第21回
34歳で大学院へ
2025.07.17更新
「暑いですね」が、すっかり挨拶代わりになってきました。梅雨明けも早かった今年は、6月から35℃を超える日もあり、数年後にはどうなってしまうのだろうと不安になるほどの暑さですが、炎天下で全力プレーする高校球児に元気をもらう日々を過ごしています。そんな中、私は先日、今年最大のイベントを終えました(自分でも笑うような挑戦でして、詳細は次回以降)。そのビッグイベントの会場は、外苑前にあるJAPAN SPORT ORYMPIC SQUARE。日本オリンピックミュージアムなどが入る建物です。
朝8時に会場入りのため、前日から東京都内に宿泊することに。集合時間が早かったため、ホテル選びは会場までの距離を最優先し、隣にある日本青年館ホテルに決めました。そう、私を野球ピラティスの道へ導いてくれた運命の出会いがあった、あの日本青年館ホテルです。
2020年秋、早慶戦が明治神宮野球場で行われる日に、私は大隈さん(前回コラム参照)と、早稲田大学大学院受験にあたっての最終ミーティングを行おうと、日本青年館ホテルで待ち合わせしました。5分ほど前に到着し、ロビーから神宮球場全体を見渡せる最高の景色によだれを垂らしていました。気づけば、待ち合わせ時間になっていたのですが、大隈さんの姿はまだありません。
秒単位で時間に忠実な方なので、なにかあったのかと心配していると「市川さん! 君はやっぱり持っているよ!!!」と、興奮気味の大隈さんがレストランから出てきました。少し早く到着して、先に入ってらっしゃったんだなと思っていたのですが、ただ中で待っていただけというわけではなさそうでした。「この間話した研究室のうちの一つの先生が、今なんとこのレストランで一人で昼食をとっていらっしゃって! 市川さんの話をしたら、ぜひ一緒にということだから! 君は本当にすごいよ! びっくり!」。なんと、興味を持っていた研究室の教授と、急遽ランチすることになったのです。のちに私の指導教官となる金岡恒治先生との、運命の出会いでした。
この日、JAPAN SPORT ORYMPIC SQUAREで講演のお仕事があり、隣のホテルで昼食を摂っていたという金岡先生。「大隈さんからピラティスの話を聞いたけど、今ヨガやピラティスに興味があるんだよ!」。こんなことあるのでしょうか! たまたま同じレストランでランチをするということだけでなく、金岡先生がピラティスにも興味を持っておられるとのこと。すでにヨガやピラティスなど、身体をコントロールするモーターコントロールエクササイズを使った介入研究などを行っているというお話を聞かせていただきました。脊椎専門の整形外科医ですが、腰痛は運動療法で治すという考えをお持ちです。まさに、野球選手の腰痛をピラティスで予防・改善したいという私の想いと一致していたのです。「来週研究室のオンラインミーティングに一度参加してよ!」とおっしゃっていただきました。当時はまだコロナ渦で、授業もほとんどがオンライン。本来なら直接研究室に伺って見学をするのですが、オンラインで雰囲気を感じさせてもらうことにしました。偶然が導いてくれた金岡先生とのつかの間のランチミーティングを終え、大隈さんとは無言で目を合わせて頷くのみ。金岡研究室を受験しない理由はありませんでした。
翌週、早くも受験を断念しそうになります。というのも、オンラインミーティングに参加したものの、飛び交う用語が一つもわからなかったのです。学部は法学部だったので、スポーツ科学や医学に関する用語はもちろんのこと、研究用語も一切知りません。急に他言語のクラスに放り込まれたくらい、理解できないままの約2時間が終わりました。「これは、もし受かったとしても大変なことになる・・・」。絶望感に苛まれていたところに、これまた運命のメッセージが届きました。
「ピラティスの効果を科学的に検証したいというそのいずみさんのご姿勢が、私は大好きです! もし研究計画書の添削やアドバイスが必要であればいつでもお声がけください」。
ミーティングに生後数か月の乳児を抱いたまま参加されていた、博士課程の女性の先輩からでした。金岡先生から、育児をしながら研究している女性がいらっしゃるとは伺っていましたが、産後の大変な中で博士課程に在籍し、見学者の私にまでこんなに気を配ってくださるなんて・・・まさに叡智と徳を備えた方で、「同じ女性として、このような方になりたい!」(彼女の方が年齢は下です)という気持ちも、金岡研究室の受験を決定づけてくれました。
約15年ぶりの受験生です。金岡先生にも「受験はもちろんしてもらわないといけないから、過去問などをしっかりやっておいてください」と言われていました。2年間の修士課程を受験する場合、願書と一緒に研究計画書とTOEICなどの英語能力を計る証明書を提出し、その後筆記試験(スポーツ科学の一般教養、希望研究室の専門科目)と面接を受ける必要があります。研究計画書は、見たことももちろん書いたこともありません。先輩に甘えて、アドバイスをいただきながら進めました。
筆記試験までも2か月ほどしか時間がなく、仕事のない日は朝から晩まで、参考図書に向き合いました。仕事に行く電車の中でも、自作のノートに目を通し、お風呂の中でも湯船につかりながら勉強していました。あまりにも筆記試験にフォーカスしすぎて、試験当日に面接があることをすっかり失念してしまうほど。たまたまジャケットを着用していたのでよかったですが、面接では、金岡先生以外の2人の教授に結構詰められました(笑)。筆記試験の専門科目では「仙腸関節性腰痛について、病態とその運動療法について記述せよ」といった内容でした。腰痛にはいくつかの病態があるのですが、その中でも当時一番自信のない問題が出たので、「これは落ちたな」と思う出来でした。
