35歳大学院生

第24回

妊娠して押し寄せてきた「仕事どうしよう」

2025.10.16更新

 10月も後半に差し掛かり、やーっと! 長袖が必要になってきましたね。夜になると、鈴虫かな? 秋の虫の心地よい鳴き声が聞こえてきます。日々の仕事、家事、育児を終えた貴重な一人時間。ほっと一息つかせてくれます。一人時間がこれほどまでに貴重だなんて、出産するまでは知る由もなく。仕事人間だった私は、24時間すべてが自分時間でした。そのころに比べると大きなギャップがありますが、今はこれで十分幸せと感じられます。今回は、私の妊娠・出産。その大きなライフイベントとキャリアについてお伝えします。

 これまでのコラムを読んでくださっていた方はお気づきだと思いますが、とにかくお仕事が大好きな私。アナウンサーとして、大阪⇔東京の二拠点生活を送っているかと思いきや、ピラティストレーナーとしても活動したり、さらには大学院に進んで研究の道に踏み出したり、自分の「好き」に突き動かされてきました。
 急ブレーキがかかったのが、2023年の夏ごろでした。大学院が終了した後も、早稲田大学ベースボール科学研究所の招聘研究員として、野球選手の障害とピラティスの効果について研究を続けており、その日は早大野球部でのピラティス介入日でした。
 西武鉄道に揺られ、まもなく東伏見駅。というところで、目の前がぐるんぐるん。冷房がガンガンに効いた車内にもかかわらず、大量の汗が噴き出てきました。東伏見駅のホームになんとか降りたものの、ピラティスをできる状態ではありません。マネジャーに連絡し、レッスンを後日に変更してもらいました。5分ほどで症状は治まり、その日のうちに大阪に移動するスケジュールだったため、品川駅へ。しかし、その途中でもまた同じような症状に見舞われました。数日前に発熱もあったため、ただの体調不良と捉え、この時はまだ小さな命が宿っているなど思いもしませんでした。
 その後2日ほどお仕事もなかったため、静養して回復! 生放送の現場に向かおうと、電車に乗ること約15分。また汗が吹き出して立っていられなくなり、電車の中で座り込んでしまいました。事務所に電話をして、生放送を欠席。これまでも少しの体調不良なら気合で仕事をしてきましたが、この時ばかりはそうもいかないほどフラフラでした。そして、ようやく「もしかして?」と、妊娠を疑ったのです。

 すでに35歳。高齢出産と言われる年齢です。厚生労働省によると、2021年に不妊の検査や治療を受けたことがある夫婦の数は、約4.4組に1組。私の周囲でも、不妊治療を受けている友人はいましたし、自身も過去に多嚢胞性卵巣症候群という、排卵がうまくいかない状態と診断されたこともありました。パートナーとは、「子どもは授かりもの。できたらいいけれど、できなければ2人で歩んでいこう」という話をしていました。年齢のこともあり、授かるなら早めにとは思っていましたが、ありがたいことに、自分たちの中でのゴーサインが出てから、すぐに私たちのもとへやってきてくれました。
 とてもとても幸せなことで、実際に妊娠検査薬で陽性反応が出た時はすごく嬉しかったのですが、喜びのあとにすぐ押し寄せてきたのが「仕事どうしよう」という、大きな心配事です。今思えばそんなことどうにでもなるし、なんて自己中で最低なんだと思いますが、それまで仕事しかしてこなかった私にとっては、妊娠・出産における長期離脱が怖くて仕方なかったのです。誰かに椅子を明け渡すと、その席は戻ってこない――。NPBで1939試合連続出場を果たした鳥谷敬さんですら、欠場することで才能のある若手選手出てきたら思うと「怖かった」と話していました。フリーアナウンサーに転身して約10年、ピラティストレーナーとしてもいいスタートを切り、少なからず築いてきたものがありました。それが0、いや、むしろマイナスになるのではないかという、まさに不安を超えた恐怖心に襲われました。

