46歳で父になった社会学者

第20回

距離

2020.06.03更新

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この連載に加筆修正を加え、本になりました。ぜひ書籍でもご覧ください。

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『46歳で父になった社会学者』工藤保則(著)

 今、息子のじゅんは6歳9カ月。3月21日に保育園を卒園し、4月8日にある小学校の入学式を待っている。

 4月7日に更新されたこの連載(第18回)の冒頭にこう書いた。いつもは、息子のじゅんが3~4歳までのことを書いているが、その回は「番外」編として、6歳になっているじゅんの最近のことを書いた。今回もいわば2回目の「番外」編として、最近のことを。

 保育園の卒園式は園の講堂の窓を開け放って行われ、時間も短縮された。卒園式の後は、例年なら、保育園の近くのホテルに移動して保護者主催の「卒園を祝う会」が開催されていた。子どもたち、保護者、先生方が参加して会食をしながら行われる催しである。

 じゅんたちの「祝う会」に関しては、ほぼ1年前の春から内容の相談をはじめ、年明けから本格的な準備に入った。保護者による出し物の練習にとりかかった2月下旬に、それまではまだ少し距離感のあったコロナ感染拡大防止のための「自粛」が、日常生活のすぐそこまで近づいてきた。外出時に避ける場所としての「三密」(換気の悪い〈密閉〉空間、多数が集まる〈密集〉場所、間近で会話や発声をする〈密接〉場面、を避ける)がいわれ始めたのだ。

 保護者の間でも、「祝う会」をどうするかの検討がなされた。「会食はなしにして、そのほかは予定通り開催する」、「規模を縮小して開催する」、「延期する」、「中止する」といった様々な意見が出た。どれも子どもたちと先生方のことを想ってのものであるため、結論に至るまでには時間がかかった。最終的には、卒園式の1週間前に、中止することが決まった。そのかわりに、卒園式の後、少し休憩をはさんで、同じ会場でごく短い時間の「ひと時の祝う会」を開催することになった。

 「ひと時の祝う会」の中には、保護者たちが画用紙で作ったネコの耳をつけ、子どもたちが大好きな絵本『ネコリンピック』(さく・ますだみり え・ひらさわいっぺい ミシマ社)ふうに、「例年通りでなくたって、いいんだってにゃ~」と声をあわせていう場面があった。この言葉に象徴されるように、保護者の想いがこもった、あたたかみのある会になった。

 その後、子どもたちと保護者は保育園からほど近い御所に歩いて移動し、大きなイチョウの木の下でお弁当を広げた。そして、「魔女」から届いた手紙と地図をもとに慣れ親しんだ御所を歩きまわり、ひとりひとりが与えられた課題(たとえば、コマ回しをする、側転をする)に挑戦する冒険ごっこを楽しんで解散した。今から思うと、まだそういうことができた状況だった。

 その頃は、私自身も新型コロナウイルスに関してどう対応していいのか、つまり何をどう自粛したらいいのか、よくわかっていなかった。外出時はマスクを着用し、 手洗いとうがいを励行し、室内では十分な換気をするくらいの対策しかとっていなかった。周囲も同じようなものだったと思う。

 4月に入ったあたりから、一気に様子が変わった。私自身の生活の中にも、自粛にまつわるあれこれが深くかかわってくるようになった。

 最初にそれを体験したのは、4月5日にあった、ある学会の会議だった。会議は、直前になって、三密を避けてZOOMを使って行うことに決まった。

 会議当日。午前の会議が始まる前に、じゅんには「パパはお部屋で会議をしているから、お部屋には入ってこないでね」と伝えておいた。が、そんなことは、土台無理な話である。じゅんの認識では、私が家にいるということは遊んでもらえるということだ。これまでそうしてきたから当然である。会議が始まって早々に、妹のあさを引き連れて部屋に入ってきた。何かを起こしそうな気配に満ちていた。予想どおり、パソコンに向かっている私におかまいなしで、部屋の中をうろつき始めた。パソコン画面の中の会議参加者が笑いながら手を振っているのを見て、私は「もしや」とふりかえった。案の定、じゅんとあさは私の背後で手を振っていた。

「こんにちは。じゅんくんです」

元気に挨拶までする始末である。

 その後も私のそばをうろうろしていたが、仕方ない。「自宅でオンライン会議となれば、当然、こういうことが起こる。それをわかってもらえたら」という思いもあり、しばらく、ふたりをそのままにさせておいた。

 午後の会議の時間。あさを横の部屋で昼寝をさせ、妻はじゅんを連れて散歩に出た。「もう少し寝るかな」と思っていたあさが、突然、起きて泣き出した。私はあさをだっこし、ふたたび眠りにつくまで約30分間、ゆらゆらさせながら会議に参加した。

