35歳大学院生

第23回

プロ球団ではじめてピラティス指導する

2025.09.19更新

 阪神タイガースが2リーグ制導入以降、史上最速のリーグ優勝を決めました。一昨年、日本一になった際は、私が生まれてから初めての日本一ということで、とーっても嬉しかったのですが、今年ももちろん嬉しかったものの、一昨年ほどではなかったかもしれません。これぞ優勝慣れ? と、思っているタイガースファンは、私だけではないはず! ジャイアンツファンのみなさんは、いつもこんな気持ちなのかもしれませんね。とはいえ、応援しているチームが優勝することはとてもとても喜ばしいことです。それも、2023年からはピラティス講師として球団に関わらせてもらっているから余計に、です。今回は、阪神タイガースのピラティス講師のお仕事についてです。

「うちにも、指導に来てもらえへんかな?」。球団スタッフからの一本の電話が、ピラティストレーナーとしての夢を叶えてくれました。前回お伝えしたように、早稲田大学大学院に進学したのは、取材してきた野球選手の障害予防の一助になりたいという想いからでした。【野球選手の障害に対するピラティスの効果】という修士論文の研究テーマに、球団スタッフも興味を持ってくださっていました。早稲田大野球部で一定の効果を得られたことをお伝えしたことから、前述のお電話をいただきました。当時はまだコロナ渦から時間がたっておらず、選手たちも積極的に外に出てトレーニングを学ぶという状況ではなかったこと。ピラティスが「こういうエクササイズもあるよ」という、若い選手への選択肢の一つになってくれたら嬉しいということで、ご依頼をいただきました。
 大学院で、腰痛の病態についてや、野球選手の障害について、それに対する介入エクササイズの考案などは、しっかりエビデンスに基づいて学んできたつもりです。しかし、野球選手の一番の商売道具である身体を実際に見させてもらうとなると、プレッシャーは一段と感じます。研究室の仲間、トレーナーの先輩などにも相談に乗ってもらい、友人にデモンストレーションのレッスンを行いました。ここでも、"不安な時こそ準備"です。いくら準備しても不安はなくならないのですが、お仕事が決まってからできる限りの準備はして、キャンプを迎えました。

 大学院進学と同時に、球場への取材はいかなくなっていたので、タイガースのみなさんとお会いするのも久しぶり。球団内で私がピラティス講師としてキャンプにお邪魔することが共有されると、何人かの方から連絡をいただきました。
 この年は、2軍のキャンプが行われている高知県安芸市へ。前日にトレーナーさんとのミーティングを行うために、宿舎へ伺いました。ちょうど夕食の時間帯で、リポーター時代から面識のある選手は「なんでいるんですか?」といった表情。「ピラティス講師としてお世話になります」と伝えると「いつの間に?!」と驚かれました。平田勝男二軍監督は、私を見つけるなり「おー! いずみ! あっ、いずみ先生やな! 先生! 明日から頼むよ!!」と、恒例の勝男節で迎えてくださいました。コーチ陣は、現役時代に取材させていただいた方も多く、私の緊張を察してくださいました。
「炭酸水部屋に持って帰らなくていいか?」、「この水シリカが入っているしいいで!」、「どら焼きは食べるか?」、「高知に来たら、ミレービスケット食べないとあかんで!」。まるで、久々に帰省した孫を想うように、たくさんお土産を持たせてくれ、アットホームな雰囲気を作ってくださったおかげで、少し緊張はほぐれました。それでも、夜は寝付けずに朝を迎えました。

