第20回
「益田直也の250セーブは名球会の価値があるのか?」という議論の考察
――益田・平野・宮西に期待したいこと〈西村健〉
2025.01.29更新
益田直也、あと7セーブで名球会入り
ロッテの益田直也が、今年2025年、名球会入りを果たすのでは? と話題になっている。
名球会の参加資格はもともとプロ野球200勝と2000安打だけだったが、2003年から「日米通算でもOK」「250セーブもOK」と条件が広がった。益田は2024年末現在で通算243セーブ。今年7セーブをマークすれば、35歳にして名球会入会資格を得ることになる(益田の誕生日は1989年10月25日)。
2024年に200勝を達成したダルビッシュ有は当時37歳、2023年に日米通算250セーブを達成した平野佳寿は当時39歳、同年に2000本安打を達成した大島洋平は当時38歳。彼らに比べると若い年齢での快挙達成ということになるが、そもそも250セーブは200勝や2000本安打に比べてハードルが低すぎるのではないか、という声も根強い。そして益田がいわゆる劇場型のクローザーであることもあいまって、「益田程度の選手が名球会入りなんて」という揶揄(やゆ)も散見される。
この「益田程度の選手が名球会入りなんて」という批判について、同意できる点と、同意できない点がある。
同意できる点は、250セーブは200勝に比べると、やはり条件が易しすぎる、という点である。
あくまで感覚だが、20セーブと10勝が大体同様の価値を持っているとすると、クローザーは20セーブを12.5年マークすれば資格を得るのに比べ、先発投手は10勝を20年間マークしなければ資格は得られない。
それに対して一般的に言われる反論は、「いや、クローザーは勤続疲労が溜まる役回りで、10年以上続けることは至難の業なのだ。それが証拠に、日米通算250セーブを挙げている投手は4人しかいないではないか」というものである。
この反論に対する私の反論は、「益田程度の選手が名球会入りなんて」という批判に「同意できない」点にも重なってくるもので、下記になる。
リリーフ投手が、キャリアにおいて一貫してクローザーを務めることは少ない。チーム事情によって、あるシーズンはセットアッパーとなり、あるシーズンはクローザーとなる、というケースが多い。投手の希望や事情により、先発に回ることもある(増井浩俊や松井裕樹のケース)。すでにキャリアを終えた投手のうち、主力投手になった後一貫してクローザーだけを務めた日本人投手は、佐々木主浩くらいではないか(強いて言えば高津臣吾もそういえるかもしれない)。
「セーブ+ホールド」数で評価してみては?
ならばクローザーの成績の評価は、セーブ数ではなく、セーブ数+ホールド数、あるいは登板数で計るべきではないか。
先発投手であれば、特に近年はキャリアでほとんどリリーフ登板を経験していないという投手の方が主流であるし、野手のほうも、安打は狙わず四死球ばかりを狙う選手はまだ登場していない。それぞれ、勝利数と安打数で評価する、という規定には同意できる(500本塁打や500盗塁なら入会OKにすれば、という議論もあるが、おそらくそうした指標は名球会設立の趣旨と異なるのだろう)。しかし、リリーフ投手をセーブ数だけで評価しようとすると、チーム事情による影響をどうしても排除できなくなってしまう。
そこで、日米通算セーブ+ホールドランキング、という表をつくってみた(表2)。
すると、250以上のセーブ+ホールドをマークした投手が実に15人もいるという結果になった。この15人はいずれも1990年以降にプロ入りしている。1990年以降にプロ入りした投手で通算200勝以上をマークした投手が3人(野茂英雄、黒田博樹、ダルビッシュ有)しかいないのと比べると、その差は歴然といえよう。
以上をまとめると、クローザーの名球会資格250セーブというのはチーム事情に左右されてしまうものであり、仮に資格を250セーブ+ホールドとするとハードルが低すぎる、というのが私の主張になる。
250セーブ+ホールドが緩すぎるのなら、どれくらいが望ましいのか。そうねえ、表2を見ると、400以上だと5人しかいないから、400くらいじゃないんでしょうか。でもそうすると佐々木、高津臣吾がはずれてしまう。セ・リーグでホールドが公式記録となるのは2005年以降だから、セーブ+ホールドだけを基準にすると、佐々木や高津は不利を被る。なら、「300セーブか、400セーブ+ホールド」というのはいかがでしょうか。すっきりしないね・・・。まあ、この基準にすれば、少なくとも俺のモヤモヤ感は解消される。
益田、パ・リーグ記録への挑戦
そしてこの400セーブ+ホールドという基準にすると、実は益田はすでに名球会資格条件を得ていることになるのだ。
表2にあるように、2024年末現在で、益田は243セーブ172ホールド。セーブ+ホールドは、藤川球児を上回る歴代4位である(前述の通り、セ・リーグでホールドが公式記録となるのは2005年以降。藤川は2004年以前でリリーフ登板を60試合行っているが、その期間の成績は加算されない)。
「益田程度の選手が名球会入りなんて」と考えている人は、益田が通算172ホールドを上げていることを忘れていけない。なにせ、新人時に41ホールドをマークしているのだ。この41ホールドはシーズン記録としては歴代14位(1位は清水昇が2021年にマークした50)、新人記録で、ロッテの球団記録でもある。益田の通算防御率は2.92で、たしかに抜群の安定感を誇るという感じではないが、チームへの貢献度という点では2000本安打を放った先輩の福浦和也に勝るとも劣らないというのが、オリックスファンである私の印象である。ロッテファンの皆様、勝手なことを言っていること、お許しください。
ならば、益田が今年250セーブを達成することは、本当はあまり意味の無いことになるのか?
