46歳で父になった社会学者

第33回

感染(2)

2022.03.22更新

『46歳で父になった社会学者』の刊行から、ちょうど1年が経とうとしていたある日、著者の工藤保則さんから一通のメールが届きました。
「突然ですが・・・2月に家族全員がコロナ感染しまして・・・」
息子の発熱からはじまった、9日間の家族の記録。特別編として、2日にわたって掲載します。前編はこちらから。

2月11日(金・祝)

 少しうとうとしただけで、朝になった。7時30分に布団から出た。

「じゅんくん、どう?」

「おいら、元気になった」

「よかったなー。今度はパパがしんどくなってきた」

「えーっ。パパ、体温、測ってみたら」

「そうだね」

 37.4度だった。激しい頭痛が続いている。前日に「今は症状は出てないけど、発熱するかもしれないから」と病院で処方された解熱・鎮痛剤を飲み、布団に戻る。午前中はずっと38度台の熱があった。

 昼食は、前日、妻の同僚がレターパックでスープをたくさん送ってくれたので、妻、じゅん、あさはそれとご飯と昨日のぶり大根の残り。子どもたちに食欲があるのがうれしい。私は食べずに布団の中にいた。6時間あけて、15時にも解熱剤を飲んだ。

 私が起き上がれなくなったので、妻が子どもの相手をしていたのだが、その妻も、午後、38.8度まで熱が上がる。頭痛もあったので、妻も布団に入って休んだ。じゅんとあさにはドラえもん映画のDVDを見てもらった。じゅんはほぼ回復したので、DVDがおわった後もあさとふたりで遊んでもらった。妻は数時間寝て、起きた時には熱は37度台に下がり、頭痛もおさまった。

 夕方、妻の同僚が自転車に乗って、野菜やお肉、それに冷凍食品、飲み物、ゼリーなどをいっぱい届けてくれた。玄関ドアの向こうにいる同僚に妻がお礼を言っているのを、私は布団の中で聞いていた。

 夕食はうどん。妻、じゅん、あさは普通に食べた。その後、3人は2日ぶりに入浴。その間、私はずっと布団の中にいた。

 20時、私は熱が一気に上がっていることが分かった。測ってみると39.1度。頭痛もそれまで以上になった。

「ハア、ハア、ハア......。ウーーー」

 息が早くなり、うめき声も出た。

 うめき声に気付いた妻がやってきた。私の息が早くなっているのを見て、びっくりして何か言っている。私は、頭痛で妻の言葉がよくわからなかった。

 容体が急変したときはとにかく電話してください、と医師に言われていたことを思い出した妻は、診療時間外だがあわててクリニックに電話した。出てくれた内科の先生に、高熱でハーハーと息が速くなっていることを伝えると、「息ができないのと、息が早くなるのとは別です。熱のせいで息が早くなっていると思われますから、前に飲んだ時から6時間あけなくていいので薬を飲んでください」という指示。それに従って薬を飲んだ。

 薬を飲んだことで、少し落ち着きはしたが、頭痛はほとんど改善されなかった。

 じゅんとあさは回復し、妻もずいぶんましになった。一方、私は一日中、頭痛、倦怠感、発熱、節々の痛みが続き、数年前にノロウイルスでのたうち回ったとき以来のしんどさだった。

2月12日(土)

 またあまり眠れないまま朝に。私は朝食は食べず、そのまま布団の中で過ごした。熱は38度台のまま。妻は頭痛はおさまったとはいえ、まだ本調子ではない。

 お昼ご飯は、前日に妻の同僚が持ってきてくれた冷凍食品の高菜ピラフ。私は食べられそうになかったので、冷凍食品の焼きおにぎりを食べた。

 午後はじゅんとあさに『アナと雪の女王2』のDVDを見てもらった。その間、妻も少し寝ようと考えていたようだったが、途中であさがやってきて起こされてしまった。その後も、ふたりで騒いでいたので、妻は休憩できずじまいだった。夕食は冷凍食品の中華どんぶり。私は昼と同じく焼きおにぎり。

 私は昨日から1日中横になっているので、体が固まり、ぎっくり腰にもなってしまった。とはいえ、相変わらず激しい頭痛もあったので、ずっと寝たままでいるしかない。

 頭痛が続き、夜もほとんど眠れなかった。

2月13日(日)

 朝は起きあがれず、午前中にまたハアハアと息が早くなった。薬を飲んで休んでも私が一向に回復しないことを心配して、妻はクリニックに電話をかけた。「ちょうど、経過観察の電話をしようとしていたところでした」と内科の先生がすぐに出てくれた。「頭痛によく効く、もう少し強い薬を飲んだ方がいいかもしれませんね」というアドバイスを受けて、市販薬の「イブ」を飲んだ。これが効き、頭痛が一気に軽くなった。

