僕の老い方研究僕の老い方研究

第27回

僕じゃない、直腸がうんこを押し出す

2025.07.28更新

 最近の母は食欲が旺盛である。食べ方に癖の強い母だが、その攻略法を身に付けたことも一因だと自負している。でもそれも、長くは続かないと覚悟もしている。

 たとえ問題解決ための処方箋を見つけたとしても、必ず副作用が生じてしまう。その副作用が新たな問題の種になる。よく効く薬ほど、副作用は強いのだ。思い通りになったときほど、反作用的に次なる問題は突き付けられる、という体験をたくさんした。

 とはいえ、よく食べるようになった母に、ひとまず安堵している。思えば2年前、食思不振に陥った母はみるみる痩せていき、このまま死んでしまうと思った。慌てて、訪問診療をお願いしたのは、いつ母が亡くなっても死亡診断書を頂けるようにするためだった。

 その手配をしておかなければ、自宅での死は不審死として扱われかねない。せっかく天寿を全うし、住み慣れた我が家で死んだのに、警察の調べを受けることになるのは避けたかった。事件性もないのに警察の手を煩わせることに気が引けたし、何よりも、死んだ直後の母との時間を大切にしたかった。そこまで覚悟させといて、また食べ始めるなんて「老人介護あるある」だ。

 よく食べるので、うんこがよく出るようになった。週1回だった排便が2回に増えた。寝たきりの母ではあるが、椅子に座ることはできる。よって、ちゃんと水洗トイレに座って排便できるように心掛けている。

 例によって、母の排泄は癖が強い。トイレで排泄できるように、僕が努力すればするほど、母は「今、しなければならい」「息子の期待に応えなければならない」といった「しなければならない症候群」を発症する。すると、緊張が高まるせいか途端に排泄ができなくなる。

 一般的にはトイレで排泄する方が生理的に快適なはずなのだが、母の場合、オムツの方が心置きなくできるようだった。そのことは、デイサービスの職員さんも指摘する。

 母の癖に気がつくまで2年を要した。「トイレで排泄する」というケアのセオリーを、いったん手放して、オムツを基本にした。けれども、譲れないものがある。うんこだけは便器の中に産み落として欲しい。オムツの中に出産されると、心が折れてしまう。

 ベッタリうんこは、ほぼ無くなってしまったお味噌が容器の縁にくっ付くように、どんなにかすり取っても取り切れない。密林とまではいかないが、雑木林のような母のチョロ毛にお味噌が入り込んでしまうと、それはもう迷宮入りも同然で、拭くだけでは手に追えず、シャワーの力を借りて水に流したい。そうなると、小一時間はうんこと格闘することになり、お掃除も倍増する。

 やはり、便器の中に着地して欲しい。幸いなことに、お出ましが週2回になってからは周期が確立しつつある。火曜日と金曜日の朝に来臨するようになった。それも、朝食を終えた後は確実である。

 欲を言えば、トイレに座って「ウン、ウン」といきみ「ポチャン」と音を鳴らし水没してもらえれば上出来である。

 さて、ここで登場するのが僕のゴールドフィンガーである。100円ショップで購入したポリ手袋を4枚重ねて装着し、御門の周辺に触れてみる。しっかり硬くなっていれば、直腸まで下りてきている証だ。指でゆっくりと押すだけで、つるんと飛び出せば大成功。気を付けなければならないのは、落下の勢いで底の水がスプラッシュし、僕の目や口の中に飛び込むことだった。

 でもそのようなお出ましは、ごく稀である。多くは菊の御門から顔だけ出して、臭いでもってハローという。ここから先が問題なのだ。マッサージで生まれ出ないときは、お母さん指にワセリンを塗って、御門に差し込む。僕のお母さん指が、お母さんの御門に入ることに、当初は強い抵抗感があった。しかしながら、慣れとは怖いもので、今では平気の平左である。

 始めの頃は、あまりに下手糞だった。「かき出してやる」という気持ちが強すぎたのだ。力み切った僕のお母さん指に、母は時おり悲鳴を上げていた。

 味噌団子状であれば、コロリとお出ましになる。ところが品のよいシューに包まれた生クリームとなると、お母さん指の力強い介入ではかえって事を荒立ててしまう。御門の周囲がクリームだらけになるだけであった。

 こうなると最終兵器の使用を踏み切らざるを得なかった。浣腸である。これは、これで、大変なのだ。中腰の状態で、直接見ることのできない御門に細い管を差し込むことになる。できるだけ空気を入れず、タラタラと漏れないように、ゆっくりと液体を送り込む。薬の効果を見るまでは、しばらく指で塞ぐのだが「いつまで待てばよいのか」がよく分からない。いや、分からなくなるのだ。無理な姿勢でのミッションが時間感覚を失わせる。

 そんなとき、僕の脳裏にある言葉が蘇った。

「僕じゃない、鋸が切る」

 それは開拓中の爺捨て山で倒木を切るときに習得した魔法の言葉。

「僕が切ってやる!」という丸出しの自意識が強引な力となり、鋸の刃を深く木肌に喰い込ませ、返って切れなくなるのだった。そんなとき、あの呪文を唱えると「僕」という自意識が緩み、手と鋸の共同作業が難なく進むのだ。

「僕じゃない、直腸がうんこを押し出す」

 そう、とっ散らかった生クリームを体内から外の世界に登場させるのは僕ではない。母の直腸である。母の老いはすでに自意識の手放しを進めており、いきむという能動が生じない。母には到底及ばないが、自意識を手放すことに努める。「僕」という自意識は出しゃばらずに「が・ん・ば・れ~」と小声で応援するぐらいが丁度よい。

 まず、硬く御門を絞めている括約筋をほぐす。お母さん指を差し入れてトンボの目を回すようにクルクルと優しく回転させる。カチコチに締まる括約筋が、ほっとしたように力が抜けてくる。それは、冷え切った体が温かいお湯に包まれたときの恍惚に近い。

 その直後に腸がモコモコと動き出す。盲腸辺りからウエーブが生じ、上行結腸、横行結腸、下行結腸を駆け抜け、S字結腸でゆっくりエネルギーを溜め後、大波となって直腸に到達する。すると、掴みどころのなかった生クリームがボトボトと御門から溢れ出す。それは押し出されるというより、自らの意思で出て来るように見えた。

 続けて指をクルクル回すと第2波が起こる。第1波と同じようにモコモコと生クリームたちが出て来る。何度も波を招くことで、母の大腸は空になる。すると蛇腹のような動きが腸壁から指へと伝わる。「もう、何もないよ~」と言っているようだった。

 僕は深く感動してしまった。大腸のダイナミックな動きに。浣腸を使わずして、生クリームが出て来ることへの驚きに。糞詰まりが解消した喜びに。自意識を通さず交流する世界に。

村瀨 孝生

村瀨 孝生
(むらせ・たかお)

1964年、福岡県飯塚市出身。東北福祉大学を卒業後、特別養護老人ホームに生活指導員として勤務。1996年から「第2宅老所よりあい」所長を務める。現在、「宅老所よりあい」代表。著書に 『ぼけと利他』 (伊藤亜紗との共著、ミシマ社)『ぼけてもいいよ』『看取りケアの作法』『おばあちゃんが、ぼけた。』『シンクロと自由』など多数。

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