35歳大学院生

第19回

自分の取材スタイルを貫くには

2025.05.19更新

 大型連休も終わり、いわゆる5月病という状況の方もいらっしゃるでしょうか? なんとなく眠れないなぁとか、体調が優れないなぁとか。学校や会社に行きたくない、もうすでに休んでいるという方もいるかもしれません。今回はフリーアナウンサーに転身してからの仕事や環境、苦悩などを綴ろうと思っているのですが、まさに最初の1か月は5月病状態だったのです。

 毎日放送のプロ野球中継のアシスタントに決まり、フリーアナウンサーとして順調なスタートを切ることができました。プロ野球の開幕は3月ですが、2月のキャンプから取材に行かせてもらうことに。さらに、CSスポーツチャンネルGAORAのタイガースキャンプ番組のアシスタントも兼ねることになっていたため、1か月間の沖縄生活となりました。フリーとしての初めてのお仕事、初めてのプロ野球キャンプ。この時は、不安よりもワクワクが大きく上回る気持ちで沖縄に向かいました。
 キャンプ番組のアシスタントとしての仕事は、一眼レフを持って、その日の練習で気になった場面を撮影し、それに関する取材をして、番組内のコーナーで紹介するというものでした。山口朝日放送時代に記者も兼務していたため、取材すること自体に抵抗はありませんでした。前年の番組録画を見せてもらい、イメージも膨らませて準備は万端! のはずでした。しかし・・・。
 そもそも、初日は取材どころではありませんでした。というのも、阪神タイガースは12球団の中でもダントツでマスコミの数が多く、スポーツ紙だと1社6人ほど担当がいることもあります。選手への挨拶はおろか、マスコミ関係者へのあいさつ回りだけであっという間に一日が終了。当時は女性の取材者がほとんどおらず、一眼レフを首にかけた見かけない女性が球場を走り回っているだけで目立つため、「あいつ誰やねん?」とならないためにも、最初の挨拶が非常に重要なわけです。取材の現場って、想像以上に"村"なんです。悪目立ちだけは避けたかったですし、なんといってもスタートが肝心。番組スタッフに連れてもらい、手裏剣のように名刺を配り、挨拶漏れのないよう気も配りました。山口朝日放送へ入社した直後は、知らぬ間に気疲れをしていて、帰宅後記憶を失うように眠ることもありましたが、それ以上の気疲れで、初日はホテルのベッドにダイブしたまま眠ってしまいました。
 ソフトボール経験と、野球の観戦量は蓄積があったので、選手の練習メニューや道具などに興味深々。毎日、100枚はシャッターを切っていたと思います。そこまではいいのですが、選手に取材するのが、とてもハードルが高いのです。声をかけていいタイミングが限られており、あらかじめ質問内容を整理しておかないと一瞬のチャンスを失います。記者の方が親しい選手だと、紹介していただいてゆっくり聞くこともできるのですが、そんなことはめったにありません。選手に取材できない場合は、写真に収めた練習内容などについて、スタジオでOBの方に解説していただきました。OBの解説者は何人かいらっしゃいましたが、亀山努さんがメイン。本当に優しく、毎日たくさんフォローして下さいました。
 しかし、2クールが終わった時に事件が。毎晩夕食は各自で摂ることになっていたのですが、この日は技術さんも含めたスタッフ全員での食事会でした。帰り際に、あるスタッフさんが、ディレクターさんに「今年の女の子は立ち位置がよくわからない。去年の子の方がはっきりしていたよな!」と話しているのが聞こえてしまったのです。
 正直言って大ショック! でも実は、自分自身も番組での立ち位置がよくわからないまま、その日まで過ごしていました。私はちゃらちゃらした格好で球場に行って、自分がキラキラしたいという想いは全くなく、大好きな野球のことをもっと知って、それをファンのみなさんに届けたいという想いで、新聞記者の方に負けないくらい取材を頑張っているつもりでした。ただ、番組のアシスタントとしては、OBの方の隣にかわいらしく座って、華やかさをプラスしてほしい、というのもあったのだと思います。いち視聴者としても、その方がしっくりくるのもわかります。でも、私にはそれができませんでした。
 数日後、私は泣きながら、前社時代に野球実況研修をしてくださった恩師に電話しました。たまたま番組を見てくださっていて、「今の放送だと"女の子"だな。それを求められているのかもしれないけれど、いずみらしさが出ていない」とのこと。私の野球愛を出して、これまで通りの取材スタイルを貫けばいいというアドバイスをくださいました。そして「悩んで当然。悩まない奴は絶対に成長しない。泣くほど悩んでいる今の想いを宝物にしてくれたら嬉しいな」という大切なメッセージも下さいました。
 謎の吐き気で食事が喉を通らなかったり、眠れずに朝を迎えることもあったりしましたが、この出来事をきっかけに、大好きな野球の現場で毎日仕事ができていることの喜びを感じながら、過ごすことができるようになりました。他人からの見られ方、他のリポーターとの比較。自分に自信を持てるタイプではないので、ついついそんなことばかりに頭を悩ませていましたが、それは全くの無駄。自分が成長するためには必要のないことであると気付くことができました。
 そこから残りのキャンプは、毎日必死にシャッターを切って、自分が気になったことを取材しました。サブグラウンドに移動する際にゴミを拾う選手や、日によってユニホームのズボンのはき方が違う選手、バッティンググローブの色が違う選手。少しの変化も見逃すまいと、観察しました。キャンプも終盤に差し掛かると、選手のほうから「これって何の取材なの?」と声をかけてくださるようになり、徐々に存在も認識してもらえるようになりました。
 この行動がきっかけで、シーズン中も球場に取材に行けることになりました。シーズン中はラジオ中継のスタジオアシスタントのみの予定でしたが、「これだけ取材するなら現場に行った方がいい」とディレクターさんが配慮して下さり、リポーターの業務も任せてもらえることになりました。涙を流したキャンプも、最終的には次につながる形で、無事に1か月完走することができました。

