46歳で父になった社会学者

第15回

正月

2020.01.03更新

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この連載に加筆修正を加え、本になりました。ぜひ書籍でもご覧ください。

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『46歳で父になった社会学者』工藤保則(著)

いまの私にとって、お正月とはどんなときかしら。
どうやらそれは、とめどなく流れていく私の暮らしの中で、年に一度の折り目切れ目になっている。次から次へ、いろんな出来ごとに追い立てられ、夢中で歩きつづける私は、そこでやっと立ち止まり、ホッと一息して、ゆっくりうしろを振り返る。

 これは、昭和の名女優として知られる沢村貞子のエッセイ集『私の台所』(1981年)からの一節である。この文章は、私と妻の気持ちを代弁してくれている。

 私たちもお正月にうしろを振り返る。やはり息子のじゅんのことが中心になる。

「今年は、じゅんくん、初めて新幹線に乗ったねぇ」
「岡山への日帰り旅行で」
「岡山城の真ん前で、じゅんくん、うんちきばりだしたなぁ。雲ひとつない秋晴れの空の下でさ」
「『おむつ替え、アンダー・ザ・スカイ』やったなぁ(笑)」

とか、

「金比羅さんに行ったとき、じゅんくん、ほんとうに楽しそうやったなぁ。あの石階段を、どんどん、どんどん、先に登って行って」
「『ママ、がんばれ』って応援してくれてた」
「うちはクルマがないから、脚力がついたのかもしれないね(笑)」

とか、

「そういえば、じゅんくん、今年はほとんど風邪をひかなかったね」
「病院で先生から『じゅんちゃん、病気抜けしたね』っていわれた。それ聞いて、『そういういい方があるんや』って思った」
「なるほどねー」

とか。

 そうして、必ず「1年前のお正月は、どうだったのかな。その前のお正月はどうだったのかな」と思いをはせることになる。

 毎日つけているじゅんの記録から、じゅんが4歳になるまでの正月三が日の様子を抜き出してみる。

0歳(生後6か月)のお正月。

1日。6時起床。6時15分ミルク180cc。11時ミルク250cc。12時30分~13時30分ベビーカーで散歩(近所の神社に初詣)。15時30分ミルク210cc。16時~17時30分ねんね。19時おふろ。20時ミルク230cc。21時~ねんね。夜中1回起きて泣く。

2日。7時起床。7時30分ミルク240cc。9時10分~10時30分ねんね。12時ミルク230cc。12時30分~14時20分ベビーカーで散歩。15時45分~16時30分ねんね。17時30分おふろ。20時ミルク205cc。21時ねんね。

3日。6時30分起床。7時ミルク210cc。この日から離乳食スタート。11時に10倍がゆをひと匙与える。よだれをいっぱいだして舌をぺろぺろ。自分でスプーンをつかんで、おもちゃを口に入れるようにして遊んだ。11時20分ミルク260cc。12時20分~14時40分ねんね。14時50分~15時50分ベビーカーで散歩。16時30分ミルク230cc。18時30分~19時ねんね。19時40分ミルク230cc。20時30分ねんね。

1歳(1歳6か月)のお正月。

1日。7時30分起床。朝食におせち料理を出したがじゅんはあまり食べなかったので、パン、ヨーグルト、ジュース、お雑煮(人参、大根、さつまいも)という奇妙な組み合わせの食事になる。10時頃に上賀茂神社に初詣に行くため家を出る。じゅんは自宅から1㎞弱くらいの距離を自分でベビーカーを押しながら歩き、その後はベビーカーに乗る。参拝を終え、バスに乗って帰宅した後、昼食、そして昼寝。昼寝の時、少しせき込む。寒さで風邪をひいたのかもしれない。夕食をとり、おふろはやめておく。

