35歳大学院生

第8回

弁護士を目指して大学へ・・・?

2024.06.14更新

 あっという間に2024年も半分が過ぎようとしています。「ちょっと待って~!」と言いたくなるほどの衝撃的な速さですね。みなさんはどのような上半期を過ごされたでしょうか?
 さて、新聞記者を志して高校に入学したものの、現代文も古典も壊滅的な成績を残したことを前回お伝えしました。「新聞記者は難しそう・・・」と簡単に諦めると、すぐに次の夢ができるのが私。なんと次の夢は薬剤師です。こうやって振り返ると、どうしてこんな考えになるのだろうとおかしくなってきますが、化学の授業が楽しく、成績も悪くはなかったという単純な理由だったと思います。ただ、これは数か月で消えた夢(笑)。高校2年に進級した際には数Ⅱ、数Bに全くついていくことができず、すぐに諦めました。アラフォーの今でこそしっかりとやりたいことや夢のようなものを持っている私ですが、高校生の頃は蛇行しまくりですね(笑)。高校生ってこんなものでしょうか? みなさんはもっとしっかりしていらっしゃるのでしょうか?
 その後も蛇行を繰り返していくのですが、ふと思い返すと私は2003年に「アナウンサーになったら野球選手に取材できるんかな?」とクラスメイトに漏らしたことがありました。(高橋尚子さんを取材したかったんじゃないのかという突っ込みは自分で入れておくとして)。なぜ2003年なのか。ピンときた方もいらっしゃるかもしれません。私が高校に通っていたのは2003年~2005年。そう、阪神タイガース最強時代です。2003年と2005年はリーグ優勝を果たし、学校では優勝記念Tシャツに身をまとい、女子校とは思えない盛り上がりを見せていました。それまでは高校野球にしか興味のなかった私も、どっぷり阪神ファンに。現在内野守備走塁コーチを務めている藤本敦士さんが大好きで、「ふじもんかっこいい!!」と目をハートにして試合を観ていました。金本知憲さん、今岡誠さんらのグッズも持っていて、通学カバンに忍ばせ、授業終わりに観戦に行くこともありました。そして、TORACO(当時はこんなおしゃれな名前はありません)のクラスメイトとの会話の中で先ほどの発言をしたのです。新聞記者というワードはすっかり頭から消えていたのですが「取材」したいという想いは変わっていなかったのかもしれません。今思えば、この時初めて "アナウンサー" を仕事として考えていたのかも。多感な時期に阪神タイガースが強かったことで野球への興味は一気に加速しました。2003年、2005年のリーグ優勝が今後の私の人生を大きく変えたのかもしれません。
 しかし、そのままアナウンサーを志さないのが流されやすい私であります。これはただの阪神ファン女子高生のたわ言に過ぎず、新聞記者→薬剤師の次に目指したのは弁護士でした(笑)。どれだけ難しい職業なのか、また、弁護士の仕事内容をわかっていたのか・・・。当然わかっていなかったわけですが、急に弁護士を目指したのは数学についていけなくなったことにより理系クラスに進級できないことになり理系をクビになったからです。文系クラスに進級するとなれば志望校ももちろん文系学部。「文系といえば法学部がかっこいい」という、本当にただそれだけの理由で法学部受験を決めました。お察しの通り、「法学部と言えば弁護士」というこれまた単純な発想で弁護士を夢に据えました。
 高校2年になると志望校を決めていくのですが、自宅から通える大学の法学部と設定しました。私は祖父母が大好きで、高校時代は祖父母宅から通学したこともあるほどだったので、その近くだった立命館大の法学部を第一志望にしました。あとは、同志社大と関西大です。受験勉強は、大変というよりも楽しかったと記憶しています。友人たちも同じような大学を目指し、学校終わりは付属の大学の図書館へ行ったり、予備校に行ったり。土日も予備校で顔を合わせ、勉強で青春をしていました。クラスメイトは京都大や大阪大の法学部を現役合格していましたが、青春なんて言っている私は立命館大も同志社大も見事に落ちて、関西大に進学することになりました(たくさん受験料を払ってくれたのに、両親ごめんなさい!)。当時は第一志望校に合格できずに泣きましたが、マスコミの世界に飛び込んでからは「関西大出身でよかった!」と思える出来事が多くあり、今は本当に関西大に行って良かったと思っています。
 ちなみに、受験勉強で青春をともにした京都女子高校の友人たちは、卒業して20年近くたった今でも大親友。アナウンサーになってからもずっと応援してくれて、何かあったときにはすぐに駆け付けてくれる家族のような友人たち。先生とも今も連絡を取ることがあり、一緒にお仕事をしたこともありました。温かい家族のような人たちに出会えたことが、京都女子高校に通った財産です。関西大の法学部にも同じクラスから進学する友人がいてとても心強く、大学生活もずっと一緒にいました。
 いよいよ弁護士を夢見て関西大での生活がスタートするのですが、ところがどっこい、さっそく1年生の時の必修科目である民法から面白くなかったのです。そもそも「単位がとりやすい教科がいい」と情報を集めて履修を組んでいた時点で、弁護士どころか、大学生活における学業の位置づけが低かったことがわかります。お察しの通り、弁護士の夢は一瞬にして消え去り、アルバイト三昧の4年間を過ごすことになります。しかし、これまでと変わらなかったのは、野球が大好きだったということ。阪神タイガースはもちろんのこと、高校野球熱が再加熱したり、大学野球観戦にも没頭したり、野球が生活から離れることはありませんでした。次回は今の私にとって欠かせない野球との出会いを振り返っていきます。

市川 いずみ

市川 いずみ
(いちかわ・いずみ)

京都府出身。職業は、アナウンサー/ライター/ピラティストレーナー/研究者/広報(どれも本業)。2010年に山口朝日放送に入社し、アナウンサーとして5年間、野球実況やJリーグ取材などを務めた後、フリーアナウンサーに転身。現在は株式会社オフィスキイワード所属。ピラティストレーナーとして、プロ野球選手や大学・高校野球部の指導も行う。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了(スポーツ医学専攻)。スポーツ紙やウェブにて野球コラムを執筆中。アスリートのセカンドキャリア支援事業で広報も担い、多方面からアスリートをサポートしている。阪神タイガースをこよなく愛す。

Twitter:@ichy_izumiru

Instagram:@izumichikawa

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