 昼食は野菜炒め。皆と一緒に私も少し食べた。その後、妻が子どもたちに「パパの寝ている部屋にはいかないように」と言い、子どもたちがそれを守ってくれたので、14時半から2時間、深く眠ることができた。たった2時間だったが、目が覚めた時はずいぶん楽になった。

 夕食は、私以外は、数日前にスープをたくさん送ってくれた妻の同僚がまた別便で送ってくれたレトルトカレー。私はご飯だけ食べた。

 食事をしながら、4人で大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を見た。私はまだしんどいので、話の展開についていけてないところもあったが、じゅんはちゃんとついていっていたので、妙に感心した。

 妻は一日通して36度台だった。

 妻が私のスマホにradikoをインストールしてくれたので、思いたって「山下達郎のサンデーソングブック」を聞いた。この番組は、20代の頃、よく聞いていた。30年近く前だ。そのことに驚く。

 番組を聞いた後、「今日は眠れるかな」と期待したが、そうもいかず、目をつぶったままじっとしていた。4時頃になって、やっとうつらうつら。

 薬を変えて頭痛が楽になったので、峠を越えたように感じた。越えたといっても少しだけ越えたところで、まだ峠付近であることには変わりはなかったが。

2月14日(月)

 じゅん、あさ、妻は7時半に起床。私も少し遅れて起床。一緒に朝食を食べた。体温は37.3度、まだ頭痛が残っていたので、ふたたび布団に。

  8時に妻が小学校に電話し、担任の先生にじゅんが回復したことを伝えた。先生は喜んでくれた。そして先生が毎日、プリントをポストに投函してくれていたことのお礼も伝えた。じゅんも先生と少し話をした。

「もう元気になった。今日から、タブレットで授業を受けます」

 タブレットの授業は、毎日、1科目のようで、この日は3時間目の算数だった。じゅんはリビングのテーブルにタブレットをおいた。たまたま私も起きていた時間だったので、じゅんが授業を受けている様子を横で見るともなく見た。先週の火曜日から小学校を休んでいるので、じゅんにとってもひさしぶりの授業だ。授業準備ができておらず、「いろいろいるなぁ」と言いながら、いちいち自分の部屋に行き(この数日間、私が寝ている部屋)、定規をとってきたり、プリントを取ってきたりしていた。ほほえましいと言えばほほえましいが、「学校の授業でもこんなのかな。大丈夫なのかな」と心配になった。あさが途中から、じゅんの勉強の邪魔をしだす。「もうわからへんくなってきたやんかー」とじゅんが言った。

 私は、一日中、寝たり起きたり。午後、布団の中で古今亭志ん朝のCDを聴く。じゅんとあさはスタジオジブリの『セロ弾きのゴーシュ』のDVDを見ていた。

 夕方、クリニックから症状の問い合わせの電話があり、妻が応じた。先生の話によると「オミクロン株の症状として頭痛が多いというわけではなく、症状として多いのは咳と咽頭痛」とのこと。

 夕方、私はじゅんと一緒におもちゃの片づけ。ほとんどあさが散らかしたのだが、本人は片づけるそぶりをみせない。片づけが終わった後、じゅんとあさは妻と一緒にお風呂に入った。妻が出た後も、ふたりは残り、湯舟いっぱいにお湯をため、きゃーきゃー騒ぎながら長風呂。その後、私もひさしぶりに入浴した。じゅんとあさが残したいっぱいのお湯にざぶんと入り、ゆっくりつかった。ひげも剃った。お風呂から出て体重を測ったら、寝込む前に比べて1.5キロ減っていた。

 気持ちよく入浴したので「今日は眠れるかな」と期待したが、やはり眠れなかった。23時頃から、古今亭志ん朝のCDを聞く。2枚聞いても眠れなかった。3枚目をCDデッキに入れることはせずに、目を閉じた。4時頃になって、うつらうつら。

2月15日(火)

 7時に目が覚めた時に「体調は良くなっている」と感じた。同時に「頭痛はまだ残っているな」とも。4人で朝食を食べ、私はまた布団に入り、2時間寝た。時間は短かったが、わりと深く眠れた。後で妻が「いびきをかいてたよ」と教えてくれる。私が寝ている間、じゅんはタブレットで算数の授業を受け、あさはその横でお絵描き帳に落書きをしていた。

