35歳大学院生

第2回

ド真面目の、スポーツ大好き活発少女

2023.10.12更新

 みなさまこんにちは! 市川いずみと申します。お名前を憶えていただけるととてもうれしいです。前回のコラムでは社会人としてのキャリアを中心に私のこれまでを簡単にご紹介しました。なぜこのようなたくさんの顔を持つスラッシュキャリアを歩む女性になったのか。幼少期を振り返ると、もう昔からその片鱗はありました。ということで、今回は幼少期についてお話ししたいと思います。

 1988年、3750グラムというなかなか大きめなベイビーとして誕生。父は会社員、母は専業主婦のごく一般的な家庭に生まれました。三姉妹の次女。姉とは4つ、妹とは3つ離れており、記憶の限り喧嘩という喧嘩はしてきませんでした。それはマイペースな姉と、少しおとなしい妹が、わがまま頑固次女に自然とすべてを譲ってくれていたおかげだと大人になってから気づきました。
 大きかったのは生まれた時だけ。幼稚園に入園すると背の順はずっと一番前でした。当時の写真を見た友人には「こんなに見事な三頭身!」と笑われるほど、小さな体の上に丸い顔が乗っかった幼稚園児でした。
 夏季保育のときだったと記憶していますが、読み聞かせしてもらった物語を絵にする機会がありました。今思えば先生は "なるべく" 黒色や茶色は使用せずに明るい色を使って書きましょうということを指示していたのだと理解できますが、 "絶対に" 暗い色を使用してはいけないと思っていた私は、スイカの模様を灰色で書いていました。みんな書き終わって教室を出た後も納得がいかなくて一人残っていると、先生が手伝ってくれました。すると先生は真っ先に黒色のクレヨンを手にしたのです。「え、使っていいんや・・・」。そこからはほとんど先生が描き上げてくれて見事に金賞を受賞しました。芸術分野で受賞するのはこの先の人生、二度とありません(だって中学の時美術で "2" をとったもの)。
 このように昔からド真面目。ルールは守る、ルールを守らない人は許せない。正義感の塊みたいな性格でした。この性格は社会人になってからとても邪魔になりました。

 小学生になりました。クラス写真は五十音順でしたので一番前ではありませんでしたが、学校が始まるとなんでも背の順。前に倣え! の時はいつも腰に手を当てていました。なんでも負けたくない意地っ張りでしたので、それすらも苦痛でした。
 身体も小さく、低学年の頃は運動も得意ではありませんでした。1年生の一番の思い出は鉄棒の授業です。三姉妹ですが外で遊ぶことが多く、公園でもよく遊んでいました。前回りはお手の物! のはずだったのですが、まさかのその前回りのテストで先生にやり直しを命じられたのです。「手を握り替えたら危ないから、最初に握ったままの形で回りなさい」。前回りの途中で手を握り替えるという今思えばとても危険な前回りをしていたのは私なのですが、「回れてるからいいやん!」と内心反抗しながら、先生に指示された通りやり直しました。すると、見事に頭から落下。その日以降、休み時間に鉄棒遊びを一切しなくなりました。しかし、小学生と鉄棒は切っても切り離せないもの・・・進級すると今度は逆上がりのテストが必ずあります。前回り事件以来鉄棒恐怖症だった私ですが、このテストは避けられない。父と公園で練習の日々が始まりました。「絶対離さんといてや!」。何度もお願いして練習しました。父の補助があれば逆上がりができるようになりました。しかし、ある日・・・ドスッ。父の手が離れ、落下しました。さらに鉄棒恐怖症が強まりました。テストももちろん不合格。小学校にある逆上がり補助板を使ってもできません。結局35歳の今になっても自力で逆上がりができたことはありません。