 練習前の集合時にみなさんにご紹介いただき、ご挨拶。どのような挨拶をしたかは全く覚えていません。「先生ちゃんと見といてよ!」という勝男監督の言葉通り、ウォーミングアップから選手の動きを入念に観察しました。練習が早く終わる投手陣から、1班10人ほどに分かれてもらい、1時間強のレッスン。「めっちゃきつい~!」「足攣る!」。動きはゆっくりなので、それほどきつくなさそうに見えるのですが、身体をコントロールしながら使っていくので、身体も脳もフル回転。選手たちも、いつものトレーニングとの違いを感じてくれたようでした。勝男監督も体験して下さり、翌朝「身体調子いいわ~!」と肩をグルグル回していました。
 嬉しいことに、変化を感じてくれたのは勝男監督だけではありませんでした。ある投手が「今日ブルペンに入ったんですけど、いつもより回旋しやすくて、めちゃくちゃよかったです!」と、わざわざ報告に来てくれました。他にも、「シーズン中に腰が痛くなるので、何かいいメニューありませんか?」など、個別に質問に来てくれる選手もいました。緊張の4日間はあっという間に終わり、「もっとこういうメニューないですか?」といった宿題もいただいて、とても学びの多い時間を過ごさせていただきました。

 この年のチームへの指導はキャンプのみでしたが、シーズン中も個別に選手が通ってくれました。出場試合は1軍2軍関係なく、なるべくチェック。動きをみた感じと本人の感覚をすり合わせながら、定期的にレッスンを行います。
 初めてキャンプに呼んでいただいた2023年にはピラティスに興味を示さなかった選手も、翌年以降「このシーズンオフから始めたいので、みてもらえますか?」と、連絡をくれる選手も増えました。翌年以降は、1軍2軍ともに沖縄県で春季キャンプを行うようになったことから、1軍キャンプでも指導するように。毎年1月には、新入団選手に向けた座学と実技指導も行うようになり、リポーター時代に選手から「何そのデザート?」と言われた当時より、ピラティスを身近に感じてもらえるようになったと思います。
 ここで、一つ間違いのないようにお伝えしたいのは、私はピラティスを選手に勧めたい・取り組んでほしい・教えたいという訳ではありません。年間143試合、全く身体の不調のない選手はいません。選手の一番の商売道具である身体をよりよくするための手段の一つとして、提供できればいいなというのが一番の想いです。

 特に嬉しかった出来事がありました。春季キャンプを最初から最後まで一軍で完走した若手選手が、キャンプ終盤から腰痛の症状が出ていました。アピールが必要な立場で、一軍から離脱するわけにはいかないと、痛みを抱えながらなんとか過ごすものの、腰痛のせいで、全力でバットを振れない状態でした。帰阪後すぐにピラティスを実施。腰痛の起因となっているであろうという部位にアプローチしたり、機能が低下している部位に対するメニューを施したりしました。1時間のレッスン後「明日は楽しく野球ができそう!」と、嬉しそうにスタジオを後に。その翌日「久しぶりに野球が楽しくて、練習後に1時間もバッティングしました! 痛みを怖がることなく回転できるので、本当にありがたいです。いずみさんのおかげです!」。とても嬉しい連絡でした。
 大好きな野球を職業にできているプロ野球選手が、怪我によって野球を楽しめなくなったり、選手寿命が短くなったりしてしまうのは、いち野球ファンとして、とても悲しいこと。その力になりたいと、野球選手の障害に対するピラティスを学びました。一軍の舞台でタイトルを獲って活躍するのも嬉しいですが、また野球を楽しいと思いながらプレーできるようになったこと、その力に少しでもなれたのであれば、これ以上に嬉しいことはありません。