 昼食は4人で野菜炒めを食べ、午後は子どもたちには『アラジン』のDVDを見てもらった。私もその横でぼーっとしながら、テレビ画面を見るともなく見た。

 夕方、保健所から私宛に電話があった。家族で一番発症が遅く、クリニックから保健所への連絡も一番遅かったはずなのに電話は最初にかかってきた。妻、じゅん、あさについても、この電話で対応してもらうことにして、それぞれの発症、症状、現在の体調について話した。「後からまたかかってくると思いますが、その時は『もう答えました』と返事してください」とのことだった。保健所もそうとう混乱していることが分かった。

 その電話によると、隔離解除が、じゅんは18日(金)、妻とあさは19日(土)、私は20日(日)。「直前の3日間に症状が出なかったら、通常の生活に戻っていただいてけっこうです」とのこと。それを聞いて、「じゅんくん、3日後の金曜日から、学校に行けるなぁ。あさちゃんは来週の月曜日からか。でも土曜日には外に出られるな。ふたりには、もうちょっとだけ、がんばってもらおう」と思った。

 やっと、先が見えてきた。解除日を具体的に指示されると、気持ちがずいぶん違った。「今、どうするか」「今日、どうするか」ではない気持ちになれた。その感覚は約1週間ぶりだった。逆にいうと、この1週間は、常に「今、どうするか」「今日、どうするか」ばかり考えていたことになる。

 夕食は、私以外はハンバーグ。私はご飯とみそ汁。

 23時に布団に入るが、2時半まで眠れず。体内時計が狂ったのだろう。寝ついた後も、2~3回、目がさめた。

2月16日(水)

 7時30分に目が覚めてすぐに「もう大丈夫」と思った。朝食を食べた後も、昨日までのように布団に戻ることはしなかった。

 小学校の1時間目の授業時間、じゅんはオンラインで国語の授業を受けた。授業が終わった時に、手をあげて、先生に「工藤さん。なに?」とあててもらった。

「明日、学校に行きます」

 それを聞いた先生は、タブレットのなかで「明日、じゅん、学校に来るって」と言っていた。教室がわいていたのが分かった。しかし、じゅんの言った「明日」は間違いである。正確には「明後日」だ。家にずっといるので、日にちの感覚がズレたのだろう。

 オンライン授業が終わった後、私はじゅんとあさの相手をした。この数日、妻が子どもたちの相手をしてくれたので、今日は1日子どもたちをみようと思っていた。だが、それは無理だった。ほぼ回復したとはいえまだ万全というわけではないので、午前中だけでヘトヘトになった。午後は妻がじゅんとあさをみてくれた。

 私は少しだけ仕事をしようと、ひさしぶりに机に座った。まだ腰痛は少し残っていたが、頭痛はもう残っていない。2時間くらい机に向かっていたが、結局、ほとんど仕事はしなかった。じゅんが発熱した日から今日までのことを思い出して、いろいろ考えたのだ――。

 私たち家族は全員が感染したが、発症に少し時間差があったので、それなりに対応できたように思う。また症状にもそれぞれ差があったので、対応できたところもある。

 普段は、じゅんとあさはどちらも、私と妻がケアする対象だが、じゅんとあさが回復した後は、じゅんにあさをみてもらうこともあった。想像していた以上に、じゅんはあさの世話を焼いてくれた。あさもそれなりに満たされていたようだった。じゅんにケアする側にまわってもらうことで、私と妻の負担をいくらか分散することができた。それにより、気持ちもずいぶん楽になった。

 あさの症状が軽く、すぐに平熱に戻ったことも、幸いだった。あさは回復後、いつものように部屋の中を散らかし放題で遊んだ。私や妻は、そんなあさを見て、気の晴れるところがあった。自宅療養生活はどうしても陰鬱なものになってしまいがちである。あさの無邪気で気ままなふるまいは、その療養生活の暗さを思いっきりふきとばしてくれた。あさのエネルギーが、私や妻のしんどさをいくらか発散してくれたように思う。これも、ある意味での分散であろう。

 家庭内でのコロナ感染対策として「分ける(区別する)」「一緒にしない」ということが言われる。それに従って、私たちは個人で区別することが可能なものはそうした。じゅんが感染してからはコップやタオルは共有していない。食事も大皿から取って食べるのではなく、最初からそれぞれのお皿に入れて食べた。「それくらいなの?」と思われるかもしれない。子どもが小さいと、それくらいしか区別できないのが家族の現実である。その一方で、家族に振り分けられるものは、家族の誰かにいくらか引き受けてもらった。家族内で「分けて(分散し)」「一緒にした(共有した)」とも言えよう。

