朴先生の日本語レッスン――新しい「普通」をめざして

第20回

気持ち悪いの現象学

2025.05.07更新

 最近、ネットフリックスでやっている「ホットスポット」という日本のドラマにはまっています(韓国のドラマはあんまりどころか、全然見ないくせに)。最初は一日一本という決まりで観ていたのですが、観ているうちに続きが気になりはじめ、ある日は一晩中複数のエピソードを一気に観てしまったりしています。
 ところで、このドラマを一晩中夢中になって観ているうちに僕が抱えている得体のしれない感情を、韓国語では一言で表せる単語がないことにふっと気づきました。その感情というのは、やらないといけない仕事があるのにドラマに夢中になっていることへの「うしろめたさ」を感じる一方で、ドラマを観ながらある種の「快感」や「楽しさ」も味わっている。そういう得体の知れない感情です。
 まぎれもなく僕の身体の中で起きている出来事である以上、言葉にできないはずはない。でも、韓国語ではその出来事を表す言葉が見つからなくてジタバタしている。それで日本語でこういう出来事を一言で表現できる単語がないのかと思い探してみたのですが、日本語でもなかなか見つからない。
 ところで、偶然にも、英語では僕の身体の中で起きている上のような観念を一言で表現できる言葉があるということに気づきました。それは「guilty pleasure」という熟語です。
 僕は毎朝、英会話の勉強をモーニングルーティンにしています。今朝もラジオ番組で英会話を聴いていたら、つぎのようなフレーズが流れてきました。

 Oh, I'm full. I ate more than I was supposed to.
 This place will definitely be my guilty pleasure.

 普段より食べ過ぎてしまい愚痴をこぼしている男の話ですね。日本語に訳すと「この場所は間違いなく私の 『ギルティプレジャー』になるでしょう」という感じでしょうか。
 この英会話番組のパーソナリティは「ギルティプレジャー」のことを韓国語では「密かな楽しみ:은밀한 즐거움」あるいは「気持ちいいんだけど、うしろめたい:즐겁지만 찝찝하다」と言えるんじゃないかと話していました。この説明を聞いて、なるほど。世の中、こういう複雑な感情を表す言葉があるんだなと感心してしまいました。ついでに、日本語ではこの「ギルティプレジャー」のことをなんと訳しているのか調べてみたら、「後ろめたい喜び」「恥ずかしい趣味」というふうに解釈しているようです。
 普段私たちが遭遇する状況、私たちが抱いている気持ち、私たちがしたい実践、そのありとあらゆる場面において、 自分たちの母語がどれほど限られた語彙、限られた音韻、限られた統辞法、そして限られたロジックのうちにあるのかを感じていただけるかと思います。私たちはしばしば自分が経験したことを伝える言葉を見だせず黙り込んだり、戸惑ったり、自分のうちにある気持ちがまるで存在しないもののように扱われたりといった経験をする。だからこそ外国語の勉強が重要だと僕は思うのです。
 母語によってデザインされた現実、母語が切り分けている現実からあえて離れてみること。母語的切り分け方とは違う仕方で世界を眺めること、母語とは異なる言葉で自分の経験を語り直すこと。その未知の世界を経験することが、外国語を学ぶことの最大のやりがいではないでしょうか。実際に僕は英語やドイツ語、そして日本語を学ぶことにより、未知の世界を経験していますし、それどころか、疎遠な世界を親しみに満ちた世界に書き換えることができているように思います。
 最近、久しぶりに会った高校教師の友人から聞いた話なんですが、彼は最近、 J. デューイ が書いた『民主主義と教育』の韓国語版を読んでいて、本文の中で「責任」という韓国語訳が腑に落ちないと言っていました。
「責任」という言葉は、英語のリスポンシビリティ(responsibility)の訳語ですが、この語には、日本語と韓国語の「責任(책임)」という言葉からは感じられない独特の含意があります。リスポンシビリティとは、文字どおりに訳せば、「リスポンドする能力」、つまり他者からの求めや訴えに応じる用意がある、ということです。さらにそれをラテン語源に分解すれば「だれかからの約束に約束し返すこと」(re-spondere)という意味です。
 一方、韓国語と日本語で「責任(책임)」と言えば、国家の一員としての責任、家族の一員としての責任というふうに、組織を構成する 「一員」として果たさねばならないことがらを思い浮かべるのではないでしょうか。それは匿名の役柄における責任であって、「まぎれもなくこのわたしがいまだれかから呼びかけられている」という含みはありません。
 これに対して欧米のひとたちは、伝統的に、ひととしての「責任」を、他者からの呼びかけ、あるいはうながしに応えるという視点からとらえてきたと思います。この他者はかれらにとっては神でもありうる。だから職業のことを、とくに使命や天職の意味を込めて、コーリング(calling)あるいは 「ヴォケーション(vocation)」と呼ぶことがあります。まさに何かをするべく神から呼びだされているという感覚ですね。
 この「誰から呼ばれている」という意味合いは韓国語と日本語の「責任(책임)」には含まれていないわけです。でも、「responsibility」の意味合いを絶妙につかまえて日本語と韓国語で言語化することは不可能ではないと僕は思います。
 2023年11月、韓国の釜山大学で「キャリア教育」をめぐる国際学会が開かれました。そこで内田樹先生はこんな話をされました。