2日。風邪気味なので、一日、家で過ごす。微熱はあるが、食事はいつも通り。おふろはやめて体をタオルで拭くだけにする。

3日。平熱に戻る。家でゆっくりし、夕方、お風呂にいれる。21時に就寝。

2歳(2歳6か月)のお正月。

1日。6時45分起床。朝食はおせち少しとパンとジュース。午前中、妻とじゅんはバスで北野天満宮に初詣へ(私は風邪で寝込んでいた)。午後、妻の両親と姉家族が来る。じゅんははじめはもじもじしていたが、慣れてきてからは片言でのおしゃべりをはじめ、1時間後には大きな声で歌らしきものを歌う。晩御飯はみんなですき焼きを囲む。

2日。朝、ホテルに泊まった妻の家族と合流して、そのままバスで上賀茂神社に行く(私は寝込んだまま)。帰ってきてから、じゅんはみんなに遊んでもらう。晩御飯の時、上賀茂神社で買った壬生菜の漬物をかけたご飯をニコニコしながらほおばるじゅんを見て、みんな幸せな気分になる。

3日。妻とじゅんはバスで下鴨神社に行き、そこで妻の家族と合流する(私は寝込んだまま)。参拝の後、喫茶店で昼食。神社からの帰り道、じゅんはかなりの距離を歩く。

3歳(3歳6か月)のお正月。

1日。7時30分起床。起きるなり、10日くらい前からお決まりの台詞になっている「今日は、どこいく?」という。おせちも「これ、食べたい」と指さして、食べる。午前中、40分くらい歩いて北野天満宮に向かう。

2日。妻の両親と姉家族がくる。そして、みんなで上賀茂神社に1時間かけて歩いていく。参拝して、家に帰ってきてからは義母が作ってきてくれたおせちを前にして「これ、食べたい」と指さし、食べる。じゅんがごぼうや里いもなどもおいしそうに食べることに義父母は驚く。晩御飯はすき焼き。じゅんは「おいしーなー」と言いながら食べる。

3日。午前中は家でごろごろして過ごし、午後に私とじゅんは2時間くらい散歩する。

4歳(4歳6か月)のお正月。

1日。7時起床。「あけましておめでとうございます」と挨拶してから、おせちを食べる。じゅんは牛肉のしぐれ煮と昆布巻を好んで食べる。10時過ぎに私と一緒に歩いて北野天満宮に向かう(妻は腰を痛めていたため、バスで向かう)。その後、平野神社、わら天神にも詣で、ぎゅうぎゅう詰めのバスに乗って帰る。

2日。上賀茂神社に歩いて行く。本殿にお参りした後、厄除け大根とぜんざいを食べる。じゅんは猫舌なので厄除け大根を口の中でハフハフさせてから飲みこんでいた。

3日。私と京都水族館に行く。オオサンショウウオを初めて見て「おっきいなー」と驚きの声をあげる。イルカショーを見て帰る。

 お正月をふりかえると、じゅんが赤ちゃんから幼児になっていったことがよくわかる。

 0歳の記録にあるのは、ミルクとねんねとベビーカーでの散歩だけ。そういうなか、離乳食が始まった。じゅんにとっては、これから一生続く「食べる」という行為の初めの一歩を踏み出したという意味で、記念すべきお正月だった。それから1年たった1歳のお正月では、私や妻とほぼ同じものを食べるようになっていた。それにくわえて、よちよち歩きもできるようになり、ベビーカーを押しながらだと、さらに歩けるようになっていた。2歳ではある程度の長い距離を歩けるようになっていて、片言をしゃべるだけでなく、歌も歌えるようになった。3歳ではさらに長い距離を歩き続けられるようになっていて、好き嫌いなく何でも食べるようになっていた。そして何よりも、スムーズな会話ができるようになっていた。4歳になったら、3日とも外出できるくらいの体力がついていた。

 毎日の生活のなかでも、何かしら昨日とは違うものを感じるが、それが積み重なった1年となると、その変化の大きさに驚く。

 子どもの誕生日は成長を実感するいい節目だろう。それに負けず劣らず、お正月も子どもの定点観測に役立つ。かつては、暦年が変わるごとに1歳年を取るという数え年という年齢の表し方もあったほどだ。

