35歳大学院生

第17回

「人」を伝える実況をしよう

2025.03.21更新

 野球ファンのみなさんは、大谷翔平選手を日本で拝めるチャンスに大興奮の数日を送られたのではないでしょうか。MLBのカブス対ドジャースの開幕戦が東京ドームで行われ、私も同じ日本の空気を吸っているだけでも、なんだかいつもより特別な気持ちがしたものです。NPBの開幕も来週に控えているところで、今回は私の入社3年目の実況開幕戦についてご紹介します。

 といっても、実は開幕戦のことはまーったく記憶にありません。とにかく選手の名前を間違えない、状況を伝えるといった、基本的なことに集中していると、あっという間に2時間が経っていたという状況です。ただ、開幕戦を迎えるまでの準備については鮮明に覚えています。

 実況アナウンサーは担当試合が決まると、該当校に事前に取材に伺います。主力投手の持ち球(どのような球種を投げるか)や、4番打者の魅力などを、選手本人や指導者に聞き、資料を作っていくためです。ただ、ここで私は他の男性アナウンサーと違い、自らがこれだけは大切にしようと思っていたことがありました。
 それは「この試合を観ただけで、視聴者がこの選手のファンになってくれるような、そんな実況をしよう」ということでした。
 私自身が、熱狂的な野球ファンだったため、正直いうと女性アナウンサーの実況を聞きたいかと問われると「NO」でした。なんとなくですが、男性アナウンサーのかっこいい実況の方がしっくりくると思っていたのです。初めは同じように、「ピッチャー〇〇、打ち取った!」と、選手も呼び捨て、ですます調ではなく、強く言い切るように実況練習をしていました。ボールのことも「今のタマはいかがですか?」と解説者に問うていたのですが、男性上司に「女性はタマではなくて、ボールと言った方がいいんじゃない? 同じようにする必要はないんだよ」と言われ、ハッとしたのです。「私が目指すのは、かっこいい実況ではなく、球児が3年間どのような想いで白球を追ってきたのか。それを伝えよう!」。

 そうと決まれば、取材の仕方も変わります。先述したような技術的なことももちろん聞きますが、メインは彼らの想いです。なぜその高校の野球部に入部したのか? 一番の想い出は? 辛かったことは? 楽しかったことは? 目標だって、すべての高校が甲子園を目指しているわけではありません。9人そろって、単独チームとして出場すること自体が目標の学校もあれば、初戦突破が目標の高校などさまざまです。
 たしか、実況2年目の年だったと思います。宇部フロンティア大学香川高校の試合を担当することになり、学校に取材に行きました。当時は野球部が創部されてまもなく、目標は初勝利でした。グラウンドは学校の敷地内にありますが、内野のダイヤモンド部分に少し毛が生えた程度。通常の外野手の定位置には校舎がそびえたち、シート打撃どころか外野手のノックすらできない環境です。外野手は定位置ではなく、全員がセンターのポジションについて、正面からのノックのみを受けるのが精いっぱいでした。肝心の打撃練習は、少し離れた場所へ案内されました。そこには、鳥かごと呼ばれるゲージがあり、その中で選手たちはスイングしていたのです。打球はすぐにネットにあたって落ちていきます。打球の行く末がわからないのもそうですが、選手たちは生きた打球を捕球する練習もできない状態でした。それでも、選手たちの表情はとても明るく、楽しそうで、「三年間こうやって、練習後にみんなで自転車を漕いで帰ってあーだこーだいうのが楽しかった」と主将が言っていたのが印象的でした。
 この練習環境を知らずに、彼らの試合を観るのと、この背景を知ったうえで彼らの試合を観るのとでは、ヒット1本の喜びの感じ方が全く違うと思うのです。このように、私は夏の大会だけでは伝わらない球児の三年間を伝えることを大切にするようになりました。
 視聴者は野球という競技自体が好きで、観てくださっている人が多いとは思いますが、プロレベルでない高校生の試合を応援する気持ちで見ているのは、きっと"人"に引き付けられるからではないでしょうか。その人柄、魅力を伝えるお手伝いができるよう、準備を進めました。結局、私自身が、他人にすごく興味があるのだと思います。
 資料作りは深夜2時ごろまでかかることも稀ではありませんでした。高校野球は朝が早いので、睡眠時間は毎日3~4時間ほどでしたが、それでも大好きな野球にどっぷり浸かれる幸せが勝り、"大変"というワードは全く出てきませんでした。
 実況するときに、自分で決めていた「絶対に言わないこと」がありました。
 1つは失策した選手の個人名は言わないことです。実況ですので、そのプレーが失策なのか安打なのかなどの、記録は伝えなければなりません。しかし、わざわざ「ショートの〇〇のエラーです」とまで、言う必要はないと思ったのです。プロ野球選手の場合はお金をもらって、野球を生業としているので、失策を少々責められても致し方ない部分はあると思います。ただ、高校野球に関しては部活動の一環であり、なおかつテレビで試合が放送されるなんて最初で最後かもしれないのに、そこでのミスを名指しで指摘するなんて、本人にも家族にもいい想い出にならないと思ったのです。それに、失策しようと思ってしている選手なんていませんし。一生懸命プレーした結果、失策してしまっただけなのです。
 このような理由から、私は失策があった際は「記録はショートのエラーです」という最小限の情報伝達にとどめるようにしました。逆に、少し難しいショートゴロをさばいたときには「ショート〇〇、うまくさばきました」といったように、いいプレーをした選手の名前は必ず伝えるようにもしていました。そのためには選手の名前がすぐに出てくるようにしておく必要があり、テスト勉強のように、資料を布団の中に持ち込んで、毎晩ブツブツと暗唱していました。
 もう1つが、9イングス目を「最終回」と表現しないことです。野球は9回の攻防のスポーツなので、9イニングス目は間違いなく最終回なのですが、これは入社1年目のスタンドリポートの時の反省が活かされています。当時は球児の気持ちに寄り添う余裕などなく、必死だったのですが、ビハインドのチームのスタンドで太鼓をたたいている部員に「最終回の攻撃ですが、仲間にどのように声をかけたいですか?」と聞いたのです。するとその球児は「最終回って決めつけないでください! この回に追いついたら、まだ次の回(延長)があるんで!」と言われたのです。「私はなんて失礼なことを言ってしまったのだろう・・・」。その球児の言う通りで、私はそのチームが追いつかないと決めつけるように質問してしまったことをとても反省しました。その日から、9イニングス目を最終回と表現するのはやめました。こんなに大切なことを教えてくれた球児には、今も感謝しています。