 ただ、産後は息子の発熱などにより、急遽レッスンができなくなることもあり、1シーズン伴走する難しさも感じています。選手のルーティンはとても大切なのに、穴をあけてしまう罪悪感を覚えることも。
 実は、2025年の春季キャンプは、直前まで沖縄に行けるかどうかという状況でした。沖縄入り4日前に息子が40度近くの発熱。おまけに下痢嘔吐の胃腸症状までありました。選手に移してはいけない。でも、出産直前だった前年はキャンプに行けずに、涙が出るほど悔しかった思いから、どうしても行きたい・・・。しかし、こんなにしんどそうな息子を置いていくわけにもいかない。どうしていいのかわからず、寒い夜に息子を抱え、病院を奔走。心配・不安・葛藤・・・ボロボロ泣きながら球団スタッフに電話をしました。「子が最優先。フライトギリギリまで迷ってくれていいから。来ていただけると有難いけれど、無理はしないように。」と、言ってくださり、その優しさにまた涙が止まりませんでした。
 幸い、出発日には平熱に戻り元気だったこと、検査をしてもインフルエンザ、コロナ、ノロウイルスなどは全て陰性だったこと、私自身に症状もなかったことから、沖縄に行くことになりました。沖縄へ着くと、「子守りなんて順番にみんなでするから、連れてきたらいいのに!」と、言って下さる球団の方もいて、出産しても温かく迎え入れて下さる環境に、嬉しい気持ちでいっぱいでした。事情を聞いた選手のみなさんも「息子大丈夫すか?」と心配してくれました。
 帰阪後には、スタッフの方から「ギリギリまで粘って考えてくれて、ありがとうございました。結果的にきていただき、非常に助かりました。体調が万全でない中、頑張ってお母さんを待ってくれていた息子ちゃんをいっぱい可愛がってあげて下さい」とメッセージをいただき、また溢れんばかりの涙が出てきました。初めての高熱にあたふたし、球団にも家族にも迷惑をかけたくないし、どうしたらいいかわからないと1人で勝手に抱えて不安になっていましたが、球団職員でもない私の息子のことまでこんなにも心を配っていただけるなんて。家族が協力的でも、育児って社会的に置いてけぼりというか孤独を感じることが多いのですが、一人じゃないんだなぁ。私は本当に素敵な方々に恵まれています。もっともっと選手の力になりたいという気持ちが増した春でした。

 大学院を修了した現在も、最新のエビデンスに基づいたエクササイズを提供するために研究を続けています。早稲田大学ベースボール科学研究所の招聘研究員として、引き続き早大野球部に協力を得て、データを収集。障害と身体の可動性の相関で新たなことがわかったり、逆にまだまだわからないことがたくさんあったり、今も野球選手の身体のことで日々頭がいっぱいです。新たな資格を取得するための講習会も受講しはじめ、育児をしながらも、少しずつ前に進んでいます。
 なぜこんなに行き急いでいるのだろうと自分でもおかしくて笑うことがあるのですが、産前は「好きなことをただ追求(究)する」という自分本位に生きてきました。産後はそうではありません。一人の命を守るため、生かすため。息子になにかを頑張る姿を見せたい。自分のことしか考えてこなかった私の人生をこんなにも大きく変える存在は本当にすごいと思います。
 それと同時に、私と同じようにキャリアとライフイベントを天秤にかけた時に、どうしてもキャリアに対する不安が先に浮かぶという、若い女性に向けて、生意気ながら「ママでも自分のキャリアを持てるよ」という選択肢になれたらなという想いも今はあり、挑戦を続けています。ただ、制度も社会の受け入れ態勢も、理解も、今の日本はまだまだ育児をしながら働くには、難しいところがたくさんあると感じています。
 次回は、これほどまでに仕事人間である私の妊娠、出産についてお伝えします。40年近い人生で、こんなに悔しい思いをしたのは初めて?というほど、どうしようもできない悔しさを味わい続けた十月十日とつきとおかでした。

市川 いずみ

市川 いずみ
(いちかわ・いずみ)

京都府出身。職業は、アナウンサー/ライター/ピラティストレーナー/研究者/広報(どれも本業)。2010年に山口朝日放送に入社し、アナウンサーとして5年間、野球実況やJリーグ取材などを務めた後、フリーアナウンサーに転身。現在は株式会社オフィスキイワード所属。ピラティストレーナーとして、プロ野球選手や大学・高校野球部の指導も行う。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了(スポーツ医学専攻)。スポーツ紙やウェブにて野球コラムを執筆中。アスリートのセカンドキャリア支援事業で広報も担い、多方面からアスリートをサポートしている。阪神タイガースをこよなく愛す。

Twitter:@ichy_izumiru

Instagram:@izumichikawa

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