 数え年の時代から今は遠い。しかし、お正月が1年の区切りであるのは今も変わらない。社会心理学者の井上忠司は年中行事をあつかったある本の中で、お正月をこう説明している。

そもそも正月とは、年(としの)神(かみ)が降臨するのを祝う、神迎えの大切な行事であった。きちんと年神を迎えないと、その年が不幸になると信じられており、家の門口に立てられる門松(かどまつ)は、依代(よりしろ)として重要な意味をもっていた。一般の家庭で飾られる注連(しめ)飾りは、人間に災いをもたらす禍(まが)神(かみ)が、家の中に入らないようにする呪(まじな)いの意味をもっている。鏡餅も年神様へのお供えである。ちなみに鏡餅が一般にも普及し、現代のようになったのは、家に床の間ができた室町以降のことである。年神様を饗応するための料理がお節料理に、神にささげた供物(くもつ)のお下がりをわけたのがお年玉にと、年神を迎えるさまざまなしきたり、風習が今につながっているのが正月である。(『現代家庭の年中行事』、講談社現代新書、1993年)

 習慣や慣行などの生活様式のことを習俗というが、習俗のうちでも変わらないもの・変わりにくいものを指して特に民俗という。「地域社会における民間伝承」と説明されることもある。つまり、民俗とは「人々の生活文化の本質」と理解することもできよう。かつて、生活文化は地域社会と密接に結びついていた。人と地域社会とのある種の契約を意味する年中行事は、民俗の代表的なもののひとつとされてきた。井上が「そもそも正月とは」と書いているのは、この民俗としての正月風景を説明しているからである。

 マンション住まいのわが家では、門松を立てることもないし、注連飾りもない。鏡餅を供える床の間もない。お節料理はデパートで買ったものである。現代では、似たり寄ったりの家庭が少なくないのではないだろうか。

 お正月の風景は変わった。もちろん、「新しい年を祝う」という本質的な意味は変わっていない。変わったのは「地域社会との関わりから家族の行事・イベントへ」というお正月の意味づけである。家族づくりに年中行事が活用されるようになったことにより、様々なコマーシャリズムとあいまって、お正月は以前とは違ったかたちで活性化しているようにも思われる。別のいい方をすれば「民俗から風俗へ」ということになるだろうか。風俗とは習俗のうちの変わりゆく・変わりつつあるもののことをいう。

 それぞれの家庭でそれぞれのお正月が迎えられている。わが家のお正月も、その年その年のじゅんの成長とともに、なにかしらわが家らしいお正月風景ができあがっていっているように思う。毎年迎えるお正月は、毎年新しい。それは子どもの定点観測のみならず、家族の定点観測にも役立つ。

 冒頭に示した沢村貞子のエッセイは「このごろ、なんとなくお正月の値打ちが下がったような気がする。」と始まり、最後は「お正月は、老女にも小さい夢と勇気を贈ってくれる。だから私にとって、お正月の値打ちは――とても大きい。」で締められる。じゅんが生まれるまでは、私にとってもお正月の値打ちは下がっていたように思うが、じゅんが生まれてからは、その成長をあらためてよろこぶ日として、そして、家族の今を確認する日として、値打ちが上がっている。


参考文献
『私の台所』沢村貞子、暮しの手帖社、1981年
『現代家庭の年中行事』井上忠司、講談社現代新書、1993年

工藤 保則

工藤 保則
(くどう・やすのり)

1967年、徳島県生まれ。龍谷大学教授。専門は文化社会学。著書に『中高生の社会化とネットワーク』(ミネルヴァ書房)、『カワイイ社会・学』(第25回橋本峰雄賞。関西学院大学出版会)、『46歳で父になった社会学者』(ミシマ社)、共編著に『無印都市の社会学』(法律文化社)、『<オトコの育児>の社会学』(ミネルヴァ書房)、『基礎ゼミ 社会学』(世界思想社)などがある。好きなものは、落語、散歩、リクオ(シンガーソングライター)、「0655」(テレビ番組)。現在、8歳の息子と4歳の娘の子育てまっただ中。

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