合格発表まではそう時間がかからなかったと記憶していますが、ウェブ上で確認したところ、なんとか合格。母がすごく喜んでいて、それだけでも頑張ってよかったなと思えるチャレンジでした。
いよいよ入学。の前に、とても大事な仕事がありました。早大野球部の小宮山悟監督へのご挨拶です。私の研究テーマは「野球選手の腰部障害に対するピラティスの効果」でした。研究をするためには、野球選手に被験者になってもらう必要があります。この研究の場合、ピラティスの介入は最低3か月間必要だったので、協力してもらう選手にはかなりの時間を頂戴することになります。これまで、金岡研究室で野球に関連する研究を行う場合は、準硬式野球部の選手に協力してもらうことがほとんどでした。しかし、私は研究結果をプロ野球選手に還元したいという想いがあったので、より競技レベルがプロ野球選手に近い、早大野球部の選手たちにお願いしたい気持ちがありました。
毎年のようにプロの世界に入る選手がいる早大野球部にとっては、日々の活動が就職活動のようなものです。ましてや、当時は女性マネジャーもおらず、どこの馬の骨ともわからない女性の私が、選手をお借りしたいというのはものすごくハードルの高いことでした。ここでも、大活躍してくださったのが、大隈さんです。野球部OBということで、現在も頻繁にグラウンドに顔を出されています。小宮山監督に、私の研究についてお話をしてくださり、研究説明の機会を設けてくださいました。安部寮(野球部寮)での研究説明には、金岡先生も同席してくださいました。これまでアナウンサーとして野球に関わってきたこと、その中で野球選手の障害予防をしたいという気持ちが芽生えたことなどを説明し、監督ご自身も早稲田の大学院で研究をされていたこともあり、「選手にもメリットのあることだと思うから」と、ご理解いただきました。早大野球部監督に就任される前は、小宮山監督もワースポ×MLBに出演されていました。それも何かのご縁だったように感じます。
緊張の説明を終えて、応接室から出ると「何してるんすか?!」と、寮の階段を降りてきた選手に声をかけられました。高校時代によく取材していた選手が早大野球部に進学しており、たまたまそのタイミングで遭遇したのです。「春から早稲田生になるねん! 研究に協力してもらうかもしれないので、よろしく!」。このやりとりを隣でご覧になっていた監督が「なんだ! そんなに仲いいなら、もう好きにやってよ!」と言ってくださいました。これも野球がつないでくれたご縁です。無事に早大野球部の選手に被験者を務めてもらえることとなり、研究の準備を整えて入学することができました。
入学時ですでに34歳。同期二人とは一回りほど離れていましたが、野球好きという共通点で、とても仲良くしてもらいました。それだけでなく、令和の学生ではあたりまえの技術や知識も二人には教授してもらいました。私が学部生のころは、レポート提出も手書きの時代。そのまま放送局にアナウンサーとして就職したので、エクセルやパワーポイントをほとんど使わずに生きてきました。大学院の授業は、受けるというよりも学生が発表することの方が多く、パワーポイントは必須。資料を作るたびにパソコン教室なみに、丁寧に教えてくれました。
そんな慣れない学生生活中も、NHK BS1のワースポ×MLBのキャスターは続けていました。平日は学生、土日は仕事という生活です。早稲田といっても、研究施設の兼ね合いから、授業があるのは埼玉県所沢市のキャンパスと東京都西東京市の東伏見キャンパス。番組終わりが深夜になるため、当時は都内に住んでおり、通学には1時間以上かかっていました。でも、大阪でレギュラー番組をたくさんいただいていたころは、時差ぼけ状態のフラフラで、頭痛や吐き気があるのは当たり前だったので、夜から朝までまとまった睡眠がとれることは、体調や生活をいいものに変えてくれました。
東京は緑が多く、毎朝5時に起床して、近くの遊歩道を5キロほど散歩。この時間をYouTubeなどでのインプット時間にして、帰宅後お弁当を作る。1.5リットルの水筒を持って電車に乗ります。都内から埼玉方面に向かうので、通勤ラッシュもさほど混んではいません。移動中は読書や、発表資料の確認をします。1年生の間は、卒業までに必要な30単位をとるために、朝から夕方まで授業。8時から所沢で授業開始。2コマ終えて、食堂で同期とお弁当を食べ、夕方の授業までの間に、次の授業の課題に取り組みます。6限が終わって帰宅後は、夕飯を作って、プロ野球観戦しながら課題をやって・・・。時には、帰宅後もZOOMをつないで、先輩や同期と勉強会をすることもありました。授業がない日は研究室に行って、先輩の実験のお手伝いをしたり、学部生の卒業論文のための実験を一緒に行ったりします。卒論指導も大学院生の仕事。卒論サポートをする代わりに、学部生からは若者の流行なども教わりました。授業が早く終わる日には、みんなで野球観戦に行ったのも楽しい思い出の1つです。学会前などは、研究室にUberして、終電近くまでみんなで頑張りました。
そして、土日はアナウンサー業。ワースポ×MLBでは、試合結果だけでなく、障害について解説していただいたり、野球のデータを扱ったりしていたので、大学院での学びがつながってすごく楽しかったです。この頃には、東京六大学野球の取材・執筆もお手伝いするようになり、いつか大学野球にも関わりたいと思っていた夢も叶えてもらいました。
こうやって振り返ると、結局詰め込みすぎている毎日だなと自分でも笑ってしまいますが、改めて充実した学生生活・東京生活にしてもらった仲間や先輩方には感謝の気持ちでいっぱいです。
あっという間に1年が終わり、2年目に。研究が本格化するのはここからです。アクシデントだらけの研究。その中で、なんとかとれたエビデンスがまた次の夢を叶えてくれることになるのです。