第11回
退屈と裏切りの投手の打席が好き!〈ミシマ社・須賀紘也〉
2024.02.20更新
こんにちは。ミシマ社のスガです。いよいよプロ野球のキャンプが始まり、球春到来ですね! 毎年日本シリーズが終わるたびに、どのようにこの冬を越えようかと目の前が真っ暗になりますが、いつの間にか春はやってくるものですね。キャンプの楽しみ方を知りたい方は、ぜひ松先生の『「そんなに面白くない」けど、つい行ってしまう・・・プロ野球キャンプ見学の魔力』をお読みください!
そうして今年も始動した日本プロ野球。プロ野球のこれからについて、いくつか議論があります。今オフをにぎわせたのが「FA制度の人的補償」。また、2軍のリーグに所属する静岡の「ハヤテ223(ふじさん)」、新潟の「新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ」という2つの新チームができたことが、地方にチームを増やそうと考える「16球団拡張論(現在は12球団)」の進展のきっかけとなるかもしれません。
その中で私が一番注目しているのは「セリーグのDH制導入の是非」です。
大谷翔平選手がDHとして出場しているため、「エンゼルス大谷が3番DHで出場」という言葉をスポーツニュースで耳にすることも多いです。DH制を採用する試合ではピッチャーを打席に立たせない代わりに、守備につかない打撃専門の選手が試合に出場するため、10人の先発メンバーで試合に臨むことになります。パリーグは1975年からDH制を採用しているため、50年近くDH制のもとで試合を行っています。メジャーリーグは2つのリーグのどちらもDH制です。対して、セリーグは今でも投手も打席に立っているため、「9人対9人」で試合に臨んでいます。
しかし、昨今ではセリーグも「DH」を採用すべきでは? という声が高まっています。
それはなぜか? いろいろな理由がありますが、大きくまとめれば「パリーグの方がセリーグより強いから」。2005年に始まった、セリーグとパリーグの交流戦では、セのチームがが1122勝、パのチームがが1253勝。パリーグの131勝もの勝ち越しは、DHが大きく関わっていると言われています。
投手は打席に立っても、とにかく打てないものなのです。ピッチャーは打撃練習をしないためそもそも打撃能力が低く、さらに投球だけに注力するため体力を温存する必要もあり、基本的には積極的に打ちにはいきません。そのため、セリーグの投手は相手の投手が打席に立っている間は「一息つける」のですが、パリーグのピッチャーはそれが許されない。そのために厳しい環境で鍛えられる、パリーグにはダルビッシュ有投手や田中将大投手、最近では山本由伸投手のような大エースが生まれやすいと言われています。
また、「どうせ打てないピッチャーの打席は時間のムダ」という意見もあり、DH制導入に7割以上のファンが賛成したというアンケート結果もあります(「スポーツ報知」2019年10月31日付記事)。
そう言われれば頷けることばかり。しかし、そうなってもらっては私が困ります。私が一番好きなシーンはホームランでも「6-4-3のゲッツー」でもなく、ムダと言われるピッチャーの打席なのです。ピッチャーの打席だけ味わえる、他の場面とはまったく異質な空気が。
最高なのはこんな場面です。8回表まで0点に抑えてきた先発ピッチャー。その裏、その彼に打順が回る。「続投か? 代打か?」と固唾を飲むファンたち。交代を告げてしまう監督は出てこない。ピッチャーがそのまま打席に向かう。その時の、「がんばれ〇〇!」という声援は、歌舞伎で言うところの「よっ、成田屋!」と同質のものと思われ、試合は最高潮をむかえます。