 ホーム球場である甲子園での取材はキャンプよりチャンスが少なく、選手に声をかけられるタイミングはごくわずか。短いストロークでの会話のキャッチボールをイメージして、どの記者よりも早く、甲子園の通路に立つようにしました。もし声をかけそびれても、"いつも早く通路に立っている人"と認識してもらえるだけで、進歩です。ホームのナイトゲームの際は練習が14時からのことが多く、私は12時には甲子園でスタンバイしていました。そんなに早く来ていても、思うように取材できないことがほとんどです。それでも、いつも記者が殺到する選手がたまたま早くグラウンドに来ることもあり、そんな時は絶好の取材チャンスなわけです。
 1か月くらい経った頃だったと思います。福留孝介選手に「コートそれしかもってないの?」と、急に声をかけられました。当時、福留選手や鳥谷敬選手、糸井嘉男選手などはオーラがありすぎて、挨拶すらまともにできていませんでした。でも、毎日同じボロボロの茶色いコートを着ていた私のことを認識していてくださったのです。それ以降、緊張はするものの、福留選手にも少しずつ取材できるようになりました。「見てくれている人は見てくれているから」。恩師にそう言われたことは、嘘ではありませんでした。
 この頃私は、阪神タイガースの取材をしながら、時間を見つけてはチケットを購入して高校野球の観戦にも行っていました。誰かに感動を共有したく、アメブロまで始めて、ただの野球好きの感想を綴っていました。すると、タイガースの現場で一緒になるスポーツニッポン新聞社の記者の方が「うちで高校野球の連載書かへんか?」と声をかけてくださったのです。高校野球の仕事も継続したかったので、とても嬉しいお話でした。それ以降、春と夏は高校野球の取材で毎日甲子園へ。この頃には朝日放送の早朝番組にも出演していたため、朝2時30分に起床し、生放送を終えた後そのまま甲子園で高校野球を4試合取材。毎日放送へ移動してナイター中継のスタジオアシスタントを終えて23時に帰宅。翌朝また2時30分に起床というハードなスケジュールでしたが、それでも甲子園は元気になれる場所で、むしろいつもより生き生きしていたと思います。

「ここで仕事がしたい」と12歳のころにあこがれを抱いた甲子園球場で、テレビで見ていた選手たちに自分で取材をして伝える。就職活動の際に地方局にしか受からなかった私にとっては遠い夢だったはずのことが、現実になりました。
 山口県にいるときは、「記者の仕事ばっかり」と文句を垂れたことも多かったですが、その記者業務の経験がなければ、甲子園球場で取材をする機会も、スポニチで連載を書く機会もなかったに違いありません。
 大卒でプロ野球の仕事に就いた人に比べると遠回りかもしれませんが、私にとっては必要なことを経験するための山口県での5年間で、それが最短距離だったのだと思います。渦中にいる時は、最悪だ、なんでこんなことが起こるのか、嫌だ! と思っても、物事はその人にとって然るべきタイミングで起こると言いますが、こうやって振り返るとまさにその通りなんですね。そして、この球場に取材に行くようになったことが、"ピラティス"という、これまた私の人生を大きく変えるものに出会うきっかけとなりました。
 次回は、ピラティスとの出会い、仕事にするまでのお話にお付き合いください。

市川 いずみ

市川 いずみ
(いちかわ・いずみ)

京都府出身。職業は、アナウンサー/ライター/ピラティストレーナー/研究者/広報(どれも本業)。2010年に山口朝日放送に入社し、アナウンサーとして5年間、野球実況やJリーグ取材などを務めた後、フリーアナウンサーに転身。現在は株式会社オフィスキイワード所属。ピラティストレーナーとして、プロ野球選手や大学・高校野球部の指導も行う。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了(スポーツ医学専攻)。スポーツ紙やウェブにて野球コラムを執筆中。アスリートのセカンドキャリア支援事業で広報も担い、多方面からアスリートをサポートしている。阪神タイガースをこよなく愛す。

Twitter:@ichy_izumiru

Instagram:@izumichikawa

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