第11回
変な私に、ついて来た。
2026.05.28更新
ぬあー、今日も気がつけば深夜2時を回っている。このところ徹夜続きだった。いろいろな申請書類と格闘したり、そろばんを弾いたり。高橋、最近ヨレヨレやな大丈夫か? と薄々気づいている人もいるだろうけれど・・・。
愛媛と東京をほぼ1ヶ月交代で行き来し愛媛では畑をしている。一人ではなくて、チガヤクラブという名前で、仲間たちとサトウキビを育てていた。山奥にあった小さな製糖工場で、収穫したサトウキビを絞り煮詰めて黒糖を作っていた。
「あった」「いた」と書いたが、その製糖工場が閉鎖したのだ。つい最近。
この連載の第2回目にも登場した、山の製糖工場は、黒糖BOYSと名付けた、黒糖好きのおじさんたちによって作られた場所だった(詳しくは『その農地、私が買います』、『わたしの農継ぎ』参照)。まさに、彼らについていった先のこの悲劇なのだけど、むしろ黒糖に出会えて私の世界は広がったよ。
このおじさんたちは、サトウキビを絞る機械以外は、ほぼ人力で黒糖を作るというのが魅力だった。大きなレンガ作りのかまどに薪を入れて、直径1.5メートルはある大釜でグラグラと絞り汁をひたすらに煮詰める。単純な作業だが、一年をかけて自分で育てたサトウキビを絞り、自分の手で黒糖にするのだから、楽しい疲れだった。疲れには、いい疲れと悪い疲れがあるが、畑がもたらすものは、いい疲れの方だった。
サトウキビの絞り汁は出来上がる頃には10分の1以下の量の黒糖になった。簡単に「出来上がる頃」と書いたが、炉の中で燃え盛る薪の火で煮詰めるので、薪の取り出し際が大変に難しい。30秒早いと固まらず、30秒遅いと焦げついた。
私も工場で数年修行を積んで、自分で薪の火を操り黒糖を出すタイミングを見計らうことができるようになった。
多くのことは書けないわけだけど、とにかく、3月頭に工場は閉鎖された。
ずっとお世話になってきた現場リーダーの山ぴーさんは、少しも動じず、閉鎖された後もこれまで通り製糖代を払って自分で製糖をしたらええ。と言ってくれたので安心していた。
が、そうは問屋がおろさんわけです。
ある日、噂で、オーナーさんが、もう中のものを人に売ったりスクラップ工場に出していると聞いた。
私は青ざめて、仲間たちを引き連れて急いでオーナーのところへ行った。
「私に工場ごと買い取らせてほしい」と言ったけど、もう工場は別のことに使い始めているから無理だと言った。笑顔で、ほとんどの物は売り払ってないよとも。あっけに取られて何も言えない。他の生産者や山ぴーさんさえ、そのことを知らされていなかった。
話し合って、買えそうなものだけは買うことになった。軽トラで山へ向かいながら、どうなるんだろうなこれから、と思った。だって12月には製糖しなくちゃいけない。待ってはくれないもの。もしくは、もうやめてしまうか。または、軽トラ20杯のサトウキビを2時間かけてよその製糖場に運んで製糖してもらうか。
到着した黒糖工場の敷地には規制線みたいにロープがかけられていた。「黒糖工場」というあのなんともいえない手作りの可愛い看板は「○○建設資材置き場」というものに変わっていた。
借りた鍵で、ガラガラとシャッターを開けると、3台の大釜も真っ黒なお尻を向けて横たわっている。こいつもスクラップ工場に持っていかれる寸前だったのだ。窯を軽トラに運んだ。
借金の額もさほど大きくなかったので、ここをそのまま引き継げたらどんなに良かったろうかと思った。でも、薪棚は外に出されて、多くの薪は隣で焼却処分されて炭の山ができていた。
みんなでご飯を食べた古い木のテーブルだけがポツンと残っていた。毎年、この足がグラグラのテーブルに、軽トラで運んできたサトウキビを山積みにした。
「これ以上載せたらテーブル折れるわ!」と言いながら。テーブルは不安定に揺れた。
いつ捨てられてもしょうがないようなテーブルと破れた椅子だけが、開いたシャッターの向こうの森を眺めている。一緒に来ていたメンバーに、
