僕の老い方研究僕の老い方研究

第3回

ひ弱な体補完計画

2023.07.04更新

 車のワイパーにスモモがふたつ載っていた。昨日はビワがふたつ。一昨日は郵便受けの中にスモモがひとつ。誰かが果物を置いていく。名乗りもしない人から、ささやかな贈り物をもらってしまうと、なんとも言えない余韻が残る。
 手渡しで頂くときは、お礼を言えるが、そっと置いていかれるとそれも叶わない。実家の庭に居座る猫たちも、彼らが仕留めたモグラやネズミをさりげなく、それでいて目に付くように置いていく。それと近い余韻である。

 贈り主が叔父であることは、すぐに見当がついた。叔父は80歳を超える老体を駆使して野菜を育てている。いつもなら、「タカオ! タカオ!」と大声で僕の名を叫んで呼び出す。「いらんかったら、ハツにやる。食べるか?」をあいさつ代わりにトマトやキュウリをくれる。ちなみに、ハツとはヤギのことだ。

 叔父の心遣いが嬉しい。けれど、母を介護する僕の朝はそれなりに忙しい。ご飯をつくり、食事の介助をする。足の立たない母をトイレに座らせる。デイサービスの送り出しの準備もあって、何かと手が離せない時間帯なのだ。
 そこにきて、着地しそうでしない叔父の話を長々と聞くのは、少しばかり煩わしくもあった。その叔父が、ごんぎつねになった。
 考えてもみれば、ごんぎつねのように鉄砲で撃たれずとも、叔父はそう遠くないうちに死ぬだろう。順当にいけば僕よりも先に。あの着地しそうでしない話をありがたく聞いておくべきだったかもしれない。

 そういえば叔父の痩せ方は目に余る。聞くと入れ歯が合わないと言う。「食べ始めても、すぐに痛がって食べることをやめるとよ」。妻である叔母も心配する。すでに入れ歯が合わなくなっていることは知っていた。叔父が話すとき、発語の合間に「ピュッ」という合いの手が絶妙に入る。あれは、出そうと思って出せる音ではない。合わない入れ歯が楽器となって、口の中から奏でる音だ。
 「いらんかったらピュッ、ハツにピュッやるピュッ。食べるかピュッ?」といった具合に。
 「いっそのこと、入れ歯を外したらいいよ。入れ歯がないと食べられないと、頭が思い込んでいるだけだから。歯茎は思いのほか硬いから、焦らず咬んで鍛えたらいい。老人ホームでは唐揚げを食べる猛者もおるばい」。そう伝えると叔父は「そうかピュッ」と嬉しそうに笑った。

 「可笑しかろ」。叔父は恥ずかし気に顔を見せに来た。入れ歯の外れた口元はシュークリームのような弛みに包まれており、ぶら下がる両頬の皮膚で顎が隠れんばかり。鼻から下の顔が縮んで見えた。「なかなか、可愛いばい」と言うと「しょふか(そうか)」と少し照れた。
 「入れ歯ふぉ、外しゅて食べたらくしゃ、ふぉ前の言うごちょ、食ふぇれたふぁい」。叔父はそう言って、ゴーヤを置いていった。
 「ピュッ」というキュートな合の手に代わって、空気の抜ける新たな発声の登場である。柔道を嗜み、剛腕と噂される高校教師だった叔父は、僕にとって少し怖い存在だった。きりりと引き締まった口元が、思わず触れてみたくなるようなシュークリームへと変容した。喋れば空気が漏れていて、聞いている方が脱力する。
 僕からすれば、親しみやすい老人へと変わりゆく叔父が愛おしくも感じる。けれど、歯肉が腫れても合わない入れ歯を外そうとしなかったのは、咀嚼機能に拘ったというよりも、顔つきや発声が、かつての自分と違ってしまうことに抵抗があったのだろう。

 入れ歯の発祥を辿ると、古代エジプトにまで遡るらしい。日本だと室町時代とのこと。かつて「眼鏡は顔の一部です」というコマーシャルがあったが、肉体が失ったものを補う物として、入れ歯は眼鏡以上の存在といえる。
 大袈裟な言い方だが、人類は老いによる機能低下や見栄えの変容を遠ざける努力を綿々と続けてきた。僕も人類の一員として、その営みを継承するはずだった。しかしながら、そんな意識のちゃぶ台をひっくり返したのは、唐揚げをペロリと平らげる老人ホームの猛者だった。
 僕は歯茎一貫で何でも食べる婆様に憧れてしまった。さらに、そのことが可能であると証明する老人はひとりやふたりではなかったのである。
 完治し得ない歯科治療に、多くの人が時間を費やす時代にあって、婆様たちは異彩を放っていた。たとえ、歯を失っても歯茎で食べることができるのだ。それはそれで、大きな安心だ。補完することがすべてではないのである。
 それにしても歯茎で食べるって、どんな感覚なんだろう。味覚にも変化はあるのだろうか。その感触を味わうまでは死ねない。

