ミシマガ野球部

第8回

走れ!ヒロイケ〈ミシマ社・須賀紘也〉

2023.09.12更新

 こんにちは。ミシマ社営業チームのスガです。
 タイガース、ついに優勝に向けてマジック5(9月11日現在)ですね。代表ミシマ(阪神ファン)も18年ぶりの優勝が近づき、阪神について語るときには思わず岡田監督のモノマネが入ってしまいます。あれ、2005年以来18年ぶりの優勝ですか。ミシマ社が始まる1年前に優勝して、その後一度もできていなかったのですね。ミシマ社ができてから初優勝の瞬間、最短だとDSKC最終回と同じ9月14日に決まるそうです。果たして祝勝会は開催されるのでしょうか。

 私が巨人ファンだった小学1年生のころ、めざましテレビを見ながら「巨人のマジックが減っちゃった」と言って、母に「それでいいじゃん」と言われたのを覚えています。マジックナンバーは優勝が近づくと「点灯」(となぜか言う)し、自チームが勝ったり、「マジック対象チーム」と呼ばれる優勝を争うチーム(だいたい2位のチーム)が負けると減って、0になると優勝。それを減らしてはいけないものだと思っていたのですね。当時はジャイアンツの監督は長嶋さんで、めざましテレビの司会は大塚さんと小島さんでした。
 それはそうと、このころ、私は、ある「気づきたくないこと」に気づきはじめていたのです。
「どうやら自分は足が遅いらしい」

 幼稚園の運動会、そのリレーの順番決めが妙に記憶に残っています。
 当時私は年長さんでした。各クラス30数名の全員が走るリレー、一番最初のランナーから決めていきます。みんな走りたい順番になったら手を挙げる。私は何を思ったか、自分の誕生日が28日だから28番目に走ろうと思った記憶も若干ありますが、いま振り返れば万事グズグズのスロースターターでしたし、なかなか手を挙げなかったのです。しかし、リレーというのは、えてして足が速い人が最後のほうに走るものですよね。
 順番決めも後半に差し掛かりました。その時、急に先生が指名したのです。
「じゃあ、25番はひろや」(ひろやは、私の下の名前です)
 どこか不自然だと思っていたのです。まあ、それはそうですよね、それまで挙手制だったのに25番だけ突然指名制。しかも自分が当てられたのですから。その違和感のおかげで、今でも「25 ひろや」と書かれた、教室に貼られたピンクの模造紙を思い浮かべることができます。

 10年ぐらい前のお盆に、祖父母の家の棚から一本のビデオが見つかりました。運動会を田舎から祖父母が観に来ていて、まさにその運動会を録っていて、弟が観たがりました。大学の夏休みに帰省していた私は、自分はそれほど遅くなかったと信じて、画面を見つめました。
 めちゃくちゃ遅かったのです。
 親戚一同爆笑でした。僕も「まじめに走れよ!」と思ってしまった。当時はクラスで3番目に高かった身長が哀れで、15年前のこととはいえ「なるほど、これが『うどの大木』というヤツか」といった自分へのツッコミは、微妙に思春期の残り香があった20歳ぐらいの私には言えなかった。
 さぞ先生も冷や汗をかいたでしょう。「コイツ、アンカーになろうとしてるんじゃあるまいな」なんて思っていたかもしれません。当時は気づきようがありませんでしたが、優しさはこんな形をとることもあるのです。

 その後小学校1年生で人生で初めて思い知った50メートル走を経て、野球を始めてからも足の遅さはついてまわります。少年野球の試合で盗塁を試みて失敗しては監督に「足に重りをつけてるのか!?」と言われ、中学の野球部でゴロを打っては先生に「どうして一生懸命走らなかったのか?」と聞かれる。一生懸命走った事実を伝えた方が怒られないはずなのに、「ファウルだと思いました」と手を抜いて走ったほうの言い訳をしました。
 結局高校は絶対入部できないような野球の強豪校に進み、私は恥ずかしさから解放されたのです。


 しかし、足が速いって不思議ですよね。速い人と遅い人は何が違うのでしょうか? 足が速い人は、つまるところ足を引き上げるのが速いということなのか、地面を蹴る力が強いということなのか。しかし、筋骨隆々の人がそれほど速くなくて、背の低くてほっそりした人が速かったりしますよね。それほど筋力の問題でもないのかもしれません。筋力で解決できるならまだチャンスがありそうですが・・・。

