46歳で父になった社会学者

第17回

ふく

2020.03.05更新

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この連載に加筆修正を加え、本になりました。ぜひ書籍でもご覧ください。

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『46歳で父になった社会学者』工藤保則(著)

 7月生まれの息子のじゅんは、最初の夏はほぼ肌着だけで過ごした。おしめをつけた上に膝までの丈の長袖肌着を着せ、ベビー布団の上に寝かせていた。生まれたばかりの赤ちゃんは寝汗をかくし、おしっこの間隔が短いので、しょっちゅうおむつを替える。股の部分が分かれていない肌着は着脱しやすく便利だった。

 とはいっても、不器用な私は、まだあまり動かないじゅんに肌着を着せるのにも苦労した。布団の上に前あきの肌着を広げてセットし、そこにじゅんを寝かせる。じゅんの腕を袖に入れたら、袖口からそっと手をひいて通す。左右の袖に腕を通し終わったら、前の紐を結ぶ。たったこれだけのことなのだが、やわらかいじゅんのからだがもろい壊れ物のように感じられ、おっかなびっくりで着替えをさせていた。

 その時の肌着を長肌着ということを、後から知った。他に長肌着より裾が短い短肌着、股下をスナップで留めて左右に分けられるようになっているツーウェイオールなどがあることも後から知った。

 肌着そのものについても、初めて知ることばかりだった。まず、何といっても、ふわふわとしていてとても軽いことに驚いた。そして、縫い代が肌にあたらないように表面に出ていることや、襟ぐりが返し縫いになっていることなど、ひとつひとつに驚いた。肌着はほんの小さいものなのに、その中に赤ちゃんに対してのやさしさが詰まっていた。あらためて、赤ちゃんのできたての肌はデリケートであることを実感した。

 生後1カ月たつと、じゅんは足を激しくばたつかせるようになった。そこで、はだけにくいツーウェイオールを着せるようにした。秋になり、さすがに肌着だけでは寒いので、その上にカバーオールを着せ始めた。冬はさらに義母が編んでくれた毛糸のチョッキを着せた。ほとんど家の中にいたので、それですんでいた。

 たまにベビーカーで散歩する時は、ジャンプスーツを着せた。ジャンプスーツは上下がつながっていて密閉性が高く、防寒具として重宝した。

「じゅんくん、ベビーカーでお散歩に行こうか。お外は寒いから、もこもこさん、着ようね」

「ここにゴロンしてくださーい。手を通しまーす。チャックを締めまーす。脚のところはパッチンしまーす。はい、できあがり。あったかそうで、いいなぁ」

 じゅんに着せていたボア素材のジャンプスーツのことをわが家ではもこもこさんと呼んでいた。

 春、保育園に通い始めた頃(生後9カ月)から、シャツにズボンというセパレートの服を着せるようになった。じゅんは赤ちゃんの時のようにじっとしてはくれない。ゴロンゴロン転がって逃げたり、足をバタバタしたりするので、着せるのはひと苦労だった。

「じっとしてて。あーっ、まってまって」

「じゅんくーん、じゅんくーん。はい、捕まえた。だっこでもどりまーす。よいしょ、っと。はい、着陸。じっとしててください」

「すぐ終わるから、ちょっとがまんして。お願い」

 1歳になり、お座りが安定するようになってくると、じゅんは自分で服の袖に手を通そうとしたり、ズボンに足を入れるようになった。

 1歳2カ月になり、つかまり立ちができるようになると、自分で服を着ようと積極的に試みるようになった。じゅんが私の肩に両手を置き、バランスを保ちながら片足をあげる。そこに私がズボンの足をもっていって通す。じゅんは足を下して、今度は反対側の足をあげる。服の袖に手を通すのも、ずいぶんうまくなった。しばしば、襟ぐりから手を出すこともあったが。

 2歳を過ぎる頃には、自分で衣装ケースの引き出しを引っ張り、着たい服を選ぶようになった。私や妻が用意した服やズボンを嫌がることも増え、「じぶんで!」と言って選びたがった。その結果、ボーダーの服にボーダーのズボンという「よこしま」コーディネイトや、ライオンの大きなイラストの入ったTシャツにシロクマのイラストがいっぱい入ったズボンという「猛獣」コーディネイトになることもあった。