 このように、試行錯誤しながらなんとなく自分の実況スタイルが出来上がってきました。実況デビュー間もないころは、高等専門学校のことを「高専高校!」と何度も繰り返してしまうほど余裕がありませんでしたが、徐々に取材した内容を、試合のシチュエーションに合わせて伝えることができるようにまでなりました。
 その結果、入社4年目、実況2年目にして、テレビ朝日系列のアナウンス賞であるANN系列アナウンス賞で最優秀新人賞を受賞することができました。スポーツ実況で女性が受賞したのは初めてのことでした。授賞式でテレビ朝日に行った際に、他のアナウンサーの実況も聞きましたが、圧倒的に他の男性アナウンサーの実況の方が中継というパッケージになっていて、かっこよく聞こえました。その中で、私が受賞した理由は、「誰よりも野球への愛が伝わってくる実況だった」。朝日放送テレビの中邨雄二アナウンサーからいただいたこれ以上ない講評でした。
 山口朝日放送を受験したのも、大好きな野球を中継しているからという理由でした。縁もゆかりもない山口県での休日の過ごし方は、高校の野球部の試合を観に行くことでした。リポーターをすぐにクビになっても、野球に関わりたいからと、実況アナウンサーにも挑戦しました。すべては「野球が大好き」という気持ちが突き動かしてくれた行動です。それをこのような言葉で評価していただき、応援したり力を貸したりしてくださった方々への感謝の気持ちと、悔しかったことが報われたという気持ち、そして、野球が大好きだということを認めてもらえたような気持ちが交錯し、目頭が熱くなりました。それと同時に「やっぱりプロ野球にも触れたい」という、次の夢もふつふつと湧いてきたのです。

 この受賞がきっかけで、私の夢がどんどん現実となっていきます。次回は、フリーアナウンサーへの転身、そしてライターとしての新たなスタートを切っていきます。

市川 いずみ

市川 いずみ
(いちかわ・いずみ)

京都府出身。職業は、アナウンサー/ライター/ピラティストレーナー/研究者/広報(どれも本業)。2010年に山口朝日放送に入社し、アナウンサーとして5年間、野球実況やJリーグ取材などを務めた後、フリーアナウンサーに転身。現在は株式会社オフィスキイワード所属。ピラティストレーナーとして、プロ野球選手や大学・高校野球部の指導も行う。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了(スポーツ医学専攻)。スポーツ紙やウェブにて野球コラムを執筆中。アスリートのセカンドキャリア支援事業で広報も担い、多方面からアスリートをサポートしている。阪神タイガースをこよなく愛す。

Twitter:@ichy_izumiru

Instagram:@izumichikawa

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