 この頃は自分の夢というものもありませんでした。毎年のように "しょうらいのゆめ" を書かされるわけですが、とにかくクラスで一番かわいくて勉強もできるリサちゃんの真似をしていました。おはなやさん。パンやさん。まったく興味はありませんでした。人に流されやすく、リサちゃんの真似をしていれば自分も賢くなれたような気がしていました。
 おそらく自分の意志で将来の夢を書いたのは、小学6年生の卒業文集です。手と足が絡まっているようにしか見えないマラソン中の自分のイラストを添えて、 "スポーツ選手" としたためました。相変わらず、背の順は一番前でしたが、4、5年生あたりから運動自体は好きになっていました(逆上がりはもちろんできません)。京都市には現在も全国都道府県対抗女子駅伝や全国高校駅伝が行われる、都大路というランナーが憧れる駅伝ルートがあります。幼少期から沿道に応援旗を振りに行くのが我が家の恒例行事でした。ちなみに私の "いずみ" という名は、当時地元企業のワコールに所属し、アトランタ五輪のマラソン日本代表選手でもあった真木和(まき いずみ)さんからいただいた名前です。そのご縁もあってか、今では大の野球好きですが、野球に出会う何年も前から駅伝やマラソンが大好きでした。
 毎年2月には都大路を京都市内の小学生が駆け巡る大文字駅伝という大会がありました。各区の予選を通過しないと出場することができない大会。姉が走ったことから私も学校代表のメンバーに入りたいと思っていました。学校でも冬に校内マラソン大会があり、1年生の時から毎年参加していましたが、低学年の時の順位は覚えるまでもなく、4年生で初めて4位に入りました。そして、5、6年生では1位になったのです。駅伝メンバーに入れそうな人は、給食の配膳時間と放課後に2~3キロを走っていました。3年生くらいまでは牛乳が嫌いで残していましたが、駅伝練習に参加するようになってからは給食の牛乳は2本飲むように。辛いとかしんどいとかマイナスな気持ちは一切なく、ただただタイムが縮まることが嬉しかったことを覚えています。6年生の時には1キロメートルを3分台で走れるようになり、見事大文字駅伝の予選会のメンバーに選ばれました。女子の華の2区を任され、なんとか順位を死守しましたがチームは予選敗退。憧れの都大路を走る夢は叶いませんでした。しかし、「女子駅伝の強豪である立命館宇治高校に入学して、また都大路を走りたい!」という夢ができました。
 駅伝だけではなく、ソフトテニスも習っていました。5年生の時に小学校にクラブができ、即入部。週2日の学校の練習だけでは物足りず、ペアのお友達と週末は無料の河川敷のコートまで自転車を漕ぎました。「週末うちの練習に参加しーひんか?」。小学6年生になる前くらいだったと思います。隣の亀岡市にあるソフトテニスチームの監督に声をかけてもらいました。当時京都府小学生チャンピオンも所属するチーム。とても張り切って初練習に向かいましたが、場違いでした・・・。府内各地から入賞常連選手が集まっていて、レベルの違いに圧倒され・・・。時にはインターハイに出場している高校生との合同練習もありました。しかも監督は鬼! 空振りしようものなら「お前のラケットにはガットが張ってないんか!」。一応小学6年生の女の子です。高校生の打球が顔面にあたることもありました。それでも、ハイレベルな仲間と一緒に練習することでうまくなれることがとても楽しかったです。最後は京都府でTOP10には入れました。
 駅伝もソフトテニスも、周りがやっていたから始めました。習い事もすべてそうです。そろばんは幼馴染が通っていたから、ピアノは姉が習っていたから、中学受験をする友人にあこがれて学習塾にも通わせてもらいました。週に5~6日は習い事をしていた多忙な小学生でしたね。忙しいのが好きなのはこの頃からでした。
 これだけ聞くとスポーツ大好き活発少女なのですが、授業態度などは問題大有りの児童でした。母が小学校に呼び出されたことは一度ではありません。親の呼び出しと聞くと不真面目ゆえの問題を想像しますが、私の場合は "ド真面目" だからこそ起こった問題ばかりでした・・・。

市川 いずみ

市川 いずみ
(いちかわ・いずみ)

京都府出身。職業は、アナウンサー/ライター/ピラティストレーナー/研究者/広報(どれも本業)。2010年に山口朝日放送に入社し、アナウンサーとして5年間、野球実況やJリーグ取材などを務めた後、フリーアナウンサーに転身。現在は株式会社オフィスキイワード所属。ピラティストレーナーとして、プロ野球選手や大学・高校野球部の指導も行う。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了(スポーツ医学専攻)。スポーツ紙やウェブにて野球コラムを執筆中。アスリートのセカンドキャリア支援事業で広報も担い、多方面からアスリートをサポートしている。阪神タイガースをこよなく愛す。

Twitter:@ichy_izumiru

Instagram:@izumichikawa

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