第21回
無縁者たちの「静けさ」
2025.01.30更新
92歳のユキさんは、僕らには見えないものが見える。
「あれ、あれはどこにいったかね。朝早くから、走り回って、ほら、あれよ、そう、そう、ウシ、牛がいたでしょ」
「えっ~、牛がいたんですか!」
「そう。昨日もね、そこにいたのよ。鳴いて、鳴いて。うるさかった」。
見えているだけではない。聞こえてもいる。
10年前のこと。有料老人ホームで暮らしていたユキさんを訪ねた。部屋に入るなり、乾いたオシッコの臭いに包まれた。アンモニア臭に変わりつつあるそれは、しばらくしたら慣れるだろうという楽観を許さない。
洗面台の下にはバケツが数個並んでいて、おしっこを吸い尽くしてパンパンに膨らんだパットが溢れんばかりに詰め込まれている。その光景は、現在入居中のホームを退所しなければならない理由を示していた。自立型有料老人ホームのケアレベルを超えるほどに、老いが深まっていた。
部屋の窓からは、うどん屋さんの看板がこれでもかと目に入ってくる。
「ほら、そこに、うどん屋さんがあるでしょう。こんなに近くにあるのに、行くことができないのよ。ああ、うどんが食べたい」
僕らの施設に、ユキさんを迎え入れることにした。
86歳のアイコさんは、色気のある数え歌が十八番である。行事などで人が集まると、本人自ら歌い出すときもあれば、職員の熱いリクエストに応えることもあった。
出会ったのは、かれこれ15年前にさかのぼるだろうか。内科系の疾患で入院し、治療を受けていると精神症状が現れたらしい。大きな声を出したり、ベッドの下に隠れたりと、病院は対応に苦慮したという。医師は精神科に入院するか、それとも退院するのか、どちらかを迫ったという。
地域の友人たちは精神科への入院に反対し、僕らの施設を利用することを勧めた。相談のために家族とともにやって来たアイコさんは歩くことも、立つことも、できずに這い回る。たまたま、置いてあったDIY用の巻き尺を手に取って「もしもし、もしもし」と耳に当てる。
入院時に処方されていた神経系に作用する薬の服用をいったん止めてみることにした。効果は数日後に表れた。歩き出し、会話ができるようになる。
ユキさんとアイコさん。共に暮らすようになって6年が過ぎた頃、年下のアイコさんにお迎えがやって来た。
「ほら、食べんと駄目よ」
ユキさんはアイコさんの口に食べ物を運ぶ。親し気に話しかけ、心配するユキさんに職員はあえて質問した。
「お知り合いですか」
「いいえ」
即答するユキさん。
知り合いでもないアイコさんに、ユキさんは親身になって介助しているのである。確かにふたりは、それぞれの人生を歩んできた。その長さからみれば、共に暮した時間は6%に過ぎない。
ユキさんにとってアイコさんは知り合いではないのだ。同じく、アイコさんにとっても、ユキさんは知り合いではなかったのかもしれない。ユキさんにとっての知り合いとは、かつて帰属していた集団、あるいは共同体にある関係である。改めて、僕らの老人ホームは「無縁者の集団」なのだと思った。
どのお年寄りもかつて帰属していた集団内に存在することができずに、老人ホームにやって来た人たちだ。本人が望んで入居した訳でもなく、かつて帰属していた集団が意図して追い出したのでもない(けれども構造的に排除されている)。個々の定め、家族の事情、社会の都合が重なり合って、自分の願いとは無関係に老人ホームにたどり着いただけである。
昔、僕はある無縁者集団に帰属していた。新聞奨学生制度を活用して大学に通っていた、42年も前のことである。当時の新聞業務は過酷を極めた。深夜に起きて、東京から配送されてくる新聞の梱包を受けとる。トラックがバックするときに発する警告音は目覚まし時計のアラームのようなもので、テールランプが赤々と窓ガラスを照らすと、また一日が始まるのかと、ため息が出た。配達員がやって来る前に、手作業でチラシを新聞に挟み込み、区域別にセッティングする。それを終えると、バイクをかっ飛ばし、読者が目覚める前に400件ほどあるポストへ新聞を投函する。終わりそうもない雑用にけりをつけ、大学へと向かうものの、到着する前に眠気に襲われる。畦道に止めた車の中で「ちょっとだけ」と呟いて爆睡した。まともに講義を聴くこともなく帰店すると、拡張と呼ばれるセールスと集金業務に着手するのだが、集金には手を焼いた。特に独身男性は難易度が高い。朝が早い仕事であるにも関わらず、夜遅く伺わないと家にいない。在宅であることが明らかなのに居留守を使ったりする。会えないうちに新聞代が溜まり、連絡もせずに転居する、なんてことはざらだった。あの頃の僕は布団に入る瞬間が唯一の楽しみであり至福だった。
そんな仕事を毎日こなしているのに、休刊日は年に8回しかない。社会生活に必要な情報を各家庭にお届けするという大切な仕事だが、望んで新聞店を就職先にする人は少なかったのだと思う。
販売店で働く人の多くは、さまざまな事情を抱えていた。極道から足を洗うため、せっかく小指を詰めたのに、その小指がないがゆえに社会復帰できないおじさん。借金取りから身を護るために住民票を移せずにいるお兄さん。暴力団に追われている10代のカップル。心は女性なのに体が男性として生まれついた青年は家庭に居場所がなかった。社会的勢力、反社会的勢力、どちらの勢力からも追われた無縁者だった。
みんな、逃げていた。そこには経験したことのない「静けさ」があった。そっと身を潜める者が放つ静寂である。あの静けさには一種の優しさがあって、おそらく道徳や倫理観から生じているものではないと思えた。世間が落伍者と呼ぶ集団の中で、一緒にご飯を食べ、時には大浴場で汗を流し、仕事で苦楽を共にした。僕にとってそこは、とても居心地が良かった。これまで、身を置いてきた集団のどれよりも暴力性を感じない。むしろ有縁者集団が信じて疑わない正しさに孕む暴力の方が怖かった。無縁者の集団には、太陽のような強い光で導かれる希望ではなく、暗闇を薄っすらと照らす月灯りのような救いがあると感じている。