「ここをやっぱり買い取れたら・・・」と言いかけて、やめた。
網や甕や、しゃもじや、よく使い込まれた美しい道具の並んでいた場所には既に廃材が運び込まれ自分の家のように座っていた。
ああ、もうここは黒糖工場ではないんだと私は悟った。
さようなら。もう2度と会わない彼氏に言うように、心で唱えて、シャッターを閉め鍵をかけた。
とかなんとか言うてますけど、オーナーにしつこく電話をかけまくり、許可を得て、翌日もその翌日も私は工場へ行って、買うことになったものや薪を、家族や仲間に手伝ってもらいながら山から下ろした。腰が痛すぎるわ。会う人みんなに、痩せました? 寝てます? と言われる。痩せてはないけど、やつれましたわ。
殆どのことはどうでもいいが、これと思ったことだけ、しぶといのが私の恐ろしいところだと自分でも思う。でも、夜布団に入って、急に不安になる。
新しい製糖場を立ち上げる。のか? 私は本当に。いよいよ後戻りできなくなるぞ。もうサトウキビから手を引いて少しのんびり暮らすこともできるだろう。
その日、ゾエと圧搾する機械を軽トラに積みに行ったが、重すぎて、重すぎて、びくともしない。
「今日はもう無理じゃないですか?」とゾエ。
諦めようとしている。というか、彼は慎重なのだ。怪我をしたら元も子もない。
「いや、もう東京帰るし。今下ろさんといかんわ」
猪の高橋になってしまっている。ゾエはため息。
「じゃあ段差のある下の段に軽トラを移動させたら、フラットになるからタイヤ転がすだけでいいんじゃないですか? 荷台にこれ持ち上げるのは男4人いないと無理っすよ」
「賢いな!」
夕暮れの山で、軽トラを何回も切り替えて、下の段の側面ギリギリに停め、荷台と道がフラットになるようにした。ごとごとと圧搾機をゾエが運んでくる。後ろには設計のお手伝いをしてくれることになった今治の友人の男性。まるで、手を出せない様子で、後ろに下がって見ている。手伝ってと言いたいが、怪我をされても困るので、そのままでいてください。
「いいですか。そっち」とゾエ。
「せーのー!!!」グオおおおおおおお!!!
私は口ほどでもない人代表で、腕力がない。すまん、ほぼゾエの力。それでも火事場の馬鹿力で、ゾエの前輪に続いて私も後輪を持ち上げた。少年漫画に出てきそうな「グオおおおおおおお!!!」だった。
「板! 板どけてー」
後ろで見ていた友人が板を引き抜いた。
ロープで縛って、また山道を帰る。ドナドナドーナードーナー圧搾機がゆーくーよー。
帰ってからこれをおろすのがもっと修羅場だった。いつもはあれだけ仲の悪い父だが、やっぱり農機具のことを頼むならこの男だろう。
「いやもう、これはやめときましょうよ。また男子が揃ってからで・・・」
というゾエをよそに、
「このクレーンは2tまで釣り上げれるんじゃけん、いけろわいやー!」
と言って、ワイヤーロープとクレーンで軽々と機械を下ろしてしまった。うちの倉庫は鉄骨二階建てで2階にはクレーンがついているのだ。農機具の収納のためである。
その前に、私は軽トラをバックで倉庫の中に入れていて、ちょっぴり倉庫のドアにぶつけてしまった。コツン、くらいですよ。
「お前何しょんじゃー、運転下手かー!!!!」
思いっきりどやされた。はい、ついていきたくない人No.1ですね。
翌日仕事だというのに、その夜、ゾエはアドレナリンが出過ぎて、家に帰ってから喋り続けたと奥さんから聞いた。面白かったんですねえ。非日常すぎますよねえ。
でも、わりと、高橋家ではこれが日常なんですよー。
オーナーのことろへみんなで乗り込んだとき、なんとなく一人でなく、みんなで行こうと思った。私は「残っている機械全部買います」と言っていたし、みんなも「当然そうだぜ」という顔だった。青春かよ。
いや、それしかないだろ。
数日前にみんなで草刈りをしたところだったんだから。3月に豚糞もみんなで入れたし。新しい苗も植えたし。なんなら、今朝だって「最後の黒糖売れたー」とメールして、「配送完了です」「やったー! お疲れ様ー!」ってなやりとりをしていたし。
