僕の老い方研究僕の老い方研究

第12回

中間領域に着地する顔

2024.04.15更新

 耐熱容器に180㏄の牛乳を入れ、電子レンジに収める。600Wで1分加熱する。ちょっと熱めの牛乳に角砂糖を入れてよくかき混ぜたら、ステンレス製のシェラカップに移し替える。冷たいステンレスが熱を吸収し、ちょうど飲みやすい温度のホットミルクができあがる。

 母の飲み物には気を遣う。熱すぎても、冷たすぎても、いけない。一度でも不快な思いをすると、警戒モードに入ってしまい、口を開けなくなる。なので、熱いと冷たい、その中間を狙う。

 母の介護を通じて、これまで仕事として行ってきた介護を学び直している。そこで、明らかになりつつあるのは、中間領域への着地である。たとえば、「良い介護でもない」、「悪い介護でもない」その中間というように。

 中間領域と言葉にするのは簡単だ。難しいのは、その領域において、どのような態度をとり、どう振舞えばよいのか、具体的に分からないことだ。

 昨年の夏。母は食欲不振に陥った。すぐに回復するだろうと、たかを括っていたのだが、みるみるうちに痩せていく。水分を飲むこともままならない。老人の脱水は命取りである。さざ波程度だった気がかりが、大波小波と揺れ始め、大荒れの高潮となった。

 仕事帰りのスーパーで母の食事を考えながら、食品を吟味する。母の好きなもの、少量でも高タンパクなもの、それなりに考えて買い物をする。仕事を終え実家に帰り着く時間が20時を過ぎる僕に代わって、夕食の介助はヘルパーさんが行う。

 さて、母はどれだけ食べただろうか。まず、食器洗いのカゴを覗いてみる。案の定、夕食に使われた器は洗われていない。冷蔵庫の中には、ほとんど手の付けられていない僕の作った弁当がラップを被り冷たくなっていた。

 ベッドに横たわる母を起こして、車椅子に座らせ、食卓につかせる。夕食2回戦の始まりだ。食べ残しを温め直す。こねくり回された弁当の中身は、ヘルパーさんが何とかして母に食事を摂らせようとした努力の跡である。

 新たに作ることもある。手の込んだものは作らないが、食材が調理されるときの音や匂いが母の食欲に火をつけることを期待した。そんな日々を続けてきたが、劇的に回復することはなかった。

 

 作る物を決めて買い物し、台所に立って調理する。その過程にかかる時間は相当なものだ。口を開けぬ母にあ~でもない、こ~でもないと様々なアプローチを試みる。声のかけ方を変えてみたり、タイミングをずらしてみたり、休憩をはさんでみたり、緩急をつけてみたり、食器の配置を変えてみたりと。まあ、考えうることは、すべてやった。

 僕を苦しめたのは、ほとんど食べられることなく、残された食べ物たちだった。食べる主体は母にある。「おもなからだ」と書いて主体。どんなに食べて欲しくても、母の体に取って代わることはできない。

 僕を蝕んでいくのは、食事作りと介助に費やされる時間の割に、ほぼ成果の上がらぬことに対する焦りだった。死が予感されるだけに、抜き差しならない緊張が焦りを苛立ちへと変化させることもあった。

 おそらく、死が予見されない状況であったなら、もっと怒りをぶつけたのだと思う。努力に応じた成果を求める意識が、僕の深いところで根付いている。

 そんな意識が発動すると、僕は乱暴者になる。「なんで、食べんとかいな。あんた死んでもいいとね。ほら、食べんね!」とか、「わかった、わかった、そんなに食べたくないなら、食べんでもよか。腹が空くのは俺じゃなし、あんたの腹なんだから、どうぞ、お好きに」と。

 そして、ハッとする。なんで、あんなことを言ってしまうのだろうかと。介護を仕事としてきた僕は、介護する人が孕む暴力の怖さを嫌というほど知っている。であるにもかかわらず、轍にはまる車輪のようにコントロールが効かない。

「ほら、食べんね!」は支配。「どうぞ、お好きに」は放置。そのふたつは、両極にある虐待である。

「ほら、食べんね!」は鬼のような顔。「お好きにどうぞ」は冷酷な顔。どちらも「食べて欲しい」という誠実な願いから生まれ出る。そう思うと、どちらの顔も簡単には否定できないが、その激しく揺れ動く感情は決して心地の良いものではない。そのままにしておくと、僕は間違いなく日常的に母を虐待するようになるだろう。

 できることなら支配と放置の中間に着地したい。しかしながら、その領域に着地した人間はどんな顔になるのだろうか。中間領域にある境地と、その境地が現れた顔を探している。

 

 考えても見れば、母の食欲不振も「食べる」と「食べない」の中間にあった。死に至るほど食べないわけではない。かといって、生き生きできるほど食べるのでもない。代謝が不全状態に陥らないギリギリを食べるのである。

 僕にできることは淡々と料理すること。淡々と介助すること。食べれば喜び、食べなければ諦める。「食べない」と「食べる」を繋ぐ態度とは「待つ」なんだと改めて思えた。待っている人の顔なら思い浮かぶ。その顔で中間領域に着地できそうな気がした。

 確かに介護の世界では「待つ」ことが鉄則だったではないか。それゆえに陳腐と化していた言葉が鮮度を取り戻して蘇ってきた。

 思えば介護現場は「待つ」の連続である。目が醒めるのを待つ。ご飯を食べ始めるのを待つ。食べ終えるのを待つ。ウンコが出てくるのを待つ。風呂に入る気になるように待つ。眠りに入るのを待つ。立ち止まったり、引き返したり、やり直したり、繰り返したり、その時間が僕らにとっての「待つ」だったように思う。

 社会は、その時間が介護の失敗であるように捉え始めている節がある。科学的であることや、エビデンスをことさらに求めるのは、もっと効率よく最短コースで成果を出すことが期待されているからだろう。

 このような風潮から逃げ出したい。どんなに正しく良いことでも、いや、正しくて良いことだからこそ、その成果を出すために邁進すると、当初の目的とは真逆のハラスメントや虐待に辿り着いてしまうように思う。僕が母に言葉の暴力を浴びせたように。

 そういえば「人事を尽くして天命を待つ」という言葉もあった。今更にして「待つ」ことを感じ直している。ただただ、お迎えを待つことのできる場所として爺捨て山を開拓することも僕の課題である。

 夏が過ぎ、秋が深まるにつれて、母は食欲を取り戻した。

「よかったね~、やっぱり食欲の秋ですね」

「夏が暑すぎるもんね」

 関係者のみなさんの多くがそのように喜んでくださった。まるで季節が母を助けたかのような発言である。巡る季節と母の体の交感によって、食欲がなくなり、食欲を取り戻したのかもしれない。

 僕としては、あの時の努力の成果と言いたいところだが、あまりにあっさりと食べるようになったので、やはり、母の復活は季節のせいだと感じている。

村瀨 孝生

村瀨 孝生
(むらせ・たかお)

1964年、福岡県飯塚市出身。東北福祉大学を卒業後、特別養護老人ホームに生活指導員として勤務。1996年から「第2宅老所よりあい」所長を務める。現在、「宅老所よりあい」代表。著書に 『ぼけと利他』 (伊藤亜紗との共著、ミシマ社)『ぼけてもいいよ』『看取りケアの作法』『おばあちゃんが、ぼけた。』『シンクロと自由』など多数。

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