舞台の上でみる夢は

第12回

(続)父の不在、父の死

2026.08.26更新

 健康体の父が急逝したあの夜を、なかなか忘れられないでいる。
 新しい命を授かったよ、と報告した夜でもあったからだ。
 産婦人科の診察を終え、外食を済ませて帰ってきた夜九時ころ、実家に電話をかけた。ビデオ通話に母が出た。二歳の息子が「ばあば」と画面をのぞきこんだ。
 居間の消灯が少し気になったが、隣の部屋に移ってから、色よい検査結果を伝えることができた。家族が増える幸せを喜び合った。
 妻は悪阻がひどく、またしばらく寝たきりになる。これから始まる有松家のワンオペレーションに、父母で、京都まで泊まり込みの応援に来てほしい旨を相談する。それもまた、期間限りの非日常として、二歳児には楽しいイベントとなってくれることだろう。
 この二時間後だ。母の折り返しは、父が救急車に乗ったという急報だった。
 父の葬儀が済み、不幸を知る親しい方々から、労りの言葉を色々に頂く。数として多かったのは、「少しは落ち着かれましたか」という表現だったように思う。
 しかし、こんな統計めいた感想を持つほどに、父が死に、あな悲しやと床に泣き崩れる衝動に襲われることもなく、かえって、自分の薄情さが後ろめたいやら、見損なうやら、死を受け止めない鈍い感性を恨むやらで、自分が疑わしくもなる日々を重ねていた。
 実家を離れてから二十年以上経つし、遠い暮らしぶりに、ますます実感が湧かないのでしょうと慰めてくださる方もあった。自分もそう思う。その通りですと言った。でも、その言葉に一縷の拠り所を求めているのかもしれなかった。
 悲しみにうちひしがれるより、むしろ厳しい日常の歯車が回り出した。
 例の「ワンオペ」である。
 予想通り、妻の悪阻は重たかった。起き上がるのがつらく、とにかく横になりたがった。眠っても眠っても眠たそうだ。
 友人には出産直前まで仕事場に立っていた人も多く、陣痛後の出産中にも吐いていた妻からすると、同じ人間であまりの違いだった。
 初盆の母を呼び越すわけにもいかず、こうして正銘のワンオペが、喪の上に塗り重ねられた。
 もはや懐かしくもあるが、少し前の日記を読み返してみる。
 朝。ベビーサークルの中で、子がむくっと立ち上がる。「抱っき」と言う。抱っこのこと。こちらのベッドに連れてきて、水筒のお茶を飲ませる。父の顎を触り「ジョリジョリあるかな」と戯れてくる。ダイニングに連れて行く。手洗いさせ、まずヨーグルトを与える。スプーンを懸命に使いたい年頃。これでしばらく時間を稼ぐ。鼻水を垂らしていたときは漢方薬を混ぜた。食べ終わればソーセージを一本ずつ投入。「もうちょっとソーセージ」という発注は五分五分でフェイクなので注意する。ミニトマトを半切りにし、温野菜を並べ、義母がくれた煮豆を添えて供奉する。これらは出汁巻きの、卵を溶く、油を敷く、卵液を注ぐ、巻く、の合間合間の作業である。息子殿は出来たての出汁巻きが好物だが、余熱の落ち着くまでは提供できない。牛乳やチーズ、電子レンジで温めたご飯にふりかけをかけて間を繋ぐ。八時半はゴミ収集車の刻限。夜のうちに家庭内のゴミ箱や排水溝から集めておいた。ゴミ袋を出しに行く。家の前まで来てくれるので助かる。しかし持ち場を離れると「お父しゃん?!」と蜂の巣を突く騒ぎになるので、料理のどこかの間隙を突くのがコツ。今朝はご飯炊きが後手に回ってしまった。あとでタッパー詰めして冷凍する。デザートに巨峰を剥いてやる。無洗米よろしく種無し葡萄のありがたみを噛み締める。健啖家の彼はすぐにコロリとうんちをする。オムツを替える。トイレに捨てる往復を装い、脱衣所の洗濯機を回しにかかる。オムツ廃棄のための移動は仕方がないと許容してくれる。風呂の残り湯に洗濯のホースを捌き、小一時間後、乾燥のためまたここへ「脱国」しなければいけない。しかし乾燥機を導入しておいて本当によかった。それでも子供服は吊して干している。

 朝九時過ぎ、近所のこども園に一時保育で預ける。慣れないのか園の玄関で急に「抱っき」をせがみ、号泣が始まった。「大好きなボーボルト(ヨーグルトのこと)を買ってくるからね」と先生との協力で無理やり辞去。喫茶店で一時間原稿を書く。ドラッグストアで漢方薬や洗剤、ヨーグルトを買い、十一時にお迎え。連れられた息子は顔を赤らめて肩をひくつかせ続けている。当人に聞くと「泣いちゃった」と振り返った。帰宅して、妻は息子を抱き締めるが、悪阻の気持ち悪さにそれ以上はできない。「お父しゃんお父しゃん」と連呼するので絵本を一緒に読む。昼、妻が素麺を啜りに来た間隙を縫い、二周目の洗濯機に駆け寄ると「あと一分」の表示。もう、そういうふうにできている。上下階に掃除機をかける。洗濯物を畳む。天気がいいので午後は家の中庭で遊ばせる。野外でも単純作業ならできるので、大学の出欠票入力や答案の採点をする。もう夏も汗ばむ鋭い日射しになった。だが屋内だけでは子どものエネルギーを消費することはできない。縁側のノートパソコンの横で、蚊取り線香の煙が虚しく昇り立つ。
 夕方に大学の講義がある。ここだけは妻に踏ん張ってもらわないといけない。少し早めに出て散髪に寄りたかったが夢と消える。妻にポカリスエットだけ買って大学から蜻蛉返りすると、二人は寝室のベットでまったり寛いでいた。窓の外で飛行機の音がする。「どこに行った感じかなあ」と言う。「感じ」の使い方が可愛らしい。先ほどは妻のお腹の赤ちゃんを「どこにいる感じ?」と服をめくったらしい。彼なりに祖父の死や赤ちゃんの萌芽を理解できている。夜はイヤイヤの風呂。お気に入りの水色の毛布と大量のミニカー、新幹線をふんだんに盛り込んだバケツで釣る。重いバケツに手を差しのべようとすると自分で運ぶと地団駄を踏む。風呂上がりに大泣き。顔の濡れを厭うかと思いきや、どうやらミニカーがすぐ手元にないのが不満の様子。だんだん主張が微に入ってきてややこしい。

