46歳で父になった社会学者

第6回

帰省

2019.04.04更新

 私は徳島県のいなか町で生まれ、育った。高校卒業後にその町を離れ、気がつけば、県外で暮らす期間の方がずっと長くなってしまった。結婚するまでは帰省もあまりしなかった。その理由は自分でもよくわからない。でも、その町を出たからこそ、そして、あまり帰らなかったからこそ、かえって、その町が「ふるさと」となったように思う。

 ドイツ文学者・池内紀の『出ふるさと記』(新潮社、2008年)は、ふるさとを出て「その人」になった12人の作家の人物伝である。作品に反映されたふるさとをめぐる紀行文にもなっている。「はじめに」には、こう書かれてある。

何よりも超えるために、そこから出ていくために人はふるさとを持たなくてはならない。ふるさとを持たないで老いるのは酷いことだ。

 私は、ふるさとを出てからの時間で、自分を作ってきたという思いがある。そういう私も、遅い結婚、そして父になったこともあってか、ふるさとが、近く感じられるようになってきた。ふるさとというのはなんとも不思議な存在である。そのふるさとに、最近は、頻繁に帰っている。

 
 「(京都から)徳島へ帰省します」と言えば、「どのくらいかかりますか」と聞いてくる人が多い。それは、マイカーでの移動を前提にしているのだろうが、私は車の運転免許を持っていない(ちなみに妻も持っていない)。マイカーで帰省できれば、ある種、「居間」の延長で移動できるのかもしれない。が、そうはいかないのである。

 「ご実家で泊まって、ゆっくりされるのですね」と言ってくれる人もいる。実家は築100年を超える家なので、水まわりや冷暖房などの面で乳幼児には不便なところがある。そのこともあって、今のところ、息子のじゅんを連れて実家に泊まったことはない。毎回、4~5時間の滞在(×1~2日)である。まわりが想像するものと、どうやら少し様子が違うようである。

 そういった私たちの帰省は、徳島に向かう日の1カ月前から始まると言っていい。京都から徳島に向かうのには高速バスを利用するのだが、そのチケットの発売が乗車日の1カ月前となっているからだ。発売開始直後に電話をして、おとな2人と子ども1人の座席を予約する。就学前の子どもは親の膝の上に座らせると無料なのだが、京都駅前-徳島駅前間の3時間をそうすると、間違いなく親の方は体力を消耗してしまう。動きをかなり制限されることになるので、じゅんも望まないだろう。子ども料金を支払って席をひとつ確保したほうが3人の疲れが少なくてすみ、何かと便利なので、そうしている。

 座席もどこでもいいというものでもない。生後4カ月のじゅんを連れてはじめて帰省する際、妻とともに「どの席がいいだろう」とずいぶん検討した結果、車両の一番後ろの列2つとその前の列の通路側1つがよさそうに思えた。一番後ろの列は通路を挟んだ向こう側がトイレとなっている。その3つなら、おむつかえやミルクやりなどの時に、ほかの乗客の目に入ることもほとんどなく、勝手がいいだろうと考えたのだ。

 実際、そうだった。一番後ろの席に私か妻のどちらかが座り、じゅんを膝の上に置いたり、隣の座席で横にしたりする。もうひとりが前の席で体力を温存しておいて、途中で交代する。

 それから3カ月に1度のペースで帰省したが、じゅんは1歳半くらいになるまでは、乗車時間の半分くらいは寝ていることが多かった。「赤ちゃんを連れてのバス移動は、たいへんですね」と心配してくれる人も多かったが、実際は思ったほどではなかった。持っていった文庫本を読むくらいの余裕はあった。

 ところが、じゅんが1歳半をすぎると、状況は変わってきた。バスの中であまり寝てくれなくなったのだ。そうなるとじゅんにとってはもちろん、私と妻にとっても、3時間というのは、かなり長い時間になってくる。

 その頃から、じゅんがバスの中で退屈しないように、気晴らしとなるものを荷物の中に入れるようになった。ミニカー、シールブック、絵本などである。退屈しそうになると、それをひとつ出し、ふたつ出していった。

「ウーッ。ウーッ(唸り声)」

「あっ、リュックの中に何か入ってる。何かなー。何かなー。わぁ、こんなの入ってた」

「アッ」

「シールブックだ!」

「アー!」

「これで遊ぶ人?」

「ハイ!」

 家にあるものばかりだと遊びが長続きしないので、事前に新しいものを買っておいて、バスの中で披露することもあった。

 それと同時に、それまでとは別の座席をとるようにした。最前列の、運転手さんの後ろの席1つと、通路を挟んだ席2つだ。そして運転手さんの後ろではない方にじゅんを座らせる。そこからはフロントガラス越しに前方がよく見え、乗り物好きのじゅんは、道路を走るクルマを見て喜ぶ。運転手さんがハンドルを握る姿を興味深そうに見つめる。この頃は、じゅんがバスの中で突然歌い出すこともあった。そういうときも、一番前の座席だと他の乗客の迷惑になることが少なくてすんだように思う。