何より、新しく出始めためんこいめんこい新芽たちを思うと、辞めることはできない。
四国内にある他の製糖場で製糖自体は可能だけど、そこに持っていくったって、この量のサトウキビは絶対無理だし、絞って持っていけばいいと言う人もいるが、絞った瞬間に発酵が始まるサトウキビの液体180キロ×8回をタンクに入れてどうやって運ぶんだ。
私の選択はもう決まっていて、確認するための自問自答を繰り返した。
冷静に考えたら、煙突だけでもあの口径のは100万円以上する。築炉はもっとかかるし、第一、場所どうすん。そうよ、場所よ。
あんな山の中にあるっちゅうことは、薪の釜だから煙のこととか、消防法とか。わ、消防法、食品衛生法とかもいるんちゃうんかい。
考えれば考えるほど眠れない。そしてこれが数年後の計画ならいいのだが、12月までにはなんとかせねば収穫の季節になる。愛媛でも山間地域なので寒いのだ。氷点下になればサトウキビは枯れてしまう。
「場所、うち使っていいわよ」と友人のKちゃんが声をかけてくれた。妹の同級生で、この町の若きリーダー、まさにこの人に私はついていきたい。チガヤクラブのリーダーもKちゃんに任せたいくらい、しっかりもので気が利いて賢かった。
「え! ええん!?」
早速シャッターを開けて見せてもらう。ふむふむ。前の半分くらいの大きさだけど、これくらい小規模でもいいかもな。釜も3口→2口に減らしてもいいかも。
「もうあそこのスーパーも潰れたし、D高校も廃校になりそうだし」
確かに。D高校存続の会に先日私も参加させてもらったばかりだった。
「ここに新しい土居の目玉が来たら、そりゃあ人も高校生も集まるんじゃないかと思うんですよ! 新たなハブを作ればええんじゃないかと」
Kちゃんの目は小学校の頃から変わらない。キラキラよ。確かにだな、そうしたら、余りまくっとる耕作放棄地でサトウキビ作ってみよかと言う人も増えるかもしれん。人と人の繋がりがまた広がっていくかもしれん。
と言うか、見切り発車な人が二人揃ってしまったではないか。
メンバーたちも、静かに見守ってくれていた。
「消防署や、市役所、一緒にいきましょうか? この子も一緒ですけど」
とNちゃんが笑った。最近赤ちゃんが生まれて、畑に来るときもバンド練習も赤ちゃんと一緒だった。
「うん、そしたら行ってみよう!」
変な人についていくのだから、やっぱり変な人なんだろう。
私は、彼らの誕生日も忘れているし、髪を切ったことも気づいていない。畑では稼がないので、給料を渡すこともしない。そこで採れた美味しいものを食べることにしか興味がない。
それでも、真夏の早朝に「サトウキビの草刈りするよー」というと、数名は眠そうにやってきて静かに草をひきはじめる。「美味しいですねえ」と母の作った昼食を幸せそうに食べて帰っていくのだった。
「チガヤ倶楽部は真面目でええ子しかおらんねえ」
と、母はよく言う。確かに。
まだまだ始まったばかりだけど、仲間がいるから乗り切れそう、というどっかで聞いたことある言葉を自分も発しそうだった。
「信頼」というとまた何か違う。みんな一ヶ月の間に、数時間くらいしか畑に来ないので、野菜のことで相談するとなると母か近所の人になるからだ。
いつか、バンドと畑は似ていると、知人が言っていたけれど、それは言語以外のもので会話できるということだ。共通の感覚を持っているということなのだと思った。
新芽の美しさを、あの灼熱の太陽の怖さを、雪の降る極寒で収穫する指先の感覚を、キビを絞るときに出る音を、甕に取り出した、液体と個体の間の黒糖を混ぜる時の腕の重さを、コツコツやっても全部猿に食われる不条理を、知っている人たちなので、きっとどうにかなるだろうと思っている。
どうにかならなければ、そんときまた考えればいいか。そう思えるくらいのチームを作っているのは私であり、そこに集う人も鏡写しなのかもしれない。




