第26回
アンチ菅野からの卒業〈西村健〉
2025.08.25更新
なぜ、菅野の活躍が疎ましかったのか
オリオールズの菅野智之が、8月14日のマリナーズ戦で10勝目を挙げた。
日本人メジャーリーガーが、渡米1年目で2ケタ勝利を挙げるのは10人目。何よりア・リーグ最下位のオリオールズにおいて、チームトップの勝ち星を挙げていることに価値がある。
8月18日現在の成績は10勝(チーム1位)5敗、投球回126回1/3(チーム2位)、防御率4.13(チーム2位)。チームへの貢献度は、山本由伸の1年目――7勝(チーム4位タイ)2敗、投球回数90回(チーム3位)、防御率3.00(チーム1位)と比べても、遜色ないといえるのではないか。
私は、そろそろ菅野の活躍を素直に喜べる人間になりたい。
昨年までの菅野は、私の中で明確に「倒すべき敵」であった。私はオリックスファンだから菅野がどうなろうと関係ないはずなのだが、菅野が勝つとため息をもらし、菅野が負けると心中で快哉を叫んだ。
なぜ、菅野の活躍が疎ましかったのか――改めて考えると、そこに合理的な理由はないように思う。
もちろん、ドラフトで指名された日本ハムに入団せずに、翌年巨人に入ったことが許せないわけだが、なぜそれが「許せない」のだろうか。その理由を自己分析すると、「こんなふうにえり好みする選手が続出すると、プロ野球が面白くなくなる」「パ・リーグファンとして、パ・リーグの日本ハムが馬鹿にされたように感じ、鼻白んだ」「巨人は特別なチームだと思い、自分には巨人に入る権利があると思っていることが気に食わない」の、大体3点である。
「巨人は特別なチーム」という思いに毒されているのはむしろ自分
まず、一つ目の「こんなふうにえり好みする選手が続出すると、プロ野球が面白くなくなる」
だが、むしろ、えり好みする選手がいるほうが、プロ野球は盛り上がるのが現実である。結果的に、菅野はアンチ巨人ファンの間で安心して叩けるヒールとなり、菅野登板の試合はよりエキサイティングなものになった。
こうしたヒールの存在は、勝負ごとにおいてはいわばスパイスの役割を担っており、今年でいえば上沢、有原、山川がいることでホークス戦における他球団ファンのボルテージはより高まっているといえよう。悪役の出てこないドラマがあまり面白くないのと同様に、ヒールのいないプロ野球も寂しいものであり、彼らは自らすすんでヒールを担ってくれているといえなくもない。
いやいやそうではなくて、えり好みする選手が続出することで、特定のチームが抜きんでて強くなるのが問題なのだ、という方もいるかもしれない。だが、日本のプロ野球がもっとも輝いていたのは、巨人V9の時代である(1965-73)。
自分の野球観戦歴をふりかえっても、最もプロ野球が面白かったのは西武黄金時代であった。その頃に多感な時期を過ごしたから、という理由も当然あるが、深層心理ではもう一度85年-94年の西武が出現することを望んでいるような気がする。
二つ目の「パ・リーグファンとして、パ・リーグの日本ハムが馬鹿にされたように感じ、鼻白んだ」だが、菅野が日本ハムやパ・リーグを馬鹿にしたわけではないのは明白である。菅野は原監督の甥であり、菅野にとって巨人は運命のチームであった。おそらく、ヤクルトや阪神が指名しても拒否したのではないか。むしろ、「他球団に指名されたら入団拒否する」と公言していた菅野を指名した日本ハムの方が、結果的には菅野を甘く見ていた、ということになる。
では三つ目の「巨人は特別なチームだと思い、自分には巨人に入る権利があると思っていることが気に食わない」はどうか。巨人は特別なチームであり、出色の投手である自分はこの特別なチームで野球をする権利がある。そのような底意が見え隠れするのが気に食わない、という思いは否定できない。
しかし、巨人をオリックスに置き換えてみて、「オリックスは特別なチームであり、出色の投手である自分はこの特別なチームで野球をする権利がある」という選手が出てきた場合、彼を熱狂的に応援することになるのは目に見えている。
結局、「巨人は特別なチーム」という思いに毒されているのはむしろ私の方ではないのか。
理由①にも関連することであるが、マスメディアや他の野球ファンが作りだす「巨人憎し」の空気に覆われ、菅野を叩いていただけではないのか。