 多くの場合、呼びかけは「助けて」という文型を取る。「ちょっと立ち止まって私の話を聴いて、手を貸してほしい」。そう告げる。 創造主は宇宙を創造した後、ずっとそう呼び続けてきた。気が遠くなるほど長い時間、呼び続けてきた。そして、ある日、一人の男が 「はい」と返事をした。 その瞬間に一神教は成立した。
 この太古的な物語はあらゆる 「キャリア」についても言える。 人を天職に誘う声は必ず「助けて」という救難信号のかたちをとる。その声は誰にでも聞こえるわけではない。ふつうは一人にしか聞こえない。だから、「助けて」の呼びかけを聴き取った人は「選ばれた人」なのである。

 まさに英語の「responsibility」を日本語の語彙に見事に落とし込んで表現している話だと思います。
 母語は外国語に出会うことによりたえず改定していかなければならないと僕は思います。私たちが今使っている日本語と韓国語(たとえば「責任」)は「誰かに呼ばれていること」や「一人にしか聞こえない」という感覚(それこそ「responsibility」)を支える言語的リソースを十分に備えていない。そして、その両国語は、「責任」をはみ出るような日々の実践をとらえる言葉がない。だとすれば、「普通の日本語」と「普通の韓国語」をそのまま維持するのではなく、むしろ新たな言語実践、新たな記述を可能にすべく、これまでの日本語と韓国語に照らすとちょっと普通ではない言い回しを探り、それをあえて使って、日本語と韓国語をバージョンアップしていく必要があるのではないかと思うのです。

 母語と外国語を行き来することで、母語ではとらえられなかった感覚をつかむ。そういう経験を僕にもたらしてくれたもっとも印象的だった日本語のひとつが、「気持ち悪い」です。
 この「気持ち悪い」という表現ほど幅広い意味で使われている日本語は僕はほかに知りません。
 日本の友人たちに「気持ち悪いってどんな感覚?」と聞いてみると、次のような答えが返ってきます。

友人A:
 納豆や蜂蜜が手に付いた時のネバネバ感かな。
 あと、化学繊維が肌に合わなかった時のチクチク感。

友人B:
 最初に思い浮かぶのは吐き気がするときです。「気持ち悪いので遅刻します」というときの。
 あとは、虫を見たときなど、おぞましい気持ちになったとき!

友人C:
 たとえば、本心は良く思っていないことが分かるのに、あたかも好意をもっているかのように近づいてこられるのは気持ち悪いです。
 他人の靴を履いたときみたいな感じですね。感覚的な気持ち悪さと言いましょうか。
 びしょぬれの靴を履いた時も。

友人D:
 昨日ちょっと出かけていて「気持ち悪い」ことがありました。コインパーキングに駐車したとき、ハンドルの向きがまっすぐじゃなかったんです。降りようとする夫を呼びとめて向きを直してもらいました。最後はまっすぐになってないと気持ち悪いんですよね。

友人E:
 自分の仕事に「お仕事」と「お」をつけるのがちょっと気持ち悪いですね。「女優さんのお仕事をしてきて・・・」みたいな言い方。

 これ以外にも、知っているはずなのに思い出せない名前とか、のど元まで出かかっているのだけれど出てこない単語とかがあるときに、「気持ち悪い」と言うこともありますよね。髪をかきむしって、「なんだっけ、なんだっけ、ほら、あれだよ、あれ」 というふうにじたばたするようなときです
 以前あるテレビ番組で、出演者がてっきり今日は木曜日だと思っていたのに、実は土曜日になっていたということに気づいて、(時間が経つのが早すぎて)「気持ち悪い」という表現を使うのを観たこともあります。
 日本語の辞書で「気持ち悪い」の意味を調べてみると、