「うわぁ、すごい組み合わせやなぁ」

「じゅんくんが自分で選んだんだから、いいんじゃない」

「そやね。案外似合っているところがまたすごい」

 そんなこんなを経て、3年かかって、ほぼひとりで服の着脱ができるようになった。

 その3年で、服のサイズは50センチから90センチへと変化した。

 じゅんが保育園に通い始めたころは、無地や模様だけのシンプルな服を着せていた。もちろんそれは親の趣味である。

 働くクルマや動物への興味が増してきた2歳の頃、そうしたイラストの入った服が通販のカタログにたくさん掲載されているのを妻が見つけ、「じゅんくん、喜ぶかも」と少々派手なその手の服を注文してみた。届いた服をじゅんに着せると、思いのほかよく似合った。じゅんも大いに喜んだ。親はシンプルでシックなものを着せたいと思っていても、子どもの方はなんのその。イラストが入ったカラフルな服が断然好きである。着替えを嫌がった時も、「ほら、ライオンさんの服、着よう。ガオーッ」と誘うと、すんなり乗ってくれるからありがたい。

 それと同時に、じゅんはそれまで着ていた無地の服を物足りなく感じるようでもあった。そこで、妻は考えた――動物や乗り物のワッペンを買ってきて、それを無地の服の胸やズボンのすそに付けたのだ。かくしてじゅんの服やズボンには、どこかに必ず動物や乗り物がついているようになった。じゅんは妻が新しいワッペンをつけるたびに大喜びした。

 イラストやワッペンのある服を着るというのは、じゅんにとって別の意味も持つようになった。まだ片言しかしゃべれなかったじゅんは、朝、保育園に登園し先生に会うと、まず服のワッペンを指さして「んー、んー」と言う。先生が「あっ、きりんさんだね」とか「救急車だね」と言ってくれると、にっこりして先生のお膝に座る。恥ずかしがり屋のじゅんにとって、先生と朝の挨拶ができる道具にもなったのだ。先生だけでなくお友だちにも「んー、んー」と言って見せていた。それを見てお友だちも「んー、んー」と返事をしていた。

 3歳にもなると、登園時に「おはよう」と言えるようになった。そうなっても、先生はじゅんの服にある柄について話しかけてくれた。「今日は、新幹線だね」「今日は、パンダさんだね」と。じゅんは恥ずかしそうにその柄をなでてから、お友だちのところに駆け出していった。

 たった3年間であっても、子ども服に関する思い出はつきない。じゅんの身長が伸びていくにつれ、着られなくなった服はどんどん増えていく。処分するのはためらわれる。けれども、ずっと置いておく場所もない。

 泣く泣く選別をして、じゅん自身も気に入って特によく着ていた思い出深いものだけを残すことにした。

 まだきれいな服は、友人のお子さんに譲った。おさがりを着てもらえるのはとてもうれしい。

 汚れたり、くたくたになっている服はやむなく処分する。「じゅんくんがお世話になりました」という言葉を添えて。

 服は、一番近いところで、じゅんのことを守ってくれた存在である。

 そういう気持ちがあるので、知人の出産祝いには子ども服を贈ることにしている。生まれてすぐに着るものではなく、1~2年後に着られるものを贈っている。「赤ちゃんの服はすぐに着れなくなるけど、80センチや90センチの服はわりと長く着れるので役に立つはず」と妻は言う。

 まだ見ていないお子さんの顔を想像しながら、くわえて、ギフトボックスを開けた時の知人の顔も想像しながら選ぶ。子どもはどんな色・柄を着ても似合うから不思議だ。子どもの生命力の方が勝るからだろうか。そのようなことを考えながら独特の空気感が漂う子ども服売り場を歩いていると、自然に笑みがこぼれてくる。乳児服のあまりの小ささに感嘆の声をあげながら、じゅんの小さかった時のことを思い出し、その成長にあらためて感じ入る。

 私は何かにつけお祝いをするのが好きなのだが、なかでも出産祝いが一番好きだ。赤ちゃんがこれから歩む人生には悲喜こもごもいろいろ待ち受けているだろうが、「この世に生まれてきた」ということは、なによりもことほぐべきことであろう。そのお祝いをさせてもらうのは、「福」のおすそ分けをいただくようでもあり、ほんとうにうれしい。

 私たちもじゅんが生まれた時に80~90センチの服をいただいた。「1~2年たったら、こんなに大きな服を着るのか。信じられないなぁ」とふたりで話したことを覚えている。そんな服もあっという間に小さくなった。

 子どもの成長は切なくなるほどに早い。

工藤 保則

工藤 保則
(くどう・やすのり)

1967年、徳島県生まれ。龍谷大学教授。専門は文化社会学。著書に『中高生の社会化とネットワーク』(ミネルヴァ書房)、『カワイイ社会・学』(第25回橋本峰雄賞。関西学院大学出版会)、『46歳で父になった社会学者』(ミシマ社)、共編著に『無印都市の社会学』(法律文化社)、『<オトコの育児>の社会学』(ミネルヴァ書房)、『基礎ゼミ 社会学』(世界思想社)などがある。好きなものは、落語、散歩、リクオ(シンガーソングライター)、「0655」(テレビ番組)。現在、8歳の息子と4歳の娘の子育てまっただ中。

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