 隔離により家族外と分離されたかというと、決してそういうことはなかった。

 自宅から出られなくなった時に、気になることのひとつは三度三度の食事である。最初にじゅんが発熱した時点で、私はまとまった食材を買っていた。それに加えて、妻の同僚が早い段階で食材を届けてくれた。また別の同僚がレトルトスープやカレーをたくさん送ってくれた。ふたりとも妻の同僚であるとともに友人である。私とも親しい。私たち家族のコロナ感染を聞きつけ、すぐに手を差し伸べてくれた。ほかにも、「必要なものがあれば持っていきます」とメールをくれた友人は何人もいた。それらもあって、食事で困ることはなかったが、そのこと以上に、手を差し伸べてくれたということ自体に支えられた。

 クリニックの小児科の先生も、じゅんのコロナ感染が明らかになった後でも、電話をかけて相談をしたらすぐに診察、点滴をしてくれた。その翌日は祝日であったにもかかわらず、必要があれば点滴をしてくれるといってくれた。また、診療時間外であっても、電話をかけると、内科の先生がていねいに対応してくれ、休日にもかかわらず経過観察の電話をかけてくれた。それによって、どれだけ救われたかわからない。先生たちのふるまいは、目の前にいる人(患者)を手当てするのは当然というようなごく自然なものだった。

 じゅんの小学校の担任の先生は、毎日のように、連絡や宿題のプリントをポストに投函してくれた。保育園の先生はあさのPCR検査キットを自宅玄関まで持ってきてくれて、別日に回収してくれた。ぜんそくまで発症してしまい咳が止まらなくなった妻は、呼吸器内科の先生に電話で診察してもらい、薬は近所の調剤薬局の薬剤師さんが届けてくれた。いろんな立場の人が、閉じこもっている私たち家族をサポートしてくれた。地域社会の中でのつながりを感じた。

 私たち家族はマンション住まいということもあって、特に地域社会の中で生きているという実感は持っていなかった。クリニック、小学校、保育園との関係は、ここに住んで働き、子育てをする中で築かれたものである。そのつながりは、隔離生活をとおしてかえって目に見えるかたちで現れた。いつもはそれほど意識していないつながりだが、それによって強く支えてもらった。

 このつながりは、ただ住んでいれば自然に生じるものではない。自転車で行き来できるくらいの範囲内で「暮らせている」かどうかによるもののように思う。ありがたいことに、私たちは子どもたちのおかけで、点と点でつながった地域社会――それは以前のような面としての地域社会とは異なるものであるが――の中で暮らせていたようである。

 ここで暮らすことによりつながった人たちが差し伸べてくれる手が、辛さ・しんどさを分かち合ってくれた。だからだろう、物理的には隔離状態ではあったが、気持ち的には孤独感は覚えずにすんだ。

 家族内で分散できたこと、家族外が分かち合ってくれたこと。私たち家族は、自宅療養生活を共有した/してもらったことで、ずいぶん楽になれた気がする。

 ぼんやりとこんなことを考えていたら、夕方になった。

 私は6日ぶりに台所に立って、カレーを作った。

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お知らせ
本連載(第1回〜第28回)が本になりました。ぜひ書籍でもご覧ください。

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『46歳で父になった社会学者』工藤保則(著)

工藤 保則

工藤 保則
(くどう・やすのり)

1967年、徳島県生まれ。龍谷大学教授。専門は文化社会学。著書に『中高生の社会化とネットワーク』(ミネルヴァ書房)、『カワイイ社会・学』(第25回橋本峰雄賞。関西学院大学出版会)、共編著に『無印都市の社会学』(法律文化社)、『<オトコの育児>の社会学』(ミネルヴァ書房)、『基礎ゼミ 社会学』(世界思想社)などがある。好きなものは、落語、散歩、リクオ(シンガーソングライター)、「0655」(テレビ番組)。現在、8歳の息子と3歳の娘の子育てまっただ中。

編集部からのお知らせ

西靖 × 工藤保則「アナウンサーと社会学者が語る 『家族がコロナになったとき』」開催します!

fc5c4b364e9c7a082a0d.jpg本連載の著者・工藤保則先生によるオンラインイベントを開催します。
お相手をつとめるのはMBSアナウンサーの西靖さん。工藤先生と同じくコロナ感染、ご家族の看病を経験されました。子育て家庭のコロナ療養のリアルを共有いただき、未感染者は今後の備えにもなるような90分です。みなさまのご参加お待ちしています。

開催日時:5月13日(金)17:30〜19:00

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