 気持ちは追いつかなくとも、身体は日に日に変化します。悪阻つわり期は、とにかく眠かったです。一日中横になり、ひたすらNetflix。妊娠すると味覚が変わると言いますが、普段清涼飲料水は全く飲まないのに、セブン-イレブンのゆずれもんサイダーをずっと口にしていました。神様仏様セブン-イレブン様。固形物が摂れない中で悪阻を乗り切れたのは、間違いなくゆずれもんサイダーのおかげです。お世話になり、ありがとうございました。
 さて、悪阻が終わると安定期に入ってくる頃です。本来ならばお世話になっている方みなさんに報告すべきなのですが、仕事を失うことの怖さの方が勝り、お腹が目立ってくるギリギリの時期まで隠したいという気持ちが強くありました。レギュラー番組ではロケもあり、食べ物の制限や動きの制限など仕事に支障をきたしたり、番組をお休みするタイミングを決めたりする必要もあったため、すぐに報告しましたが、多くのスタッフに報告することはせず、極力妊娠していることを知られないように過ごしていました。高齢での妊娠ということもあり、出産するまでは何が起こるかわからないからということもありましたが、公表しなかった一番の理由は、脳内が仕事に占拠されていたからです。結局お腹が大きくなってくると隠すことはできないし、別にこそこそする必要もなかったなと思いますが、とにかく「すべてを失いそうで怖かった」んです。

 もちろん、体重とともに幸せも増していました。エコー検査中にあくびをしたり手を動かしたり。健診のたびに大きくなる我が子の姿はすでに愛おしく、毎月の健診が楽しみでした。性別が男の子とわかってからは、名前を考えたり(野球選手の名前から胎児名を勝手につけていました)、早稲田大の野球部に入ってほしいなと思ってみたり。お腹の中にいる子との未来をワクワクしながら想像していました。

「男性はいいよな」。お腹が大きくなり、仕事にも制限が出てきてから、何度この言葉を口にしたかはわかりません。人間の機能上、次の命をつなぐためには、女性が妊娠という役割を担います。悪阻による体調不良、胎児が育つことによる身体の変化。それによって生まれる様々な制限。すべて経験するのは女性です。男性は、今までと全く同じ生活をしていても我が子が生まれてきてくれるわけです。私だって、これまでのように全国飛び回って、好きな時間に好きな仕事を存分に楽しんで、我が子にも会いたい!! 女性である宿命なのでそんな戯言は無駄なのですが、どうしようもない敗北感にも似た感情に苛まれました。
 そんな時に、ふとテレビで目にしたのが、タツノオトシゴの生態についてです。なんと、タツノオトシゴは、オスが妊娠するという非常に珍しい生態を持つとのこと。「タツノオトシゴになりたい!」 なれないに決まっているのに、しつこいくらいパートナーに言うことで、思うような生活を送れないことのストレスを発散していました。鬱陶しかったよね。ごめんなさい。
 お腹が大きくなってからもできる仕事をしていましたが、それも臨月まで。そこからは、代わってもらえる仕事は穴を埋めてもらいました。大学を卒業してから、給水すらせずに走り続けてきた私にとって、ピタッと歩を止めることは、レース自体がそこで完全に終わってしまう感覚でした。時間制限のないホノルルマラソンのように、途中で止まっても歩いてでも、ゆっくりゴールに向かえばいいのに。まさに、この時の私は生き急いでいました。
 先述した鳥谷さんの言葉のように、席を空けたら誰かにとって代わられてしまうという恐怖心に最も襲われたのはこの頃です。私がしているはずだった仕事を他の人がしている様子が気になって気になって仕方ない。SNSでその仕事ぶりを見ては、悔しくて涙が出たことは一度ではありませんでした。毎朝起きて一番に感じたのは、顎のだるさ。奥歯の噛みしめで頭痛に襲われる日もありました。「出産したらすぐに復帰するから!」。まもなく出産というのに、産後の2~3時間おきにやってくる夜間授乳による寝不足があることなど露知らず。頭の中は、いかに早く仕事に復帰するかでいっぱいでした。仕事を休むことで、社会とのつながりが途切れてしまうこと、置いてけぼりになってしまうことも私の心を揺るがす理由でした。
 たまたま、出産時期が近い友人が数人おり、中には同じように仕事大好きな友人もいました。彼女も出産するまでは「早く仕事に復帰したい」と口にしていたのですが、いざ出産すると「働き方色々考えるなぁ」と話すようになりました。出産するとそう考えざるを得ないのか、はたまた母としてそのような気持ちになっていくのか。まだお腹の大きな私は「出産しても変わらず仕事人間でいる」という変な自信を持っていたのですが、産後すぐにその自信は粉砕。お腹が元に戻っても、「なんとしてでも今までのように働く」という気持ちは戻ってこなかったのです。
 これほどまでに働きたがっていたのに! 出産、子どもの存在ってすごい力を持っています。物理的にこれまで通りなんて不可能ということも大きいのですが、実際に子どもが生まれてみると、自分の中の優先順位が大きく揺らいでいくのを感じました。腕に抱いたその瞬間から、「この子を守らなければ」という使命感にも似た思いが自然と湧き上がってきたのです。それが母性なのか? 単なる本能なのか? ただ確かなのは、それまで何より大切だと思っていた仕事の存在が、ふと遠くに感じられたこと。そして今はただ、この小さな命のそばにいたいという気持ちが、自分の中で揺るぎなく根を張り始めました。このような感情の変化があるなんて、自分でも驚きました。

