第11回
母の仕草をする父に似た体
2024.03.12更新
「テレビを観ていたら、「きたろう」が出ていたんです。村瀨さん「きたろう」に似ていますよね」
さらりとそう言われた。ゲゲゲの鬼太郎ではない。きたろうは俳優なのだろうか。たしか、昔はコントをしていたと思う。ネットできたろうを検索してみた。現れた写真を見て「なるほど」と腑に落ちる。僕自身は赤塚不二夫に近づきつつあると感じている。
「お父さん、イケメンだったらよかったのにね」
小学生だった娘の言葉が思い出された。イケメンでないことは十二分に承知している。きたろうをイケメンだとは思えない。そして、僕はきたろうに似ている。
若いころは吉岡秀隆に似ていると言われることもあった。言うまでもなく、顔が似ているというより、雰囲気が似ていたのではないか。息子も吉岡秀隆に似ていると言われることがあるらしい。やがて、彼もきたろうに似ていると言われる日が来るのかもしれない。ということは、吉岡秀隆が老いると、きたろうに似るのだろうか。
最近、よく自分の老いが客観視される。職場がテレビ取材されることがあった。30分ほどの内容で、そこには、今の僕と25年ほど前の僕が映しだされていた。放送を見た人たちから、感想を頂いた。その多くは「ずいぶん、老けましたね」だった。当たり前ではないか。30代半ばの僕と還暦を迎える僕のビフォー・アフターが同時に現れたのだから。視聴者は比較しやすかったと思う。仕事の内容よりも、僕の老け具合に注目が集まっていた。
出張から帰る新幹線の最終便。暗闇をバックにした窓ガラスに映る顔をみて愕然とした。そこには父がいた。細い唇。口の閉じ方。流れ落ちるように垂れる細い目。生える髭の感じ。父はすでに死んでいたが、僕の中で生き続けていた。少し怖くなった。親子関係は思うに任せない。窓に映る父と再会して祝福されるか、否かは、僕の心次第と思う。
実は僕は母に似ていると言われてきた。母方の親族筋には僕の顔に似通う輩がたくさんいる。もしかして父に似てきているのだろうか。そうではないと思う。僕は父の顔も母の顔も同時に持ち合わせているのである。鏡は母寄りの顔を映し出すが、窓ガラスは父寄りの顔を映し出す傾向がある。
父寄りになるときは、疲れているときではないだろうか。疲れると決まって父が現れる。窓ガラスに映る父は励ましもしないし、労いもしない。ただ僕の顔を見つめる。
僕には明らかに父に似ているところがある。それは体である。体つきといったらよいだろうか。猫背で座る姿。骨太な骨格。痣の場所まで同じ。痣は僕の息子も引き継いでいる。初めて着るスーツをあてがう洋服屋の店員さんが「見た目より胸が厚いですね」と言った。父譲りの胸板だった。
風呂あがりは必ず父と対面することになる。脱衣所にある鏡が映し出す体は父そのものだ。見続けていると、父の面影が体をさらに包んでいく。僕の体は、僕の体ではなくなっていく。
最期に見た父の体は痩せていた。脂肪と筋肉は痩せ落ちていたが、皮は弛みを残した状態で骨を包んでいる。皮に浮き上がる骨はとても立派にみえた。そのアンバランスさが父を健康に見せなかった。
糖尿病と対峙していた父は徹底的に食事管理をしていた。徹底的という言葉は父によく似合う。そんな父が受け入れられなかった。父の根気は僕にとっては執着であり、徹底的は暴力だった。あの体は父から虐待されているようにも見えた。
受け入れ難いといいながらも、僕の体にも父の精神がほのかに宿っていることを感じる。それを感じるからこそ、父とは違う生き方を模索してきたのかもしれない。父は存在していないのに、僕の老いと人生を照らしてくれている。
先日、母の主治医が診療にやって来た。タイミングが悪く、うんこを漏らした母のお尻を拭くために、トイレで格闘していたさなかであった。同行している看護師さんがトイレまでやって来た。目をクリクリさせて「手伝いましょうか?」と声を掛けてくれた。
母のお尻を拭き終えてリビングに登場すると主治医は「お母さん、すっきりしましたか」と話しかけた。アフロヘア―の主治医は母のことを「お母さん」と呼ぶ。母はとても嬉しそうな顔をした。僕たち家族は母を「お母さん」と呼ばない。名前で呼ぶので、この世で母を「お母さん」と呼んでくれるのは主治医だけなのだ。
主治医は母を待つ間、壁に飾られた写真を眺めていたらしい。
「息子さんは、お母さんにそっくりですね」と笑いながら言う。
僕を驚かせたのは、後に続く言葉だった。
「首の傾き方まで、そっくりですね」
まさにデジャブだった。
なぜなら、介護を生業とする僕は主治医と全く同じ言葉をある家族にかけたことがあったからだ。105歳で亡くなったフミヱさんの息子さんがお母さんとそっくりだった。息子さんに「首の傾き方まで、似ていますね」と言ったことがある。子どもは年を重ねるたびに親に似てくる。それは、避けられない事実と断言してもよいだろう。
主治医の指摘通り、僕はますます母に似てきた。表情というか、仕草というか。これは、遺伝子のなせる業なのだろうか。顔かたちや、体つきならまだわかるが、振る舞いまで似るなんて。
母はよく泣く。テレビの画面に活き活きと走る犬が写っていた。途端に泣き始める母。あのシーンのいったい何が琴線に触れたのだろうか。母の涙のツボを理解するのは難解である。孫娘が曾孫を連れて、久しぶりに帰って来ると聞いて泣く。うれし泣きかと思った。実はそうではなく、再会し、共に過ごした後、帰ってしまうことを想像して泣いたという。
会える喜びを糧にして今を生きるのではなく、別れる寂しさに浸り、今を生きる。さすがに、その思考までは似たくないと思う。
そういえば、祖父もよく泣いていた。母の父である。そして、僕も涙の出やすい体質だ。だからか、母の「泣く」を、わからないと言いいつも、なんとなく分かるのだ。おそらく、老いが深まると母のように泣くかもしれない。
なんだか、自分ではどうにもならない性が僕に設計されている気がしてくる。母もまた、僕の老いと人生を照らすのであった。
こんなに似通う体であるにもかかわらず、父とも母とも違う唯一無二の人生を歩んでいると思う。母の仕草をする父に似た体。父の表情をする母に似た顔。絡み合うハイブリットの体を僕らしく生きることができていると思う。