• 心身の状態が悪い。 胸や胃が重苦しかったり、吐き気がしたりする。「食べ過ぎて―・くなる」
• 見たり触ったりしたときの感じが悪い。「 ―・い色の虫」「靴が湿っていて―・い」
• 不満や疑問などが残り、心が晴れない。「名前がなかなか思い出せず、―・い」

 大体この三つの意味として使われているのがわかります。
 韓国語では、「気持ち悪い色の虫」「靴が湿っていて気持ち悪い」というふうに、「見たり触ったりしたときの感じが悪い」感覚を同じ一つの表現で表すことは、まずありません。この二つの感覚を表す言葉は別々にあります。「気持ち悪い色の虫」と言う場合の「気持ち悪い」は「징그러운」、「靴が湿っていて気持ち悪い」の場合の「気持ち悪い」は「찝찝하다」です。
「人の名前がなかなか思い出せない」ときとか、「時間が経つのが速すぎる」と感じたときに、その出来事を切り分けて言語化する習慣も韓国語にはありません。
 ところで最近、韓国では、「イモカセ」という言葉がはやっています。日本語と韓国語をまぜあわせた若者言葉で、「飲食店の店員のおばさんが出してくれるおまかせ」のこと。「イモ」はそもそも親戚のおばさんという意味ですが、韓国では飲食店の店員さんを親しみをこめて「イモ」と呼ぶことがあります。そのおばさんが出してくれるおまかせなので「イモかせ」というわけです!
「イモカセ」と同じように、いずれ「気持ち悪い」という言葉も韓国語といっしょになって変身するかもしれませんね。逆に「イモカセ」という言葉がこれから日本語の辞書に登録されるかもしれません。
 母語には存在しない概念に出会い、母語には存在しない感情意識の中に入り込み、母語には存在しない音韻を母語を語っている限り決して使わない器官を用いて発音する・・・。どれも、知性的にも感情的にもきわめて生産的な経験です。外国語を学ぶことは、自己刷新と人間的成長のためには「不可欠」と言ってもよいのではないかと僕は思います。

 最後に、僕が最近日本で経験したことを皆さんにぶつけてみようと思います。
 僕は過日、大分県で人と会う用事があり、釜山から福岡まで飛行機で飛んで、福岡空港からレンタカーを借りて仕事仲間と一緒に大分に行きました。筑波大学に留学していたとき以来、20年ぶりの右側運転で、最初は大変緊張しましたが、運転しているうちにだんだん慣れてきてなんとか往復6時間の運転を無事に終えることができました。
 ただ、日本のカーナビゲーションには最後まで慣れることができませんでした。韓国のカーナビには、スピード違反の取締り情報や、スクールゾーン、駐停車違反区間などを知らせてくれる機能がついています。道路の段差(バンプ)の存在を知らせてくれる機能もあって、安全運転に役立っているのですが、今回僕が使った日本のカーナビには、そういう機能がついていませんでした。
 大分から福岡空港に車で帰る途中、「このままのスピードだとそろそろスピード違反になりますよ」というアラートどころか、警告の表示すら出さない日本のカーナビを経験して、最後までどこかモヤモヤした気持ちを抱えて運転しました。こういう場合は「アラートがないから気持ち悪い!!」という表現を使っていいでしょうか。みなさん、教えてください。

朴東燮

朴東燮
(ばく・どんそっぷ)

1968年釜山生まれ。釜山大学教育学科卒業 (文学士)。釜山大学教育心理学科卒業 (教育学修士)。 筑波大学総合科学研究科卒業(哲学博士)。現在独立研究者。学問間の境界と、地域間の境界、そして年齢間の境界を、たまには休みながら移動する「移動研究所」 所長。

主な著書(韓国語)に『レプ・ヴィゴツキー(歴史・接触・復元)』『ハロルド・ガ ーフィンケル(自明性・複雑性・一理性の解剖学)』『成熟、レヴィナスとの時間』『動詞として生きる』『会話分析: 人々の方法の分析』。
内田樹著『街場の教育論』、森田真生著『数学の贈り物』、三島邦弘著『ここだけのごあいさつ』(以上、ミシマ社)などの韓国語版翻訳者でもある。

「X」はこちら

おすすめの記事

編集部が厳選した、今オススメの記事をご紹介!!