 『走れ!タカハシ』は村上龍の短編小説集です。11の短編に、村上さんが「ファーストベースにヘッドスライディングしてもそれが様になる日本でも珍しいプロ野球選手」と語る、当時広島カープの一番バッターだった高橋慶彦が必ず登場します。
 人間の少しゲスいところが描かれていますが、男性を振り回す女性たちや、醜態を晒す男性たちまでもが、なぜか爽やかなこの作品。その爽やかさに「タカハシ」の走る姿が一役買っているように思えます。その盗塁でうだつの上がらない男たちを、ときに励ましたり、ときに原始時代から足の速いやつには誰も敵わないと落ち込ませたりしながら、物語を彩っていくタカハシ。足が速いものは、走るだけで人の心をときめかせるのです。

9784061844445_w.jpg『走れ! タカハシ』村上龍(講談社文庫)

 足の速さと言うのは私の理解を超えていて、一生かけても絶対に手の届かない魔法のようなものに感じます。では、私はどうしたらいいのでしょうか?


 来年90周年をむかえるプロ野球。最高の試合と言われたらどの試合を思い浮かべますか? 古くは「長嶋茂雄の天覧試合のサヨナラホームラン」、「バース・掛布・岡田の三連発」、最近だと「田中将大の日本シリーズ」やWBCの「トラウト対大谷翔平」など、候補はいくらでも浮かびます。
 でも、私の答えは一つです。2005年4月7日の広島対阪神戦。シーズン始まったばかりのこれといった山場でもない試合。後に優勝するタイガースはともかく、この年最下位に沈んだカープの一戦。そんな平凡に見えるこの試合に、私を今でも釘づけにしているのは「広池の盗塁」です。

 広池浩司という投手を、みなさま覚えてますでしょうか?
 彼はこの試合に登場する、カープの左のリリーフピッチャーです。一軍と二軍を行き来することが多かった広池にとって7年目・32歳で迎えた2005年。この春ようやく一軍定着の足がかりを掴みかけていました。「困ったら広池」の合言葉のもと、僅差でもすでに決着の着いた大差の試合でも登場し、ときにピッチャーが足りない時には先発も任される、決まったポジションのないタフな「便利屋」として苦闘していました。
 広池には、プロに入る前に一度ユニフォームを脱いでいた時代があります。六大学野球の立教大学で四番を務めたほどの強打者ですが、プロから声がかかることはなく、大学卒業後は野球から離れて全日空に就職します。入社式で新入社員代表の言葉をスピーチするほど、将来を見込まれた社員でした。しかし空港から遠征先に飛び立つ、プロ野球選手となった大学時代のライバルに触発されて、会社を辞めて一か八か投手としてカープの入団テストを受けます。その結果すぐの入団は叶わなかったものの、1年間地球の裏側のドミニカにあるカープの養成所で、言葉の問題にぶつかりながら現地の選手とともに修行したのち、カープに入団しています。
 いわば彼もスロースターターなのです。

 広池はこの試合、7対7と同点で迎えたシーソーゲームの8回表のマウンドに立ち、0点に抑えます。ここで交代と思われましたが、監督から続投指令が出て、その裏のツーアウトランナーなしで回ってきた打席に立ちます。
 ご存知の通り大谷選手はピッチャーなのにバッティングもするから二刀流です。逆に言うと、ピッチャーは打席に立ってもふつうは打たないのです。投げることに最大限注力しなくてはいけないピッチャーは、あまり打つ練習をしないし、体力を温存するためにわざと三振をすることもあります。接戦の9回表の投球を控え、とくにチャンスでもない広池の打席は、まさに三振してベンチに帰ってさっさと投球練習を始めればいい場面でした。
 しかし、バットを振ってボテボテのゴロを打った広池は、全力疾走で内野安打にします。そしてなんと、次打者の打席で盗塁するのです。なんのサインも出していない山本浩二監督をはじめ、ベンチは仰天したでしょう。この場面での盗塁は、スタンドに詰めかけていた、もしくはテレビで観ていた何万人ものファンのうち一人も予想していなかったと断言できます。そもそも盗塁の指示は、野手でもよっぽど足の速いランナーにしか出ません。その上、相手のキャッチャーはリーグを代表する矢野選手(のちに監督)です。
 学生時代の感覚で走りだしたものの、プロ入り後は走塁の練習など全くしていないため、足が全然ついて来なくて驚いたそうです。矢野も懸命に送球しましたが、無警戒だった分ヘッドスライディングが速く間一髪セーフになります。

