第33回
2026年春に中日ファンをやると人間どうなるのか?(ミシマ社・須賀紘也)
2026.05.14更新
みなさまこんにちは。ミシマ社営業チームのスガです。
今年のセ・リーグ、予想外の展開となっていますね。なんといっても、昨年の最下位で開幕前の予想では最下位に挙げられることが多かったヤクルトの快進撃です。弱点と思われていた投手陣から、先発・リリーフともにブレークする選手が続出しています。バントをしない、イケイケの打線とかみ合い、現在貯金9(5/13時点)です。
それに負けないぐらいセ界に話題を提供している我が中日ドラゴンズ。これまで5年連続のBクラスでしたが、今年はクライマックスシリーズ進出どころか優勝候補ともささやかれて迎えた記念すべき90周年イヤーに、歴史的なスタートダッシュを切りました。
広島で行われた開幕戦は、カープファンもあきらめていた9回に4点差を追いつかれ、その後サヨナラ負けを喫したのがすべての始まり。結局開幕5連敗となり、28試合で20敗。球団史上最速での20敗到達、84年ぶりの更新です。
ひいきチームが負け続けると、私は何か悪いことでもしたのか、善悪とはなにか、神はいるのか、と哲学的な問いを持ち始めます。私はこの苦境といかに向き合ったのか、ある中日ファンの悲嘆の記録として、いやいやながらも振り返ってみようと思います。
強いチームを応援し始める
まず最大の反省として、今年は勝てるという希望を大きく持ちすぎていました。長年の悲願だったホームランウィング(ホームランを出やすくするため従来のスタンドの前に客席を作り、本塁からフェンスまでの距離を短くした)の設置が果たされ、それだけで優勝したかのような気分になってしまっていた。ウィングができたら、最大の弱点だった打線が生まれ変わるというもはや信仰を抱いてしまっていた。
そんな浮かれ気分の足元をすくわれたわけだが、その反動でメンタルのバランスを保とうとしたのでしょうか。基本的に強くないチームを応援している私は、韓国野球を観るときも去年まで8年連続Bクラスのロッテジャイアンツを応援しているのですが、今年はおととしの優勝チーム、KIAタイガースに注目しています。
WBCでは韓国代表の主砲を務めたキム・ドヨンというスーパースターがいる。パク・ジェヒョンという、名前を覚えておくことをおすすめするまだ19歳で将来の韓国代表を担うだろうヒットメーカーがブレイクしている。
彼らはチャンスで打つ。最初はソワソワしたが、慣れてくると頼もしさっていいものだなあと思う。選手が頼もしく思えると、試合を明るい予感に包まれる時間として味わうことができる。こう時間を持つことができると、日常も無駄な悪い予感を感じることが減っている気がする。応援しているチームが低迷していないということだけで、こんなにもネガティブな自意識を捨てることができるのかという発見がありました。
暴力映画で免疫をつける
とはいえ、視点が日本に帰ってくれば、現実と向き合わなければいけない。「理想の反対は現実である」これは私が小学4年生の時に書いた作文のタイトルで、対義語をテーマに作文を書こうという課題でした。この対義語を載せた辞典を監修した人は、きっと弱小チームのファンだったのだろう。ソフトバンクファンにとっては、首位であることが現実なのだ。
人間は不穏な現実を目にしているとき、傷口をかきむしりたくなるような心理が働くことがあります。それもあってか、開幕から無頼派と呼ばれる小説家たちの小説を読んだり、青山真治監督の「北九州三部作」と呼ばれる、次々暴力と人の死があらわれる映画を見ました。
『helpless』『Eureka』『サッド・ヴァケイション』の北九州三部作を見ている間、ずっと緊張していました。静かにカメラが横に移動するたび、「誰かが殺されるのではないか」と身をすくめた。それは「抑え投手がぎっくり腰を起こして4点差を追いつかれるのではないか」「期待の若手が今年もけがをしてしまうのではないか」「最終回の貴重な代走が牽制で刺されてしまうのではないか」「この無死満塁も点を取れないのではないか」という不安に似ていました。そして、試合を観ても「まあ、ここで点取れなくても死ぬわけじゃないし」という悟りを得ることに成功しました。
敗北とは人間の可能性である
織田作之助の評論『可能性の文学』に、「定跡へのアンチテエゼ」という言葉が出てきます。この文章では、「心境小説としての日本の私小説こそ純粋小説であり、詩とともに本格小説(著者注:作家が「嘘をつく」戯作小説のこと)の上位に立つものである」という文壇の権威付けや伝統を否定し、戯作によって「人間の可能性」を描く必要が訴えられている。 その文章の中に、棋士・坂田三吉が木村義雄との「南禅寺の決戦」で、「初手端歩突き」という定跡外れの奇手を繰り出し、それがたたってあえなく敗れる姿から始まる。小説とは「人間はこんなこともしでかせる」という可能性を示すべき、というデカダン小説の神髄と坂田の生きざまが重ねられています。これを読んで、デカダンの人たちは、ただヤケで社会がやんなっちゃっただけではないらしいと気づきました。
「抑え投手がぎっくり腰を起こして4点差を追いつかれるの」も「最終回の貴重な代走が牽制で刺されてしまうの」も「この無死満塁も点を取れないの」も、今期のここまでの中日の野球が、追い詰められて思いがけない動きを取る人間という生き物の可能性を示す、良質なデカダン小説であることの証明でしかないのです。
とはいえ、一進一退ですが連勝することも出てきたドラゴンズ、ぜひ頑張ってください。デカダンは小説や映画で十分です。