 とはいえ、人間が生身の弱さを補ったり、さらに強く拡張するために道具を工夫し続けた理由を、爺捨て山の開拓において身をもって実感している。
 鬱蒼と覆われた森の一角には、わずかばかり光の差す場所があった。レジャーシートの上に横たわり空を眺めた。この暗がりは、地を這い巡らし、触るものすべてに巻き付いて登っていく蔓たちによってつくられている。
 若々しい新芽の茎には、小さな虫が糸状の白くねっとりとしたものを出しながら、大量にまとわりついていた。見渡すと生クリームでデコレーションされたかのような樹木が広がっている。小さな虫をよく見ると白い綿毛に包まれている。触ろうとするとピンと跳ねていなくなった。若い茎の樹液を好物としているのだろう。湿った日影が住まいとして心地よいようだ。とりあえず、この虫をシロアブラハネムシと呼ぶことにする。

 蔓たちの勢いを制して、陽や風を招きたいと思った。まずは、目に付いた蔓を断ち切ってみようと、素手で引っ張り回す。数ミリほどの太さなのに全くもって歯が立たない。全体重をかけて引っ張ると、手の皮膚が真っ赤になって悲鳴を上げる。人の生身はなんと、か弱いのだろう。まだ、パンツを履いていなかった遠いご先祖さまが道具を使い始めたことに思いを馳せた。
 冷静にその蔓を見つめてみる。葉はツルツルとしていて清潔そうだ。お餅を包むにはお誂え向きである。とりあえず、この蔓をツツミモチツルツルと呼んでおく。とにかく、いろんな蔓で溢れ返っている。ざっとみるだけで、アカムケヅル、オシャレコツル、ダイジャモドキツル、チョココエダツル、ターザンモドキツルなど、さまざまだ。すでに、お分かりと思いますが、ここに登場する蔓の名前は、僕が勝手につけたものなので、正式名称がちゃんとあります。あしからず。

 当初は、ここで暮らす動植物を把握しておきたいと考えていた。何処に何の木が生えているのか。どんな虫や草が暮らしているのか。どれだけの数が存在しているのか。ところが、その多さと、季節の移ろいに応じて風景が変わっていく棲み分けローテーションについていけなかった。生き物の多種多様さと、その躍動に圧倒された。どの虫の幼生が、どんな成虫になるのかも分からない。根気がないという僕の特性も手伝って、「いっぱい、いる」で良しとする。

 それにしても、蔓植物の逞しさには舌を巻いた。太いものはニシキヘビほどの太さがある。あらゆる木にくるくると巻き付いて頂上を制覇する。生い茂る葉っぱの絨毯の上を舐めるように広がり続ける。巻きつかれたまま成長した木の幹は絞り切った雑巾のように変形していた。蔓のせいなのかは分からないが、引き倒されたように横たわる大木もある。
 よって、この森に光と風を招くには、まず手の機能を補完し拡張せねばならない。手のひらを強化するために手袋を装着する。蔓を断ち切るために刃渡り20センチ足らずの鎌と鋸、剪定鋏を装備することにした。
 改めて、爺捨て山の手入れに向かった。拡張された威力は絶大である。一本の蔓さえ、ちぎれなかった僕の手は、あれよあれよという間に大量の蔓を切りまくっている。強化された手のひらは地中に潜る蔓の根を容赦なく引っ張り出す。そしてカニのような鋏でプツンと断ち切った。鋏では太刀打ちできない太いものは鎌で一刀両断した。硬いものは鋸で引く。

 かくして「ひ弱な体補完計画」は見事に成功を収めた。と同時に恐ろしいと思った。爺捨て山を暗く閉ざしていたとはいえ、ここまで繁殖するまでに数十年を要している。道具たちは、ニシキヘビに見紛う蔓を数分で切り刻んでしまうのだ。

 ここに住まう動植物と比べれば、僕の生身は情けないほどひ弱い。けれど、ひとたび道具を用いると、彼らが十年かけて到達する風景を半日で変えてしまう力を得てしまう。ひ弱な僕が時間の流れを変える存在になりうるのだ。最低限の補完拡張でこの森の時間に沿うべきだと思った。

 ただ、僕にもそれなりのダメージはあった。道具は疲れを知らないが、生身は猛烈に疲れる。若いつもりでいる僕は、若いつもりで作業したせいで、気分が悪くなるほど疲労困憊し、翌日、仕事をずる休みした。僕は自身の老い具合をまったくもって知らなかったのである。

村瀨 孝生

村瀨 孝生
(むらせ・たかお)

1964年、福岡県飯塚市出身。東北福祉大学を卒業後、特別養護老人ホームに生活指導員として勤務。1996年から「第2宅老所よりあい」所長を務める。現在、「宅老所よりあい」代表。著書に 『ぼけと利他』 (伊藤亜紗との共著、ミシマ社)『ぼけてもいいよ』『看取りケアの作法』『おばあちゃんが、ぼけた。』『シンクロと自由』など多数。

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