とんでもない。益田の通算249セーブと250セーブは全然違う。なぜか。益田が今年、通算250セーブをマークし、そして、平野佳寿がセーブを記録することができなかった場合、益田は通算セーブ数でパ・リーグ単独1位となるのだ。
平野がオリックスで積み上げてきたセーブ数は、通算249。今年のオリックスのクローザーは順当にいけば昨年に続いてマチャドだろう。その場合平野はセーブ数を伸ばせず、益田が250セーブを達成すれば、平野やサファテや松井を超えて益田がリーグ史上最多のセーブ数を挙げた投手となるのである。
リーグ記録となれば、まぎれもない勲章だといえるだろう。
まあ、おそらくオリックス首脳陣が平野に通算250セーブを記録するチャンスを与えるのだろうが、セーブシチュエーションで投げるのはその機会だけで、平野の日本での通算セーブ数は250でとどまる可能性も高い。すると益田が250セーブをあげればリーグ1位タイとなる。いずれにせよ、益田の今季の7セーブ目が要注目なのは変わらない。
などと言いつつ、益田がクローザーを外される可能性も決して低くはない・・・。昨年は二軍落ちも経験し、7年ぶりに50試合未満の登板数にとどまってしまった。それこそ、250セーブを達成したらクローザー交代、なんてことにならないか、危惧している。なにせ、先述の福浦は、史上唯一、通算2000本安打ジャストで引退した選手なのである。福浦の二の舞にならないことを願う。いや、別に福浦が悪いと言っているわけではないが、名球会資格ジャストがロッテで2例目、というのは避けたくないですか?
ちなみに通算200勝ジャストで引退したのは1942年から1955年までプレーした藤本英雄(巨人→中日→巨人)だけだが、当時はまだ名球会は存在しておらず、通算200勝の重みも現代よりは相対的に低かった。おそらく、何が何でも200勝を達成したいという意識は乏しく、力の衰えに従って自然に200勝で引退したのではないだろうか。
平野、岩瀬超えへの挑戦
さて、あたかも平野にセーブ数を伸ばしてほしくないと思っているかのような記述をしてしまったが、私はもっと別の記録にチャレンジしてもらいたいと願っているのである。
それは「セーブ+ホールドで岩瀬を超える」ことである。
平野の通算セーブ+ホールドは461。岩瀬のそれは489。あと29ホールドをマークすれば岩瀬を超えることになる。前述の通り、正直いって、平野はもうチームのクローザーを務めることは難しいかもしれない。だが、中継ぎ投手の一人としてホールドシチュエーションで投げることはまだまだ可能なのではないか。
拙文「日米唯一の記録、平野佳寿の通算200セーブ200ホールドはなぜあまり話題にならなかったのか」でも述べたのだが、岩瀬は晩年中継ぎに戻って、41歳以降の3シーズンで38ホールドをマークしている。平野は今年、3月8日に41歳になる(1984年生まれ)。今季から数年かけて29ホールドをマークするのは不可能なことではない。前掲の記事で述べた「通算250ホールド」の目標が難しくても、リリーフ投手として岩瀬を超える数字をマークするというのはとてつもないことである。
ただ、前述の通り、セ・リーグでホールドが公式記録となるのは2005年以降。岩瀬は2004年以前でリリーフ登板を354試合行っているが、その期間の成績は加算されない。岩瀬と平野を公平に比較することを試みるなら、結局、登板数という指標になるだろう。
では、平野は通算登板数で岩瀬を超えることはできるのだろうか。
2024年末現在で、平野の日米通算登板数は847。岩瀬のそれは1002(表3。そして参考までに、日米通算ホールド数ランキングも、表4として続けて掲げる)。その差、155。この差を埋めるのは、かなり難しい。岩瀬の41歳からの通算登板数は、113である。恐るべき数字であり、113試合投げたあとさらに42試合投げるのは、ちょっと尋常ではない。
宮西、米田哲也超えへの挑戦
平野が叶わなければ、「北の鉄人」、宮西尚生はどうだろうか。
宮西は1985年6月2日生まれで、現在39歳。岩瀬との登板数の差は、133。平野よりは岩瀬超えの可能性が高いといえよう。
ただ、宮西のここ3年間の登板数は、24、31、30。このペースだと、岩瀬に追いつくのは43歳。岩瀬が引退した年である。まさに、これから晩年の岩瀬並みのパフォーマンスを発揮することで、やっと追いつくことができる数字だといえよう。
もし、岩瀬超えが難しいというのであれば、米田哲也越えはどうだろう。
米田は長らく阪急のエースとして活躍した、通算登板数3位の投手だが、晩年に阪神で35試合に登板している。この35試合を除いた914試合登板が、現在のパ・リーグ通算登板記録となっているのだ。
この記録であれば、あと45試合登板で並ぶことができる。ひとまず今期、31試合に登板して通算900試合登板の金字塔を打ち立てたのち、登板数歴代4位の五十嵐亮太(通算906試合)を抜いて、米田の領域に挑んでもらいたいところである。そしてその後、益田が通算登板数パ・リーグ記録に迫ることになるのだろうか・・・。このパ・リーグリリーバー御三家(いま勝手に命名した)には、今後も着目したいところだ。
文・西村健
某出版社の某新書レーベルの編集者。プロ野球の昔の記録を調べるのが好きです。