 ということで、無事に出産したのですが、高齢初産とは思えないほどの安産でした。地元で一番仲の良い友人が働くクリニックで出産し、お産にも立ち会ってくれました。これほど心強い存在はありません。陣痛の波に合わせていきむのですが、「あと1テンポ遅らせて!」という指示を聞く余裕もあり、波が収まっているときは笑いながら話すこともできました。もちろん今までに経験したことのないお腹の痛みに襲われましたが、陣痛中もそばにいてくれた友人のおかげで、一切不安のないお産となりました。本当にありがとう! 身体もとっても健康でした。よく全治3か月の交通事故に例えられるほど、母体へのダメージが大きいと言われる出産ですが、妊娠中も産後もトラブルは全くなし。産後は会陰切開の痛みが数日続きましたが、腰痛すらありませんでした。
 実はこれもピラティスのおかげが大きいと思っています。安定期に入ってから、マタニティ専門のピラティススタジオに通っていました。スタッフがみなさん助産師で、オーナーは私と同じく大学院で研究をしている方でした。学会で一緒になったこともあり、妊婦への運動介入を科学的に研究されています。お産に必要な運動器の機能を高めるエクササイズを提供してくれるだけでなく、妊娠周期に合わせた身体の変化や胎児のことなども教えてくれて、心の拠り所にもなっていました。産前産後の女性に対するピラティスの効果はすでにエビデンスもあり、私は身をもって効果を感じました。アスリート中心にピラティス指導を行ってきましたが、この経験から、今後出産を経験する女性の力にもなりたいと思うようにもなりました。

 出産を機に仕事人間に芽生えた母性。しかし、子どもとの時間がかけがえのないものであると同時に、仕事を通して社会とつながっていたい、自分自身を発揮したいという思いも、消えたわけではありません。母としての自分と、仕事をする自分。その両方を抱えながら、どちらも大切にしたい。揺れながら、悩みながら、それでも前に進もうと今ももがいています。次回は、"ワ―ママ"として社会復帰してからのお話です。

市川 いずみ

市川 いずみ
(いちかわ・いずみ)

京都府出身。職業は、アナウンサー/ライター/ピラティストレーナー/研究者/広報(どれも本業)。2010年に山口朝日放送に入社し、アナウンサーとして5年間、野球実況やJリーグ取材などを務めた後、フリーアナウンサーに転身。現在は株式会社オフィスキイワード所属。ピラティストレーナーとして、プロ野球選手や大学・高校野球部の指導も行う。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了(スポーツ医学専攻)。スポーツ紙やウェブにて野球コラムを執筆中。アスリートのセカンドキャリア支援事業で広報も担い、多方面からアスリートをサポートしている。阪神タイガースをこよなく愛す。

Twitter:@ichy_izumiru

Instagram:@izumichikawa

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