 寝静まってようやく仕事や覚え物に取りかかると、空腹を埋めるため妻が起きてくる。胃が空だととにかく気持ち悪いのだ。トイレでの嗚咽がこの前は玄関の外にも響いていた。近所に渡っているかもしれない。鬱々とした妻の話し相手になってあげたいが、原稿の締切に焦る。一見アンフェアな不満を吐かれても、吐いても吐いても二日酔いのままコーヒーカップから降りられない苦行を思い遣ったとき、反論するのは門違いに思えた。暁前に寝る。
 舞台の日もおよそ同じような生活だ。楽屋入りの一時間前までは子どもを見ていられると、家族の肌着を畳みながら時計を睨む。

  伝へ聞く唐土の、荘子があだに見し夢の、
  胡蝶の姿うつつなき、うき世の中ぞ哀れなる。
                  能《胡蝶》

 「胡蝶の夢」という中国の故事がある。春秋戦国時代の思想家、荘周がある夢を見た。自分が胡蝶となって空を舞っていた。夢から覚め、さて考え込んだ。自分が夢の中で胡蝶となっていたのか、もともと胡蝶である自分が夢覚めていま荘周となったのか。夢と現実とが定かでない、もしくはそれらを超越する境地をいう逸話だ。『荘子』に見える。
 自分は、主夫の合間に舞台を勤めている。そういう感覚がたしかにある。しかし、舞台の合間に、子育てや家事をしているのだろうか。思うべきだろうか。芸人として、この生活は嘆かわしいだろうか。
 古今の難問に、いますぐ答えを出せる気はしない。
 しかし、大車輪の生活であることは身に染みている。
 出汁巻きを作っていて、卵を割り、殻を捨てるとき、卵黄を勢いよくポーンと三角コーナーに打ち捨ててしまった。これは、いよいよまずいと自覚した。
 なにより父の服喪はどうなったのだ。天上から苦笑いされているか。
 困窮に揺れている折、社中のお弟子さんの稽古があった。久々に来てくれた男性だった。謡を教える。前回教えたところをまず謡ってもらう。
 あれ? と思った。かなり専門的な、本気の節遣いに驚く。愛好者ならばもっと気楽で簡易な節扱いでもかまわないのに。もちろんご本人に他意はない。教わったとおり、丁寧に稽古してきているだけだ。
 ああ、これは自分が教えたんだ。
 思わず、過去の自分から尻を叩かれた感じがした。
 いや、父の差し金、巡り合わせかもしれない。
 親の死を、みな、どうやって受け容れるのだろう。
 東京のお盆は七月で、京都は八月である。
 五山の送り火は、いつも亡くなった師匠をはじめ、京都に所縁の方々を見送るつもりで手を合わせている。
 今回の場合、父は、いまどこで、どうなっている状態なのだろう。
 「遼一んとこは京都だから、お盆は八月なんだよネ」とかなんとか言いながら、誠実で真面目な父は、わざわざ京都の五山の送り火に乗って天上に帰ってくれた気がする。ややこしい息子で申し訳ないことだ。
 四十九日法要の後、御斎の席で、母から施主挨拶の代わりを振られた。つもりがなく、立ち、思わず「子育てのいま、育ててもらったありがたみを感じています」と口にしてしまった。会社から帰宅する父に毎日、玄関で三兄弟が子猿のように首や背中に飛びつくエピソードを紹介したら、不意に胸が込み上げた。妹がハンカチを出した。突然横の息子が、泣き顔で「お父しゃん座って、座って!」と騒ぎ出した。驚いた。話の輪郭が分かって、場の感情の揺れに息子も反応したのだった。
 父の小さな遺影をもらってきた。とりあえず家の化粧棚に置く。戯れに、息子の真似をして、「お父しゃん」と呼びかけてみた。
 まだ早かったようだ。引き剥がされたかさぶたから、子猿の感情があふれ流れた。

有松 遼一

有松 遼一
(ありまつ・りょういち)

1982年東京都生まれ。能楽師ワキ方。京都大学大学院文学研究科博士課程(国文学)研究指導認定退学。同志社女子大学と龍谷大学の嘱託講師。京都大学在学中の2007年に能楽師ワキ方・谷田宗二朗師に入門。京都を中心に全国の舞台に出演。アメリカ、フランス、韓国などの海外公演にも参加。新作能の執筆も行っている。大学の講義では能楽や和歌など古典の魅力を伝え、能が現代に生きる芸能・舞台芸術であることを問い続けている。著書に『舞台のかすみが晴れるころ』(ちいさいミシマ社)がある。

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