第11回
ギター革命 前編
2026.08.05更新
フィンガースタイルを習い始めて8か月が過ぎた。「キラキラ星」から始まって、タイトルのない短い練習曲やメトロームと格闘する時間が長く続き、指が痛いわ、親指がもげそうだわで、もはやここまでかと思う時もあったが、弦を押さえる左指のタコもいつのまにか固くなって痛みを感じることはほとんどなくなり、弾ける曲も少しずつ増えてきた。
目下、取り組んでいるのは初級から中級に進むための橋渡し曲の一つ、エルビス・プレスリーの名曲「Can't Help Falling In Love」。簡単そうだけど、ストロークする右手の力加減がむずかしい。どうしても余計な弦をはじきすぎてメロディラインを邪魔してしまうのだ。この奏法はこの先、どんな曲を演奏するにしても大事になってくるそうなので、急がずゆっくり練習している。
健康寿命を伸ばせ、さもなくば医療費がもたん、と国におどされる今日この頃。思い立ったが吉日とか、今日が一番若い日とか、使い古されたキャッチコピーで老後の健康のためにも趣味をもつよう追い立てられている世代だが、ギターに関していえば、再開できただけでなく、専門家について習って本当によかったと感じている。合奏の中のギターの役回りはどうしてもコード弾きの伴奏が中心になるが、フィンガースタイルの場合は、講師のおおもりごうすけ先生がよくYouTube動画のサムネにも書いているけれど、メロディも伴奏も、時にはパーカッションも、ギター1本で完結するところがすばらしい。ギターといえばエレキと弾き語りしか知らなかった私にとって、フィンガースタイルとの出会いはまぎれもなく「ギター革命」なのだ。
一日も早くおおもり先生に感謝を伝えねばなるまい。思い立ったが吉日、おおもり先生の本拠地、北海道に飛ぶことにした。えーっ、いきなりですか? はい、だって今日が一番若い日なのだから。
スキー場で知られる札幌の藻岩山にあるMOIWA三荘という山小屋で行われた、GOSKE OMORI BGM NIGHT。YouTubeやレッスン動画は大量に視聴してきたが、ギタリストGoske Omoriの生演奏を聴くのは初めてだ。オリジナル・アルバム「Solo Special Edition」を中心に、会場のリクエストにも答えて1時間弱。やはり生音はデジタルで聴く音とはずいぶん違う。機械的に整えられていないから同じフレーズも、繰り返されるたびに弦の響きが揺れ動く。オリジナル曲は繊細で情感豊かな作品が多いのだが、生で聴くとコクというのか、いい意味での適度な雑味が加わって心地よい。
店長の三井紀和さんの計らいで、ステージに一番近い斜め45度の席に座ることができたこともあり、動画ではよく見えなかった左親指と左足の動きもよくわかり、最後まで目が離せなかった。これまでさんざん教わってきたことだが、無駄な動きをせずに弾くとはどういうことか、間近で見てよくわかった。右の手のひらにネックが収まって親指にほとんど力が入っていない。仕事熱心なほかの指に比べてとても軽やかで、自由で、楽しそうなのだ。親指ーっ、そんなところにいたんかい、という感じだ。
左足も大活躍である。最近、メトロノームをはずして左足が刻むリズムだけで弾く練習もするよう先生に指導されているのだが、確かに本番になるとメトロノームのカチカチ音を流すことはできない。複数の楽器と合わせるバンドではイヤホン型のメトロノームが必要になるが、ソロでは自分の身体だけが頼りだ。「上靴制にしたら急にギターが上手くなった話」というタイトルのYouTube動画があって、アパートの下の階の人から苦情がくるとかいろいろ言い訳せずに、公園でも車の中でもいいから、とにかく靴音をたててステップを踏めと強調していたおおもり先生。やっぱり身体で刻むリズムは演奏の要なのだなと改めて思い知らされた。
いろいろ好き勝手に書いていると、おまえ何様やねんと怒られそうだけど、要は、プロはすごい、ということです。
おおもりごうすけ先生は1982年、東に太平洋、西に日高山脈がそびえる十勝の最南端、広尾町の生まれだ。楽器を始めたのはそんなに早くない。おかあさんがピアノを弾いていたけれど習ったこともない。両親の影響はまったくないという。高校生になって友だちの影響でエレキギターを始めて、学園祭にバンドで出たというところまでは、どこかで聞いたことのある話かもしれない。B'zやXジャパンのコピーをしたというのも、同世代ならあるあるだろう。
学生時代、ロックバンドでメジャー・デビューを目指したところから少しずつ景色が変わる。当時は神奈川の大学に通いながら、本気でプロを目指す人たちとセッションをしてエレキの腕を磨いた。演奏を褒められることはあったが、「あのバンドにいても駄目だよ」とたびたび忠告された。ギターはやりたい。でも、これでいけると思えるバンドがなかなか組めない。このまま大学を卒業してフリーターにはなりたくない。普通に就職するつもりもない。
海外に出てギター修行をしようと思っていろいろ調べるうちに知ったのが、ワーキング・ホリデーだった。二国・地域間で、青少年の休暇目的の入国と滞在期間中の就労を認める制度で、1980年にオーストラリアとの間で始まったのを皮切りに、おおもり先生が大学を卒業する頃にはニュージーランド、カナダ、フランス、ドイツ、イギリス、韓国など7か国への入国が認められていた。第一志望のアメリカが含まれていなかったのは残念だが、英語圏の国ならほかにある。温暖なところがいいと思い、オーストラリアに決めた。持参したギターは、エレキだった。
飲食店でアルバイトをしながら語学学校に通う日々。ライブハウスに行ってはバンドを組める機会をうかがっていたが、ある日、転機が訪れる。音楽が好きでギターも弾く英語の先生が、トミー・エマニュエルのライブビデオを貸してくれたのだ。「ギターやりたいんだったら絶対に見たほうがいいよ」といって。
