僕の老い方研究僕の老い方研究

第32回

新しい代々

2025.12.27更新

「ああ、こういうことか」。最近は、そう腹落ちすることがある。

 とくに驀進するテクノロジーと私の関係においてである。中国製のロボットがファイティングポーズをとり、ロッキー並みのシャドウボクシングをこなし、華麗な回し蹴りを放ちながら宙を舞い、仮面ライダーに劣らないポーズで着地する動画を見たときのこと。「うそ~」と思わず呟いた。フェイクである可能性もあるが、まだまだ先だと思っていた人型ロボットが急激な進化を遂げていることは間違いない。

 僕の働く老人ホームに見学にやって来た韓国の人たちから「ロボットが実用化されたとき、導入しますか?」と質問された。(うむ~)と考えた後に、「人と見間違うほどの高性能ロボットが開発され、致命的な人手不足が生じていることを前提にして考えた場合」と前置きして「仲間として迎えます」と答えた。

 現在のテクノロジーの進化のわり方とその活用に慎重な態度をとりがちな僕に、強く推進する人たちには決まり文句がある。「人類は道具と共に進化してきた」と。共進化である。でもそれは、道具と人がお互いを労い愛でるといった、ケアし合う関係においてしか生じないのではないだろうか。

 現代社会に、そのような関係が存在しているのだろうか。大量に生産し、大量に廃棄される物たち。修理に出すより買い換えたほうが安くつくといった価値観が当たり前になった時代は、とどのつまり人をも使い捨てにする。

 それが、今の社会ではないのか。マニュアルを筆頭に、誰がやっても同じことが再現可能となる標準化を科学や技術に求めてきた。しかし、それは人をロボット化することに効果を発揮している。人をスタッキングし、いとも簡単に交換できるようしたのである。まるで部品のように。そのような社会へと鍛え上げている私たちに、物たちと共に進化できる力が養われているとは思えない。

 正直言って、近いうちに引退を目論んでいる僕は、AIやDX、介護ロボットについて関心がない。次の世代が考えればよいと思っているからだ。こんなとき、自身の老いを強く感じる。「時代に付いて行けず、取り残されている」という実感よりも、テクノロジーの進化に感動する回路に火がつかない。その感覚には、焦りよりもむしろ、安堵感がある。「日進月歩で爆走する直線の時間に乗らないで済む」という解放感が勝るのであった。そんなとき、僕が順調に老いている、ちゃんと生身の体に還ることができている、と実感する。

 とはいえ、介護される側になることがそう遠くない僕にとって、身体性を失っていく介護員から介護されることになることについては不安が残る。

 二〇〇〇年に介護保険が施行されたとき、措置の時代から契約の時代へと移行するための運営体制をつくる準備に追われた。利用料金の請求、介護報酬や加算にかかる請求、介護報酬を受け取るために必要な記録の数々。事務作業量が膨大になった。

 その作業をこなすには、さまざまなソフトを導入せざるを得なかった。というか、そのようなシステムを導入しなければ、運営できないように制度が設計されているのである。今思えばあのときから、電子化の波が押し寄せ始めていたのだ。処遇や事務手続きにかかる管理コストが増え続ける時代に突入したのである。

 その波は介護現場にも到達しつつある。とくにセンサー技術の進化はめざましい。ベッドに内蔵されたスキャンが、横たわるご老体の呼吸や心拍数を数値化する。さらに、眠りの浅さ、深さまで把握することができる。それらの情報を管理するソフトが生体活動を可視化し、記録する。ご老体と関わるためにフル稼働してきた介護者の五感を、センサーによって外部化することに成功したのである。

 その意義は、介護する側の負担を軽減し、正確な情報によってご老体のニーズを的確にとらえ、事故を減らし、無駄、無理、ムラなく介助することが可能となり、生産性が向上することにあるとされる。今後は、介護者の身体機能を外部化するためのコストが増加し続けることになるのだろう。介護現場はそのようにシステム化された産業共同体へと進化していくのだろう。

 やはり、僕は歳を取ったのだと思う。科学技術の発展によって仕事や暮らしが向上するという言説にときめかない。機械化された近代資本主義の文明がもたらす仕事や生活様式の進展に期待しなくなった。むしろ、その包摂から逃れたい。

 ときめくとしたら、それは人間集団の進化である。僕の所属する介護施設は、発足して三十五年になる。ご老体の食べる、排泄する、眠ることに、お迎えがやって来るまで付き合い続けることを、ひとり、ひとり、重ねてきた。その繰り返しに、見たことのない地平が開きかけている。

 ある娘さんは、僕らと一緒にお母さんを看取った。その後は、僕らと共に夫を看取った。そして、僕らと共に息子から看取られたのである。世代をまたぎながら、利用が続いている。つまり、利用のあり方が直系化しつつ、傍系化している。

 家族会には、介護をやり終えたOG、OBたちが現役家族らと一緒に残り始めた。彼らは僕たち介護施設に緊張感のある要求をする。ひとつは「私が利用するまで介護の質を落とすな」、ひとつは「私が利用するまで潰れるな」である。

 さらに要求するだけでなく、自らの望みを実現するために、「私たちは何ができるのか」を考えて行動する家族会へと進化している。僕らの介護施設は、家族会に支えられ始めた。

 さらに興味深い発言を聞くようになった。介護施設が「実家のように感じられる」と言うのだ。事実、親なき後に残された家を売却してしまった人たちは、帰ることのできる実家を失っている。親の最期の居場所となり、死に場所となった介護施設が「私の実家」へとなった人が増えつつあるのだった。

 家族会は、利用した親から始まって直系化し、傍系化する代々の束になってきた。僕はそれを「新しい代々」と呼びたい。これまでの代々は、「血縁」「地縁」「知縁」からなる三つの「ち」によって結ばれるものだった。一族とその親族をとりまく一派で成立する代々は、富を独占し蓄積することを可能にする。現代社会は、一部の代々の連帯によって、我田引水的に統治されているにすぎない。人類は「類」になるどころか既得権益に執着する代々で足踏みしているのである。

 「新しい代々」は三つの「ち」によって結ばれていない。親の介護に困り果て、それぞれに介護を必要とした無縁者の集まりである。介護施設という「実家」に集まる代々の束が、自分の老後のために、自分のできることを考えて行動することで、みんなの拠り所を創ろうしている。僕はそのことに希望を感じている。社会的弱者といわれるご老体を起点とする介護集団の進化は、新しい社会を創る営みを秘めている。

村瀨 孝生

村瀨 孝生
(むらせ・たかお)

1964年、福岡県飯塚市出身。東北福祉大学を卒業後、特別養護老人ホームに生活指導員として勤務。1996年から「第2宅老所よりあい」所長を務める。現在、「宅老所よりあい」代表。著書に 『ぼけと利他』 (伊藤亜紗との共著、ミシマ社)『ぼけてもいいよ』『看取りケアの作法』『おばあちゃんが、ぼけた。』『シンクロと自由』など多数。

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