 後から、会議に参加していたある方から「子連れ出勤は女性だけの特権ではないので、お子さんが画面に登場したのはとてもよかったですよ」と声をかけていただいた。「わかってくれている」とほっとした。

 小学校は3月から休校になっていたが、入学式は予定通りに4月8日に行われた。入学式では、会場となった体育館に、新入生も保護者も隣と間隔をあけて座った。必要最小限にとどめた式の後、クラスの集合写真を撮り、教室で担任の先生からの話を聞いて、解散となった。翌日は連絡事項の伝達のための登校があり、その次の日から休校に入った。

 これまで、私は自宅で授業の準備をしたり、本を読んだり書きものをしたりしてきた。が、それはじゅんやあさが保育園にいっている時間や寝ている時間を使っていた。ふたりが起きているときは、仕事どころではなかった。

 あさは保育園で夕方までみてもらえたので、問題はじゅんだ。じゅんは長時間ひとりでいることはまだできない。私は在宅勤務になったが、オンラインでの授業や会議があるため、じゅんのことをずっとみていることはできない。妻は会社に出勤して仕事。どちらの親も近くに住んでいないので、頼れない。小学校の休校中、じゅんをどうするかを、考えなければならなかった。

 小さな子どもがいる家庭の場合、家で子どもをみながら仕事をすることはほぼ不可能だろう。小学校高学年以上だとしても、ひとりで勉強できる子どもはそう多くないように思う。この「テレワークと子ども問題」は、新聞などでもたびたびあつかわれている。しかし、この問題には、仕事(ワーク)にくわえ家事も含まれていることを忘れてはならない。実のところは「テレワークと家事と子ども問題」なのだ。多くの人が直面し、悩んでいることだろう。

 私は、在宅勤務となり、また普段から食事作りを主に担当していることもあって、この「テレワークと家事と子ども問題」に否応なく直面することになった。

 活動・行動の自粛、それとともにオンラインでできるものはするという発想が一気に広まったが、おとなしかいない空間を想定した発想が多いように思えた。子育て中の家庭のことはほとんど想定されていないように感じられた。子どもは、おとなのようにはいかない。子どもがいたら、おとなだけのようにはいかない。

 では、子育て家庭はどう対応したらいいのか。私自身、よくわからなかった。それぞれの家庭が試行錯誤しながら、ギリギリのところで、なんとか対応してきたのではないだろうか。

 じゅんだけなら、無理を承知で、私が家でなんとかみることもできたかもしれない。が、いたずら盛りのあさがいる。昼間はこれまで通り保育園でみてもらっているが、保育園にいくまでと帰ってからのあさの行動はすさまじい。妻とともにその相手をするだけでへとへとになる。そんな中、じゅんをみることは、同時に家事と仕事をすることは・・・、どう考えても無理だと思った。

 私と妻は、じゅんをどうするか、かなり話しあった。結論としては、午前中は小学校の特例預かりに、午後は学童保育にお願いすることに決めた。私が12時に小学校に迎えにいき、家でいっしょに昼食をとり、13時30分から受け入れてくれる学童保育へ送る、ということにした。家族の全体としてのこころとからだの健康を考えるとそれが一番いいのではないか、と考えたのだ。

 その対応が定着してきたと思ったころである。4月16日に緊急事態宣言の対象地域が全国に拡大され、同時に京都府は特別警戒都道府県に指定された。それを受けて、4月22日からじゅんの通っている学童保育は休校になった。じゅんはお昼に小学校の特別預かりから帰ってきた後は家で私と過ごすことになった。

 その頃、勤め先の大学の授業では、5月11日から始まるテレビ会議システムを使っての授業の前段階として、クラウド型教育支援システムを通じての課題のやり取りが中心だった。事前に課題を用意しておけば、授業開始時にアップされる。私はじゅんを小学校に送っていった後の時間を使ってその授業準備をするようにした。授業後の課題の採点、コメント付けも午前中に終わらせるようにした。

 学童保育休校1日目の午後、家でじゅんをずっとみた。そして、疲れはてた。これまで、土日にじゅんやあさをみているとき、「月曜になれば保育園にいってもらえる」と思えたので、楽しみながらのりきることができた。今回は、いつまで続くかわからない。それが疲れに大きく影響したのだろう。

 翌日もあれこれ過ごし方を試行錯誤したが、なかなかうまくいかなかった。じゅんも私がうまく相手ができていないことがわかるのだろう、遊んでいてもどこか消化不良のようだった。

