道雄は、あるエッセイの中でこう書いている。

日常の生活を大事にし、それを意味あるものにするためには、自分の頭で考え、注意力を集中し、経験をかみしめ、たえず創造していかなければならない。『いいたいこと・いいたかったこと(松田道雄の本13)』(筑摩書房、1980年)

 地道な努力がくわわった時、日常生活はかけがえのないものに変わりうる。

 私は子どもが生まれてからの5年間、妻とともに育児に取り組んでいる。と言うより、育児の「真っただ中にいる」という方が適切だろう。中にいるからこそ、いろいろと見えてくるものがある。いいとこどりの育児しかしていなかったら気づかなかっただろう。「オトコの育児」とは、ただ「負担」を分担するということではなく、いのちを育むという責任と喜びを大いに深く味わうことができる営為である――このことは、妻の妊娠がわかった時には、まだ理解していなかった。私はまだ父になっていなかった。

 次回は、45歳の私が、妻の妊娠を知った時のことを書こうと思う。

工藤 保則

工藤 保則
(くどう・やすのり)

1967年、徳島県生まれ。龍谷大学教授。専門は社会学。著書に『中高生の社会化とネットワーク』(ミネルヴァ書房)、『カワイイ社会・学』(第25回橋本峰雄賞。関西学院大学出版会)、共編著に『無印都市の社会学』(法律文化社)、『<オトコの育児>の社会学』(ミネルヴァ書房)、『基礎ゼミ 社会学』(世界思想社)などがある。好きなものは、落語、散歩、リクオ(シンガーソングライター)、「0655」(テレビ番組)。現在、5歳の息子と0歳の娘の子育てまっただ中。

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