それでも打席に立った投手は、喧騒をよそに打つ意志のないことを表明するばかり。バットが届きようもない打席の一番後ろに下がって、ただ突っ立って3球見逃します。そのあいだのファンは他のバッターのときのように「かっとばせ」と叫ぶのではありません。「がんばれがんばれ」と曖昧で全体的な声援を送り、試合が無事に終わることを祈るとともに、ここまでの力投をねぎらっています。これって野手にとって最高の瞬間と思われる、ホームランを打ったバッターが全力疾走することなく、ゆったりとファンの称賛を享受することに似ているように思えるのです。
基本的に野球の応援というものはバッターを応援するものです。だから味方の投手が投げるときに応援団は応援歌を歌ったりはしません。それは相手応援団が相手のバッターを応援する時間なのです。だから、実は投手に連続して声援を送り続けられる時間としても、投手の打席はじつは貴重なもの。
その投手への応援歌を聞いていると、何を期待しているか各球団によってカラーと思想が違うようです。
●打席はいいからピッチングを応援する派
・魂ボールに込めて 立ち向かえ全力で 今こそ我らを勝利へ 導け●●(選手名)
(中日ドラゴンズ 投手応援歌)
・我らの期待を 右(左)腕にかけて 今魅せろ●●(選手名) 全力で行け
(北海道日本ハムファイターズ 応援歌)
●打席でも闘ってくれ!派
・たたかうぞ 闘志みなぎらせて 勝利の海 行くぞベイスターズ
(横浜DeNAベイスターズ 投手応援歌)
・闘志燃やして攻めろよ 投打に輝き放て 勝利をその手で掴み取れ
(東京ヤクルトスワローズ 投手応援歌)
●打ってくれたらラッキーだよね派
・振らな 何もはじまらないから 強気で一か八か フルスイング
(広島東洋カープ 投手応援歌)
・●●!(選手名) ●●!(選手名) 驚きの一撃で ヒーロー独り占め
(千葉ロッテマリーンズ 投手応援歌)
カープのなかばヤケクソな歌詞がいい味を出しています。個人的にも「打ってたらラッキーだよね」ぐらいな気持ちです。そういうファンが多いのか、投手がヒットを打つと、スタンドでは大歓声とともにちょっと笑いも起きるのです。打った投手も「打っちゃったよ」と照れているようなしぐさことが多く、白熱の試合の中に人間くささがのぞく貴重なシーンです。
DHをどうするか? を考えることは、野球とはなんだろうか? を考えることでもあると思います。「人生は無駄があるから豊か」という言葉があることに、私は同感でありますし、野球もまた同じだと思います。
フランス帰りの女性華道家で野球評論家という肩書を持つ草野進氏は「プロ野球は、何よりもまず、ベースボールの退屈さに痺れうる感性の持主たちのために存在すべきだと思う」と名著『「プロ野球批評」宣言』に書いてます(草野氏は評論家の蓮實重彦氏のペンネームであるという説が根強い)。
その「宣言」には、「プロ野球批評は数字を軽蔑する」という章があり、こんな言葉が出てきます。
計算のできるピッチャーの存在が大切なのはチームの監督にとってであって、見ている観客にとってではない。本末を顚倒するのは正しい批評的姿勢ではないだろう。真に面白いのは、二十勝は行けるはずだという首脳部の計算を裏切って十五勝しかしない江川卓の方なのだ。
『「プロ野球批評」宣言』草野進・編(冬樹社)p21.22 草野進・著『「プロ野球批評宣言」に向けて』より
プロ野球とは何か? を痛快に見抜いていると思うのです。「プロ」野球は「ヒット一本いくら」という会社のような計算と数字の積み上げではなく、ふと訪れる裏切りと、(「思い通りに活躍してくれない」などの)退屈を待つ見世物なのです。そして、「打つわけがない」投手の打席は、裏切りとも退屈とも仲がいい。だから多少セリーグの負けが込むとしても、DHなしの試合を残してくれたらなあと願っています。
投手の打席が好きなもう一つの理由は、野球の中で唯一失敗が許される(=打てなくても誰も責めない)場面だから。出場する選手の中で打席に立つ投手だけが持てる気楽さが、意外なところで試合に大きな影響をもたらしてしまうのが、人生と似ている野球というスポーツの楽しみです。張り詰めた試合に手に汗を握り息は詰まりそうになる、実生活で失敗ばかりの私の精神衛生への一服の清涼剤にもなりますし。