ギター熱ギター熱

第12回

ギター革命 後編

2026.09.07更新

 放送や広告の世界で使われる、「クール」という業界用語がある。1年を4つに分け、3か月が1クール。大河ドラマや連続テレビ小説のような長い番組は別にして、たいていのドラマやアニメなどは、週1回放送で1クール、10〜12話で完結するよう制作される。
 この夏、NHK Eテレで「3か月でマスターするギター」という番組が始まった。放送前の印象は、とうとうNHKもタイパ・コスパ優先か、3か月でマスターなんて絶対無理でしょ、番組の枠を1クール以上押さえられない制作者の言い訳じゃないの、だった。子どもの頃によく見た「ギター教室」や「ギターをひこう」といったクラシックギターの番組は20年ほど続いた。3か月なんて、せいぜい「キラキラ星」を弾けるようになるくらいだわね、お手並み拝見、なんてかなり上から目線で眺めていた。
 ところがまだ放送も始まっていない6月末、意外な知らせが届いた。この番組のテキストが売り上げ好調で即増刷が決定したというのだ。どういうこと? みんなそんなにギター弾きたかったの? ギター熱に感染しているのは自分ぐらいだと思っていたのに、日本中でギター熱が流行してるってことなのか。
 講師はYouTubeでも人気のアメリカ出身のシンガーソングライター、音楽博士のドクターキャピタルさん。ちょっと変な関西弁をしゃべる人でチャンネルを見たことはある。
 練習曲のラインナップを見ると、「糸」や「プレイバックpart2」などヒット曲の弾き語りが目標のようで、最終回の第12回のタイトルは「ライブデビュー みんなでセッション」になっている。3か月でライブって、まさかね。
 生徒に初心者のはるな愛ちゃんがいるのはわかるけど、もう一人の男性がよくわからない。高校時代に文化祭でギターを弾いて以来という68歳司法書士、地主広利さんってだれやねん?!
「初めてギターに触れたのは50年以上も前です。この歳で、ギターに本気になれるとは思っていませんでした。思えば、テニス、合気道、ゴルフなどいろいろやってきましたが、いつの間にかやめることばかりで...でも、今回だけはそうはいきません。(後略)」(Acoustic Guitar Magazineより)って、地主さん、完全にギター熱でしょ。「ルビーの指輪」が弾けるようになるのを目指すそうなので、最終回まで見届けてやるわよ。

 おおもりごうすけ先生のインタビューをしていて、もしかしたら、"地主さん"ってあちこちにいる人の代表選手かもしれないと思えてきた。先生の「フィンガースタイル大百科」をこれまで受講したのはのべ3千数百人。9割が男性で、女性は1割。年齢は50代が一番多く、次いで40代、60代、30代の順。「40年ぶりという方も結構いらっしゃいますよ」だそうだ。ちなみに20代はほとんどいない。
 若い頃に70年代フォークブームや80年代バンドブームを経験した中高年で定年退職後に再開したリトライ層や、コロナ下のステイホーム中に、ふとギターを弾きたいと思って始めた人たちって案外多いということだ。
 講座開始から約12年ともなれば、伸びる人とそうでない人の違いはある程度はっきりしてきたのではないか。2021年に公開された「生徒さん1000人見てわかった、上達する人、しない人の違い」というドキリとするタイトルの動画では、ほかのギター講師の例も紹介しつつ、伸びない人のポイントが4つ指摘されている。
 第1に、独学でがんばってしまう人。せっかく講師の経験をシェアしてもらっているのに、自己流から抜け出せない。講座も出たり入ったりを繰り返して上達しない。
 第2に、恥を捨てられない人。受講者は圧倒的に男性が多いのに、添削してくださいといって演奏動画を送ってくるのは女性ばかり。自分の弱点に気づくためにも録画は大事なのだが、丸裸にされるのがイヤなのか。
 第3に、思考停止で練習している人。なんとなくダラダラ弾いているだけで時間ばかり経過している。できないことに向き合うのが大事なのに、そもそもできないことが何なのかわからない。
 第4に、テンポが速すぎる人。速く弾こうとして正確に弾けない。中には、講師のデモ演奏より速い人もいる。ゆっくり演奏して、動画を撮影して弾けないパートを自覚し、そこに照準を合わせてテンポを設定して練習する。ゆっくり弾けなければテンポを上げても弾けるわけがない。考えてみれば当たり前だ。
 この動画から5年経った今も上達する人、しない人の傾向は変わらないという。
「いろんな情熱レベルがあるじゃないですか。ちょっとギターでもやってみようかなっていう人と、何かの影響を受けてワクワクしてやりたいという人。釣りかギターかどっちにしようかなといってギターを選ぶ人だっている。好きになればなるほど取り組むと思うので、上達するんだと思います」
 釣りかギターって、そこで迷う?!

