僕の老い方研究僕の老い方研究

第31回

複数の時間を生きる

2025.12.12更新

 人は成長するのか。僕にはそのような問いがある。なぜなら、61年も生きながら、成長している実感がないからである。仕事を通じていろんな人と初対面するが、その人たちが、年上に感じてしまう。明らかに年下の人ですら、同期であるような錯覚にとらわれる。「未熟者である」というイメージを、僕が自分自身に与えているのかもしれない。

 成長した感じがしないせいだろうか、深く考えることなく学んでいた論理に不満めいた感情が生じ始めた。エリクソンが提唱した「発達段階理論」だ。人間の一生を8つの時間に分けて、それぞれの段階で直面する心理・社会的な課題を明らかにした。

 僕は7段階の壮年期にあたる。40~64歳。壮年期の課題は「生産性」とされている。仕事や家庭、社会的な活動を通じて、社会に対する責任を果たし、次世代を育てることが、この世代に与えられている課題らしい。その役割をちゃんと果たせば、達成感を得られる。けれども、果たせなかった場合、「停滞」という危機が訪れて、自己中心的な感情が生じやすくなると言う。確かに、その通りだと思うし、まさに職場からも、同じ役割が期待されている。

 さらに、僕は次のステージに移りつつある。老年期だ。発達課題は「統合性の確立」であるとエリクソンはいう。この時期は死に対する意識が高まり、人生を振り返るとのこと。自身の過去を受け入れて、自己を肯定的に評価できれば、平穏が得られる。そうでなければ「絶望」という危機に陥るという。「死」を受け入れることが大切らしい。もっともだと思うのだが、違和感も残る。「死を意識する」と、簡単に示しているが、それはどういうことだろうか。分かるようで、分からない。

 96歳の婆様に「死んだら棺桶に何を入れるか」と聞いたとき「え~っ、死ぬ? 私が?」と、たいそう驚かれた。僕の実感では老いやぼけの深まったご老体ほど「死」を意識しているようには見えない。むしろ、「いのち」そのものになっていく感じがする。赤ちゃんが生きることにのみ、生きるように、老人も生きることにのみ、生きる存在へとなっていくように思う。そうじゃない人は、まだ老人ではないのだ。きっと。

 考えてもみれば、明日どころか、数分先の「生きていること」を、誰も保証されていないのだから、老人が先に死ぬとは限らない。人は最期まで死を意識することなく、生きるのだと思う。生きることを阻害されときに、人は死を考えてしまうのではないだろうか。

 何かしら、もやもやしてしまう。その正体が気になっていた。おそらく、危機が提示されていることだ。8つの段階にある課題を乗り越えられないと、それぞれにおいて不信、恥と疑惑、罪悪感、劣等感、役割の混乱、孤立、停滞、絶望という危機が生じるとされている。僕は、これにちょっとした反発を覚える。危機を示す必要があったのだろうかと。これだと、危機を避けるための引き換えとして課題に向き合うという動機付けが生じてしまいそうなのだ。脅かされている感じがするのである。

 どうしてエリクソンに、いちゃもんをつけてしまうのか。彼の言う課題が、立派すぎて僕には眩しすぎるのだ。さらに言わせもらうと、危機とされる、不信、恥と疑惑、罪悪感、劣等感、役割の混乱、孤立、停滞、絶望は本当に危機なの? それらは選ぶことのできない隣人みたいなもので、課題達成の可否に関わらず、いつも僕らの傍にいる。これらの状況に苦労するのが、人の常であるように思える。大切なのは、苦労をその人が背負えるだけのものに留めておくことではないだろうか。苦労を分け合う人がいて欲しいと願う。

 私たちは、赤ちゃん、幼児、学童、青年、成人、壮年、老年へと時間とともに段階的に成長する「人間」を前提としている。それは、疑いようもない事実であるように思える。けれども、時間と人間の関係は、そんなに単純だとは思えない。

 ある爺様が夜中に飛び起きて「点検する」と言い出したことがある。「真夜中ですよ」と伝えても、僕の言葉は爺様を素通りしてしまって、役に立たない。爺様は、かつて電力会社に務めていたという。退職して30年を超えるはずだが、働いていたころの世代が現れたのだ。いま、ここに居るはずのない過去の存在が、僕の目の前で生き生きと仕事をしている。

「これで最後の点検です。お疲れ様でした」

 そう声をかけると、爺様は布団に入った。

 あのような臨場感に遭遇すると、爺様が過去を回想して「あの頃の私」を再生して見せたようには思えない。まさに、あの時代を生きた若かりし爺様が現れたと感じる。 

 とある爺様もそうだった。何故か半身麻痺の婆様を抱えようとする。「危ないから止めて」とお願いするのだけれど、聞く耳がない。そして「野戦病院はどこですか?」と僕に尋ねた。太平洋戦争の最も過酷といわれた南方の最前線で戦った人だった。敗戦後は東ティモールで捕虜となり、復員船の中でマラリアを発症した。ろくな医療もないなかで、命からがら日本に帰ってきた。

 爺様は、みんなが寝静まった後に、匍匐前進しながら布団から這い出てくることがある。そのときはいつも泣いていた。あのときも、最前線で戦う20代だった爺様が、僕の目の前に現れたかのようだった。あのリアルに接すると過去、現在、未来へと時間が一直線に流れているとは思えなくなる。どの世代の私も、私の中に居て、しっかりと生きている。

 そういう僕も母の介護によって、思春期であろう僕の存在に触れた。

 9時半にお迎えに来るデイサービスの送迎車。早く準備を終えた母は、約束の時間を待ちきれない。せっかちな性分も手伝って、怒り出す。「まだ来ないの? こんなに待たせるなんて!」

 僕はあの状況に出くわすと、自分でも驚いてしまうほど、ぶち切れしてしまう。

「迎えは9時半ち、言いよろうが。何回言わせるとね。俺の言うことが信じられんとね。あんたは、いつもそう!」こんな具合に。これは今の僕の声ではない。思春期の僕が立ち上がってきて、切れまくっているのだ。

 繰り返される母のイライラと愚痴に、「あ~、また、切れるな」と冷静に分析しているのにも関わらず、あの瞬間が訪れると、車輪がカタンと音を立てて轍に嵌まるかのごとく、若かりし僕が顔を出して暴れるのであった。あの時の僕はコントロール不能に陥る。

 どの世代の僕も、僕の中に居て、しっかりと生きている。3歳の僕は3歳のままで、61年を生きている。そのように僕の体には多様で複数の時間が同時に存在している。

 61歳の僕は3歳の僕を可愛がることができる。3歳の僕は61歳の僕に抱きつくことができる。とっくの昔に成人した息子や娘たちの中で生きている、幼児期の彼らと出会い直すことができる。泣きながら匍匐前進する爺様を、今は存在しないはずの戦地で抱きしめることだって可能なのかもしれない。「いま、ここ」で。

村瀨 孝生

村瀨 孝生
(むらせ・たかお)

1964年、福岡県飯塚市出身。東北福祉大学を卒業後、特別養護老人ホームに生活指導員として勤務。1996年から「第2宅老所よりあい」所長を務める。現在、「宅老所よりあい」代表。著書に 『ぼけと利他』 (伊藤亜紗との共著、ミシマ社)『ぼけてもいいよ』『看取りケアの作法』『おばあちゃんが、ぼけた。』『シンクロと自由』など多数。

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