「まだVHSの時代です。当時はトミー・エマニュエルの名前も、フィンガースタイルも知らなかった。でもビデオを見て、おお、これだったら一人でできると思ったんです。バンドメンバーはいらない。練習も一人でできる、作品も一人で作れる、一人で完結すると」
近くに先生がいるわけではない。資料や楽譜もうまく探せない。ところが2005年に入って、ギターの練習方法を大きく変えるメディアが登場する。YouTubeだ。これまでCDのジャケットでしか顏を見たことがなかった有名ギタリストの演奏から、名前も顏も知らないギタリストまで、いろんな演奏が動画で見られるようになっていく。誰かの秘蔵映像として埋もれていたお宝動画も、次々とアップロードされた。
画面を見れば、どうやって出すのかわからなかった音が読み取れる。不鮮明な古い映像でも、再生速度を落とせばだいたいわかる。
「それまではレコードやCDの耳コピで音を探すしかなかったのが、YouTubeを見れば指板のどこを押さえればいいか、遠目でもだいたいわかるようになった。ハーモニーも、繰り返し再生すれば、だいたいこのあたりで鳴っているコードトーンだろうと推測できる。あれは革命でした。チェット・アトキンスや白黒時代のマール・トラビスの映像も出てきて、衝撃でしたね」
マール・トラビスはフィンガースタイルのピッキングにも名を残し、その影響を受けたのがチェット・アトキンス。いずれも20世紀を代表するアメリカのギタリストだ。
「なんていい時代になったんだと思いました」
そうなのだ。確かにYouTubeは革命だった。これについては改めて書きたいが、私自身、中学生の頃にスピーカーに耳をつけて聴いていたジャズ・ギタリストのジャンゴ・ラインハルトの演奏を初めてYouTubeの白黒動画で見たとき、彼が少年時代に負ったやけどのために左手が不自由になり、親指と人差し指と中指の3本だけでギターを演奏していたことを知ってショックを受けたのだった。
おおもり先生が初めて買ったアコースティックギターは、Ibanez。名古屋の星野書店楽器部をルーツとする伝統ある楽器メーカー、星野楽器のギターだ。以後、エレキを弾くことはなくなった。
おおもり先生はその後まもなくビザの都合で帰国を余儀なくされたが、そのとき知り合ったのが、カナダに機内食の工場をもつ会社の経営者だった。社員が誰も知らない土地に行きたがらないとぼやくのを耳にして、「じゃあ、ぼくが行きますから拾ってください」と申し出た。
カナダといえば、ドン・ロスや、アントワン・デュフールなど世界的なフィンガースタイルのギタリストを輩出した国。ギター修行にはかっこうの土地である。こうして2019年に帰国するまで12年間、おおもり先生は機内食の工場で働きながらライブハウスのオープンマイクに出演して腕を磨き、2013年にはアコースティック・ギターの世界的な登竜門として知られる「カナディアン・フィンガースタイル・ギター・コンペティション」に出場した。
同年の公式記録の入賞者欄に、「3-Goske Omori - Japan via Vancouver」という記載が確認できる。これはすごいことだ。この大会の審査は圧倒的な公平性が担保されている。審査員が誰であるか、授賞式まで誰も知らない。ステージを見ずに会場の外のキャビンでヘッドフォンをつけて音だけを聴く、ブラインド審査だ。演奏者は名前ではなくエントリー番号で識別され、知名度やルックスやアクションに左右されない。声出し禁止で、観客は拍手のみ。名前を呼んではいけない。演奏できるのはカバー曲でもかまわないが、おおもり先生はオリジナル曲で挑戦し、みごと3位入賞だった。
授賞式で初めて知らされた審査員は、ドン・ロス、アントワン・デュフール、ステファン・ベネット、エド・ガーハード、ジョン・ゴムの5人。事前に知らされていたら、指が震えて弾けなかっただろうという。
当時の演奏は今も公式YouTubeで見ることができ、Goske Omoriの演奏に対してたくさんの称賛メッセージが寄せられている。「ぼくはきみが一番だったと思う」というコメントもある。
その頃になると、人前で弾くことも増え、ギターを教えてほしいと頼まれることもあった。対面だときりがないことから不特定多数に向けたオンラインレッスンを作ろうと思ったのが、現在も続くフィンガースタイル講座の始まりである。2015年、YouTubeにチャンネルを開設したのはその宣伝のためだった。
カナダから配信されていた初期の動画には、妻の香織さんがよく登場する。北海道稚内出身の香織さんは、吹奏楽でトランペットを吹いていたことがある。ギターのことはまったく知らないけど音楽は理解しているからこその素朴で鋭い質問に、おおもり先生が答えるというスタイルの動画に魅せられた人は多く、登録者はじわじわ増えていく。バズるのではなく、少しずつ増える、というのは好ましい。話題になっているから登録したわけではなく、本当にギターに興味があって弾いてみたいという人が、一人ずつクリックして登録したと思えるためだ。
登録者は1000人、5000人、1万人、2万人と増えていき、2018年(19年?)に帰国したときは、ギター1本で食べられるようになっていた。チャンネル登録者数10万人を突破したのは2021年、同じ頃、オンラインレッスンの申し込みも増えていった。
新型コロナのパンデミック真っただ中、ステイホームはギターを弾けるようになりたい人だけでなく、かつてギターを弾いたことがあるけどずっと弾く機会がなかった人にとって、集中して学べる絶好の機会だったのだ。
(後編につづく)