  • 絵本編集者、担当作品本気レビュー⑥「みなはむ×季節の絵本シリーズのはじまり 『はるってなんか』の作り方」

    絵本編集者、担当作品本気レビュー⑥「みなはむ×季節の絵本シリーズのはじまり 『はるってなんか』の作り方」

    筒井大介

    こんにちは、ミシマガ編集部です。今年2月に刊行した、画家・イラストレーターのみなはむさんによる2作目の絵本『はるってなんか』は、春に感じる変化や気持ちがつぎつぎと繰り出される、季節をテーマにした一冊です。編集は、絵本編集者の筒井大介さん、デザインは、tentoの漆原悠一さんに手がけていただきました。そしてこの、筒井大介さんによる「本気レビュー」のコーナーは、今回で6回目を迎えました!! 

  • パンの耳と、白いところを分ける

    パンの耳と、白いところを分ける

    若林 理砂

    みなさま、お待たせいたしました。ミシマ社からこれまで3冊の本(『絶対に死ぬ私たちがこれだけは知っておきたい健康の話』『気のはなし』『謎の症状』)を上梓いただき、いずれもロングセラーとなっている若林理砂先生の新連載が、満を持してスタートです! 本連載では、医学古典に精通する若林さんに、それらの「パンの耳」にあたる知恵をご紹介いただきます。人生に効く、医学古典の知恵。どうぞ!

  • 『RITA MAGAZINE2』本日発売です!

    『RITA MAGAZINE2』本日発売です!

    ミシマガ編集部

    3/18『RITA MAGAZINE2 死者とテクノロジー』が発刊を迎えました。利他を考える雑誌「RITA MAGAZINE」=リタマガが創刊してから、約1年。『RITA MAGAZINE テクノロジーに利他はあるのか?』(中島岳志・編)に続く第2弾が本誌です。

  • 松村圭一郎さん推薦文「答えを出すのではなく、踏みとどまるために」

    松村圭一郎さん推薦文「答えを出すのではなく、踏みとどまるために」

    ミシマガ編集部

    2024年12月に刊行された、後藤正文さんと藤原辰史さんの共著『青い星、此処で僕らは何をしようか』。本書を読んだ、人類学者の松村圭一郎さんから、推薦コメントをいただきました。『うしろめたさの人類学』や『くらしのアナキズム』の著者であり、後藤さん・藤原さんと同世代である松村さんは、どんなことを思われたのでしょうか?

この記事のバックナンバー

05月07日
第20回 気持ち悪いの現象学 朴東燮
04月11日
第19回 「要するにどういうことですか?」 朴東燮
02月07日
第18回 「みなさん、日本語がお上手ですね」という言い回しを不思議がる(後編) 朴東燮
02月06日
第17回 「みなさん、日本語がお上手ですね」という言い回しを不思議がる(前編) 朴東燮
01月14日
第16回 なぜあえて『新しい普通』なの?(後編) 朴東燮
01月13日
第15回 なぜあえて『新しい普通』なの?(前編) 朴東燮
12月11日
第14回 「無視する行為」は無視できない(後編) 朴東燮
12月10日
第13回 「無視する行為」は無視できない(前編) 朴東燮
11月06日
第12回 「俺の腕だよ」という「普通」を疑う(後編) 朴東燮
11月05日
第11回 「俺の腕だよ」という「普通」を疑う(前編) 朴東燮
10月04日
第10回 電話って当時あったのでしょうか・・・?(後編) 朴東燮
10月03日
第9回 電話って当時あったのでしょうか・・・?(前編) 朴東燮
09月05日
第8回 ええ!「奇特」ってあの「奇特」じゃないんですか 朴東燮
08月06日
第7回 「乱暴」ってあの「乱暴」のこと? Ⅰ 朴東燮
07月04日
第6回 「普通」に翻弄され、 「普通」に逃げ、 「普通」に居つくことを超えてⅡ 朴東燮
06月05日
第5回 「普通」に翻弄され、 「普通」に逃げ、 「普通」に居つくことを超えてⅠ(後編) 朴東燮
06月04日
第4回 「普通」に翻弄され、「普通」に逃げ、「普通」に居つくことを超えてⅠ(前編) 朴東燮
05月07日
第3回 「普通」というなめらかな世界との向き合い方Ⅰ(後編) 朴東燮
05月06日
第2回 「普通」というなめらかな世界との向き合い方Ⅰ(前編) 朴東燮
04月08日
第1回 新しい「普通」を一個増やす 朴東燮
ページトップへ