 そこで、私はこれからの長丁場に備えて、じゅんをずっとみようとすることを、早々にあきらめた。私は、この手のあきらめは早い。

 24日から、いっしょに昼食をとった後は、じゅんなりに「ひとりの時間」を過ごしてもらおうとした。

「じゅんくん、ちょっと相談なんだけど・・・。じゅんくんは小学1年生になったから、ひとりで遊べるかなーって思うんやけど。どうかなー」
「わからん」
「ちょっと試してみよーか」
「なんで?」
「学童がお休みになったから、夕方までパパと一緒でしょう。ふたりで毎日ずっと一緒にいたら、じゅんくんもパパもちょっとしんどいかなぁって」
「おらはしんどくない」
「『おらはしんどくない』か。ごめん、パパはちょっとしんどいかも」
「そーなん」
「そーかもしれんなーって。で、ちょっとだけ別の部屋でいるようにしたらいいかもって」
「ふーん」
「今、時計の短い針が2でしょう。それが4になるまでやってみよーか」
「いーけど」
「4になったら、一緒に外にいってお散歩しよう」
「縄跳び、持っていっていい?」
「もちろん」
「じゃあ、おら、4まで遊んどく」

 ひとりの時間に、じゅんはお絵描きに励んだ。

 動物の絵、外国人の絵、忍者の絵、アンパンマンの絵、トイストーリーの絵、ゴレンジャーの悪者の絵、自分で考えたキャラクターの絵、鯉のぼりの絵などなど、次から次へと描いていった。それらをセロテープで束ね、「じゅんくんがつくったえのずかん」というタイトルの分厚い図鑑をつくった。

 保育園時代の友だちに、手紙を書いた。

「コロナおわったら、おうちにきてね。いっしょにあそぼうね」

 色紙にそう書き、裏には園庭で一緒に遊んでいる絵を描いていた。3~4通、書いたのではないだろうか。

 ある日は、物語をつくった。

「むかしむかし あるところに ひとりのむスこがいました
そのむスこわ あるひ たびにでました
それで むスこわ たびにでて のうこえ やまおこえて いきました
むスこが あるいていると ひがくれ あたりが まッくらになりました
そこに いッけんの おうちが ありました
そのいえわ おにのいえでした
むすこに おにがおいかけてきました
えい とびだしました
そこで むすこは ちかみちお とーた
おしまい」

 自由帳にそれぞれの場面の絵とともに書いていた。

 ときおり、私の部屋に「見て、見て」と来ることもあったが、それはそれ。じゅんは、2時間、ひとりで遊んでくれた。

 これを、単純に「じゅんがひとりで創造的に遊んでくれたからよかった」としてはいけないだろう。じゅんもがんばってくれたと思う。

「じゅんくん。ありがとう。短い針が4になったから、お散歩にいこうか」
「パパー、お散歩の前に、戦いごっこしよー。やーっ」
「あーっ、不意打ちだー。やられたー。しかえしするぞー」
「もーっ、上手投げはなし。パパは攻撃したらダメ」

 子どものからだは正直である。2時間、ひとりで絵や文字を書いていたら、「お散歩にいこうか」といっても、そこまで待てないみたいだ。いつもは、戦いごっこをするほうではないじゅんも、この時は戦いごっこをからだが強く欲したようだ。しばらく、戦いごっこをした後で、ふたりで自宅近くの堀川に向かった。

 堀川沿いの遊歩道につくと、じゅんは縄跳びをしながらかろやかに走りだす。私はそのあとを歩いてついていく。ずいぶん先までいったじゅんが、私のところまで縄跳びをしながら戻ってきてくれる。そして、後ろ飛びに挑戦する。散歩初日は1回もできなかったが、やり続けているうちにできる回数が増えていった。

 そして、とりとめもない話をした。やはり、外でからだを動かすのは気持ちいいのだろう、じゅんは次から次へと話かけてくる。

「パパ、おとなってたいへんやなぁ」

 突然、じゅんがそういいだすことがあった。コロナ禍でおとながあたふたしていることを指しているのだろうか。

「なんで?」
「病院で寝ないといけへんし。血も採られるんやろ」

 どうやら、少し前に私が人間ドックにいく予定だったことを指しているようだった(人間ドック前日に、病院からコロナにより外来中止との電話連絡が来て、延期になった)。

「パパは年いって結婚して、そして、じゅんくんたちが生まれたから、健康に気をつけないとあかんからなー」
「年いって、結婚したん?」
「そう。45歳の時」
「年、いってんなー」
「年、いってたなー」
「結婚って、じゅんくんが好きな人がいても、その人がじゅんくんのことを好きになってくれなかったら、でけへんのやろ」
「そらそうやなぁ」
「ママは結婚する人がいーひんかったから、パパと結婚したんやろ」
「そうなんかなぁ」
「ママ、そーいってた」
「そうなん。そしたら、やっぱり、おとなって、たいへんやなー」