オリックスを入団拒否してホークスに入団した新垣渚が許せないかというと、当時私はオリックスファンではなかったこともあり、それほど許せないという感情はもたない。野球というエンタメを盛り上げるためのメディアによる属性付与には、もっと自覚的になってもいいのではないか――。菅野がメジャーで活躍していることを期に、そんなことを考えた次第である。
菅野なんて、丸や有原や森や上沢や山川に比べたら、何も悪くない。彼は誰の思いも裏切っていない。FA宣言をして同一リーグの他チームに入る選手のほうが、よほど罪深いように思う。巨人を卒業してメジャーに渡った菅野はもはや、すがすがしい存在だといえなくもない。
「アンチ巨人ファン」というアイデンティティが成り立たない時代
このように考えるに至ったのは、巨人がすっかり普通のチームになってしまった、ということの悲哀も無関係ではない。
巨人が最後に日本一になったのは2012年。相手は、皮肉なことにというべきか、日本ハムであり、菅野の巨人入団は同年のドラフトにおいてであった。
その後の巨人の日本シリーズの戦績は0勝8敗。まさに、巨人がV9を果たした昭和は遠くなりにけり、である。
巨人がドラフトやFAでいい選手をかき集めて、常勝チームになる時代は去り、「巨人vsアンチ巨人」でプロ野球の興業が成り立つ構図も終焉を迎えたといえる。菅野は明確に「アンチ巨人」の象徴であった。私も、アンチ巨人という自らへの属性付与から、解き放たれる時がやってきたのではないかと考える。
玉木正之氏は1990年の名著『プロ野球大事典』で、【元服】という項目をつくり、次のようにユーモアたっぷりに書いている。「【元服】①関西地方に伝わる古くからある風習で、幼いころジャイアンツ・ファンだった少年がタイガース・ファンに心を入れ替えること。子供のころはミーハー的にジャイアンツのファンであっても、おとなになれば、深く人生の不条理を味わわせてくれるタイガースのファンに変身するという風習。②「お父ちゃん。ボク、今日から巨人ファンやめて、タイガースの応援するわ」と子供がいうと、その日は赤飯を炊いて祝う」。
それになぞらえていうなら、「アンチ巨人」という支配からの卒業を果たすことは、現代におけるプロ野球ファンの元服ではないか。これからは私も、誰にもはばかることなく、巨人の大勢とかを応援したい(大勢は、お笑い芸人から「トレンドの変化球『マイカ』はどんな軌道か」という大喜利をしかけられたときに、「1回球場を出ます」と答えたそうで、その笑いのセンスに正直驚嘆した)。
菅野の通算タイトル数がすごい
菅野を応援できるようになりたいのは、もう一つ理由がある。菅野が残している成績が圧倒的であることだ。
菅野のNPBでの通算防御率は2.43。実働期間(13年-24年)のセ・リーグの防御率の平均は3.59。その差、1.16。通算投球回数1000イニング以上の投手の、在籍したリーグの防御率の平均との差(ようは、リーグの平均的な投手との差)のランキングを出してみると、下記のようになる。
同時代同リーグのライバル前田健太を上回り、堂々の史上2位。もちろん、菅野がまたNPBに復帰するようなことがあれば、この数字は悪化する可能性が高いが、菅野が球史に残る名投手であることは確かである。
さらに、菅野の投手三大タイトル獲得数は10個であり、これは稲尾和久・斎藤雅樹の11個に続いて史上3位タイである。なお、ここでいう投手三大タイトルは「最多勝・最優秀防御率・最高勝率」で、長らくタイトル表彰の対象外であった最多奪三振は除いている。
実働12年間で10個のタイトルを獲得したのは瞠目すべきことであり、この点ではライバルの前田健太(5個)を大きく引き離している(あと、実働7年間で10個のタイトルを獲得している山本由伸が化け物すぎる)。
前田健太の日米通算勝利数は165勝、菅野は146勝。前田の勝ち星を追い抜くのも時間の問題となった感がある。その「Xデー」が到来し、菅野が完全に前田健太を上回った時、私も完全に菅野を許すことができているだろうか。正直、若干心もとない気もしているのだが......。
文・西村健
某出版社の某新書レーベルの編集者。プロ野球の昔の記録を調べるのが好きです。