 1カ月前にバスの座席の予約をした後は、宿を確保する。それからはじゅんの体調管理に気を配る。常に気をつけていると言えばそうなのだが、帰省1週間くらい前からはその度合いがさらにぐっと増す。気になることが少しでもあったら、すぐ病院に連れていく。念のために保育園を休ませ、家で休養させたこともあった(それでも当日朝に発熱し、帰省を取りやめたこともあった)。

 そして2日前までに荷造りをする。前日だとあわててしまうからだ。妻は必要なものをリストアップして書き出し、漏れがないように細心の注意を払う。3人分の荷物を大きなバッグ2つとリュック1つに詰める。じゅんが乳児の時は、ベビーカーも忘れてはならない。

 当日は朝6時に起床し、支度をする。7時すぎに、私はリュックを背負い、片手にバッグを持ち、もう片方の手でベビーカーを引いて、妻はバッグを持ち、じゅんを抱っこして、自宅を出る。タクシーで京都駅前まで移動し、そこから8時に出発する高速バスに乗る。途中、淡路島にあるパーキングでトイレ休憩があり、そこでじゅんに外の空気を吸わせ気分転換させる。

 バスが11時に徳島駅前に着くと、すぐ近くにあるホテルのロビーで一息入れる。おむつ替えやミルク、離乳食をここですませる。ターミナルにあるホテルは子ども連れにとってはオアシスだ。小一時間休んだ後、1両編成のJR列車に乗り換え、実家がある駅に向かう。

 12時半頃、最寄りの駅に到着する。駅舎は私が子どもだった頃とほとんど変わらない。しかし、駅前の商店街はシャッターが降り、閑散としている。駅舎の前には、古い車に乗った父が迎えに来ている。


 はじめてじゅんを連れて実家に帰った時、祖父は102歳。頭はまだしっかりしていた。竹で作った自家製の杖を両手に持って歩くこともできていた。

 「目がよーみえん(目があまり見えない)」「耳がよーきこえん(耳があまり聞こえない)」と言っていた祖父だが、じゅんの顔を覗き込むや否や「えー顔しとる(いい顔をしている)」、じゅんの泣き声を聞くと「元気な声じゃなぁ」と言った。私は「じいちゃん、目、見えているのとちがう」「耳、聞こえてるのとちがう」と冗談を言いながらも、赤ちゃんの持つ力に驚いた。じゅんを抱かせると「重いのー。元気な子じゃなぁ。ゆーことなし(言うことなし)」と言い、私と妻にかしこまって「えー子に育ててください」と頭を下げた。

 その後の帰省でも、祖父はじゅんの顔を見た途端に顔をほころばせた。そして、ことあるごとに「えー子じゃ、えー子じゃ」と口にした。籐製の椅子に座った祖父のまわりに、私たちは座布団を敷いて座り、皆でただじゅんに視線を注ぐ。

「じいちゃん。じゅんくん、寝返りしてるよ」

「おーおー」

という会話をしたと思ったら、次の帰省では

「じいちゃん。じゅんくん、ハイハイしてるよ」

「おーおー」

 となった。その次は、じゅんはつかまり立ちを披露した。

 祖父と父にとっては、3カ月ぶりに見るじゅんは、前に見た時とは大きく異なるようだ。毎日見ている私や妻でさえ、ほんの小さな変化に感動し、その姿を写真に収める。3カ月の変化となれば、なおさらであろう。

 特に何をすることもなく過ごした後、夕方、父に車で徳島駅前まで送ってもらう。家ではどうしても祖父とじゅんとが中心になってしまうので、車の中で妻が父にじゅんのことをあれこれと話す。父はいつも楽しそうにそれを聞いている。

 車が徳島駅前に着くと、父と別れる。いつだったか、父がぽつりと「祭りの後じゃな」と言った。少しの沈黙の後、私は「またすぐ帰って来るけん(帰って来るから)」と返事した。

 
 帰省はふるさとがあるからできることである。

 じゅんは、私とふるさとを、再び、結びつけてくれた。

工藤 保則

工藤 保則
(くどう・やすのり)

1967年、徳島県生まれ。龍谷大学教授。専門は社会学。著書に『中高生の社会化とネットワーク』(ミネルヴァ書房)、『カワイイ社会・学』(第25回橋本峰雄賞。関西学院大学出版会)、共編著に『無印都市の社会学』(法律文化社)、『<オトコの育児>の社会学』(ミネルヴァ書房)、『基礎ゼミ 社会学』(世界思想社)などがある。好きなものは、落語、散歩、リクオ(シンガーソングライター)、「0655」(テレビ番組)。現在、5歳の息子と0歳の娘の子育てまっただ中。

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