 次打者が倒れ勝ち越せなかったカープ。案の定体力を使ってしまった広池は、9回表に力尽き、勝ち越しの2ランホームランを浴びてしまいます。最終回に致命的な2点リードを奪われ、そしてせっかくのチャンスで結果を残せなかった広池は、ベンチでタオルをかぶって涙を流します。
 しかし、試合はこれで終わらなかったのです。当時のタイガースは「JFK」と呼ばれた難攻不落の中継ぎ陣を誇っていました。その最後に登場する抑えの久保田投手が登場した9回裏に、なんと一挙に3点を奪い、逆転サヨナラ勝ちを収めました。

 山本監督は「広池の走塁がチームを一つにした」と語り、監督賞を与えたというニュースをみて、私は「これこそが野球だ」と感動しました。
 広池のなりふり構わずユニフォームをドロドロにする姿に(ベンチを盛り上げるために)笑い声を上げていた選手たちが、涙を流す広池を見て一丸となっていた。一人ひとりがものすごい形相で打席に向かったそうです。普段走らない人が足をもつれさせながら一生懸命走ったから、絶対的な投手を打ち砕くほど奮い立ったのです。

 先日9日に発刊した『スポーツ3.0』。

9784909394927.jpg『スポーツ3.0』平尾剛(ミシマ社)

 評価や数値ばかりが表に立って、「他者からの目」が気になったり、燃え尽き症候群になってしまってスポーツが嫌いになってしまう人が多い日本のスポーツの現状について、平尾剛さんが元プロサッカー選手の中野遼太郎さんの言葉を引いてヒントを探ろうとしています。

 ドイツやポーランドなど外国でプレーした経験が豊富な元プロサッカー選手の中野遼太郎氏は、日本にサッカー文化が根づかないのは、「めっちゃ楽しそうにサッカーをする、 死ぬほどサッカーが下手なおっさん」がいないからではないかという。
 「トレーニングウェアなのかすら分からないTシャツを汗だくにして、脂で武装した横腹を短パンの上に乗せ、得体の知れないメーカーの靴を履いて、ゴール七個分外れた軌道のシュートに対して、一秒遅れで大味なスライディングタックルを飛ば」すおっさんが、欧州にはざらにいる。仕事終わりの週末に、勝利と試合後に飲むビールを楽しみにガチャガチャとサッカーをしている。こうしたおっさんが、欧州のサッカー文化を根っこのところでかたち作っているというのだ。
(中略)
 つまり育成年代の子供たちは、プロ選手になれなくてもサッカーを楽しめる道が他にあること、そうして生涯にわたって続けられる安心感を、このおっさんたちから学んでいるのではないか。この中野氏の慧眼には頷かざるをえない。(平尾剛『スポーツ3.0』p122-123)

 死ぬほどサッカーが下手なおっさんがまぶしく見えます。プロを目指す道からは降りたおっさんたちが、ユニフォームをTシャツに着替えて、ぶかっこうに楽しみながら、後続の者たちにプレーを続ける道と勇気を与えているのです。私も加われるのでしょうか。それがスポーツでなくても。

 速いものの走りは、美しい。遅いものの走りは、心を打つ、のかもしれない。そして、足が速いものより、遅いものの方がスタートを切りづらい。ちゃんとみんなと同じ時間に学校に行くときより、寝坊した時の方が学校に行きづらい。一度野球を辞めてから、決心してカムバックした経験を持つ広池選手だからこそ、二塁ベースへスタートを切る勇気を持つことができたのではないかと思います。

 広池投手は結局この年も後半は不振に落ち込みました。次の2006年こそ1軍に定着したものの、その後も苦しいシーズンが続き、2010年に引退しました。しかし、その人柄が認められ、現在は西武ライオンズの球団幹部となって活躍しています。
 私は29歳にして、いまだに小心者でスロースターターです。だからこそ、スタートを切ればぶかっこうでも人を励ます機会がつくれるかもしれない。営業先に向かう前にグズグズしそうになるときは、「ひろや行け!」略して「ヒロイケ!」と心で唱えることにしています。大丈夫、長距離はそこそこ速かったじゃないか。

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(みしまがやきゅうぶ)

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