 トラブルもたまにある。いっとき、受講生を対象に毎月ギターを楽器店で購入してプレゼントしていたところ、フリマサイトで転売されてしまったのだ。いわゆる転売ヤーだが、私にも何度か経験がある。トークイベントの会場で明らかに古書店の本だとわかるものにサインを頼まれることがあり、複雑ではあるけれど、わざわざ来てくださっているのだからとサインをすると、それがフリマサイトに出品されていたのだ。めったに会えない共著者と一緒に並んでサインした本が転売されていたときは本当にがっかりした。
 サイン本なんてたいした値段にはならないのでまだマシだが、さすがに、ギターはつらい。聞けば、トミー・エマニュエルのワークショップに参加してサインしてもらったメイトン社のギターをフリマサイトに出した人もいたそうだ。本人が知ったらどれだけ悲しむだろう。
 中には犯罪者もいて、おおもり先生の有料の講座をまるごとダウンロードして売りさばこうとした人もいたそうだ。
 こういうことはなくならないし、相手の立場にたてば、経済的な事情からやむをえずやった行為かもしれず、そもそも人には期待しすぎないようにしているーー、おおもり先生はそう考えているというけれど、悲しいものは悲しいよね。
 YouTubeの登録者は現在、13万5千人超。それだけの視聴者がいれば、たまに心ないコメントも届く。「二度とトミー・エマニュエルを弾くな」と書き込まれたこともあったとか。
 誹謗中傷は長らく芸能人やスポーツ選手などテレビでよく見る全国区の有名人の専売特許だったけれど、インターネット時代になってプロアマの差はなくなりつつある。犬に噛まれたぐらいに思っとけなんて慰めにもならないことをいう人がいるけれど、生身の人間だもの、傷つくよ。比較的穏やかなはずのギターのチャンネルに限っても、あちこちでひどいコメントを目にすることがある。
 そんな残念なところもあるネット社会だが、YouTubeによってもたらされたものはギター好きにとって革命だったことは間違いない。それでもなおプロに師事する理由は何かといえば、ギターを弾き始めてから約半世紀、独りよがりでは易きに流れることを十分すぎるほど自覚しているからだ。
 札幌でのインタビューの最後、おそるおそる切実な質問をした。果たして、私はまだやっていけるのか、これ以上、上達するのかということだ。
「もちろんです、大丈夫です。運動と一緒で、できれば毎日弾くのがいいです。毎日弾く人と週に一回弾く人ではずいぶん違う。何を目的に弾くかもあります」 
 好きな曲を一曲でも多く弾けるようになりたいです。
「もちろんできます。大丈夫です!」
 うひょーっ、がんばるぞー。1クール組の地主さんに負けてたまるかってんだ。

最相 葉月

最相 葉月
(さいしょう・はづき)

1963年、東京生まれの神戸育ち。関西学院大学法学部卒業。科学技術と人間の関係性、スポーツ、精神医療、信仰などをテーマに執筆活動を展開。著書に『絶対音感』(小学館ノンフィクション大賞)、『星新一 一〇〇一話をつくった人』(大佛次郎賞、講談社ノンフィクション賞ほか)、『青いバラ』『セラピスト』『れるられる』『ナグネ 中国朝鮮族の友と日本』『証し 日本のキリスト者』(キリスト教書店大賞)、『中井久夫 人と仕事』など多数。ミシマ社では『母の最終講義』『なんといふ空』『辛口サイショーの人生案内』『辛口サイショーの人生案内DX』『未来への周遊券』(瀬名秀明との共著)、『胎児のはなし』(増﨑英明との共著)、『口笛のはなし』(武田裕煕との共著)を刊行。

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