 とにかくじゅんはよくしゃべった。私も十分にじゅんの相手ができている気がした。子どもの相手は、こちらも余裕がないとつとまらない。

 1時間の散歩を終え、5時過ぎに私とじゅんは家に戻った。ほどなくして、妻とあさも帰ってくる。そこからは、できるかぎり、コロナ前と同じように過ごそうとした。

 後から聞くと、じゅんは縄跳びをしながらの散歩が楽しかったようだ。もちろん私もそうだが、私にとってはその前の「一緒に家にいるが、離れている時間」が大きかったように思う。

 一緒に家にいるが、離れている時間――今までそういうことはほとんどなかった。一緒に家にいたら、必ずといっていいくらい近くにいた。物理的にも精神的にも近くにいた。私にとって、「一緒に家にいるが、離れていた時間」は、距離について考えるきっかけになった。

 「外出時に避ける場所」としての「三密」。では、外出ではないとき、つまり自宅でいるときの「密」はどうなのだろう。これまで、家族とは密接な関係であることが望ましいとされてきたように思う。コロナ禍においても、それはたいして変わっていない。むしろ、家の外で密を避ける代わりに、家の中で家族と、物理的にも精神的にも密をすすめるような雰囲気さえあった(もちろん、感染予防については別の話になるが)。親と子どもは家に閉じこもって何の問題もなくすごせるものと、世間は思っているように感じた。そのためか、距離をとることがこれだけ要請されるなか、家族との距離、親子の距離が話題になったことはほとんどなかった。だが、先が見えないなか、家族で、親子で、家にいるのはなかなかたいへんだ。家でじゅんと一緒にいることにそこそこ慣れている私でも、今回、そう感じた。

 午後の2時間、私はじゅんとある一定の距離をとった。その2時間は、ほんの少しだがゆっくりさせてもらった。そのことで、それ以外の時間を、多少の余裕をもって、仕事と家事と育児にあてることができたと思う。家族、親子間にも距離が必要だとつくづく感じた。

 臨床心理学者の高石恭子は、あるエッセイの中でこう述べている。

 この非常事態下にあって、社会的距離を取ることの徹底と同時に多くの家の中で起きているのは、家族間の距離の喪失です。「距離」は取りようによって、世界中の人々の生命を脅かすウイルスを制圧する劇薬にもなるし、親と子の関係に決定的な影響を与える劇薬にもなります。一人ひとりのおかあさんたちにぜひ伝えたいのは、そのような今の状況に対して少しでも自覚的になり、「自分さえ努力すれば」と距離を見失ったまま頑張り続けないでほしいということです。

 目の前のわが子にカッとなって手を上げるくらいなら、自分が一人で公園のベンチに座って木々を眺めてみることです。思い切って、いつもの保育所に子どもを送り出してもよいでしょう。これは不要不急ではなく、必要至急の「距離」の取り方です。繰り返しになりますが、緊急事態下にある社会は、弱い立場の者やマイノリティに非難の目を向けやすいのです。子どもを連れた母親も、弱者でありマイノリティです。冷ややかな目を向けてくる人に対しては、あなたに問題があるのではなく、その人自身が自分の不安と戦っているのだと思ってみてください。

「距離という劇薬――ほどよい母親でいるために」、高石恭子『おかあさんのミカタ――変わる子育て、変わらないこころ』世界思想社webマガジン『せかいしそう』2020年5月8日

 母親に向けて書かれているが、私にも向けられている。そう思った。じゅんやあさを家でみるべきではないか、じゅんをずっとみておくべきではないか、散歩も控えるべきではないか、などと迷う気持ちが、私の中にはずっとあった。自分はもっとできるかもしれないのにそれをしていないのではないか、がんばりがたらないのではないか、と。高石の言葉は、私のこころをさすってくれた気がした。

 学童保育は5月7日から再開された。15日間の休校だった。その間にゴールデンウイークがあったので、平日は7日間。じゅんをずっとみようとしたのが、そのうちの2日。なので、「2時間のひとりの時間」は、いってみれば、たった5日間のことである。たった5日間であっても、私にとっては、じゅんとの距離、その距離の持つ意味について考えた、決して短くない時間だった。

工藤 保則

工藤 保則
(くどう・やすのり)

1967年、徳島県生まれ。龍谷大学教授。専門は文化社会学。著書に『中高生の社会化とネットワーク』(ミネルヴァ書房)、『カワイイ社会・学』(第25回橋本峰雄賞。関西学院大学出版会)、『46歳で父になった社会学者』(ミシマ社)、共編著に『無印都市の社会学』(法律文化社)、『<オトコの育児>の社会学』(ミネルヴァ書房)、『基礎ゼミ 社会学』(世界思想社)などがある。好きなものは、落語、散歩、リクオ(シンガーソングライター)、「0655」(テレビ番組)。現在、8歳の息子と4歳の娘の子育てまっただ中。

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